4章の3
剣や槍を携えた黒ずくめ達が続々と殺到し、境内と周囲の森は瞬く間に戦場と化した。
『ファウスト』のメンバーたったの五人に対して、『アリオク』は五十人以上もの構成員達をぶつけたのである。
多勢に無勢も良いところだが、五人は怖じ気づく事もなく戦っていた。
「食らえっ!!」
「やああっ!!」
「ふん!!」
鳥羽の村正が闇を裂き、依子の杖が凪ぎはらわれ、シュレック子爵の剛拳が一直線に撃ち出される。
剣と杖と拳が申し合わせたように、全く同じタイミングでスカイスタンめがけて走ると、その連携攻撃を遮るようにジル・ド・レエが躍り出た。
右手一本で振るわれた大剣が、重々しく空気を切る。
剣の横腹で杖を叩き、返す刀で上段からの刃をかち上げるように弾かれた。真正面からの正拳突きはガントレットに覆われた左手で払われ、軌道を反らされる。
「ぬぅおっ!!」
攻撃を一瞬のうちに潰すと、野太い気合いの声を迸らせ、甲冑を纏った巨体が三人へ怒濤のように踏み込んでくる。
地響きと共に大剣が闇夜を薙いだ。
細かい技法こそ無いものの、フランス最高位の騎士であった生前より更に強化されたジルの身体能力と、それに耐え得る性能を持つ武器とが合わさる事で、桁外れの威力が生まれる。
並の人間ならば風圧を受けただけでも転倒してしまいそうな激烈な剣だったが、三幹部は余裕を以てそれをかわしていた。
「隙あり!」
破壊力は凄まじいが、動作はそれ相応に大振りである。腕が振り抜かれるのを見計らい、依子が反撃とばかりに片手で杖を突き込んだ。
ジルも予測していたのか、最小限のバックステップでそれを回避しようとする。
しかし次の瞬間、杖が掌で中程から先端まで滑り、さながら孫悟空の如意棒のように間合いが伸びてジルの額を打つ。
「!?」
頭を仰け反らせて、巨体がたたらを踏んだ。
そこをすかさずシュレック子爵が追撃し、高く跳躍しての回し蹴りを繰り出す。鉈か鎌のような鋭さで頬骨へ脚がめり込んだ。
普通の人間ならば首の骨が折れるか頭蓋骨が砕けるかという程の、強烈な連撃だ。
しかしジルはすぐに姿勢を直し、首をゴキゴキと鳴らしながら笑って見せた。
「少し驚いたし、痛かった。だがこの程度では私は倒せんぞ!!」
額が割れ、頬が内出血して赤黒く腫れているが、ジルはさしてダメージを受けていないようだ。元より魔人の肉体にかかれば、簡単に治癒してしまう程度の傷でしかない。
額の傷はすぐに流血が収まり薄皮が張っていくのが視認できるし、顔の内出血も既に半ば消え失せ、腫れが瞬く間に小さく萎んでいく。
「狼男の一件で再生能力は理解していたが、実際に戦ってみると予想以上だな」
鳥羽が殺人鬼の生命力に改めて舌を巻いていると、攻撃を打ち込んだ二人が怪訝な顔をしている事に気付いた。
「どうした?」
腑に落ちないという表情の依子に軽く聞いてみると、「手応えが妙だった」との答えが返る。
「……衝撃が通らないというか、でかいゴムの塊のような感触がしたな」と、シュレック子爵も口にする。
その言葉が聞こえていたようで、ジルの口元が笑みの形に吊り上がった。
「なかなか勘が鋭い。だが私だけに気を取られていても良いのか?」
山のような巨体を飛び越え、妖気を孕んだマントが宙を舞う。
ジルの背後から躍り出た怪人スカイスタンの魔影が、死を連想させる髑髏の杖を携えて襲い掛かった。
如何なる機構か水晶髑髏の顎がぐわりと開くと、そこから幾つもの青白い火球が飛び出し、三人の頭上へ雨のように降り注ぐ。
それを素早い動きで回避すると、再び体勢を整えて三幹部が攻撃を仕掛ける。
拮抗した戦力に、状況はなかなか動かない。
長谷川琴美も、エリザベート・バートリーに決定打を与えることが出来ず苦戦していた。
「このぉ、当たれ当たれ当たれぇ!!」
矢が飛び交い、凶刃が閃く中を駆け抜けながら指先で石を弾き続けるが、深紅のドレスの裾にすら攻撃が掠らない。
木々の合間を、神殿の屋根を猿のような身のこなしで跳躍するエリザベートは夜目が利くだけではなく、感覚気管も優れているらしい。
死角から撃ち出された妖精の矢さえも、嘲笑うような宙返りで回避する芸当を見せている。
苦い表情をした琴美の顔には、大粒の汗が浮かんでいた。視界の悪い闇夜を素早く動き回る敵を追跡するのは予想外に困難であるし、戦闘の緊張感も更に神経を磨耗させる。
体力面ではメンバーの中でも劣るゆえに、早くも息の乱れが生じている。
恐らくはそれを闇夜の向こうからでも見抜いているのだろう。
裂けるように口角を吊り上げてエリザベートが笑い、高く跳んだ。
一回、二回、三回と、木々を足場に蹴る。20メートルは達したところで、白い繊手が高々と掲げたサーベルを大振りな動作で振りぬいた。
月光に照らされて、サーベルが三日月のような軌道を描くと、それは通常の残像や虚像のように消えることなく深紅の刃となって琴美へ襲い掛かった。
風を裂く音を獰猛に唸らせて、ブーメランを思わせる回転を伴った凶刃が迫り来る!!
闇に擬態する赤褐色の刃を見切ることは適わず、咄嗟に杖で受け止めたが衝撃は凄まじいものがあった。
「あいったた!!」
無様に吹き飛ばされ、背中を強く打ち付けながらもどうにか体勢を整えると、杖に半ばまでめり込んだ赤い刃が目に留まる。
「これは……凝固した血液?」
半透明の赤褐色の凶刃からは、独特の鉄錆のような臭いが漂っている。
未だ確証はないが、彼女はエリザベートの能力の正体について気付き始めたようだ。
三幹部は妖術師スカイスタンと、彼を守るように立ち塞がるジル・ド・レエを相手に接戦を繰り広げ、長谷川琴美も杖と秘術を巧みに操り、素早い身のこなしの妖女エリザベート・バートリーを仕留めようと必死に戦っている。
そして、彼ら以上に凄まじい死闘を演じているのが、狗賀志郎と岡田以蔵だ。
「いええーーっ!!」
掛け声と共に、鋭い斬撃を志郎が放った。
正眼から振りかぶっての袈裟斬りである。
身体に太刀を寄せず、腕を伸ばして肩に担ぐような形で、右足を踏み出しながら大きく振るう。鹿島神道流独特の刀法だ。
対する以蔵も無言のまま、腰間から凶刃を迸らせた。刃の煌めきが弧を描く胴払いである。
きらっきらっと二つの刃が闇夜で閃き、火花を散らせて激突する。
「らぁっ!!」
「……」
志郎は苛烈な殺意を眼に込め、以蔵は無言・無表情を崩さず冷酷に見据える。眼力をぶつけながら、そのまま鍔迫り合いに持ち込まれた。
お互い受け流すことは考えていない。渾身の力を込め、押して、押して、押しまくる。
ぎ、ぎ、ぎ、ぎ、ぎ――――!
鋼の軋る厭な音が、夜気のなかで異様なほどに甲高く響き渡った。
ただ力任せに押し合うだけでなく、重心移動や手首の捻りなどを駆使し、相手を崩そうと水面下で競う。両者共に剣の名手であるが故の、高い次元の戦いだ。
本来ならば以蔵に加勢するべき黒づくめ達も、この二人の戦いには介入する余地を見出だせないようである。
直刀で斬りかかる事も、ボウガンで狙い射つ事もなく、固唾を飲んで遠巻きに成り行きを眺めている。
恐ろしく濃密な緊迫感の凝り固まった数秒間。それを経て、鍔迫り合いの拮抗が崩れた。
体格では劣る以蔵だが、やはり魔人の肉体の恩恵によるものか、膂力は並外れているようである。
ハールマンの時のように、怪力を誇る志郎の体勢が徐々に押され始めた。
悲痛な苦悶が喉から漏れる。このまま以蔵に崩されれば、切っ先から炎が飛び出すように猛烈な斬り込みで、なますに刻まれるのは想像に難くない。
(クソッタレが、これならどうだ!!)
内心で悪態を吐きつつどうにか呼吸を整えると、そこから爆発的な力を腕と背筋にこめ、腰をどっしり据えて前へ踏み出す。
鍛え抜かれた筋肉が、逞しい力瘤を盛り上がらせた。
噛み付き合った二つの刃を握ったまま、両者の腕が頭上へ持ち上がった形になる。
「うおおっ!!」
転瞬、気合いの一声を残して志郎の身体がストンと地面に落ちるように低く沈んだ。
折敷と呼ばれる、片膝をついてしゃがみ込んだ姿勢である。以蔵の刀はまだ上に掲げられたままだ。
がら空きの身体がさらけ出されているその機をついて、一直線に真改の切っ先が顔面めがけて伸び上がる。
鹿島神道流“遠山”!!
本来は鍔迫り合いから敵の構えをこじ開け、下方から喉を突く技だが、今回は眉間を刺して脳を壊すことを狙った。
魔人を倒すには肉体を切断するか、脳・心臓を破壊するか。ホームズ、ハールマンとの戦いで嫌というほど理解している事である。
「……ッ!」
眼前に切っ先が迫り、以蔵の顔に微かではあるが緊迫の色が浮かんだ。高く掲げた刃を、下からの刺殺剣を迎え撃つように志郎へ叩き落とす。
真改が頬を裂き、忠広が眉間を割った!!
直後、申し合わせたように飛び退って両者が距離を取る。
痛手を被ったのは志郎だ。
以蔵の頬の傷は既に殆ど消え失せているが、彼の顔面は流れ落ちる鮮血によって朱に染め上げられている。
傷そのものは浅いが、視界が流血に阻害されるのは魔人を相手にするには十分に不利となるだろう。
そのとき、手傷を負ったのを好機と思ったか、以蔵の従えている黒ずくめ達が直刀を携えて志郎へ殺到した。
「邪魔だぁっ!!」
ひと声吼えると、片手に構えた刀を地面と平行に留め、志郎の身が円を描いて刃を唸らせる。
鹿島神道流“虎乱”の太刀が竜巻のように駆け抜けると、その進路上の敵がまとめて斬り倒され、四方八方に血を奔騰させた。
「フッ!」
短い息と共に、軽く血濡れた刃を振るって血を払う。石畳にばあっと赤い飛沫が広がった。
そして、回転剣技の勢いはそのまま、歩みを止める事無く刀が蜻蛉に構えられる。
「チェエエエエーー!!」
猿叫が迸り、烈風と化した志郎の剣が魔物のように敵陣を薙ぎ払った。
刃が閃くたび血が柱のように噴き上がって生首が飛び、またあるものは手指や耳や脛を削がれ、果ては股間を抉られて悶絶する。
その場で致命傷を与える事は出来なくとも、斬れる箇所を斬って手傷を負わせるという示現流の戦法で、志郎は瞬く間のうち多数の敵を戦闘不能に追い込んでいた。
「じ、冗談じゃねえ!!」
鬼のような殺戮を見せられて、黒ずくめの一人が引きつった悲鳴をあげて踵を返し、走り出した。進行方向は境内の裏手だ。そのまま森の中へ逃げるつもりだろう。
しかし、着流しの殺人鬼の脇を抜けようとした瞬間、二条の閃きが首と胴を凪ぐ。
走り出す勢いはそのままに、上半身が前のめりに下半身から滑り落ち、逆に上半身がのけぞるように後方へ倒れこむ。最後に首がどすんと鈍い音を伴って冷たい地面へ投げ出された。
「逃げるな……逃げたら………」
これまで一度も声を発していなかった以蔵の口から、鉄錆をこすり合わせたような嗄れ声が漏れる。
「殺す」
血塗れた刀を真っ直ぐに突き出し、配下達を恫喝する。声音こそ静かだがそれ故に冷酷な響きを生んで、恐怖が黒ずくめた達を瞬く間に支配した。
「……行け」
顎をしゃくって命じると、生き残りが三人、絶叫に近い声を発して志郎に飛び掛った。
一丸となって無茶苦茶に直刀を振るって来るが、彼には掠りもしない。
(ちくしょう、屑が相手でも胸糞悪い!)
不快感に顔をしかめていると、襲い来る三人の背後から着流しの影が裾をはためかせて接近しているのが微かに見て取れる。
本能的に危険を察知し飛び退くと、真ん中の男の胸から凶刃が貫き通った。
「げええっ」
マスクごしに断末魔があがる。のけぞりながら血潮を噴いて、哀れな男がびくびくと痙攣した
岡田以蔵は配下もろとも、志郎を串刺しにするつもりだったのだ。
一瞬でも気付くのが遅れていれば、思惑通り刺殺されていただろう。
志郎を殺害できず、ちっと以蔵が小さく舌打ちすると、串刺しにされた男をゴミでも扱うようにぞんざいに蹴倒し、今度は左手を懐へ突っ込んだ。
出てきたのは、古めかしいタイプのリボルバー拳銃だ。
志郎が冷や汗の感覚を実感する暇もなく、残る二人も背中を蹴りつけられ、もつれるように彼へ向かって倒れてくる。
リボルバーが構えられた。銃口に小さな火球が生じる。
無我夢中で敵を振りほどき、頭を低くして地面に蹲る。間一髪の、まったく余裕のない上での行動だった。
轟音が鳴り響き、熱と衝撃がびりびりと鼓膜を震わせながら頭上を通過していく。
轟音が収まった後に目を上げると、残りの二人は銃から発射された一撃に背中から貫かれ、胸に大穴を空けて即死していた。肺や心臓は完膚なきまでに破壊されているのは一目瞭然だ。
「何が逃げたら殺すだ、逃げなくても殺すんじゃねえか!!」
怒りを込めて、志郎が以蔵へ向かい走る。自分でも珍しいと思うほどに、以蔵に対して憤りを感じている。
迎え撃つようにリボルバーが火花を噴くが、志郎は連続して撃ち込まれる弾丸を剣でそらし、瞬く間に間合いをつめると、切っ先をすり上げる。
次の瞬間、ギィンと甲高い音と共に拳銃が宙を舞った。




