3章の2
午前10時前。
林道の奥にひっそりと佇む魔術結社『ファウスト』本部で、狗賀志郎、長谷川琴美、御堂樹里の三人は遅めの食事をとっていた。
もはや朝食の時間はとうに過ぎている為、古風な洋館には似合わない折り畳み式の長机とパイプ椅子を据え付けた簡易なスペースに、他の人間は見当たらない。
肉体的、精神的疲労の深かった彼らは寝過ごして朝食を食い損ねてしまった。
そこで三幹部の一人、桐山依子の「簡単なものでよければ、何か作ってやろう」という一言をありがたく受け取り、こうして集まっているわけである。
献立は野菜とチーズのサンドイッチ、インスタントのコーンスープと、言葉通りの簡単なものだが、昨日から何も食べていない空きっ腹にはそれでもご馳走に見える。
志郎は旺盛な食欲を発揮してサンドイッチとスープを次から次へと口へ運んでいるが、文字通り寿命を縮めるほどのダメージを受けた琴美は勿論、樹里も昨日の惨劇が後を引いているのか、なかなか食が進まないようだ。
「二人とも、きちんと食べろ。空腹だと余計に気も滅入るし、体力も戻らないぞ」
「ごめん、そうね」
一旦手を止めて促すと、琴美がサンドイッチをスープで流し込む。
樹里も「うん」と頷いて、ゆっくりと小さな口でサンドイッチをかじり始めた。
「よし」
少しだけ笑顔を作って彼も食事を再開する。
あれだけの大立ち回りを演じたにも関わらず、既に疲労も殆ど見えない。やはり体力面に関して志郎は並外れているようだ。
とは言え、志郎の全身至る箇所に貼られたガーゼや厳重に巻き付けられた包帯は未だに痛々しい様相を生み出しているのであるが。
「さすが、朝からなかなかの健啖ぶりだな」
そこにエプロン姿の依子が、湯気のたつ皿を盆にのせて現れた。どうやらキッチンで何かを作ってきたらしい。
「一晩ぐっすり寝たからな。良く眠れたよ、あんたの杖のお陰かな?」
志郎が嫌みったらしく、額をとんとんと指で突いて皮肉を口にする。今は湿布薬に隠れているが、彼女の“稲妻”を打ち込まれたそこには見事な青痣が浮き出ている。
「お褒めに預かり光栄。ところで、これ食べるかね?」
志郎の口の悪さには慣れているのか。飄々とした態度で皮肉を軽く受け流すと、盆に乗せた皿をテーブルへ。
「うっ」
樹里が小さく呻きを上げ、
「これは……」
琴美の顔色の悪さが少し増し、
「げっ」
志郎がげんなりとした表情を作る。
ことっと小さな音をたてて、テーブルに置かれた皿に盛られていたのは、スクランブルエッグとソーセージである。
ソーセージは強火で炙られた皮が弾け、脂の焼けた甘い匂いが漂っている。
平時ならば食欲を湧かせるはずのそれも、今の彼らにとっては逆効果だ。
嫌が応でもそれを見ているだけであのドイツの変態肉屋を思い起こさせる。そもそも肉類を口にする気になれないからこその、野菜サンドというチョイスだったのだ。
「やっぱりダメか。すまんな、わざとではないのだ。冷蔵庫の中味が乏しくてなぁ」
仕方ない私が食べるか、と笑いながらフォークでそれを突き刺し口へ運ぶ。噛みきられた皮が、パリッと良い音を立てた。
「うむ、安物だがなかなか旨い。以前ドイツ旅行で食べたものにはさすがに劣るが」
その様子と台詞のせいか、樹里は顔色を悪くして口元を押さえてしまった。
コノヤロウ悪趣味なんだよと志郎も小さく呟きながら顔をしかめている。
「残念ながら私は野郎ではない。そうだ、食事が終わったら三人とも首領の部屋へ来て貰うぞ。本来の目的の報告も含めて、色々と話したい事がある」
ほどなくソーセージを平らげ、口元の脂をナプキンで拭いながら依子がにやっと口の端を吊り上げて不敵に笑った。
依子の言葉通り、食後の三人は首領の部屋へ通され、現在は来客用の豪華な革のソファーへ腰掛けていた。
部屋の隅に据え付けられた、埃と黴の臭いが漂う古書のぎっしりと詰め込まれた本棚がまず樹里の目を引く。
恐らく一冊一冊がその手の好事家ならば大枚を叩いてでも入手することを望む、魔力の込められた本物の魔導書であろう。
そして、独特の存在感を放って中央付近に鎮座するのは、年期の入った黒檀の大机だ。
その上には水晶球や刀剣、赤黒い染みの付いた縄、鳥や爬虫類の剥製、敷き詰められた枝や枯れ葉の中で得体の知れない蜥蜴や虫のかさこそと蠢く水槽など、いかにもおどろおどろしい雰囲気の道具群が所狭しと散乱している。
壁にはねじくれた角を備えた、動物の頭蓋骨が立て掛けられている。
一見すると羊のようにも見えるが異様に巨大であり、その顎から生えた牙は草食動物のものとは違い、犬歯が鋭く発達した肉食獣のものであった。
窓際に設置された植木鉢も、熱帯雨林に生息するような極彩色の大輪の花、チョウセンアサガオやトリカブト等の毒草、ハエトリソウやウツボカズラといった食虫植物と、怪しげなものばかり。
物珍しさから樹里がきょろきょろと部屋を見回していると、
「お嬢さん、貴女は好奇心が自分で思っているよりも強いようだ。だから余計なことに首をつっこんで怖い思いをする羽目になる」
さっそくの皮肉が飛ぶ。
樹里は恥じ入るように縮こまってしまった。
「首領、あんまり御堂をからかうな。いくらなんでもこんな事になるなんて想像できる方がおかしいだろ」
「ふふん、そうだな。ま、今回の件は運が悪かったと思って忘れるといい」
口調とは裏腹に、その声は鈴を転がしたような少女のものだ。
その声の主、背後に三幹部を控えさせ、黒檀の机に容姿に似合わぬ動作でふんぞり返っている黒髪黒瞳の小柄な体躯の彼女こそが、この部屋の主だ。
異国の血でも混ざっているのだろうか、肌が透き通るように白い。
細く鋭い目元には他者を見透かすような、嘲るような、冷淡な光が満ちている。
黒のローブの上からマントを羽織り頭にはコーンハットと、その身に纏うのは琴美と同じ魔女の衣装だ。
志郎達と同年代か下手をすれば下にすら見えるが、時田医師と同じく実際には容姿よりもかなり歳を食っているらしい。
魔女フォルキュアス。
文豪ゲーテの大作戯曲において、組織名の由来である悩める大学者を血塗られた魔道へ導いた、悪魔メフィストフェレスの化身たる魔女の名を持つ、魔術結社『ファウスト』首領。
鳥羽明久、桐山依子、マックス・フォン・シュレックら、三幹部の直接の師でもある。
「忘れようったって忘れられる訳ないじゃないですか……」
「そう、部外者の彼女までここに来て貰ったのは他でもない。その今回の事を忘れるか否かについてだ」
琴美の台詞を拾い、フォルキュアスが続ける。
「鳥羽達から既にある程度は聞いているのだろうが、我々は魔術師だ。科学全盛のこの現代に、時代錯誤な魔術・妖術や、物理法則を無視した怪物どもの研究に勤しむ酔狂な集団さ」
「はい、それはもう聞いています」
オカルトを否定していた樹里だが、昨日からの一連の騒動で常識は哀れなほどに粉々に破壊されてしまった。
若干の悔しさを感じさせる表情で、フォルキュアスに向かい頷く。
「普段なら目撃者は精神操作で事件の記憶を消しているのだが、今回のケースは同級生だ。見ず知らずの偶然出会った他人ならともかく、普段から学校で顔を合わせるクラスメイトが相手というのは非常に宜しくない」
大仰な仕草でマントを払い除け、その下に携えていた杖を樹里の鼻先へ突き付ける。
その眼が一瞬妖しい黄金の光を帯びた。
それはまさしく、敵意・悪意を持って相手を睨み付けることで様々な効果を発揮する魔力の込められた瞳、邪視の証。
フォルキュアスもその弟子の琴美も、邪視による精神・記憶の操作は扱える。
「所詮は偽りの記憶だ。記憶を消しても、この二人と接しているうち、何らかの拍子にそれが解けてしまう可能性も十分考えられるが、どうする? 恐い記憶を消すか、消さないか、自分で決めるといい」
「…………いいえ、記憶は消しません」
無言での微かな逡巡。そして決断。
「おいおい、マジでいいんか?」
「うん……あの人も言ってるように、私は自分で考えているよりも好奇心が強いから。二人に興味を持ったのも、夜の見廻りしてるのを見掛けたのが切っ掛けだったの。記憶を消しても、同じ事が起きない可能性はない。それなら、記憶を消さない方が安全だと思う」
驚愕と呆れをブレンドした表情の志郎に、驚くほど冷静にそう返す。
「そっか、ごめんね御堂さん。巻き込んじゃって」
「謝らなくていいよ。それに、あんな怪物や、長谷川さんみたいな術を使える人達を知った以上は、もう見て見ぬふりは出来ない。これは自分のためでもあるから」
申し訳なさそうに頭を垂れる琴美にも、やはり樹里は固い決意を見せる。根が生真面目なだけに、腹をくくれば一直線ということだろうか。
面白いとでも言いたげに、フォルキュアスもにやりと笑みを浮かべた。
「なるほど、なかなかに芯の強いお嬢さんだ。よろしい、興味があるなら志郎と琴美の仕事に協力してやってくれたまえ。
ついでに、本部への出入りも許可しよう。今後ここにある資料なども自由に観覧してかまわん。質問があるなら、報告が終わった後にでも聞いてくれ」
最後の下りの報告という単語を聞いて、志郎がピクリと眉を動かした。
「そうだ、昨日からのゴタゴタで忘れかけてたが、俺達はこれまでの報告をしに来たんだよ」
軽く咳払いをしてから、鳥羽が淡々と語り始める。
「ああ、その件についてはこれから話そう。まず、我々としては今後もお前たち二人に殺人鬼を追って貰うつもりだが、敵は想像以上に手強い。
殺人鬼のうち二人を仕留めたとは言え、これ以上は手に負えないと判断するのならば、今回の担当からは外れても構わない。どうする?」
志郎としては今回の事件には引き続き関わるつもりだ。あのスカイスタンという術者にはさんざん痛め付けられている借りを返さなくてはならないとも思うし、それ以上に自らの剣で倒さなくてはならないという、自分でも珍しいほどの義務感が芽生えている。
志郎の中での答えは決まっているが、相棒がどうするかが問題だと思っていると、
「いいえ、引き続き調査は行います!」
彼が反対の意を表するよりも早く、琴美が言い放った。
子供らしい反発だけではない。やり遂げると決めた強い意思表示だった。
「良いのかな?はっきりと言ってしまうが、君達はまだ未熟者だ。命を落とす危険性もあるぞ」
相変わらず人を食った飄々とした様子だが、辛辣な台詞をシュレック子爵が吐く。しかし、その程度では怯まない。志郎も相棒の意見を支持する。
「そんなのこの仕事やってりゃいつもの事だ」
「私だって怖くないと言えば嘘になります。でも死ぬつもりはありません。今回の事件は必ず自分達の手で解決して、敵の研究成果を手に入れて、町も守ってみせます」
二人揃って、力強く決意を口にする。それに対して心底から楽しそうに、依子が笑い声と共に称賛を上げた。
「よく言った!! では、引き続き殺人鬼どもと例のスカイスタンという妖術師への捜査はお前たちが主力だ。今後は私達もバックアップに廻るから、今までよりは楽になると思うぞ」
「えっ、マジで?でも何で急に?」
志郎の知る限り、三幹部達は暫く復讐代行の暗殺などを請け負う集団への相手で忙しかったと記憶している。
「これがその原因だ」
その疑問に応えるように、小さなアクセサリーのようなものを、志郎へ鳥羽が投げて寄越す。
首にかける為のものであろう細い鎖で繋がれた、斧を象った銀細工だ。
「なんだこれ、ペンダントか?」
「勉強不足ね、護符でしょ」
やれやれ、と琴美が肩をすくめる。戦闘力では志郎に劣るが、知識面や日常生活でのアドバンテージは、未だ彼女が上である。
「あんまり良いものじゃないな。細工は粗雑だし、材質も安物だ」
「それは昨日戦ったハールマンの協力者達が持っていたものだ。殺人集団『アリオク』の構成員の証だよ。一連の首無し殺人と、我々が次のターゲットに定めていた組織は繋がっていたのだ」
骨董屋らしくそんなことを言う志郎に苦笑しながら説明する。鳥羽が聞き慣れない名前を口にしたが、少しずつ事件の全容が見えてきた。
「なるほど、例の連続殺人の影で、その組織とやらがあいつらに協力してたってわけか」
納得したとばかり、志郎が薄く無精髭の生えた顎をかく。
スカイスタンの秘術は死者すら甦らせ、殺人鬼を不死の悪魔に変える。殺人集団が求めるには十分すぎるほど魅力的だろう。
おこぼれにあずかり悪魔になろうとする者もいるだろうし、死んでもスカイスタンの手でより強い身体となって復活させられるかもしれないと思っている者もいるかもしれない。
「しかし、『アリオク』ってのはまたジョークが効いた名前ね」
そして、琴美は別の方向で感心していた。
アリオクとは、ジョン・ミルトンの『失楽園』等にその名を見ることが出来る魔神である。
背中にはコウモリの翼を生やし、両手には燃え盛る松明と血の滴る斧を携えた姿とされ、自分を雇った者の復讐に力を発揮すると言われている。
『失楽園』においてはサタンの軍勢の一人として、大天使アブデルと戦う場面があることで有名だ。
昨日の様子からして、一般人を巻き込む事への忌避がある組織とは到底思えない。
『ファウスト』も所詮は非合法組織であり本質的には同じ穴のムジナだが、それでも非合法は非合法なりに最低限の倫理という物は求められる。その最たるものが、むやみに一般人を巻き込まない事だ。
それすらも簡単に犯す相手ならば、命を奪い合う胸の痛みも少しは和らぐというものである。
「そして志郎、これは君への良い報せだ。近々強力な武器が手に入るかも知れない」
シュレック子爵が、部屋の隅から長方形の木箱を引っ張り出して蓋を開ける。
中から現れたのはコウモリを模した穂先が取り付けられた、グロテスクな鋼の長槍だ。
それを箱から取り出し、軽々とその長大な鉄塊を肩に担いで見せる。一見細身だが、彼も身体能力は常人離れした面がある。
「ホームズの槍じゃないですか」
魔女が顔をしかめて、忌まわしい名を口にする。
見間違えようがない。琴美が初めて殺害した、歪みを体現させた異形の腕を持つ『殺人医師』ハリー・ハワード・ホームズの得物たる槍であった。
「打ち合って気付いてるかも知れないが、殺人鬼どもの武器は異常な耐久性を秘めている。
この槍も、昨日回収した包丁も、話を聞く限り相当な怪力で無茶苦茶な使用をされているにも関わらず、刃こぼれや歪み等も全く見られず、切れ味の衰えも殆ど無い。
それはどうやら特殊な術が込められている為のようで、私と鳥羽と依子の三人でそれを解析中だ。実用化出来れば、試作を兼ねて君のために一振り刀を作って差し上げよう」
「へぇ……そりゃ楽しみだな」
珍しいほどの厚待遇だった。
志郎は剣の腕は確かに優れているが、魔術は特に使えない単なる戦闘要員に過ぎない。それに特別な武器まで寄越してくれるとは有り難い事である。
「これでも我々はお前たちに期待しているんだ。だから、それまではこれを大切に扱っておけ」
白いコートの中から取り出した刀を、鳥羽が志郎へ渡す。
質素な黒鞘と長い柄は、昨日共に激戦を切り抜けた愛刀のものに間違いない。
「これ、俺の真改か」
「血は拭ってあるが、もう少し扱いを考えなさい。それだって良い刀なんだ」
シュレック子爵は魔具のコレクターという面があり、古美術などにも詳しい。
刀を粗末に扱うなと、珍しく真摯な表情で語って見せる。この怪人は本名すら定かではないが、古物への愛情、愛着に関しては本物だ。
余談だが、マックス・シュレックとはドイツ、デークラ・ビオスコープ社の吸血鬼映画の草分け的作品『吸血鬼ノスフェラトゥ 恐怖の交響曲』(1922年製作、監督F・W・ムルナウ)に出演したことで知られる俳優の名である。
この映画はブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』を原作に作られたが、著作権者のストーカー未亡人が映画化を拒否したため、物語の舞台をトランシルバニアからチェコスロバキアに変更。キャラクターの名前も、ドラキュラ伯爵はオルロック伯爵、主人公ジョナサン・ハーカーはトーマス・フッターへ改名といった具合に苦肉の策が取られている。
後にストーカー未亡人に著作権侵害として訴えられたものの、原作のおどろおどろしさは忠実に再現されており、当事のドイツで流行していた表現主義の演出の評価も高い。
そして、これに登場するスキンヘッドにギョロりとした眼、尖った耳や爪と、世間で広く流布するスマートなイメージとは全く異なる造形の吸血鬼オルロック伯爵を怪演したのが、マックス・シュレックである。
彼が何故そのような人物の名を使用しているのかは分からない。
付き合いの長い鳥羽や依子ですら「十中八九偽名。自称貴族の流れを組む血筋らしいが真相は不明。いつも適当なことばかり言っているのであいつの言葉は真に受けるな」と語る程だが、古物への愛着に関してだけは志郎はこの怪人を信頼している。
「分かってるよ」と、いつものふて腐れた顔で返し、腰のベルトへ差す。ずしりとした重みが安心感を与えてくれた。
鯉口を切り少し鞘から刀身を抜いてみると、死闘を物語るように刃こぼれが目立ち、湾れ刃の地肌は血に曇って凄烈さを鈍らせている。
(そうだな、刀だって骨董屋の扱う品だ)
刀は志郎にとっては商売道具としての認識が強いが、先程のシュレック子爵の言葉は刀も彼の愛する骨董の内である事を再認識させるに至った。
自分のような人斬りに使われる名刀を不憫に思いながらも、もう少し付き合ってくれと心で詫びて、鞘へ戻した。
後できちんと手入れするとしよう。
「以上で報告は終了だ。他に何が質問はあるか。あったら鳥羽たちにでも聞け。私は面倒くさいから嫌だが」
報告が長くなって疲れたのか、ややフォルキュアスの口調が投げやりになっている。
「俺は特に」
「私も特に無いですけど、それより御堂さんのほうが色々聞きたいんじゃない?」
ちらりと、部外者である隣の同級生へ苦笑混じりに視線を向ける。一連の話が終わり、質問したくてウズウズしているのは一目で分かった。
さっそく、質問が飛んだ。
「あの、素朴な疑問なんですけど、皆さんはどうして術?とかが使えるんですか?ああいった怪物が生まれる原因は?」
『う〜〜〜〜ん……』
机に脚を投げ出し、帽子を目深に被って狸寝入りを決め込んだフォルキュアス意外の全員が、言葉に詰まってしまった。
不味いことを質問してしまったのかと、樹里の顔も少し申し訳なさそうだ。
「長谷川、答えてやれ。俺は無理だ」
相棒が肘でつつくと、幹部達も同じように彼女をつつく。しょうがない、と彼女も観念したようだ。
「そうねぇ…………まず、私達はあまり自分達の術や、幽霊・妖怪の実在について理由付けをすることは好まないし、これから話すのもあくまでこういう説もあるというだけだから。鵜呑みにせず聞いて」
「うん、分かったわ」
こくこくと素直に頷く樹里へ、静かに語り始める。
「ある魔術師の提唱している概念なんだけどね。
森羅万象、この世のありとあらゆるものは『エーテル』という物質によって成る。人、獣、植物、石、水、火、大気、果ては感覚に至るまで、全てはエーテルによって構成されている。そして、このエーテルは時折人の意思が作用し、様々な変化を見せる時があると言われている………これがエーテル理論よ。
このエーテル理論を踏まえた上で話すけど、まず、現代における魔女の定義を知っているかな?」
当然ながら知らない。首は横へ振られる。
「怪しげな薬を鍋で煮詰め、箒で空を飛び、様々な呪いや妖術を駆使する。
こういったイメージはキリスト教によって歪められたものであり、本来の魔女とは『女性優位のフェミニストであり、天然自然の中に神を見出だし、他者を害する魔術を行使しない、自然主義、平和主義な古代宗教の司祭』とされているの。
キリスト教は男性優位の教義だし、巫女などが重要な位置を占める女性優位の他教は弾圧対象になる場合が多いのね。
悪魔崇拝の伝承にも古代宗教の影響や名残は見られる。
変な話になるけど、魔女が悪魔に忠誠を誓い、契約を交わす為に悪魔の尻に口づけをする『恥辱の接吻』という儀式があるの。
これなんかも、女性の臀部や性器を豊穣のシンボルとして扱っていた宗教がキリスト教に邪教へ貶められたのだと考えられるわね。
全くの余談だけど、世界的に見ても性器信仰は別に珍しくはない。受精・出産のメカニズムが分からない古代において、子孫を増やす事の出来るそれらが崇められるのは自然な流れだったんじゃないかな。
ヒンドゥーのシヴァ神のリンガなんかはもろに男根崇拝だし、日本でも田舎に行けば道祖神なんかは見かける事があるよね」
やや話がそれてしまったと感じたので、ここで話を修正する。
「それはさておき考古学や古代史的に見ても、現代の魔女の定義は概ね間違ってはいない。女性の権利の復古を唱えるフェミ団体の引き合いに出されて美化されている面もあるけど、少なくともキリスト教的なイメージの魔女に比べれば遥かに信憑性が高い説と言える。
では、私はその魔女の定義に当てはまるかな?」
「うーん……あてはまらない、かな?」
思い返すと、琴美の扱う術は明らかに攻撃的な要素があった。
悪魔から授かったという由来のある“妖精の矢”等を使用する時点で、琴美はそのような魔女のイメージには当てはまらないだろう。
「その通り、攻撃的な魔術・呪術も私は扱うし、自然宗教の司祭という面も少なくとも今の私にはない。どちらかと言えば私は、現代の魔女が言うところの、キリスト教に捏造された“存在しない”“偽物”の魔女ね」
「そっか、その矛盾に辻褄を合わせるのがエーテル理論なのね」
存在しないはずの魔女が実在する。それは恐らく、魔女を信ずる人々の心がエーテルと結び付き、魔女を本当に実体化させてしまったのだ。
恐らく長谷川家の始祖も、そのようにして誕生した魔女の一人だったのだろう。
「そう、乱暴な言い方をすれば魔術師や魔法使いと呼ばれる存在が術を使えるのは、そういう風に人が想像した上で生まれた、そういう生き物だからよ。
他にも、例えば吸血鬼はニンニクが苦手なんて話があるでしょう。これはエジプトでニンニクは生命の象徴であり、様々な魔物を追い払う効果があると信じられてきたのが由来とされてるの。その概念は現在、世界各地に浸透している。
東南アジアのタイでは、悲惨な死に方をしたり、夭折したりした人間は、ピー・タイ・フーという強力な怨霊になると言われてるんだけどね。このピー・タイ・フーを封じる法にもニンニクが使われるくらいなのよ。
ヨーロッパにその思想が伝わると、吸血鬼の弱点に違いない、と信じられるうちにエーテルが作用して、本当に効果を発揮するようになったのかも知れない。
そして怪物の死体や、幽霊を封じ込めたお札なんかは、この理論を信じる人達によると固定化したエーテルの塊らしいの。ちょっと手を加えると宝石や黄金にも変わるそうだけど、本当かしらね?
でもね、この理論信じるなら私ら人間じゃなくて、口さけ女みたいに噂が元で生まれた妖怪の類ってことになるから、あんまり好きじゃないのよ。
何より理由付けすると神秘性が薄れるからね」
神や霊など、不思議なものを信ずる人間が多かった古代に比べると、現代において魔術の素養を持った人間は少ない。これは神が起こすもの以外の奇跡や、幽霊・妖怪の存在を否定する一神教の台頭だけでなく、科学によって多くの謎の現象が解明されてしまったからだと琴美は語る。
「神秘性ねぇ……」
「エーテルの有無はさておき、人の心には不思議な力があると私達は思う。御堂さん、井上円了という人を知っているかな?」
唐突に、今度は依子が逆に問いかけた。
「えっと、分からないです。すいません」
琴美に続いて、今度は朗々とした口ぶりで美女が語り始める。
「東洋大学の前身である哲学館の創設者として知られる、明治時代の仏教哲学者、教育者さ。
明治時代は、小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの『怪談』が人気を集めたり、テーブル・ターニングが海外から持ち込まれコックリさんやキューピット様と名前を変えて流行ったりと、空前のオカルトブームだった。当時の新聞などを見ても、何処其処に妖怪が現れたなんて記事は頻繁にある。
円了はその風潮を嘆き、真の宗教信仰・文明の発展には迷信こそが最大の障害になると主張し、怪奇現象の全てをひっくるめて“妖怪”と呼び、それらの正体を究明する為の学問である妖怪学を立ち上げた事から『妖怪博士』と呼ばれた。
先のテーブル・ターニングが脳の潜在意識による働きで動いているという説を日本で提唱したのも彼が始まりだ。
その生涯を迷信排撃に燃やした、我々からすれば非常にファッキンな御仁だな」
全く忌々しいことだ、と言いながらも顔には微笑を浮かべ、更に続ける。
「で、厳密にはこれらに宗教的情操や哲学思想なども含まれるのだが、この円了の妖怪学における妖怪の定義が大まかに分けて以下のものだ。
自然現象によって発生した『仮怪』。
思い込みや恐怖心による誤認で発生した『誤怪』。
人為的な作用で発生した『偽怪』。
そして、それらに当てはまらない原因不明の『真怪』。
この最後の真怪の研究こそが妖怪学において最も重要視される部分であり、現在は原因不明でも、文明の発展した未来においては真怪も全て科学的に解明されると円了は唱えている」
「なるほど、失礼かもしれませんが、特に間違ってはいないと思います」
良くも悪くも樹里は現代っ子の科学っ子だ。昨日より散々怪異に遭遇したものの、本質はそう簡単には変わらない。オカルトバスター的な円了の意見には同調を示す。
「その通り。文明開化の時代である明治に、円了の意見を勇気ある迷信打破のための進歩として賞賛する向きは勿論あった。
しかしながら、オカルティスト達がこのような主張をすんなりと受け入れたわけではない。
妖怪学に対する反論はいくつかあるが、『遠野物語』の著者であり、現代においても妖怪研究の大家として知られる民俗学者の柳田國男が著書『幽冥談』で、興味深い事を言っている。
まず、“僕は井上円了さんなどには徹頭徹尾反対の意を表せざるを得ないのである。この頃妖怪学の講義などというものがあるが、妖怪の説明などは井上円了さんに始ったのではない”と、江戸の学者や僧侶たちの研究による先例を挙げ、
そして最後に“井上円了さんなどはいろいろの理屈をつけているけれども、それはおそらく未来に改良さるべき学説であって、一方の不可思議説は百年二百年の後までも残るものであろうと思う”と締めている」
知識が堰を切ったようにあふれ出す。志郎も琴美も依子の説明に若干引き気味になっているが、それも意に介さず、マシンガンのような講義が続く。
「我々にとって重要なのは、この柳田國男の言うところの『百年二百年の後までも残る不可思議説』だ。
言うなれば我々は妖怪学で言うところの真怪の領域に存在する者、あるいは真怪そのものであり、不可思議説こそを力とする存在なのだよ」
不可思議説を信じる心があれば、仮怪、誤怪、偽怪でさえも、いずれ真怪へ昇華する可能性があるほどに、人の心には力があると彼女は語る。
ただの噂や創作に過ぎないはずの存在でも、意思の力が強く結び付けば実体化すらしてしまう。それが魔術研究の興味深さ、面白さの一つであり、同時に恐ろしさでもある。
「これなどもそうだな」と、依子は今度は鳥羽の背中の刀を指差した。
「この刀は村正だ。詳しい詳細は知らなくとも、名前を聞けば誰もが妖刀の代名詞として連想するだろう」
代々徳川を祟り続けたと云われる妖刀村正。
家康の祖父、松平清康は村正によって命を落とし、父の徳川広忠も村正によって殺害された説がある。更に息子の信康が切腹に使用したのも村正という。
これは単に村正一派が徳川領に近い伊勢に勢力をもつ刀匠であった為、徳川領に村正が多く流布していたこと等が原因と考えられる。
勿論、講談・演劇・小説といった後世の創作の影響も大きいだろう。
広忠の死に関しても、伝説では部下に謀反を起こされ村正によって斬られたとされるが、実際には病死というのが有力である。多くの史料でも病死の記録は見られ、逆に謀反説はごく一部の史料にしか見られない。しかし、真実がどうかは問題ではない。
「村正は人を惑わせる、斬れ味凄まじい血を呼ぶ妖刀だ」と、長い間多くの人が信じれば、本当にある種の魔力を帯びた一振りが現れる。
鳥羽の刀はその中の一つだという。
「見てみるかね」と、勝手に鳥羽の背中の鞘から抜いて、刀身を翳して見せる。薄暗い部屋の中で、微かな光を吸い込んだ表裏一体の乱れ刃紋が、ぼぅっと鬼火のような妖しい輝きを放った。
持ち主によると手に入れてから数年、実戦にも幾度となく用いているらしいが、刃こぼれも歪みも殆ど見当たらない。
それどころか、斬れ味は以前よりも増していると思えるそうである。
なるほど、この刀はすでに真怪なのだ。
あまり眺めていては魅入られると、本気なのか冗談なのか分からないセリフを言いながら、依子は刀を鳥羽の背中へ戻して話を続ける。
「ただ、所謂霊感の有無というものは本当に個人差があるし、それら全てを迷信として排斥しようとした円了の気持ちも分からなくはない。そういった感覚は分からない者には本当に分からんだろうからな。
円了自身も幼少期から妖怪の話を聞くのが好きで、大人になったら妖怪の理を極めてやろうと思っていたと語っているし、当初から否定のためだけに膨大な資料を蒐集・読破し、沖縄から北海道まで日本全国を調査に飛び回っていたわけではあるまい。些か強引とも言える常識論・科学説でそれらを存在しないと切り捨てるようになるまでには様々な紆余曲折、試行錯誤があった事は誰でも分かる。
円了は恐らく霊感がなかったのだろう。彼のような人間にとっては、妖怪は存在しないというのが真実だ。
しかし、それらを見る、感じることの出来る人間にとっては逆だ。それらは間違いなく真実となって立ち塞がってくる。
先の柳田國男などは子供の頃、非常に霊感が強く神隠しに遇いやすい性質で、それが後年の妖怪研究の動機になった事は想像に難くない。
例えば4歳の時には、存在しない『神戸の叔母さん』に会いに行くと、フラリと家を出たところを保護されたという逸話がある。
更にその10年後には、自宅の庭の祠の前で古銭を掘り出し、茫然となった中で白昼にも関わらず青空に数十の星が瞬くのを見るなど、他にも多くの不思議な体験をしている」
「はぁ〜、何だか凄い話ですね」
霊感のある人間には、どんな世界が見えているのか。それが無い樹里にはいまいち分からない。
「狗賀君や長谷川さんも、霊が見えたりするの?」
「ああ、見えるな。ガキの頃には、死んでると気付かないで話したりした事もある」
「でも、大したことは出来ないわ。下手に手出しするとウジャウジャ寄ってきてキリがなくなるからね。よく言われる事だけど、無視が一番よ」
聞くところによると、二人ともこれが原因で子供の頃に悩んだこともあるらしい。
思想家や宗教によっては霊の存在は否定されたり、死霊に大した力はない等と語られる場合も多いが、どれも慰めにはならなかった。
他人が否定しようが見えるものは見えるし、力がないと言われても、それに対抗する手段すら子供の身には無かったのだから。
「まあ、細かいことは考えず、魔術や霊感ってのは特定の血筋や、素質のある人間が修行積んだら発現するって程度の認識でも問題はないよ。何せアタシら自身も良く分からない面があるんだし」
「そっか、皆さんありがとうございました」
一応は納得したのか、樹里がちょこんと頭を下げる。
「もう質問はいいかな。では、後で家まで車で送ってあげよう。2時頃には出るから、準備しておくように」
鳥羽の提案をありがたく受け取り、各々支度を始める事とする。
とはいえ、元々日帰りの予定だったので、大した準備は必要ないのだが。
「まだ時間はあるな」
時刻は午後一時前。
愛刀を肩に担ぎ、志郎はひとり館の屋上へやって来ていた。
鳥羽から道具を借りている。これから刀の手入れをするつもりだ。
胡座をかいてずらりと鞘から抜くと、血に曇って輝きを鈍らせた刀身が目の前に現れた。
「すまんな」と詫びを入れ、目釘を抜いて柄を外す。
自前の手拭いを口にくわえ、打ち粉を散らして丁寧に和紙で拭う。そして仕上げとばかり刀身に油を引いていくと、徐々に湾れ刃紋が輝きを取り戻していくのが見てとれた。
それが嬉しくて、作業に没頭していると、
「あの……」
ふいに、背後から控え目な声がかけられた。
「んっ?」
怪訝な顔で振り向くと、そこにはおどおどとした様子の樹里と、申し訳なさそうな顔の琴美が揃っていた。
「何か用か?」
口元の手拭いを外し、簡潔に訪ねる。
「その、昨日は助けてくれたのに……あたし、狗賀君のこと怖がっちゃって。きちんと謝ろうと思ったの。あと、ありがとう、守ってくれて……肩に怪我までして」
それだけ言うと、顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。
「あ、ああ……あれなぁ。無我夢中だったからよ、気にすんな。あと、怖いのも当然だろうし」
『アリオク』の構成員のボウガンから彼女を守るため、抱き締めて盾になった事を思い出した。今更ながら、奥手な自分に良くあんな真似が出来たものである。
「私も謝りたいの。パートナーなのに、ゴメン。わたし、あんまり役にたってないよね」
顔が熱くなるのを感じていると、続いて琴美も申し訳なさそうな顔のまま、肩を落としてそう言った。
昨日の負傷を気に病んでいるようだが、それだけではなく、実力不足による自信喪失まで及んでいるようだ。
「んなことねえよ、役に立ってるさ。今まで俺はずっと一人でやって来たんだが、おまえとコンビ組んでからは以前よりも安心できてる。あー、あのな、居てくれるだけでもマジで有難いんだよ」
更に顔を熱くさせ、しどろもどろになりながら、そう返す。普段から不器用で照れ屋な少年にはいちいち口にするのが辛いセリフばかりだが、ここで何も返さないわけにも行かなかった。
お前ら俺を殺す気かと思いつつ、分解した柄を取り付け、刀を鞘へ納める。手入れは完了した。
照れ隠しにその場を去ろうとしたところ、屋上のドアが開き、コートの青年が姿を現した。脇にかび臭い書物を抱えているのが目を引く。
「鳥羽さん?」
「ここにいたのか、いや、さっき言い忘れた事があってな。というか、言おうか迷っていたんだが」
「何だよ、勿体ぶらずに言ってくれや」
「例のスカイスタンに関すると思われる資料が見付かった。昨夜、シュレックが調べてくれてな」
黴臭い羊皮紙のページをめくりながら、鳥羽が淡々とした口調で語る。
「リトアニアのユルゲンスブルグという町の記録だ。バルト海東部は人狼にまつわる伝承が多く流布していてな、その中にスカイスタンという長が率いる妖術師の一団に対して立ち向かった狼男たちの伝説がある。
1692年、ティエスという八十歳の老人が狼男に変身して、その妖術師たちと戦ったと自ら発言し、異端審問にかけられた」
ティエス老人によると、妖術師たちは作物に呪いをかけて凶作を引き起こすといった悪事を働いていたが、自分たち善い狼男たちがそれを食い止めるために戦っていた。
クリスマス、聖ヨハネの日、聖ルキアの日になると妖術師たちは地獄へ降りて行き、狼男たちはそれを追跡して毎年のように争っていたが、長年の闘争の末、ティエスはスカイスタンをついに打ち倒し、自分達は妖術師から町を守ったと証言したのだという。
狼男は悪魔の手先と信じる審問官はこれを認めず、誘導尋問などを行ったが主張は変わらなかった。
ティエス老人は「狼男は災いや悪魔から人を守る神の猟犬である。そして、妖術師と戦った狼男は私が最初でもないし、最後でもない」と言い放ち、結局は鞭打ち十回程度の軽い罰で済まされた。
「スカイスタンは、お前に狼の血が混じっていることを見抜いていた。本人かどうかは定かではないが、何かしらの関係があると考えても良いだろう」
「……なんで、そんな奴が俺の前に現れるんだよ」
ぼうっとした表情で、かすれた声を絞り出す。
「単なる偶然かもしれない。しかし、神様のイタズラというのは、何かしらの意味があると私は思う。狗賀の家には長らくお前のような異能者は生まれていなかったのだろう?
そこにお前が生まれ、この時代に狼を宿敵とするスカイスタンが復活した。偶然にしては少々出来過ぎている」
「運命、とでも言いたいのか?」
「そうだな、運命かもしれない……お前が剣を学んだ事も」
瞬間、金属のぶつかり合う鋭い音が鳴り響いた。
渾身の力を込めた志郎の居合い抜きを、鳥羽が村正で真正面から受け止める。
「次またそんなふざけた事言ってみろ!! お前でも殺すぞ!!」
憎悪と憤怒に満ちた眼光が、一直線に相手を射抜く。今まで見たことのない表情に琴美すら怯えを感じ、樹里も腰を抜かしそうなほどに驚愕している。
「すまんな、失言だった」
殺意をすずしい顔で受け流し背中の鞘へ長刀を戻すと、志郎も舌打ちをして納刀した。
感情を殺した無表情で、出入り口へ足早に向かう。
「ね、ねえ狗賀君…………」
琴美がその場を去ろうとする志郎へ何か声をかけようとしたが、じろりと睨まれただけで、その眼光に黙らされる。
ずかずかと足を踏み鳴らして、去っていくその背中を見送るしか出来なかった。
(何故そんなに剣を嫌うの? いったい過去に何があったの?)
そして、何故それを自分には話してくれないのか。
長谷川琴美の胸中に、厚く暗い暗雲のような不安が立ち込め始めていた。




