第一部・第四章:装置としての少女
ミオは、
事件を「見た人」じゃなかった。
彼女は、
事件が成立するために必要な部品だった。
その事実に気づいたのは、
旧校舎の階段で、
僕の靴底がわずかに滑った瞬間だった。
人は、
滑った時に真実を掴む。
落ちると思った一瞬、
余計な思考が全部消えるから。
――同じだ。
あの日、
落ちた三年生も、
この階段で同じ感覚を味わった。
ただ一つ違うのは、
彼のそばに、ミオがいたこと。
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ミオは、
無意識に人の「逃げ道」を塞ぐ。
彼女は責めない。
脅さない。
強制もしない。
ただ、
そこにいる。
逃げようとする人間の視界に、
「大丈夫そうな誰か」として映り込む。
すると人は、
逃げるのをやめる。
それは、
優しさの形をした檻だ。
三年生は、
追い詰められていた。
推薦、金、教師、家庭。
逃げ道は、
外階段しか残っていなかった。
そしてそこに、
ミオがいた。
「大丈夫ですか?」
その一言。
その距離。
その存在。
彼は、
逃げられなくなった。
掴んだ手を、
自分から離した理由。
――逃げるより、
落ちる方が簡単だった。
⸻
ミオは、
何も知らない。
だからこそ、
最悪だった。
彼女は自分を責める才能だけを、
誰よりも持っている。
「ねえ久城くん」
放課後の屋上。
夕焼けが、
世界を燃やしている。
「……あたし、
誰かを殺したのかな」
その問いは、
ナイフより鋭い。
「違う」
僕は即答した。
「でも、
あたしがいなければ――」
「それは仮定だ」
僕は言う。
「仮定で人を裁き始めたら、
世界は死体で溢れる」
ミオは、
泣かなかった。
ただ、
息が苦しそうだった。
「久城くんは、
どうしてそんなに平気なの?」
平気?
違う。
僕は、
壊れる順番を知っているだけだ。
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警察は、
真相に辿り着けない。
辿り着けないように、
世界は作られている。
だから、
僕がやる。
常識の外側で。
⸻
僕は、
教師の一人に会いに行った。
疑われていた教師ではない。
もっと、
透明な存在。
事務職員。
旧校舎の管理を任されている男。
「監視カメラは、
偶然止まった?」
僕が聞くと、
男は笑った。
「古いからね」
古い。
便利な言葉だ。
「階段の手すり、
修理してないですよね」
「予算がなくて」
予算。
これも便利だ。
「……三年生の相談、
受けてましたよね」
男の目が、
一瞬だけ泳ぐ。
人は、
罪を犯した時よりも、
気づかれた時に動揺する。
彼は、
三年生から金を受け取っていた。
推薦の口利き。
そんなもの、
最初から存在しないのに。
追い詰め、
逃げ道を一つに絞り、
事故が起きれば――
全ては、
なかったことになる。
ミオは、
ただの偶然。
でも、
偶然は罪を軽くしない。
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証拠は、
足りなかった。
だから、
僕は狂うことにした。
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第五章:クレイジーマンの選択
噂を流した。
意図的に。
教師ではなく、
事務職員の名前を。
匿名で、
断片的に、
しかし確実に。
人は、
証拠より噂を信じる。
警察が動く前に、
学校が動く。
内部調査。
聴取。
圧力。
男は、
耐えられなかった。
自白は、
真実よりも軽い。
事件は、
「解決」した。
正義じゃない。
でも、
救いはあった。
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ミオは、
しばらく学校を休んだ。
僕は待った。
狂気は、
待てる。
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数週間後、
彼女は戻ってきた。
少し痩せて、
少し強くなって。
「久城くん」
屋上で、
彼女は言った。
「ね。
あたし、
もう“装置”やめる」
「どうやって」
「逃げる人の前に、
立たない」
それは、
立派な成長だった。
「……一緒に、
生きてくれる?」
恋は、
依存を越えた時にだけ、
形になる。
僕は頷いた。
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最終章:ハッピーエンドは、静かに笑う
卒業式の日。
世界は、
相変わらず狂っている。
でも、
僕はもう一人じゃない。
ミオが隣で、
小さくあくびをする。
「ねえ」
「なに」
「久城くんって、
やっぱクレイジーだよね」
「うん」
「でもさ」
彼女は笑う。
「それで、
救われた人もいるよ」
――それでいい。
正常じゃなくても。
正しくなくても。
誰かと、
未来を選べたなら。
それが、
僕にとってのハッピーエンドだ。




