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クレイジーマン  作者: 続けて 次郎


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1/5

第一部・第一章:正常という名の檻

人はみな、頭の中に小さな裁判所を持っている。

被告席に座るのは、いつだって自分自身だ。


今日も僕は有罪だった。

理由は簡単で、朝起きてしまったから。


目を開けた瞬間、世界が「おはよう」と言わなかった。

それだけで、今日は失敗だと分かる。

世界が挨拶を返さない日は、だいたい碌なことにならない。


僕は布団の中で天井を見つめながら、

自分の思考が昨日の夜のまま干からびているのを確認する。

まるで使い終わった歯磨き粉のチューブみたいに、

どれだけ絞っても、もう何も出てこない。


――それでも、考える。


考えることだけは、やめられない。

それは呼吸と同じで、意識すると苦しくなる。


「正常でいよう」


そんな言葉が、頭の奥で小さく鳴る。

正常。

その単語は、透明な癖に刃物みたいだ。


正常って何だろう。

遅刻しないこと?

友達と笑うこと?

将来を心配すること?


もしそれが正常なら、

僕は最初から人間失格だった。



僕の名前は久城くじょうレン。

十七歳。高校二年生。

そして、たぶん――クレイジーだ。


ただし、よくある誤解がある。

僕は錯乱していないし、幻覚も見ない。

電波も受信していない。


むしろ逆だ。

世界の方が狂っていて、僕の思考は一貫している。


それだけの話だ。



学校へ向かう道は、毎日同じ形で僕を裏切る。

曲がり角は必ず同じ場所にあるのに、

今日は昨日よりも鋭角に感じる。


アスファルトは灰色で、

人の心臓みたいに規則正しくひび割れている。


通学路を歩く生徒たちは、

まるで工場で量産されたネジみたいだ。

同じ制服、同じ顔、同じ会話。


「昨日のテレビ見た?」

「マジで?」

「やばくね?」


その三語で、世界は回っているらしい。


僕はその横を歩きながら、

心の中で勝手にルールを改変する。


――もし今、全員が同時に黙ったら。


想像すると少しだけ楽しい。

沈黙は暴力よりも平等だ。



教室は水槽だ。

三十数匹の人間が、酸素不足に気づかないふりをして泳いでいる。


席に座ると、

机の表面に刻まれた無数の傷が目に入る。

爪で引っ掻いた跡、コンパスの針、意味のない落書き。


それらは全部、

「ここに閉じ込められていた」という証拠だ。


「久城、おはよ」


隣の席の女子が声をかけてくる。

名前は忘れた。

忘れたというより、覚える必要を感じなかった。


「おはよう」


僕は条件反射で返事をする。

人と会話をする時、

僕は自分を自動販売機だと思うことにしている。


投入された言葉に、

対応する言葉を返すだけ。


感情はお釣りみたいなものだ。

出てきたらラッキー、くらいでいい。



一時間目の途中、

突然、校内放送が鳴った。


ザザ、とノイズ混じりの音。

それだけで、心臓が一拍遅れる。


「生徒の皆さんにお知らせします――」


放送委員の声は、

いつもより少しだけ震えていた。


その瞬間、

僕の中の裁判所がざわつく。


――来た。


理由はない。

根拠もない。

でも、確信だけはあった。


「本日、校内で事故が発生しました」


事故。

便利な言葉だ。

誰の責任でもないように聞こえる。


教室の空気が一斉に固まる。

魚たちが、水槽のガラスを意識した瞬間だ。


「現在、警察の指示に従い――」


そこから先は、よく覚えていない。

僕の意識は、

もう別の場所に行っていた。


事件は、

いつも静かに始まる。


まるで、

最初からそこにあったみたいに。



その日、僕は思った。


世界が狂っているなら、

狂ったまま正しく生きるしかない。


それが、

僕が“クレイジーマン”になる理由だった。

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