第3話 汚れ仕事
「お邪魔します」
「えっと、散らかってますがどうぞお入りください」
放課後、俺は麗鷲さんを自分の部屋に招き入れていた。
麗鷲さんは行儀正しく部屋に入る。その動作ひとつとっても礼儀や作法が体に馴染んでいるのが分かる。
男の一人暮らしの家にこんな美人がいるなんて、自分の部屋で麗鷲さんの存在だけが浮いているようだった。
どうしてこうなった?!
昼休み、体育館裏でのやりとりを思い出す。
『汚れ仕事だけどいいかな』と麗鷲さんが取り出したのは、ぬいぐるみのばにらちゃん。
麗鷲さんは昨日家に帰ってすぐに洗ったけど、その汚れが完全に落ち切ることはなかったようだ。そして乾いたあとは毛が変に固まってしまったのだという。
ぬいぐるみが好きな俺なら、綺麗にする方法を知っているんじゃないかと思ってお願いしてきたみたいだ。
幸い、俺の家にぬいぐるみ専用の用具があるのでその話をしたら、麗鷲さんは俄然食いついてきた。
男の一人暮らしの家に来てもいいかを聞くと、ぬいぐるみのためといっていた。
まあ、俺がなにか粗相を起こそうとしても負ける見込みがないと思われているのかな。
実際そうだと思う、何かするつもりは微塵もないけど。
俺も家に人を上げるのには抵抗があった。とある理由から家の中をあまり他人にみられたくないのだ。
しかし、麗鷲さんのぬいぐるみのため。
「汚れ仕事っていうから、てっきり誰かを襲撃したりするのかと思ったよ」
「そんなこと命の恩人にさせない」
そうだよね。襲撃や悪どい商売とかは普通の人間には関わりのない話。
やれやれ、極道一家のお嬢っていうのは何かの間違いだったみたいだ。
「カチコミかけるのは普通、舎弟。上の立場の人間はしないから」
面白い人、と麗鷲さんは笑う。
俺の肝がすーっと冷えていく。とりあえずあはは、と笑って合わせた。
この人は極道一家のお嬢で間違いないな!
「ここが相楽くんの部屋」
内心ビビっている俺をよそに、麗鷲さんは俺の部屋をみてぽつりと言葉を落とす。
ソファやベッドにはぬいぐるみの数々、そして棚にはぬいぐるみのための雑貨、勉強机兼作業台には手芸用品が置かれている。
家の中をあまりみられたくない理由の正体、それは俺の趣味が全開となったこの部屋だ。
こういう時に返ってくる言葉を俺は知っている。『気持ち悪い』だ。
麗鷲さんはその鋭い目を大きく見開きいった。
「かわいい!」
それは俺の予想を裏切る言葉だった。
うそ、褒められた?!
俺のこの部屋を……褒めてくれた。
きゃーと、はしゃぐ姿は学校で見せたことのない表情で、やっぱりこの人は昨日会ったぬいぐるみ好きな女の子なんだと改めて実感した。
それから興奮覚めやらぬ様子で部屋を眺め麗鷲さんに俺は待ったをかける。
「今日は麗鷲さんのぬいを綺麗にしにきたんだよね?」
麗鷲さんは唇をキュッと結び、名残惜しそうな顔を浮かべた。
「そうだった。夢のような世界に取り乱してた」
「うん、早くばにらちゃんを綺麗にしてあげよう」
俺も美人が顔を綻ばせる姿を拝みたかったけど、当初の目的のために自制する。
それからぬいを綺麗にするために、お風呂場に移動し、おけやブラシ、クリーナーなどの用具を揃える。
「じゃあお風呂に入ってこうねー」
ぬいぐるみを生き物として扱うのがぬいぐるみ界隈では常識。
それを当たり前のように言っちゃったので「しまった」と思い麗鷲さんの顔を盗み見る。
「言い方かわいすぎる」
うん、全然問題ないみたい。
かわいいと言われて俺は少し照れる。
でも、ぬいぐるみのことなら大抵のことは受け入れてもらえそうで安心だ。
身近にそんな人いままでいなかったから嬉しいな。
よし、やっていくぞ。
おけにぬるま湯を張って、クリーナーを入れて泡立てた後にばにらちゃんを入れる。
泡まみれになったばにらちゃんの姿をみて、麗鷲さんの鋭い瞳が柔らかく細められる。
「ばにらちゃん気持ちいーね」
麗鷲さんがまるで赤ちゃんをあやすみたいな声でいう。
うんうん、思わず話しかけちゃうよな。
ぬいぐるみだから表情は変わらないはずなのに、感情が伝わってくるのがいいところなんだなあ。
「写真撮ってもいい?」
「どうぞ」
麗鷲さんはスマホを取り出してぱしゃぱしゃと写真に収めていた。
わかるよ。我が子のようにかわいいもんね。その様子に俺も気持ちがほっこりする。
「なんだか私もばにらちゃんと一緒にお風呂入りたくなってきた」
「なに言ってるの?!」
ぬいぐるみと一緒のことがしたくなるのは百歩譲ってわかるけど、お風呂はどうなんだ?!
麗鷲さんの思ってもみない発言にどぎまぎする。
そして俺の家でシャワーを浴びる麗鷲さんの、あられもない姿を想像してしまう。
俺が変な妄想をしている間に、ぷちぷちとなにかの音がする。
それは麗鷲さんが制服のボタンを外している音だった。
「ちょちょちょっ!!」
本当に脱ごうとするなんて?!
止めようとすると、麗鷲さんの開けたシャツからその豊満な谷間が顔を出していた。黒?!
みてしまったのは不可抗力だ。
「家だから良いでしょ」
「俺の家だからだめです!」
何度かやり取りをした後、しぶしぶボタンを留めてくれた。
一悶着ありながらもどうにかぬいを洗うことができた。
そして物干し台にぬいを乗せて、下からサーキューレーターで弱風を当てる。
「温風だと毛が変に固まったりするから、自然乾燥に似た状況を作るんだ」
ばにらちゃんが乾いて毛がふわっとしたところで、最後にブラッシングをして毛の流れを整えていく。
「出会った頃に戻ったみたい」
麗鷲さんが綺麗になったばにらちゃんをうっとりと見つめていた。
ばにらちゃんも心なしか生気に満ちて元気そうだ。顔がキリッとしてみえる。
「どういたしまして」
ぬいぐるみのためになにかするのは好きだし、それで持ち主さんが喜んでくれるなら俺も嬉しい。
「両手出して」
麗鷲さんの突然の申し出に俺は戸惑いながらも手を差し出す。
まさか、指でも詰められる?!
すると、麗鷲さんが俺の両手を自分の両手で握ってきた。
「なにを?!」
麗鷲さんの白魚のような指が、俺の手に触れている。
まだ針を指に刺すことがあるからと絆創膏をしている俺の手とは違って、麗鷲さんの手はハンドモデルのように綺麗で爪は丁寧に磨かれていて、ぬいを手に持って撮影するときに映えそうだ。
細いのに柔らかい、そんな不思議な感触に平静を保っていられない。
「この手がばにらちゃんを助けてくれたんだね。ありがとう」
確かめるように俺の手をにぎにぎとする麗鷲さん。
「そうだ、お礼に今度私が相楽くんを洗ってあげようか?」
「んなっ?!」
一瞬で体が熱を帯び、手汗がにじんでいくのを感じる。
手汗を悟られたくないのと気恥ずかしさから手を離すと、麗鷲さんは「ふふ」と静かに笑った。
男子高校生をからかわないでくれ!
もう、今日は色んな意味で心臓に悪いことばかりだ。
「ぬいぐるみのこと誰にも相談できなかったから相楽くんがいて良かった」
しばらくして、しんみりと麗鷲さんはいう。
どうやら麗鷲さんはぬいぐるみについてはクラスメイトには内緒にしているようだった。
俺も家族以外の誰にも言っていないし気持ちは分かる。
「相楽くんさえ良かったら、今度一緒にぬい活しよう」
ぬい活、それはぬいぐるみを連れて歩いて写真を撮ったり着せ替えたりする活動のこと。
麗鷲さんの提案に俺は「もちろん」と頷いた。
ぬいぐるみのことで話せる人がいなかった俺にとって、願ってもいないことだった。
「じゃあ夜遅くなったし、送るよ」
気がつけば陽が落ちていたので俺は訊く。
「すぐそこだから大丈夫」
「え?」
麗鷲さんは家を出ると、俺のアパートの隣にある唯ならぬ門構えの和式のお屋敷に「ばいばい」と手を振って入っていった。
まさかのお隣さん!?
隣の家は大きすぎて文化財かなにかかと思ってた!
というか俺の住む物件の家賃がやけに安かったのって、お隣が極道のお家だから!?
なんだか色々と納得してしまった。
初めて出会った昨日、もう二度と関わることがないと思っていた。
けれど同じクラスで隣の席になって、家までお隣さんだったなんて。
どうやら気づけば俺は、極道一家のお嬢とお近づきになってしまったようだった。




