第19話 力抜いてね? 優しくするから
「私、濡れタオル準備してくるから相楽くんはいい子で待っててね」
麗鷲さんはさらりと俺の頭を撫でてから、食べ終わった器を流しへと持っていったあと脱衣所へと向かう。
俺はその後ろ姿をボーっとした頭で眺める。
一見冷酷にもみえる恐ろしいほどの美しさを持った彼女が、俺のために甲斐甲斐しく動く姿は、風邪の日にみる荒唐無稽な夢のように感じられた。
これから俺は麗鷲さんに身体を拭いてもらうのか。
蛇口から水の流れる音をぼんやりと聞きながら思う。
「お待たせ。相楽くん自分で脱げる?」
「自分で、脱ぐ……?」
脱げるかと訊かれて、改めて状況を認識する。
今から寝巻きを脱いで、麗鷲さんが身体を拭う? タオルで俺の汗を?
熱にうなされた頭で必死に考える。
たしかに汗をかいて体が気持ち悪い、拭いてくれたらさぞすっきりするだろう。
しかし、麗鷲さんに俺の裸をみられてしまう。それは恥ずかしいなんてものではない。きっと体温が上昇するのは避けられないだろう。
そんな自分の感情を差し置いても、俺の汗が染み込んだタオルを彼女に触れされるなんて、まるで女神を汚すような禁忌。ある種の冒涜のように感じられた。
俺はひとつの結論を出す。
「それは、できない……」
「そっか、無理だよね。私ったらなにを聞いているんだろう」
ふぅ、どうやら麗鷲さんは思いとどまってくれたようだ。
用意までさせてしまって申し訳ないけど、これでいい。
「私が脱がせてあげないと」
ん?! いまなんて?!
麗鷲さんはベッドの横から俺の耳に顔を寄せる。
滑らかな銀髪が俺の肩へと落ちて、さらさらとした感触が寝巻き越しに胸を撫でる。甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「力抜いてね? 優しくするから」
麗鷲さんは囁くように告げると、白魚のような手を俺の寝巻きへと伸ばす。
一番上のボタンに手をかけるも、それからぐにぐにとボタンと寝巻きとをこねている。
これまでなんでも手際良くやっていた印象の彼女だったけど、少々手間取っているみたいだった。
しばらくして、ぷつとボタンが外れて、解放的になる。
「時間かかってごめんね」
麗鷲さんは透き通るような陶器のような肌を赤く染めて、恥ずかしそうに呟く。
俺はそれを無抵抗に見つめることしかできなかった。
それから麗鷲さんがひとつひとつボタンを外すたびに、自分のなかの何かが外れていくような感覚がした。
全てを委ねようという諦観かもしれない。恥ずかしさもどこかへと消えていく。
ボタンを外し、服を脱がせ終えた麗鷲さんの顔が赤い。
もしかして俺の風邪がうつってしまったのか?
「じゃあ、拭いていくね」
麗鷲さんは、失礼します、と仰々しくいってから俺の身体に濡れタオルを当てる。
ひんやりとした感触に思わず声が出そうになるが、なんとか耐えた。
「相楽くんどう?」
「あぁ……いい」
麗鷲さんに優しく擦られて、汗ばんだ体が綺麗になっていくのを感じる。
身体に一枚薄く覆っていた気持ち悪さのベールが拭われていくようで心地がいい。
「次は背中」
麗鷲さんはベッドに上がり俺の後ろに回る。
ベッドに触れていた面だからか、前面よりも汗をかいていたようで、こっちもいいな。
背中をさすられているようでなんだか落ち着く。
「ん?!」
突如、首筋にぬるりと温かく湿った感触がする。
どこかこれまでと違う感触に、思わず声が出てしまった。
きっと拭いている間に濡れタオルがあったまってきたんだろう。
「……ごめん変な声出して」
「ううん。私の方こそ、ごめん」
どうして麗鷲さんが謝るんだろう。
彼女は「冷やしてくる」と脱衣所に向かい、もう一度タオルの濡らしてから戻ってきた。
麗鷲さんは身体を隅々まで拭いたあと、替えの寝巻きを持ってきてくれる。
当然のように彼女はそれを俺に着せてくれる。ボタンを留める手はぎこちないままだ。
それから渡された市販薬を飲んで、麗鷲さんに額に冷却ジェルシートを貼ってもらった。
麗鷲さんの慈しむような微笑みと、「おやすみ」の言葉とともに俺は自然と眠りについた。
◇
目覚めると、部屋は暗くなっていて長時間眠れたのが分かる。
しかし、まだ体は本調子ではなく重かった。
ふわっと出汁と味噌のいい香りがする。台所をみると灯りがついていてた。
俺はゆっくりと立ち上がりそこに向かう。
「てんちゃん?」
「おはよう相楽くん。もしかして起こしちゃった?」
「いや、てんちゃんの物音で起きたわけじゃないよ。どうしてまだ家にいてくれてるの?」
「起きた時のご飯を作るため」
そのためにあれから家にいてくれたのか?
いや、流石に一度は帰ったか。
「それに、私が家に帰ってしまうと鍵が空きっぱなしになるでしょう。それは危ないから」
なんと、俺が眠ってしまったからてんちゃんは帰るに帰れなくなってしまったみたいだ。
うわあ、悪いことをした。
「ごめん。俺のせいで……」
「気にしないで。学校帰りだったから勉強道具もあって勉強できたし退屈じゃなかった。それにこの空間で過ごせて楽しかったから」
部屋の机には教科書や参考書が広がっていた。
この空間とはぬいたちがいる部屋ということだろう、麗鷲さんはかわいいものが好きだからな。
俺のぬいに囲まれたこの部屋を気に入ってくれてるようで嬉しい。
良かった。完全に時間を無駄にしていたわけではないみたいだ。
ほんの少し罪悪感が紛れる。
ふとベランダをみると、お昼に脱いだ寝巻きが干されていた。
「洗濯まで、なにからなにまでありがとう。でもどうしててんちゃんは俺にここまでしてくれるの?」
「隣人は大切にせよ、って麗鷲組の教えがあるの」
なるほど、だから火災が発生しそうになった時に組員の方々が駆けつけてくれたのか。
麗鷲組はこの街の自治をかってでているという話を聞いたことがある。
「それにばにらちゃんを助けてくれた相楽くんになにかあれば私も助けてあげたいの」
あの日のこと、まだ恩義を感じてくれているみたいだ。
「たとえそれを抜きにしても、相楽くんは私の大切な友達だから」
真剣見を帯びた形の良い瞳が、俺を真っ直ぐに見つめる。
どくんと胸が高鳴り、熱くなる。
どうやら、まだ熱が下がっていないみたいだな。
「ありがとう。でも今後は俺のために学校を早退したり休むのはやめてほしい。出席日数が足りなくなったり授業が遅れたりするだろ」
「そんなこと平気」
出席日数は少しくらいなら響かないだろうし、麗鷲さんは成績優秀だから大丈夫というのは理解できなくもない。
「友達の足を引っ張るのは嫌なんだ。それに中間テスト近くてノートとか写したいし俺友達いないから頼れる相手が麗鷲さんしかいなくて。どうか俺のためだと思ってお願いだ」
友達がいない俺は、一年生ではどうにか休まずに授業を受けて成績を保ってきた。
俺は頭が良いとはいえないので遅れるのは致命的だ。
決して高い水準を求められているわけではないけど、成績が仕送りの額や一人暮らし存続に関わっている。
この体調の感じだと翌日に学校に行けるという感じはしていない。
こうして話している間もときどき咳が出ている。回復まであと一日二日はかかるだろう。
「……相楽くんのためになるなら分かった。じゃあ休むときは私にも連絡が欲しい。学校に行ったら急に休んでいるから不安だった」
学校を休むときに友達に連絡するという発想がなかった。
仲の良い人には普通送ったりするんだろう。
学校に着いたら、「あいつ今日休みだって」と友達内で話しているのを聞いたことがあるし。
「分かった」
「それと、健康状態を確認するためにも自撮り送って欲しい」
「分かった。……え?」
流れで頷いたけど、自撮り?
麗鷲さんに心配そうに見つめられては撤回することができなかった。
ノートを写させて欲しいなんてお願いをこちらもしているしそれくらいの交換条件はいいか。
それからまたお粥と、今回はお味噌汁を追加で食べて、麗鷲さんを見送った。
去り際に「一人で大丈夫? 寂しくない?」と子どもに語りかけるように心配する麗鷲さんが印象的だった。




