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今日は珍しく、彼が疲れたような顔をして家に帰って来た。帰宅時間ちょうどくらいにおかずが出来てご飯も炊き上がったけど、この様子じゃあんまり食べないかな…。
と思いきや、すごい勢いでご飯を食べ始めた。早食い競争か、と聞きたくなるような勢いにただ目が点になる。
「お腹すいてたんですか?」
「んー…」
「なんか…疲れてますね」
「実はさ…」
そう言って彼が話し始めたのは、私が今日昼に会った受け付けの女の人…氷室さんって言うらしい。しかも話を聞く限りだと告白までしたっぽくて。
…それで彼の名前を聞いた瞬間喜んだのね。会話の口実が出来たから。
嫉妬深い自分が顔を出してきて、あまりの醜さに嫌気がさす。
「…なんて事があってさ」
「ふーん…まあ内村さんって名前出したらなんとなく嬉しそうにしてましたもん」
「あ、そうなの?」
人に散々鈍いとか言っときながら、彼だって鈍い気がする。仕事柄気付かないふりを通してるだけかもしれないけど。
「良かったじゃないですか、可愛い人に告白されちゃって」
こんな嫌味を口にして後悔した。確かに昔『よその女から声を掛けられる男はそれだけ魅力があるんだから、まわりに自慢するくらいの勢いで付き合いな』と地元の友達に言われたことがあるけど、私にはそれが全く理解できない。
でも今はそんなこと言ってられない。
「なんかにこにこしてるね」
「んー…だって別の女の人から告白されるって事は…」
目が泳がないように気を付けながら伏せ目がちに箸を置いたその時、ぐいっと腕を引っ張られた。気付けば目の前には彼の胸がある。
「俺は、お前以外興味ないから」
何だかその言葉がくすぐったいほど嬉しくて、思わず笑みがこぼれた。
「わかってます。そうじゃなくて、別の女の人から告白されるって事は、それだけ魅力があるって事でしょ?」
見事なこの矛盾。何だか都合の良い自分の脳みそが良いような悪いような、不思議な感覚に陥る。
「妬かないの?」
「まあ妬かないって言ったら嘘ですけど、彼女が同僚の人に妬いてもしょうがないでしょう」
嘘。私に余裕なんてない…表に出してないだけで本当は妬いてばっかり。
それをごまかすように彼の頭をよしよし、と撫でた。彼は何も言わず、目を愛しそうに細めて私を抱き締めてくれた。
「可愛いこと言ってくれるじゃん」
「でしょ?」
「今のダメ。減点」
「なんですかそれ!」
大学時代の先輩も彼も同じことを言う。何に対しての点数ですか、と言おうとしたとたん、不意にキスされた。
長くて、深くて、とろけてしまいそうなキスに、顔が火照っていくのがわかる。
唇が離れても、超至近距離なのには変わりない。
「…ばっ、か…今食事中…!」
「じゃあメシ終わり。皿は俺が明日洗うから」
「汚いでしょ!ちゃんと今日洗わなきゃ!」
「ちゃーんと綺麗に洗うから」
「そんな問題じゃ…ひゃ!」
彼の服の袖口をつかんでいた手を振り払われたかと思うと、次の瞬間にはお姫さま抱っこをされていた。驚きと恥ずかしさに言葉が出ない。
「えーい」
この言葉を聞いた瞬間、私の体が空中移動し、そして落下した。横向きにベッドへと沈む。
「ちょっと!もっとデリケートに扱ってくださいよ!」
「だって時間かかりそうだし」
「何が…!」
「だって16回に増えたじゃん」
は?16回って…
今までのことが走馬灯のように駆け巡る。思い当たる節はただ一つ、『1敬語1お仕置き』だ。
彼がふっと笑って私の髪をくしゃくしやっとした。
「忘れなさんなって」
「ばか!明日仕事って言ったでしょ!」
「さすがに俺もそんなに持たないって」
「だったら…!」
その後に続けようとした言葉は、彼に押し倒されたことで消えていった。大きくて温かい手、真っすぐな眼差しに胸が高鳴っていくのがわかる。
そして、言葉を交わすことなく唇が触れた。これこそ長い夜の始まりの合図…。




