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言葉が出て来ない。
何と言って良いかもわからないし、岩本さんの言葉にびっくりするしかなかった。
「何かねぇ…谷原ちゃんが俺にコンプレックスみたいなの持ってるのはちらっと聞いたことあるし、何となく気付いてたんだけどね」
ナルシストじゃないけどさ、と最後に付け足して岩本さんが言った。
岩本さんもあくまで店員さんから聞いた話だからあまりよくわかってないらしい。それでも、とりあえず谷原さんが荒れまくっていて、しかも彼と口喧嘩してたということを伝えられた。
「でも何で…」
彼がここにいるんだろう?たまたま出くわしたの?でも今日は私の家にいたよね?
…ていうか…つぶれてるよね…?
岩本さんは体を動かして後部座席の方を振り返った。
「何かねぇ、この男の人見覚えがあってさ…仕事柄人の顔覚えるの得意なんだけど」
んー、と岩本さんが唸った。谷原さんだけじゃない、いつの間に岩本さんも彼と知り合っているんだろう。
「あ!思い出した!俺が久しぶりに香西ちゃんに会った時いた人だ!」
言われてみれば、例の合コンのあと三人で飲む前に彼と話してて、谷原さんに声をかけられた気がする。それにしても、別に彼と岩本さんが直接話したわけじゃないのに、よく覚えてるなあとつい感心してしまう。
「確か友達だったよね?」
岩本さんの言葉に、あの日谷原さんが『ご友人ですか?』と彼に尋ねていたのを思い出した。
「あー…この人実は元カレで…ついこの前ヨリを戻したんですよ…」
何だか説明しにくい。岩本さんの顔を見ることが出来なくて、思わず顔を反らしてしまった。
すると岩本さんは声をあげて笑いだした。思わず顔をしかめて岩本さんを凝視してしまう。
「はー…そんなこともあるんだね…てことは、この彼氏さんが谷原ちゃんと直接対決に行ったってこと?」
「…たぶん…」
ふーん、と岩本さんが言った。いったいどういう経緯でこうなったんだろう。想像もつかない。
「とりあえずさ、谷原ちゃんにそれは言ったの?」
「え?」
「だからさ、この人と付き合うことになったって」
「…はい」
「だよねー、だから谷原ちゃんこんなに酒飲んだんだよねー」
俯いていく私とは逆に、岩本さんはあっけらかんとした声を出した。
すると不意に綺麗な顔が曇り、ため息が出たあと声のトーンが落ちた。
「谷原ちゃんが気に入った女の人ってさ、大体俺に近づくために谷原ちゃんと仲良くなったらしいんだよね…噂だからホントかどうか知らないけど。しかも俺別にその子たちに興味なかったから結局付き合ってなくてさ、失礼な話だけどね」
そう言って岩本さんが運転席に身を預けた。
「それが何回か続いてさ…谷原ちゃん一時かなり荒れた時期あって。女をとっかえひっかえ…女遊びがひどいっていうか、聞いててこっちが辛いくらい」
岩本さんはゆっくりこっちを向いた。その目は真剣で、辛そうで、切なかった。
「前にも話したことあると思うんだけど、俺香西ちゃん結構気に入っててさ。それを谷原ちゃんに言ってしまったばっかりに、コイツ一時しばらく悩んでて…違うって言ったときの谷原ちゃんの顔見たとき、申し訳ないなって思って」
そして、その目のまま前の方を向いた。視線がどこに定まっているのかは私にはわからなかった。
「谷原ちゃんの話聞いてたら、やっと香西ちゃんとかなり仲良くなれたみたいだから、今度こそ谷原ちゃんが幸せになれると思ったんだけどね…」
その言葉を聞いてすごく胸が痛んだ。私はそんな人の気持ちを今まで踏みにじってきたんだと思うと、谷原さんの顔も岩本さんの顔も見ることが出来なかった。
岩本さんはそんな私の髪をくしゃくしゃっと撫でた。何故だか涙が出て来そうで切なかった。
「罪悪感を持てなんて言ってない。谷原ちゃんの運命の人は別にいるってことだよ」
そしてゆっくりとその手を私の頭から離した。
「香西ちゃんは谷原ちゃんのこと気にしないで、彼氏さんと幸せになりな」
「う…ん…」
ちょうどその時、彼がけだるそうな声を出した。




