四話 紅き地を舞う二体
咆哮をあげ、両手を振り上げた"貫徹"と融合した獣。振り下ろされそうになったその両手を避け、更にその股下を猟師は潜り抜けた。基本、懐では無く背後から。真っ向から、正々堂々と不意打ちを放て。獣狩りの基本である。
獣特有の動きとして、二足歩行である点を生かした抱擁するような攻撃がある。"死の抱擁"だけは避けろとは、と新米の狩人達はまず真っ先に教わる事だ。他の攻撃は、経験や勘、運と能力で避けられる。だが死の抱擁だけはだめだ、と。
懐に潜り込んだが最後、その両手で抱きしめられる様に――死を迎える事になるのである。
獣の膂力は、人間のそれを大きく凌駕する。力を入れるだけで、人間の頭蓋骨をつかんで脊髄を引きずり出せる程なのだ。抱きしめて背骨をへし折る程度、獣には容易い事である。
故、懐は到底安全圏とは言えない。であれば、狩人が狙うべきは獣の背後である。
背後へと回り込んだ猟師は、即座に反転して獣の背後へと斬りかかる。肉厚で重厚な大鉈の刃が、吸い込まれるように獣の皮を断たんと宙を舞った。
だが、獣がとっさの判断で左へとずれた為に、直撃とは言えず、傷は浅い。猟師は舌打ちをしながら、振り返らんとする獣の背を駆け上がった。筋力にものを言わせた、無理な全力疾走だ。
血脂で滑りやすいそこを上り、頭を跨いでた立った師は、獣が何をするよりも早くその鉈を降り下ろした。狙いは左腕、肩の間接。メキリ、と思い切りめり込んだ刃の痛みに獣が雄叫びをあげ、怒りのままに猟師を掴んで、地面へと投げ捨てた。
予想済みであった猟師が受け身をとって転がり、再び立ち上がる。投げられた為に、両者の距離はそれなりに離れている。本来ならどちらの攻撃も届かない距離である。
その距離で、猟師が大鉈をふるった。届かないはずの大鉈が、空中で破片のように分解し、獣の毛皮を無惨に切り裂いた。
予期せぬ痛みに悲鳴をもらした獣は、男の持っていた鉈が、ただの鉄の塊でなかったことを、ようやく理解した。
それは、鉈の刀身が一定間隔で分離し、その間に強靭な鞭のような物が通っている武器だった。本来の姿は、無骨な鞭に刃の破片を付けた、そんな武器だったのである。
持ち手には握り込み型の引き金が付いており、それを握り込むことで、刃のついた鞭と、肉厚の鉈という二形態へ切り替える、"切り替え式鞭鉈"。それが猟師の武器であった。
単純さと扱い安さ故に、様々な狩人に愛用される狩人武器でもある。しかし、猟師の物は従来のそれとは違い大幅な改造が施されている。
本来なら肘から先程の長さの鉈が、刃のついた鞭になり、そして鉈になる、という物である。だが、手応えがあまりにも軽いと感じた猟師が、より長く、より重い大鉈へと改造したのである。
副次的効果として、鉈その物の刀身が長く重くなった分、鞭の射程が延び、より攻撃力も増した。代償に、それを振り回すには一定の広さと、凄まじい膂力を必要とする。
こと、巨大な獣に対する戦いは、猟師の領分であった。
傷口から血を撒き散らしながら、戸惑うことなく電光石火の速度で飛び掛ってくる獣。やや反応が遅れた猟師であったが、即座に左前へと飛び込み前転のようにして潜り抜けた。
立ち上がり反転すると、今度は獣が右腕を振るった。同じ戦法は、狩人食らいの獣には通じない。無論、猟師もそれが分かっていて、あえて踏み込んだのである。裏拳の要領で振りぬかれた拳を、猟師は武器を大鉈へ戻して受け止めた。
獣の膂力が相当の物である以上、その防御は重要な物となる。最も簡単なダメージを受けない方法は、攻撃に当たらない事であるが、それが出来るのは極小数だ。であれば、狩人が必然的に持つ狩人武器が、防御の役割も果たせるのはいうまでもない。
仕込み杖等ならまだしも、鉈ともなればその強靭さは段違いだ。仮に人程の鉄塊を受け止めても、砕けない程度には硬い。
ガギンッ! 鈍い音と共に拳が受け止められ、僅かに猟師の体が浮かんだ。だが、それだけだ。着地した猟師が、再び深く踏み込んで腕を切り裂いた。重い一撃が、確かに獣の命を削りとる。
獣が怒り狂った様に左腕を振り上げた。足元をみて、しまった、と猟師は感じた。左腕のことを勘定に入れ忘れて、懐へと潜り込みすぎたのである。攻撃に専念し過ぎていた。この距離では避けられない。
獣の左腕から爆音が放たれ、中指の根元から生えていた杭が、全てを貫かんという圧倒的な力で放たれた。
咄嗟に、猟師は砲を持ち上げた。せめて防御を、という無意識の思考がそうさせたのてある。考えなしに持ち上げられた砲は、偶然にも獣の方を向いていた。
なりふり構わず、猟師は引き金を引いた。そうしなければ、死ぬと直感したからだ。体勢が崩れたまま放たれたそれは、爆音を伴って飛んだが、わずかに獣の肩をかすっただけだった。だが、獣が放った必殺の杭が、ほんの少しだけズレた。
そのズレは雀の涙程度のものであったが、決定的な違いを生んだ。猟師の生死である。
猟師の右腕を深く抉ったガン・パイルだった物が、その大半を空振りに終わらせる。猟師の血肉を撒き散らしながら、それでも殺すには至らなかったのである。狙ったはずの頭に命中せず苛立ったかの様に、獣が牙の間から息を吐き出した。
猟師は素早く距離を取ると、自分の太ももに向かって注射針を突き刺した。奇妙な細工のされた、不思議な注射だった。
それは、狩人工房が生み出した狂気の産物の一つ。ある聖人食らいの獣の血を培養し、薄め、そして人間に刺しても問題のないよう加工された物である。様々な危険にあう狩人だが、滅多な事では使わない代物だ。
それは、皮肉を込めて"祈りの雫"と呼ばれる。
「が、ィギ……ガァ、ッ――!」
メキメキという醜い音と共に、猟師が苦しみの声を上げ始める。巨大な鉄杭に完全に抉り取られた右腕の肉がボコボコと隆起し、その姿を見る見るうちに変えて行く。獣の血を受け、肉体が再生しているのである。
全身を苛む激痛に耐え抜いた猟師の姿は、右腕を抉りとられる前の、まったく変わらなかった。脂汗をいくつも装束に滲ませながら、それでも猟師は、再び鉈を握り直した。
失態と痛みで、紅ずきんが弾き飛ばされた事で焦っていたのを再認識して、猟師は大きく息を吐いた。獣狩りは冷静たれ。猟師は一度気持ちを切り替えて、再び獣を見返した。
姿勢を低く、唸り声を上げながら、再生する猟師を見ていた獣。見詰め合うが、猟師にその瞳の奥に篭る思いがないのがわかっている。爛々と殺意だけを燃やした獣だが、殺意以上の物がまったく存在しないのだ。
「感情のない、ケダモノめ」
脂汗を払いながら、ぼそりと吐き捨てた猟師へ。再び、巨体に見合わぬ速度で、獣が突っこむ。
フゥッ、と再び気合を入れ直し、猟師は鉈を使った棒高跳びの要領で獣を飛び越した。お互いに、姿かたちに囚われぬ俊敏性で持って相対する。
そのまま猟師は、空中で身を捩りながら鉈を振るった。引き金が引かれ、大鉈であったそれが、パキンという破砕音に似た音と共に刃のついた鞭へと変わる。そして、鉈から鞭へと変わり行きながら、巧みに獣の首へと巻きつけられた。
獣の人ならざる豪腕に引きちぎられそうになったそれが、再び引き金が引かれたことにより、鞭が鉈に戻ろうと引き戻され、一息のうちに獣の首を絞めた。本来の物ではない使い方だが、効果は抜群といっていい。首が刃で切り裂かれ、喉を絞める事で獣を拘束できる。
だが、無論獣もやられたままではない。首が傷つけられ、怒りの咆哮をもらしながら、ぐいっ、と伸びた鞭をつかんで引っぱった。
すると自然、その根元である猟師が引っ張られる事になる。両足で突っ張って抵抗するが、さしもの猟師の怪力でも、獣の豪腕にはかなわない。石畳をふんで必死に抵抗する猟師が、ずるずる、ずるずると引きずられて獣に近づいて行く。
獣が有する腕の射程範囲内に入らんとした時、獣の首に一飛びに飛び乗る影があった。
「――しっかりしろよな。図体だけはでけえんだからよ」




