十六話 眠らぬ狩人の唄
振り払われるよりも先に、紅ずきんは獣の背を蹴って飛翔し、再び屋根へ戻った。刃にこびりついた血が尾を引いて宙を舞う。
獣はそれを追いかける様にして、振り向きざまに光線を放った。黒き獣の口から解き放たれた光が紅ずきんに飛んで行くが、紅ずきんは極めて冷静に前方に飛び込んだ。そのままの勢いで地面へと降りると、着地時の衝撃を前転で消す。
少女は踏み潰そうと足を上げた獣の股下を潜りぬけ、そこで急ターン。片足を軸に地面スレスレに旋回して見せた彼女は、回転力をそのままに獣の背後へと飛び掛る。
すさまじい加速の載った刃が、獣の背中を掠る。確かな傷を与えながらも、しかし追撃は許されなかった。獣が全身を震わせて、紅ずきんを弾き飛ばしたからだ。巨体と強力に対抗するには、紅ずきんは小さすぎた。
それに、獣も学習するのだ。無論、それが分からない紅ずきんではない。考えがあってのことであった。
大きく吹き飛ばされ、バランスもとれずに落下する紅ずきんだったが、大きな腕の中へと受け止められることで衝撃は無い。猟師であった。
「まったく、右腕がなくなっても変わらんな、お前は」
心底あきれた、と言う様な声色で、しかし慣れた様子で猟師はのたまう。長い付き合いになる。自分の相棒が、たとえ両手両足を失おうと、歯を使ってでも獣を殺そうとする事ぐらい、彼にもわかっていた。
そんな相棒に、紅ずきんはハッ、と笑った。そして、彼女を抱きとめた猟師の腕からするりと抜け出して、猟師の顔を見上げた。何時だって高い位置にある顔は、今は顔を覆う布が取れて顔が見えていた。
かすかな光に照らされて浮かび上がった彼の顔には、右半分に大きく抉れた痕がある。猟師はそれが人目に晒されるのを嫌って、いつも顔を布で覆っていたのだ。しかし、それを見て紅ずきんが動揺する事はないし、猟師も顔を見られる事に嫌がる様子は無い。
長年、付き添ってきた。隣り合い、背中合わせに戦ってきた。年は親子ほどの差があれど、信頼のおける仲である事に変わりは無い。
「変わらねぇさ」
――獣が消える、その日までな。
少女は、不敵な笑みをより一層濃くして、直上から襲い掛かって来た獣の腕を難なくかわした。
たとえ死角からのものであっても、殺意のあふれ出た、それも直線の攻撃など、紅ずきんにとっては止まっている様なものであった。
「多分だが、おつむがよええぞ! 囲んで叩きのめせ!」
そう叫ぶと同時、紅ずきんは走り出した。その言葉を聞いた猟師は、軽く頷きながら紅ずきんと反対方向に走り出した。
おつむが弱い。それは、知能が低いという事ではない。いわゆる、暗号の一種である。
狩人にしか通じないその暗号は、賢き獣には分からない様に作られた簡易なものだ。"おつむが弱い"はすなわち頭部が弱点と言う事である。心臓と頭がそれぞれ独立した生物である獣では、あまり使われない暗号でもあった。
紅ずきんは、先ほど腹の中で暴れ回った時より違和感を持っていた。心臓の鼓動が、あまりにも遠くから聞こえたのである。
獣の臓器の構造は、硬度や強靭さを除き、形や配置は人とあまり変わらない。
となると、紅ずきんが暴れていた腹の中は、心臓の動く音で相当にうるさかった筈だ。しかしそれが聞こえなかった。そこから、紅ずきんが最終的にたたき出した答えはたった一つ。
――頭に心臓がある。
あまりにも荒唐無稽で、生物学的な歴史というものを全力で否定する答えだ。だが、胴体を一通り斬り刻んだ紅ずきんには、それ以上の答えは無かった。高度かつ柔軟な思考を持って生み出された答えを、誰も否定する事は無い。
様子を伺っていた他の狩人も、紅ずきんの言葉を聴いて動きだす。獣を中心に六角形状に包囲すると、順次攻撃を開始した。
回復したサワタリによって刃が突きたてられる。ソリッテの火薬鎚が獣の足をへし折って引き倒す。シャンダンテの放つ弾丸は獣の間接を打ち抜き、シャナルの矢は獣の初動を阻害する。
そして、猟師と紅ずきんは、互いに位置を入れ替えながら、苛烈な攻撃を仕掛けて行く。
獣も反撃するものの、焦りをはらんだ攻撃が、冷静沈着に獣を狩らんとする狩人に当たる筈も無い。人ならざる獣を狩る狩人とて、人の領域を逸脱せし者達であるのだから。
刹那を見切り、紅ずきんが屋根から獣の頭へと飛び掛った。接近に気付いた獣が、紅ずきんを攻撃せんと光線を口にためて迎撃の構えを取る。
しかし、紅ずきんはその様子を見て笑うと、空中を蹴って射線上から身を除ける。物理法則を完全に無視したような紅ずきんの動きに、獣は目を疑った。
無論、紅ずきんとて空中を蹴れはしない。猟師が投げた大鉈、その刃の腹を蹴り飛ばして跳躍したのである。
地面という基礎がない分、飛翔距離も少ない。光線を避けるには、少し頼りない距離だ。しかし、紅ずきんにはそれで充分だった。
紅ずきんの位置がズレた事で、僅かに通ったシャンダンテと獣の頭への直通ルート。神意砲の銃口は、確かに獣の眉間に向けられて一寸の差異も無い。あるのは、ただ明確な殺意だけだ。
驚いた獣が避けようとするが、もう遅い。
シャンダンテは、愛弟子が作り出した機会を一瞬たりとも逃がさない為に、その引き金を解き放つ。銃弾が音を引き裂いて、その脳天を貫いた。
ぐらりと傾いた獣の首を、屋根から飛び出したサワタリが握った刃、シャナルが渾身の力でもって放った矢が狙う。互いに鋭利なそれが、すれ違うようにして獣の首を切り飛ばした。
宙を舞う黒き獣の首が地に落ちると同時、体制を立て直した紅ずきんが走り出す。抵抗する術を完全に失った獣は、ただ自分の頭ごと視界が跳ね――そして、死をもたらす影が迫るのを見ていることしか出来なかった。
獣の眉間に向かって銃を突きつけた少女は、ただ一言、獣に向かって告げた。
「精々、良い夢見ろよ」
黒き獣の姿が、純白の炎に包まれて消えて行く。巨大な夜なる獣よりも一回り大きいそれは、ゆっくりと、しかし確かに、獣だけを燃やして行く。
心臓――すなわち、頭の上に立っていた紅ずきんも炎に包み込まれたが、白い火炎は紅ずきんの身体に付着した獣の血を焼き払うばかりで、熱を一切伴わなかった。
踏ん張りを失って、紅ずきんはずるりと獣の上から落下した。力なく落ちてくる少女を、猟師があわてて抱きとめる。だが、彼は傷の深い少女をどうすればよいか分からなかったらしく、そのまま横抱きにしていた。
紅ずきんは、血を多く流しすぎたせいか、しばらくそのままぼうっとしていた。が、不意に顔を上げると、猟師の肩越しに何処かを見た。
彼もそれに釣られて首だけで振り返り、静かに感嘆の声を漏らした。
――真っ暗な城壁の向こう側から、太陽が昇ってきている。頭を見せたばかりのそれは、夜闇を切り裂いて煌々と輝いていた。
夜明けだった。
狩人達はしばしの間、燃える獣を背にして、ただ夜明けを声高々に告げる光を見続けていた。
誰しもが待ち望んだ夜明けだ。獣から隠れるべく、屋内に立てこもっていた住人らが、ゆっくりと姿を現し、ようやく訪れた長い夜の終わりを見つめた。
獣は日光を疎み、街から次々と逃げ出して行く。全てが終わったあとに残されたのは、血と薄暗闇に包まれた街、そして使命を終えた狩人の姿だけだった。
「なあ、猟師」
紅ずきんが、不意に声を発した。その声は鈴の様に繊細で、冷たい風が吹くそこに凛と響いた。
「少し、眠ってもいいか……?」
狩人にとって、眠りとは即ち禁忌だ。獣の時間である夜を、寝てすごすと言うのは、即ち敗北宣言の様なものである。しかし、狩人が眠る事を許される時間が、ほんの僅かに存在する。
それは、夜明けだ。夜明けから朝までの短い時間だけを、睡眠時間として許されている。
「……あぁ。誰も、文句は言わんさ」
猟師がそうささやくと、紅ずきんは無言の内に、猟師へ身体を預けた。
誰とも無く、唄が始まる。
それは本来、眠らない為の歌だ。だが、この夜明けから朝までの間だけ、その意味は逆転する。子守唄へと変貌するのだ。
静かなコーラスから始まったそれは、直にソリッテ以外の全員が声を合わせ、静かな合唱へと変わってゆく。古き時を生きた唄が今、悪夢を打ち払いし少女の眠りを祝福する
――夜明けが来る。夜明けが来る。獣を払い、狩人に眠りもたらす、偉大なる夜明けが来る。
――嗚呼、今汝は成し遂げた! 今ここに、汝が眠りを妨げる者無し!
夜が終わってゆく。夜の帳が尾を引いて、遥か西の果てへと消えてゆくのだ。少女は信頼する相棒の中で、しばしの眠りに付いた。
だが、ひとたび目を覚ませば、彼女はまた戦い始めるであろう。獣が全て消えて去るその日まで、終わる事はありえない。
理由はたった一つ。彼女の心の奥底から、尽きない唄が聞こえるからだ。
眠らぬ狩人の唄が。
本当に短くなりましたが、これにて拙作、
"眠らぬ狩人の唄 ~Navy's Destroyer~"を完結とさせていただきます。
短い間ながら、この作品をお読み頂き、ありがとうございました。
いかがでしたでしょうか。
元はと言えば、"スタイリッシュ紅ずきんちゃん"という自作短編を原型として作った物語です。
そちらが予想外に様々な方より感想をいただきまして、ちょうど別長編を完結させたところで、
半ば手慰みのようにして書いたお話でした。ですが、書いていて楽しかったです。
正直、赤ずきんちゃんの要素は欠片も残っていません。
二次創作のタグを外した方が良いのかもしれないと最近思っています。
まぁ、それはそれとして、おいておきます。
決して消えない決意と殺意を持って、彼女は獣を狩り続けるでしょう。
その心に眠らぬ狩人の唄を宿して、何時までも、猟師と共に。
いつか、獣が消えるその日こそ、彼女が生きた証となることでしょう。
そんな狩人達を思いながら、この"眠らぬ狩人の唄"を完結とさせていただきます。
改めて、ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
それでは、またどこかで。




