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物語は幸せに終わらせる  作者: 成瀬 せらる
アルビレオの瞬き
13/20

サファイアの誘惑 2



「…どうして1人で帰ったの?」


私はその後、屋敷に帰って夕暮れの庭で1人ぼうっと考え事をしていた。ルース様に馬車のお礼の手紙を書かなきゃ、とか。マリア様にもドレスのお礼を言わなきゃ、とか。

それから、私とローエンの今後、とか。

日がとっぷりと暮れてから帰ってきたローエンは、庭で項垂れる私を見つけて静かに聞いた。怒っているわけではなさそうだ。


「…エリザを置いて帰るのは、良くないと思うけど」


衝動的にルース様の馬車に乗せてもらったから、エリザのことをすっかり忘れていた。あとで謝ろう。


「それは悪かったと思うわ。あとで謝っておきます」


私があっさり非を認めると、ローエンは私の隣に腰を下ろした。


「…何か嫌なことがあった?…マリア嬢と喧嘩した?」

「私がマリア様と喧嘩しても、ローエンには関係ないでしょ。それとも、」


社交界のパートナーには、妻の私から厚く御礼申し上げないといけなかったかしら。

…とは言えなかった。


「私がマリア様を怒らせなかったのか、知りたいのよね」

「…何故怒っているの?」

「マリア様、怒っていた?」


ローエンは眉を寄せた。

私が何も言わずに帰ったから、多分マリア様は気分を害したことだろう。挨拶もせずに帰ったのは無礼だし、ちゃんと謝らないと、いけないのかも。


「…マリア嬢じゃなくて、リビーだよ」

「私、怒っていないわ」


ローエンは溜息を吐き出した。…いけない、こんなことでは。せめて彼の足を引っ張らない程度の妻でなくては。ただでさえ敗戦国の、公式には処刑済みの王女なのだから。ローエンには迷惑をかけっぱなしなのだから。


「…今日何があったのか僕は知らないけど、君が気分良くいられないなら、マリア嬢との付き合いは考えたほうが良いのかもね」

「次からは勝手に帰ったりしないわ。約束する。良い子にするわ」

「…何か誤解してるね。…マリア嬢がどうのこうのっていうのはどうでも良くて、僕はただ」

「私、構わないのよ」


私は両手を膝の上で握る。軽く息を止めて、心の準備を済ませる。ローエンが何か言う前に、私が話を始めた。


「愛人がいても気にならないわ。どうせ私には子供を作れないのだから、その人に作ってもらう方が良いと思うの」

「……………………何?」


ローエンは虚を突かれたように、暫く考え込んだ。ようやく出た言葉も、やはり私の言いたいことが分かっているのか分からないのか、微妙な回答だった。


「昔、陛下がデズモンドに王家の血を残すのはやめてって言っていたわよね。それは私にも降りかかる言葉よ。でもカドガン家には後継が必要だわ」

「…陛下の言葉はデズモンド限定だったと思う。…カドガン家に後継が必要、というのは分からないでもないけど、君の話は良くわからない」

「…いずれにせよ不可能だわ。私達に子供ができないのは、私のせいよ。私の身体が悪いのだもの。それにこの身に流れる血もいけない。言い訳できないわ。だから、別に外で作っても構わないと言っているの」


空気が凍りつく。春から冬に逆戻りしたようだった。氷柱がいつ落ちても可笑しくないような空気。ローエンは凍てつくような眼で私を見つめていた。


「…今の言葉に言いたい事は、2つ」


ローエンはゆっくり言葉を選んだ。


「まず1つ。…君の身体が悪いのは僕のせいだ。…僕が君を無意味に牢獄に閉じ込めたせいだ。…それは僕の罪で、僕の責任だ」


どうやら私の言葉は回り回ってローエンを酷く傷付けていたらしい。私は後悔した。ローエンにその話を持ち出してほしくなかった。ローエンが非常にその件を後悔しているのも、忘れ去りたい過去であることも、重々理解していたのに。


「2つ。…君は、僕に他の女を愛せと言いたいのか?」

「もうそうしているくせに、白々しいわ」


でもこっちには私も我慢ならなかった。

愛しているかは分からないけれど、私のことを公に妻と扱うこともない。社交界に出られないから、彼が外で誰をどう扱っているかなんか、知らない。たとえマリア様を彼が妻のように扱っていても私には分からない。


「…一体何を根拠にそんなことを?」

「私、知ってるのよ。貴方が今度の舞踏会でマリア様をエスコートするってこと」

「…それが?」


ローエンは心底不思議そうに問うた。

それが?私には、何もわからないとでも言いたいのか。世間知らずだし社交界にも一切出ていない私には分からないと思われているかもしれない。でも世間でローエンと私の関係がどう見られているか、私はもう知ってしまった。


「私は世間には見せられない詰まらない女なのね」

「………何故そうなるの?」

「あのマリア様を妻のようにエスコートするのはさぞ気分が良いでしょうね!」


私が大きな声で責めると、ローエンは目を見開いて、そのまま停止した。


「私は貴方に命を救ってもらったわ。私の命はもう、貴方のものよ。だからマリア様を、それとも別の人を愛人にしても、いっそ私を妻ではなく愛人にしても構わないわ。だって仕方ないもの。私には選択肢がないわ!」

「君はこの期に及んで、僕の愛を疑うの?」


ローエンも語気を荒くした。私は立ち上がって、ローエンも立ち上がった。人1人分の距離を開けて睨み合う。


「私には平気でマリア様をエスコートする貴方の気持ちが全くもって分からない!」

「つまりリビエラは、僕がマリア嬢に下心があると言いたいわけだ」


ローエンが私を本名で呼ぶのは、本気で怒っている証拠だ。ローエンは私を睨んで、即座に踵を返す。


「…少し頭を冷やそう」


そのままローエンは屋敷に戻ってしまった。





別々に食事を取り、ついでに私は夫婦の寝室ではなく、客用の寝室で休むことにした。エリザには置き去りにしたことを謝って、許してもらった。エリザは迎えに来たローエンに連れて帰ってもらったらしい。ローエンが迎えに来るまでマリア嬢に相手をしてもらって過ごした、と言っていた。マリア嬢が気さくすぎて寧ろ怖い。エリザによるとローエンは私たちの寝室で休むらしい。私は絶対に、行かない。


「でもお一人で寝るなんて」


エリザはベッドに潜り込んだ私に、そう言って渋った。


「子供じゃないのよ。1人で寝れるわ」

「心配ですから、隣の部屋で控えています。何かありましたらお呼びくださいね」

「それじゃエリザが休めないじゃない。私のことは放っておいて大丈夫よ。…離縁されたら一人ぼっちになるんだし」

「離縁?…またおかしなことを考えていますね?」


エリザは眉を下げて笑った。

でも何もおかしなことじゃない。私は何1つ持っていないのだから、ローエンに「もう君の面倒は見きれない」、「離縁したい」と言われたら、着の身着のまま追い出されても、仕方ない。私はせいぜいそうならないように、ローエンの足を引っ張らない妻にならねばならない。なのに喧嘩なんかして、最低だ。だから1人でも大丈夫だと、自分を律しなければ。



その日は思っていたよりずっと快適に眠れた。

エリザは物言いたげだったけれど、それ以外は今までの毎日と何1つ変わらなかった。変わったことといえば、ローエンも私も意図的に朝食の時間をズラしているせいで、朝は会わなかったことくらい。その日は帰ってきても出迎えもしなかった。夕食もローエンが帰宅するより先に済ませて時間をズラした。そのまま寝室に篭って、また次の日になる。次の日も同じように会わないようにして過ごした。そうして1週間が過ぎた。


私はついに寂しくなってきてしまった。


もちろん、こんな子供じみた反抗をしたことに罪悪感はある。虚勢と強気が剥がれていく。それに、このまま関係が拗れたら?私は、怖い。ローエンから別れを切り出されるのではないかと怯えてしまって、とてもローエンと話がしたいとは思えなかった。


「エリザ。…マリア嬢が持ってきた服を合わせるから手伝ってくれる?」

「はい、旦那様」


食事の片付けを手伝っていたエリザを呼びに行くと、ローエンがエリザをちょうど呼んだところだった。舞踏会の衣装か。私はちょっと見てみたくなった。こっそり後ろを着けて、開け放された扉から部屋の中を見る。ローエンはすぐに着替えて、エリザに変なところが無いか聞いていた。変どころかとても似合っている。艶やかな黒をベースに黄色のアクセントが効いた逸品は、ローエンの陰鬱そうに見える顔色を明るく見せることに成功していた。さすがはマリア嬢、ローエンのことを良く分かっている。


「とてもお似合いです」

「…毎度毎度あの人の隣だと期待が重くて困る。ローエン様、背筋を伸ばして!…って毎回言われる僕の身にもなってほしいよ」

「天下のマリア様のエスコートですもの」


エリザは私が知るよりずっと前から、誰がローエンのパートナーなのか知っていたのか。私は力が抜けてしまった。


「それにしても今年は城でのパーティが多いですね」

「…女王陛下が愛人を見せびらかしたいんだよ。…全く良い迷惑だよね。…どうして大切なものを態々人に見せたがるのか。理解に苦しむ」

「愛人ですか…」

「…その所為で陛下に心酔してるあの護衛の機嫌が最悪だから僕にも被害が出る。…女王陛下が何を考えているのか僕にはさっぱりわからないよ」

「昔から何を考えているのかよく分からないのは旦那様と良く似ていますよね」

「…あの人は僕よりタチが悪いよ。…基本的に他人には悪意しかないからね。…マリア嬢もよく陛下に付き合えるよ。…僕は本当にあの人を尊敬してる」


尊敬、か。

私はそのままゆっくり扉から離れて寝室に引きこもった。恐らく私には抱かない感情をマリア様に抱くローエンに対してなのか、それともマリア様になのか、言葉にならないほどにどす黒い気持ちが渦巻く。

そのまま薄い布団を被って、目を閉じた。




その日はここに来て初めて悪夢を見た。


生まれ育った城の地下牢獄で死にゆく私。

そんな私を仄暗い笑顔で背中を押すローエン。

ローエンの傍らには私を嘲笑うマリア様と女王陛下。そして似合いの結末だと罵るエリザ。

死体になったデズモンドお兄様とお母様、お父様。

鏡を覗き込めば、骸骨のようなぼろぼろの私。恐ろしく醜い。見ていられないほどに。歩けないほど衰弱しているのに、それでも処刑台まで這っていく。ローエンに追い立てられる。目の前に迫る黒ずんだ刃。血の匂い。群衆の野次。

眼下に広がるこの世の地獄。


「リビエラ様、リビエラ様!」

「嫌ッ!!!やめてっ、やめて!」


エリザに揺さぶられて、私は叫びながら飛び起きた。今この瞬間に私を苦しめた王族としての名前は聞きたくない。外部の刺激の1つ1つがとてつもない苦痛だった。耳を塞いで、震える身体を止めようと体に力を入れるが、止まらない。歯の根が合わないほどにがちがちと鳴る。耳を押さえているのに、夢の中の声が消えない。私の処刑を望む群衆の声が、私の姿を嘲笑う女の声が。どれほどキツく目を閉じても家族の死体が消えない。息を止めても死臭が臭う。どうして、どうして。あれは夢なのに。ただの夢なのに…!恐怖のあまり叫びながら、私に近寄るエリザを睨んだ。エリザの姿ですら怖い。夢の中でエリザは私を…


「近寄らないで!」


エリザを突き飛ばして、半狂乱に自分の身体を掴む。唇を思い切り噛むと痛みで気が紛れた。息が荒くなる。息をしているのに苦しい。胸が痛い。目眩がする。指先が痙攣し始めて、足が痺れる。こわい、こわい、こわい。


「エリザ…外して」

「ローエン様っ、リビエラ様をお願いします…!」


エリザが出ていくのを止めるのも、ローエンに近寄らないでと言うのももはや不可能だった。ゼーゼーと呼吸が荒いまま、脳裏によぎるローエンの顔に恐怖する。私を嗤わないで、醜い私を見ないで、私を捨てないで。このまま目を閉じるのも怖くてローエンから逃げるように背を向けて、壁に頭を押し付ける。


ローエンの足音が聞こえる。あの地下の牢獄で聞いた足音と同じリズム。呼吸が余計に荒くなる。聞きたくない。連れて行かないで。私をあそこに行かせないで。

痙攣する手を耳に付けようとすると、その手をローエンに取られた。ローエンはベッドに上がり込んで、後ろから私を抱き締める。


「僕だよ、落ち着いて」


温かい。ローエンの体温が私の背中に伝わる。手の痙攣が少し治る。


「僕に寄りかかって。なるべく深く息を吐いて」


ローエンに寄り掛かかると、呼吸が少し楽になった。体の力をできるだけ抜いて、息を吐く方に力を込める。なかなかうまくできなくて、苦しくて、怖くて涙が溢れた。


「今は何も考えなくて良いから」

「…っ!はあ、っ、はあっ」


そんなの、できない!

余計に呼吸が酷くなり、頭がぼーっとしてきた。このまま私は死んでしまう?私の反応が鈍くなったことに気付いたローエンが後ろから私には囁いた。


「…君がどう思おうと、僕は君を心底愛しているよ。何があっても君を守る」


呼吸が緩まる。意識的に息を吐き出す。だんだんと苦しみも取れて、頭もくらくらしなくなってきた。手足にも力が入る。ローエンは私の頭を撫でて、頬にキスした。


「…もう平気?」

「へ、いき、」

「…どうしたの?」

「わるい、夢…」

「…どんな夢だった?」

「わたし、牢獄にいて、それで、処刑…みんなに死ねって、言われて、マリア、さま、嗤われて、ローエンに、背、押されて、」


ローエンは深刻な顔で私の苦しげな言葉を聞いた。はらはらと涙が落ちる。怖い、怖くてたまらない。言い終わると、ローエンに抱き付く。こんな夢を教えてどんな顔をされるのか怖くて、もう顔は見れなかった。私の夢はただの被害妄想でしかない。私はあの牢獄からローエンに救い出されたのだし、マリア様は私に優しくしてくれる。エリザだって私を見捨てなかったし、女王陛下は私の存在を見ないふりをしている。ガーディンの人に至っては私の存在を覚えてすらいない。

なのに私は何を恐れているのか。


「…リビエラが怖がる事は何も起きないよ。…大丈夫、何か起こったとしても僕が絶対に守るから」

「…もう、それでは、…いけないわ」


でも私は、もうただ守られているだけではいけない。わたしもローエンを守りたいし、足を引っ張っていたくはないのだ。そう約束したのに。


「…明日話そう。…眠れる?」

「わ、分から、ないわ…」

「…一緒に寝ればきっと眠れるし、悪い夢も、もう見ないよ」


ローエンは私を抱き締めたままベッドに転がった。ローエンと一緒だと、もうあんな夢は見ないような気がした。それでも未だに鋭い感覚で思い起こされる情景が恐ろしくて目を閉じることすら受け入れ難いものだった。ローエンの手前、眠っているフリをしたけれど、とても眠れない。この騒動で体はクタクタなのに、眠ろうとすると怖くなってしまう。蝋燭の光で明るい部屋の中、私はじいっと火が揺れるのを眺めていた。


怖くて眠れないなんて、ローエンには言えない。ローエンにだけは、言いたくない。



気持ちと主張がちぐはぐでひたすら面倒臭いリビエラ、やっぱり大切なことは黙っているローエン。まだまだ仲直りしません。

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