東征に向けて
「東方に潜伏している龍の目から報告がきた」
ジョルジュの言葉に口を開いたのはアレスであった。皆の視線はアレスに集まった。
「イストレア王国の隣国、ホルス王国にドルマディア帝国が攻め込んだそうだ。突然の急襲にホルスは太刀打ち出来ず、現在領土半ばを攻め取られているとの事だ」
アレスの言葉を聞き、その場にいる一同は静まり返った。
「それだけではない。イストレア王国のもう一つの隣国、トロント大公国の領土線にはバイゼルドの騎兵が現れたらしい。トロントは現在防衛を固めそれを迎え撃つ姿勢との事だ」
アレスはそれだけ言うとシオンの方に視線を向けた。後は軍師にお任せ、というのだろう。
いつものシオンならここでため息一つ、嫌味一つでもつくが、今回は真面目な顔をして円卓に先程とは異なる地図を置いた。それだけ緊急性が高いのであろう。
「こちらは大陸東方の地図になります。龍の目からわかり得る、最新版とでも言いましょうかね」
全員の視線は地図に集まった。なるほど、詳細な地形まで描いており見事な地図だ。しかし、皆が目を見張ったのはそこではなく、各国の領土線である。
見ると東方大陸の東側、5分の2ほどをバイゼルドが。北部の5分の2ほどをドルマディアが。そして僅か5分の1を話題に上がったホルス、トロント、そしてイストレアにその属国であるレナート、リオンの二国が分け合っているのみである。
「こんなにバイゼルドとドルマディアが大きくなったか……」
あまりの変わりようにゲイルが唸り声をあげた。
「バイゼルド、ドルマディアの二国はどうやらお互い痛み合わないように小国を飲み込んでいったようです。最終的に滅ぼせば良いわけですから、今は相手より大きくなる事を狙ったのでしょう」
「そして……今回狙うのは……」
誰かの疑問にシオンは視線を地図に向ける。
「奴らとしては、何がなんでもこのイストレアを落としたい。ここを落とせば肥沃な国土と潤沢な資金、そして食料が手に入りますからね。拮抗している現状を打破できると考えているのでしょう」
そしてシオンは皆を見渡し言葉を続ける。
「そしてそれを食い潰し、最終決戦を挑み東方を制圧する……というのが現在の彼らの戦略だと思います」
そんなシオンの説明を聞き、思わずエアハルトが質問をした。
「このまま放置して、二国が噛み合い弱体した後に我々が攻め入るのはどうでしょう?」
その質問にシオンは苦笑した。
「なるほど、それも一理あります。しかし、それではダメなんですよ」
そう言うとシオンは皆を見渡した。
「まず第1に……万が一、どちらかが倒れ、東方が統一された時……東方に四大国に次ぐ大国が出来る事となります。それに面している我らとしては避けたいところです」
シオンの言葉にエアハルトはなるほどと頷く。
「第2に……これから帝国が戦をしようとするタイミング。この戦により大陸中の注意は西方に向かいます」
東方大陸の争いに介入する場合……いくらレドギア以東に鉄のカーテンを敷き、情報規制をしてるとはいえ、やはり大きな行動ゆえに何処からかで漏れる可能性がある。そうすればそこから綻びが生じ、辺境伯領の内情が分かってしまうかもしれない。
現在の辺境伯領の内情……亜人や魔族を認めている状況は教会を始め、大陸中を敵に回しかねないだろう。これから大きな戦を行うという時に、それは避けたい。
だが、今大きな注目は西に向けられているため、こちらの動きには各勢力が鈍感になるはずだ。
ゆえに軍事行動を起こすには千載一遇のチャンスなのである。
「大国を敵に回しても跳ね返せる程の力を僕たちが単独で持てるまで……今の現状は隠したいところだね」
アレスの言葉に多くのものが頷いた。
「そして第3に……東方に介入する明確な理由が生まれる事。今、ドルマディア、バイゼルド共に暴虐の限りを尽くし東方大陸を食い潰している。これを解放するという名目があれば正義は我軍にあるわけです」
帝国が乱れる前に大きな力を得たい。そのための東方諸国だ。アレスとしてはこの地を併呑し、各貴族に抜きん出た力を保持したいと考えている。
侵略をすれば民は反感を覚え統治に時間がかかり足をすくわれる可能性がある。しかしそれが解放なら?
民は喜んで従うだろう。例えそれが……現在の教会の教えから反していても、だ。
「最後の一つは……イストレアとの秘密条約です」
「秘密条約??」
「はい。実は以前イストレア大使から我が領とイストレア王国との秘密同盟が結ばれていました」
多くの者にとっては初耳だ。皆真剣な面持ちでシオンの説明に耳を傾ける。
「その盟約は……イストレアが攻め込まれた際はシュバルツァー辺境伯個人がそれを助ける、というもの。そして……その見返りとして……今後イストレアは全面的にシュバルツァー辺境伯領の指示に従う……というものです。あくまでもアルカディア帝国ではなく、『辺境伯領』に」
シオンの言葉に多くのものが驚愕の表情を見せた。それは完全にアレス個人に恭順の意を示したことではないか、と。
「イストレアの大使殿は恐らく我々の『東方制圧』後の影響力を考えたのでしょう。それ以後もイストレアの民や王族を守る事ができ、尚且つ影響力を持たせるために。それがためのアルカディア帝国への恭順でなく、主への恭順なのですから」
何気ない一言。しかしシオンの口から『東方制圧』という言葉が出てきた事で円卓の間の空気が変わった。
そう……帝国内の一領でない辺境伯領がアルカディア帝国の歴代の皇帝が成し遂げられなかった、東方制圧に乗り出そうというのだ。
この場にいるのはグランツの人間を始め武人が多い。彼らは一様に興奮した表情を見せる。
「我らは秘密裏にイストレアに合流し、イストレア軍として東方制圧に向かいます。そして東方制圧を成し遂げた際は……実質的な統治は我々ですが、表向きはイストレアが統一したとでも思わせればいい。そして……帝国が乱れた際に旗を変えればいい、ということです」
シオンの言葉に多くの者たちが頷いた。
「何度も言いますが……東方の民には申し訳ありませんが、これは千載一遇の好機です。あまり注目をされることなく、大義名分があり、そして戦後の統治も行いやすい……今を逃すわけにはいきません」
皆が頷くのを確認した後、シオンは細かい指示を飛ばし始めた。
「レドギア伯、トレブーユ伯、ブルターニュ代表グレイ殿」
「「「はい」」」
「貴殿達は自領に戻り守備の確認を。東方に力を入れている時、西方で騒がれては動かなくなりますからね。我々はまだ多方面に動くほど力はないので」
そう言ってシオンは苦笑する。
「そして兵糧を送って下さい。数は後で指示を送ります」
シオンの言葉に三人が頷く。
「シグルド、ダリウス」
「「応」」
「あなた達は再編された第2軍、第3軍を率いて、先んじて東方国境のハーラインの砦に詰めて下さい。すぐに出発できるよう軍備を整えるように」
シグルドとダリウスはそれを聞き目を輝かせた。
「シュウ、貴方は少し遅れて第1軍を率いる主とともに第4軍を率いて向かいます。『サムライ』達はいませんが、後々彼らが合流しても問題ないように八洲の戦い方を仕込んで下さい」
「承知!」
シュウは深々と頭を下げる。
「アルノルトとディルクも、シグルド、ダリウスの副将として出陣を。今回はロランだけでなく、エアハルト、貴方も出てもらいます。準備をしてください」
エアハルトはそれを聞き、目を輝かせるが……同時に質問をした。
「領都の守りは……どうしますか?」
「領都の守備はエランとシャドウに任せます。また、遊軍としてシャロン様とリリアナ様に控えて頂こうと思っています」
すると今度は名前の上がった2人から批難の声があがった。
「なっ、今回もアレスと共に行けないの!?」
「ご主人様を置いてまた留守番と!?」
シオンの冷ややかな視線を受けたアレスがため息をつきながら宥めに入る。
「まぁまぁ……2人としては新しい武具を試したい気持ちがあるのも分かるけどさ……2人までいなくなるとこれを機に各地で魔獣や賊が出た時に対応できないから……頼むよ」
「主の言う通り、お二方の担う仕事はかなり重要な役割です。怖いのは『闇』の勢力。奴らが何を裏からするかは読めませんからね。対応できるのは『聖剣』や『聖槍』を持ったお二人ぐらいですから」
アレスとシオンの説明に2人は渋々頷いた。
「そして……主がハーラインの砦に到着次第、イストレアに向かいます。目安は1ヶ月ほど。その1ヶ月で全ての準備を済ませましょう」
シオンの言葉に皆が頷く。そしてここで、再び質問がでる。
「しかし……流石にこれだけの軍事行動。いくら龍の目の監視を厳しくし、そして大陸の目が西に向けられているとは言え……流石にバレるのではないか?」
その質問にシオンも頷く。
「バレるでしょうね」
「なっ!?」
「しかし、バレた頃には東方は我らの旗の下になっています。そしてその頃には……帝国は乱れ、我らは力を持ち、誰も文句を言えない状況になるはずです」
黙り込む一同。そしてアレスが最後に口を開いた。
「以上だ。此度の戦は北伐と同様、我が辺境伯領にとって重要な戦となる。皆、心して準備をするように」
その言葉に皆は緊張した面持ちで頷く。
辺境伯領にとって命運を握る戦いが始まろうとしていた。




