アレスの一日
アレスの朝は早い。まだ日が昇るか昇らないかといううちに、ベッドから出る。横にはその夜、長い時間をかけて愛を交わし合ったシャロンが静かに寝息を立てていた。
目覚めたアレスがすること。まずは着替えからだ。本来なら領主ともなれば多くの家臣に傅かれ着替えるのだが、アレスはそれを徹底的に嫌い、必ず自分で着替えるようにしている。
着替えたアレスが向かうのは屋敷裏にある庭である。ここで彼は一人静かに己が修練を始める。
最初に行うのは瞑想からだ。屋敷の横に立っている大樹を背に足を組み、目を瞑る。こうして己の心と向き合い、そして時には内にいる記憶『剣聖シン』と対話をしながら、心を研ぎ澄ましていくのだ。
それが終わった後は型の稽古である。偉人の記憶が宿ったその日より、『剣聖シン』の記憶から学んだ『叢雲流』の剣術の型をひたすら振るう。
こうして朝日が上がるまで彼はひたすら修練を続けるのである。
◆
「アレス様、おはようございます」
「あぁ、おはよう」
修練の後は食事をとる。アレスは食事は家族全員で行うものだと捉えている。それ故に、妻たち全員と必ず一緒にとっている。
「なぁなぁ、シャロン?」
「なに?」
「昨夜のアレス、どうだったん??」
ニーナの質問にシャロンは口に含んでいたオレンジュースを盛大に吹き出した。
「うわっ、汚なっ」
「ゲホッゲホッ……あんたが朝っぱらから下世話な話をするのがいけないんでしょう!!?」
「えーだって、うちの日って3日後やし。気になるわ〜」
アレスは彼女達の会話に溜息をつきつつ、話題を変えた。
「そういえば、広場のところにジョルジュが計画していた大きなお店ができたみたいだね?」
「えぇ、なんでも3階建の大きな建物で様々な物が売られているとか……あら?これって元々アレス様の構想だとジョルジュから聞いていますが?」
コーネリアの問いかけにアレスは頷いた。
「うん。元々はね。その具体案をジョルジュに伝えたら、ジョルジュも乗り気になってさ。トビアスやオリバーとすぐに打ち合わせしていたけど……意外と早くできたんだなぁ……」
アレスはそう言うと、切り分けていたハムエッグを口の中に放り込んだ。
「道路などのインフラも整いつつありますし、働き手もあつまっていますから。そういえば、シャドウのスケルトン達も随分数が増えていて、工事用の他、貸し出し事業まで行ってるみたいですよ?」
「あー、そういやおとんがスケルトンを見てなんとか帝都に貸し出し事業ができないか、とシャドウはんに話していたほどやからねぇ……」
その話を聞いてアレスは笑う。あの無愛想なシャドウがスケルトンの貸し出し事業を行い、それをマーゴット商会と共同しようと誘われているとは……
渋い顔のシャドウの顔が目に浮かぶようだ。
「ま、勿論シャドウはんには断られたけどなぁ」
「そりゃそうだ。下手にこの地以外で行ったら教会から睨まれるしね……辺境だからこそできる事業かな?」
「しかしスケルトンは便利やなぁ……兵士の代わりにも工夫の代わりにもなるんやから……」
そんなたわいもない会話を楽しみながらアレスはポンと手を打った。
「そうだ、せっかくだから皆で午後にでもその新しいお店に行ってみようか?視察を兼ねて」
「「「「「「「「賛成!!」」」」」」」
こうしてアレスは妻たちと買い物の約束をするのであった。
◆
食事が終わった後は、執務室にて政務を執る。
辺境伯領では三週に一回、主だった内政官が集められ、方針が決められる。それについての進捗状況や報告書を確認し、指示を出したり署名したりと、最終判断を下すのがアレスの仕事である。
それ以外の日においては、アレスは報告書に目を通し、許可をするかどうかのサインを行うのだ。横には必ず政務長官ジョルジュが控えており、それらの説明をしていた。
「東の村の人口が随分増えたね」
「アーリア人の脅威がなくなり、開墾が可能になった今、移住者が増えた様子ですね」
「東の地が落ち着いたのは幸いでした。人口増加による受け皿ができたので……でもそれもまた限界があります」
移民による急な人口増加は都市を発展させるといあメリットだけでなく、無用なトラブルを生み出すデメリットも多い。一時期ほどの増加はないとしても、今でも多くの人間が辺境伯領に移住を希望していると聞く。
目下、現在の辺境伯領の課題は彼らをどう活かしていくか、であった。
「北の地も落ち着いた事だしね……向こうも開発するようにしよう。後は……あまりの人口増加、流石にこらは目立ちすぎる。間者を防ぐのも限界になるだろうし……申し訳ないが、しばらくの間はレドギア、フラン、トレブーユで留め置き、そちらに援助を送るようにしよう」
アレスはそう言って書類に指示を書き込んでいった。それに合わせてジョルジュは口を開く。
「この地の存在を早く公にできれば良いのですが」
「……まだ無理だよ。今、帝都の連中や教会に睨まれたら……全てが水の泡さ。全てを敵に回しても立ち回れるぐらいの力を得てからだ」
そう言ってアレスは小さく笑った。
「そういえば……アレス様」
「なんだい?」
「例の側室の件はどうしますか?」
その話を聞き、アレスは露骨に嫌な顔をして、机上の端にあった書類の束を手に取った。
いずれも各貴族から送られてきた側室候補達の素性が書かれている書類だ。
「これ以上妻を娶れ、と?」
「確かに帝都にいる貴族達は無視をしても問題ないでしょう。ただ……無視をできない相手から来ているのも事実です」
「ロンバルディア大公か……」
そう言ってアレスは一番後ろにしていた書類を表に出す。
ロンバルディア大公ガイウス。帝国でも豊かな南の地を治める大公。
アレスが今、最も気にしている人物と言っても過言ではない。その人物から縁組の誘いを受けている。
「送り込んできたのは妹だっけ?」
「はい。随分とじゃじゃ馬との呼び声が高いですが……」
ロンバルディア大公妹ビアンカ。兄ガイウスとは年がだいぶ離れていると聞く。
そして南方の実力者として権力を持つ、ガイウスでさえも思い通りにいかないと言われる令嬢だ。
兄同様にきめ細やかな金髪と空色の瞳を持ち、まごう事ない美女ではあるが……その悪い噂は事欠かない。
ある時は、屋敷から抜け出して街中で大立ち回りを行う、パーティで男達を侮蔑し恥をかかせる、見合いの席にて相手を徹底的にこき下ろしプライドと精神を粉々に破壊する……
あのガイウスをして、我が家の恥晒しとまで言わしめたほどだが、本人は一向に気にかける事なく我が道を行っている。
「あの男の事だ。確実に裏があるだろうさ」
「大公家の者が側室なんてあまり聞きませんからな」
「一つは……うちへの内偵として。そしてもう一つは……程のいい厄介払いだろうよ」
そう言ってアレスは苦笑する。その様子を見てジョルジュは口を開いた。
「主の奥方とだったら上手くやれそうですが??」
アレスにとって衝撃的な一言だ。これ以上彼女達を止められなくなったら……考えただけでも恐ろしい。
「勘弁してよ。彼女達がさらにパワーアップしたら……持たないよ……」
そう言ってアレスは手にしていた書類を投げ出すのであった。
◆
軽いランチをとった後、アレスは妻達を連れて新しくできた店に向かった。
「大きいーー!!」
シンシアはその規模の大きさに思わず無邪気な声をあげる。
「こんなお店……帝都でも見たことがないですね……」
ロクサーヌも大きな胸を揺らしながらそう零す。
「おとんやお爺様が、凄いものになる……とは言ってたけど……これは完全に予想を超えてたわ〜……」
ニーナも開いた口が塞がらないようだ。
アレスはそんな妻達の反応を見て笑った。
「うん。凄いでしょ。これ、シュバルツァー大公領にいた頃から構想にあったんだけどね。大きな規模の工事になるから計画が頓挫してたんだ。でもこの地なら……ゴーレムもスケルトンもいるし、やり過ぎても帝都からは睨まれないしねぇ」
そう言ってアレスはその建物を見る。
「この中には百以上の店が入ってる。言わばお店の集合住宅。僕はこれを『百貨店』と命名しようと思ってる」
「『百貨店』……素敵な名前ですわ。百貨とは全ての物、という意味ですね」
ロクサーヌの言葉にアレスは笑顔で頷いた。
「ほんまアレスは命名が上手いなぁ。おとんもよく言ってたで。なんでこんなにすぐに思いつくん?」
「……あー、それは企業秘密……」
バツの悪そうな顔でアレスはそう呟いた。
「そんなのどうでもいいから行ってみようよ。ボク、もう我慢できないよっ!!」
ミリアの言葉に多くの者が同調し、彼女達を連れてアレスは百貨店に入るのであった。
◆
アレスが屋敷に帰ったのは日も暮れようとした頃である。
「あぁ、疲れた……」
そう言ってソファに倒れこむ。
あの後、各々が自分が興味のある店に向かっていった。
シャロンやリリアナは武器防具が売られている店に。ロクサーヌ、ミリア、シンシアは魔道具の店、ニーナは各店の相場と品物の下を見に行き、シータとマリアは掃除道具等で良いものはないかと物色。リリスは物に興味はないため、適当に食べ物屋をブラブラ渡り歩き昼間から酒を飲んでいるあり様。コーネリアだけアレスの横で静かに微笑みながら、一緒に店の様子を眺めているのであった。
「皆、洋服とかそういうのには興味がないんだね……」
「好みは人それぞれ違います。女性が一様に服や装飾品を好むとは言えませんよ?」
アレスの疑問に答えたのは横にいたコーネリアだった。その返答を聞きながらアレスは女性という生き物はまだまだ謎が深いと感じいるのであった。
こうしてアレスは彼女達に振り回されつつ、楽しく夕方まで過ごすのである。
屋敷で一休みした後は、アレスが一日で一番楽しみにしている時間……入浴である。
しかし今は割と落ち着かない時を過ごす時間となっている。それは……
「さぁ、アレス様。お背中を流しますね?」
「ロクサーヌ……いつも言ってるけど入浴は一人が……」
「ダメです」
今日はその巨大な胸を惜しげもなく披露している、生まれたままの姿のロクサーヌが強襲し、背中を流すのである。
流石に明るい場所で素肌を晒すことは他の妻達は照れが入り中々できていない。しかし……ロクサーヌとリリスの2人は別だ。
そのため日替わりでこの2人が(時には同時に)背中を流しにくるのである。
(せめて……少しは隠して貰いたいものだが……)
一糸まとわぬ姿で浴室に入る彼女達に、アレスは散々懇願していたが、それを一向に直す気配はなく。アレスは現在諦めの境地になっていた。
湯船に浸かるとロクサーヌも一緒に入ってきて覆いかぶさってくる。そしてアレスの唇に自分の唇を重ね合わせてきた。
(毎回毎回……湯でのぼせるのか、彼女でのぼせるのか……分からないな……)
そんな事を毎回考えながらのぼせるまで湯に浸かるアレスであった。
◆
夕食はハドラー担当の料理が並ぶ。アレスはそれを一つ一つ吟味し、ハドラーに問いかける。
「このソースは……木苺を使っているのかい?」
「残念ですな。それはコケモモの実を使っております」
アレスが間違えるとハドラーは少し得意げな顔をする。それがアレスには悔しい。アレスにとってこの食事の時間はハドラーとの一騎打ちの時間なのである。
「最近アレス様はお戻りになってから、外してばかりですな。どうにも戦場で舌が鈍ったように思えます」
挑発気味にそう言うハドラー。
(くそっ!!ハドラーめ。次こそは必ず!!)
その言葉を聞き、心の中でそう決意するアレス。
そして……それを眺めて溜息をつく妻達。
「……この人たちはもっと穏やかに食べることができないのかしら?」
「……もういいです。私達は楽しく食べましょう」
そうやって片や熱く、そして片や冷ややかに過ぎていく夕食の時間であった。
◆
そして就寝時刻。今日の同衾の相手はシータである。しかし……ここでアレスは急に腹痛を訴えた。
そして言う。
日を一日ずらしてくれないか?と。
妻達を遠ざけた後、アレスはこっそり厨房へ。そして見つけるのだ。
「ぐふぐふぐふふふ。これこれ。これが欲しかったのだよ」
小さく呟くアレス。その手には卵がある。
「ココノコドリの卵。ハドラーが仕入れたと言っていたけど本当だったんだねぇ」
ココノコドリの卵は卵の中でも最高級品だ。アレスはそれを持ち出す。
次に向かうは……とある鍋である。
「ハドラーに頼んでおいて良かった。まだ残ってるな」
アレスが次に欲した物。それは米を炊いた物……ライスであった。
それを器によそい、アレスはその上から卵をかけた。そして、これまたハドラーに残させた出汁をかける。
「ぐふぐふぐふふふ……」
捏ねまわしながらアレスは1人笑う。そう……幸せそうに。
「これだ……これが食べたかったんだ……」
卵が混ざり、黄色くなったライス。それをうっとりと眺める。ひと匙すくい、口に入れようとしたその瞬間。事件は起こった。
「なにしてんのよ、あんた」
アレスの動きが止まる。そして後ろを振り向くと……そこには妻達が立っていた。
よく見るとシータが鬼のような形相で立っている。他の妻達も冷たい視線をアレスに向ける。
「え、えーと……」
「アレス様。嘘は良くないですよね?」
「あ、でも……」
「良くないですよね?」
「はい」
そう言うと、シータはアレスの手を握る。心なしかその力が強い。
「えーと?」
「さぁ。それでは寝ましょうか?」
「あ、あの……お腹が……」
「お腹が痛いのが治ったのですね。それなら大丈夫。安心しました」
にっこりと微笑むシータ。そして情けない顔をするアレス。こうしてアレスは寝室に引き込まれていったのであった。
◆
英雄皇アレス。妻達を大切にし多くの子をなしたと言われているが……
その朝の姿を見たものは必ず言う。
奥様方は日々肌艶よく健康的でございました。対するアレス様は日々お疲れのご様子でした。
と。




