エドガー・シュバルツァー
「……以上が、賊軍および魔獣の討伐の詳細です」
「ふむ、そうか」
安楽椅子に深く腰掛けていたシュバルツァー大公、エドガーは報告を聞き、目を瞑ると静かにうなずいた。
「数百の賊、および地龍を含む数多の魔獣の討伐……そしてこちらの被害は数名の負傷者のみ……さすが若。見事な手腕でした」
そう言ったのはエドガーの向かいに座っているシュバルツァー家に古くから仕える宿老、ローウェンだ。本来は北方ヴォルフガルド帝国と面している砦を守る将軍である。彼はもう一人の宿老、アルベルトとともに「シュバルツァーの双璧」「北の二将軍」などと呼ばれるシュバルツァー家が誇る名将だ。またアレスにとってローウェンは傅役として幼き頃より様々な事を教えてくれたため肉親に近い感情を抱いている。
今回偶然にも、北方の情勢の報告にロマリアに立ち寄っていたため、同席したのであった。
「普通なら地龍などが現れれば……百近い数の兵を犠牲にする覚悟でいかねばなりませぬ。ましてや二体倒すというのは……聞いたことがありませんなぁ」
ローウェンの言葉に頷くと、エドガーはアレスに一つの疑問を問いかけた。
「しかし、なぜ今までおとなしかった魔獣どもが……ましてや人を襲わないとされる地龍が我々を襲ったのだろうか?」
「それなのですが…」
そう言いながら、アレスは二人に薄汚れた灰色のかけらを見せた。
「これは?」
「かつて暴虐の魔王と恐れられた、ガルガインの遺物でしょう」
「なっ!!」
息を飲むエドガーとローウェン。
ガルガイン。それははるか北の地に魔族と魔獣を従えた国を作った伝説的な魔王の名だ。元は魔族の中でも高名な人物であったと言うが、闇の力に飲まれてしまい圧倒的な力を持つ魔王として生まれ変わったと言われる。彼の闇魔術の力で狂った魔族と魔獣が人族に戦争を仕掛け、大陸中が混沌となった話はあまりにも有名だ。そして、たった一人の勇者の力で倒されたことも。
「このかけらからは、かの魔王の気配を感じることができます。魔獣たちは森の主である古代龍ゼファーや、それに育てられたシグルドの命令に対しては絶対のはずですが、全く聞こうとはしていませんでした。ましてや地龍は本来争うことを好みません。また最上位種の古代龍の住処にも普通は近づきません。それがあそこまで狂うとは……気は進みませんでしたが殺す以外助ける方法がありませんでした……」
そういうと、少し苦い顔をしてアレスは話を続けた。
「おそらく彼らよりさらに上位の存在の意思を感じ取り、狂ったとしか考えられません。それに…かつてガルガインを討伐した時も魔獣たちはこのような狂った様子でしたから…」
「…英雄の記憶がそう言っているのか?」
「…はい。シン・オルディオスにとってガルガインは宿敵であると同時に……闇に飲まれる前はかけがえのない親友でした。間違えることはありません」
オルディオスの冒険譚は吟遊詩人や演劇の題材として大陸中に広められている。しかし魔王と親友だったという話は伝わっていない。
誰も知ることがない話をさらりという息子をエドガーはじっと見つめ、そして深いため息をついた。
◆
私の息子が原因不明の病にかかったのは今から10年前。その時はただ苦しむ息子の様子を眺めているだけしかできない自らの不明を何度恨んだことかわからない。高名な医者や魔術師でも分からず、毎日ハラハラしながら過ごしていた。
苦しみぬいた息子が自らの意思と体力で病に打ち勝った時、私だけでなく、この領内の者たちが大いに喜んだのを覚えている。しかし同時に悩みを抱えることとなる。それは……
3人の英雄の記憶をもったことを息子から聞いたからである。
初めはどう対応していいか、まるで分からなかった。熱病後の譫言だと笑ったし、夢の話だ、いずれ忘れるだろう、そう思っていたが、その後息子の変わりようをみて、考えを嫌でも改めることとなった。穏やかな気質は変わらなかったが、言っている内容が子どもではないのだ。次第に周りのものたちは薄気味悪がって、息子の側に寄り付かなくなった。しかしそのようなことは意にもかいさず、息子は自分のやりたい事を私に訴えていた。
「本を読みたい。ありとあらゆる現代の知識を知りたい」
「剣を振りたい。自分の知識にある技術を振れるような体力をつけたい」
そんな息子の様子を見ていて、私は考えを変えざるをえなかった。
偉人の記憶があろうとなかろうと、息子は息子。もし、その英雄たちの記憶を手にしたなら、それは神が息子に何かを望んでいる証なのではないか、と。
それから私は息子の望むことを自由にやらせてきた。息子はありとあらゆる書物を読み漁り、真綿が水を吸収するかのごとく自分のものにしていった。帝都にも留学させ、現代の最高水準の知識を学ばせた。剣技に至っては、もはや神技と言うべきものをすでに身に着けていた。しかし、実戦という部分には経験が足りない事を感じ、領内最高の戦士の一人、ローウェンを傅役にしてその技をさらに磨かせていった。
知識を増やし、武芸に磨きにかけても、もともとあった穏やかな気質はそのままだったので、再び周りに人が集まるまで、時間がかからなかった。
その様子を見て、思うこと……
私にできることは、この息子が力をつけるまでじっくりと育て待ち、そして世に放つことだろう。この子はこの荒れた世の中を変えてくれる運命の子なのかもしれない……
◆
エドガーは深く息を吐くと、再び息子に問いかけた。
「このかけらと同じものは他にもあるのだろうか…?」
「分かりません。そもそもなぜ今頃この魔の森にガルガインの遺物が現れたのか……理由は分かりませんが何者かが意図的にやったとしか思えないのです。いずれにしても調査が必要かと思います」
「分かった。見過ごすわけにはいかぬしな。そちの言う通り、調べてみようと思う」
「ありがとうございます」
頭を下げる息子に対し、ここで伝えなければならないことを伝える。
「もう疲れたであろう。すこし休むが良い。そういえば…シャロンが昨日こちらに押しかけてきてな、約束を破ったと、非常にご立腹だったぞ」
「なっ!!? ち、父上はその時なんと…」
慌てる息子を見て、思わずいたずら心が芽生えてしまう。
「はて、なんと言ったか…とりあえず謝りに行った方がいいんじゃないか?」
「はぁ…すっかり忘れていた…そういばシャロンと剣術の稽古約束をしていました…今どこにいるかわかりますか?」
落ち込む息子を見てローウェンとともに笑いをこらえながら、神妙な顔をしてエドガーはとどめの一言を言いはなつ。
「隣の部屋だな」
「!!!!!なっ!! なら早く言ってください!!失礼します!」
あわてて、出ていく息子の背にエドガーは静かに笑いながら言葉をかけるのだった。
「英雄の記憶もこういう時には役に立たんな。悩め悩め、若人よ」
◆
エドガー・シュバルツァーは英雄皇アレスの父として知られ、実際には皇位にはついていないものの、歴史書では「上皇」と呼ばれることが多い。
息子アレスの稀有な才能に気づき、陰からそれを支え、思う存分はばたかせた、アレスにとって一番最初の、そして最大の理解者であったであろう。
アレスの陰に隠れることは多いが、非常に有能な君主であり、多くの民から慕われていたと言われている。
…ただ、息子を時々からかうなど、少しお茶目な面があったとか。そしてそれを知るものはわずかしかいなかったという。




