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19.いつまでたっても痛みは消えない

「何かしら?」

「何だよ? 何の話だよ?」

 すぐさまクリスが毛を逆立てる。

「いいから。お前はちょっと黙ってろ」

 カウンター越しにゼオが宥める。クリスは面白くなさそうな表情で大人しくなった。リーナは再度口を開いた。

「術符の製作者名を、ルーアルジャンテにしてもらえますか?」

 術符は製作者名を入れるのが鉄則だが、ギルドや商会などの団体と契約所属しており、且つ性能に隔たりがない場合に限り、その所属名での記載が可能になっている。

 ルーアルジャンテでは術符の製作販売はしていない。なので製作販売するにあたり、術符の製作者名をリーナ個人ではなく、ルーアルジャンテにすることを条件にした。

「なっ――ばっ、何だよ? ふざけんなっ! 冗談じゃねぇぞ!」

 そう言われると思ったよ。

 リーナは溜息を吐いた。初日に絶対認めないと宣言されていたのでクリスの反発はわかっていた。案の定、クリスは再び顔を赤くして椅子から飛び降り詰め寄ってきた。

「調子良いこと言ってつけ込んで、図に乗るなっ! ここは変な奴ばっかだけど、お前はそれとは違う! 何する気だ? ここはお前の場所じゃあねぇぞ!」

 居座るつもりはないし、いずれでて行くつもりでいる。けれど、心地良いと感じている場所で面と向かって存在を否定されることは――初めてではないとはいえ――胸が締め付けられる。何度か味わっているけれど未だに慣れない痛みに視線は下がる。目の前には、種類も名前もわからない果物がある。口の中は苦いままで、それはいつの間にか胸の奥にまで広がっている。

 そんなこと、アンタに言われなくてもわかっている。

 そう口を開こうとした矢先。

「別にいいわよ」

 先にセーラムが口を開いた。紫煙を吐くついでのように、あっさりとした了承にリーナは驚いた。けれど、それ以上に驚いていたのはクリスだった。灰青色の瞳が落ちるのではないかと思うほど、目を見開いてセーラムを凝視する。

「決定権は私よ。ゼオにも、もちろんアンタにもないわ」

「はぁ? 何だよ、それ――」

「嫌ならでて行ってもいいわ。でるのは自由よ。止めはしない」

 泣き出しそうな顔をクリスは隠すように俯いた。けれど次に顔をあげた時、そこにあったのは怒りだった。落胆が怒りに変貌したクリスは、眉一つ動かさないセーラムに向き直る。

「ババア……テメェ――」

 けれどクリスはそれ以上言葉を発しなかった。燃える灰青色の二つの瞳は、冷たい緑色の隻眼に押さえ付けられている。

「――まぁ、落ち着け」

 助け船はゼオだった。穏やかな声がピリピリとした空間をサクッと破る。クリスは待っていたかのようにセーラムから視線を外し、ゼオを見上げた。仕方ないと言った表情のゼオは顎で裏を指し示す。意図を汲んだのか、クリスはセーラムを一睨みした後、裏に消えたゼオを追った。

 この後、どうすれば――。

 この状況を作り出してしまったリーナはいたたまれず、二つ残っている謎の柑橘類の一つを口に入れた。

「嫌な思いをさせてごめんなさい」

 セーラムが詫びる。突然のことにリーナは口の中のものを味わう前に飲み込んだ。

「――あ、いえ、とんでもない」

「ここにいる子は過去に色々あるから。特にあの子は複雑で、知らない人への警戒心が強すぎて他人を寄せ付けないどころか敵だと思う悪い癖があって」

 でも、とセーラムは真顔で続ける。

「だからといって誰かを傷つけていい理由にならない」

 自分の言いたいことを代弁してくれたセーラムにリーナはささくれた心を優しく撫でられたような気持ちになった。

「……初めてじゃないので」

 でもちょっと過剰反応すぎよねぇ、とセーラムは首を傾げた。

「お詫びと言ってはなんだけど、術符販売に関してはリーナの希望通りにするわ」

「ありがとうございます。でも――」

 嫌な奴とはいえ、クリスを放っておいて皆の仲がこじれてしまうのは嫌だ。

「ゼオが今話しているから大丈夫。渋々でも納得するだろうし、まだ出ていかないから」

 ホッとして最後の蜜柑を手に取った。

「どう、グプレ。おいしい?」

 聞き慣れぬ言葉にリーナが首を傾げると、セーラムは視線で謎の蜜柑を指し示した。

「あ。これ、グプレって言うんですか」

 謎が解けすっきりしてつい声が大きくなる。

「何でも、ハサクとアーマナツとミュカと……あと何だったかな。とにかく各地の色んな品種を掛け合わせてつくられた珍しい蜜柑らしくて、滅多に手に入らないって今朝ゼオが喜んで説明してた」

 ややうんざりしたようなセーラムの表情で、ゼオのうんちくがどれだけ長かったかがわかってしまう。

「なるほど」

 グプレに親近感を覚える。

「私は好きよ」

 突然の告白にリーナは顔を上げた。優しく微笑むセーラムが、不意に亡くなった母親と重なる。聞き慣れない台詞に頬が火照る。けれどそれがグプレのことだと気付き、顔だけではなく身体全体が熱くなっていく。

「甘いだけじゃなく苦みもあって、さっぱりしているし」

「――そうですね」

 誰かに好きだと言ってもらえるグプレを口の中に放り込む。甘い果汁を喉に流し込むと胸の奥がチリリと痛んだ。



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