16.逆に癒やされる
ルファイアスの部屋の扉をノックしようと手を上げて、そこで、寝ていたら迷惑になる、と思いとどまった。扉に耳を近づけても何の音も聞こえない。そもそも起きていようと寝ていようと、1人なら外まで漏れるような音が聞こえるわけがないのだが、その時のリーナはそこまで気が回らなかった。
扉の下にから術符を部屋に差し込もうか。いや、それだとこれが何かわからない。メモも一緒に――それだと押しつけがましいような……。この隙間に、これ入る?
リーナがしゃがんでは立ち上がり、ウロウロしてはまたしゃがみ、を繰り返していると背後から聞き覚えのある声が耳に入る。
「邪魔」
驚いて振り返るとルファイアスが立っていた。
「あっ……どーもぉー……」
慌てたせいか間の抜けた返事になる。
手に琥珀色の液体が入ったグラスを持ったまま吐き出されたルファイアスの溜息がどことなく重い。
「あんたの部屋は隣だ」
「知ってる」
「……じゃあ何だ?」
「何だと言われると、何と言ってよいか」
悩むリーナの横をルファイアスはすっと通り抜ける。扉を開ける音が聞こえたがいつまでも閉まる音がしない。見るとルファイアスが手にしていたグラスをテーブルの上に置いていた。視線に気付いたのかこちらに顔を向けた。
「あと5秒で閉める」
入ってもいいと言ってくれていると気付いたリーナは慌てて中に入った。
自分の部屋と同じくファイアスの部屋も必要最低限のものしかなかった。散らかる物がないせいか、タバコの匂いがするくらいで生活感のない部屋はとても綺麗だった。つい言葉が口をつく。
「意外」
「何?」
「あ、いえ」
「それで?」
「え?」
「夜中に人の部屋にきて、意外に綺麗だな、とほざきたかったわけじゃないだろ?」
「あー、はい。そうです」
ばつが悪いリーナは両手で術符を差し出した。
「これ、どうぞ」
「……何だ?」
「ひと言で言えば、癒やし、ですかね」
見えないはずなのに、ルファイアスの眉根が顰められていく様子はひしひし伝わる。
「いらね」
「まあまあ、そう言わずに」
ルファイアスの拒否をあっさり流し、リーナは迷いなく術符を切った。術符の光が消えると、両手の手のひらに上には上半身が隠れるくらいの大きさい丸い玉が現れる。
「どうです、これ!」
光沢のある毛玉の横から顔を覗かせた。こちらの高揚感とは裏腹に、ルファイアスは沈滞した空気を惜しげもなく醸し出している。
「……毛の生えた玉」
「いや、まぁ……確かに、魔力で形成した毛の生えた玉だけど」
身も蓋もないルファイアスの感想にリーナは気を取り直して息を吸った。
「ビロードのような手触り! 柔らかすぎず硬すぎない弾力!」
リーナは勢いよく毛玉に顔を埋めて抱きしめた。
「……こうすると嫌なこととかモヤモヤしたこととか、少しだけど、薄れるから」
あの地下闘技場で絶対王者だったアンタなら、そういうのわかるだろ?
人間だけじゃなくて、魔獣や魔人とかと戦ったことがあるなら――
クリスの言葉にルファイアスは表立って怒ることも悲しむこともなかった。嫌というよりも過去の話をされることが煩わしいだけかもしれない。リーナにはルファイアスの感情を知る由もない。けれど――。
人間も魔獣も魔人も、何十何百殺すと何かわかるかって?
その瞬間、心がささくれ立ったのではないか、と思った。ルファイアスのあの声が、あの表情が、『化け物』と人から後ろ指を指される自分と重なった。だから、余計なお世話だとわかっていても、身体が動いていた。
意を決しリーナはぱっと顔を上げた。ルファイアスは怒っているようでも呆れているようでもなく、なぜかじっとこちらを見ている。自分のお節介が悟られないようにっと笑った。
「ま、人それぞれですけど――」
リーナはテーブルに視線を移す。
「かってにお酒を持ちこむよりはマシかと」
部屋で飲食はしないこと。例外は具合が悪くて動けないときだけ、とセーラムやゼオから釘を刺されている。だからクリスもシャノンも下に降りてきて食事をしている。当然ルファイアスも知っているはずだ。
ルファイアスはふぅーと長い息を吐いた。
「そもそも可愛くない」
「そうですか?」
少しだけ興味を持ったのかルファイアスは毛玉に顔を近づけてきた。リーナはここで一気に攻めた。
「どうせ明日には消えるし、一度ギュッとしてみて。ほら、食わず嫌いしないで」
そう言ってリーナが毛玉をルファイアスに差し出す。
「食わねぇよ」
そう言いながらもルファイアスは素直に受け取った。
「もしよければルーファスさん好みの癒やしも作りますよ」
ルファイアスは丸い毛玉を掴んだままじっと見ている。
「人型とかもできるから。その手の依頼は案外あるので」
前回の、アタキヤで請けた依頼もこれだったなと思い出し、リーナは肩を落とした。
「癒やし――ねぇ」
ルファイアスは伸ばしたり撫でたり毛玉を弄び始めた。
「悪くない」
「でしょ!」
頬が緩み、よかった、とつい安堵の声が漏れる。するとルファイアスが目の前に迫ってきた。
「てっきり、あんたが癒やしてくれると思ったのに」
突然のことに心臓が跳ね上がる。
確かに――これは夜這いだ、な。
部屋着のような色気のない寝間着だし相手がルファイアスだからと、つい甘く考えてしまった。
後悔しながらも、例えルファイアスの冗談でも一夜の誘いだったとしても、雰囲気に流されてそういう関係になるのは嫌だ、と強く思った。
リーナは肩の力を抜いた。
「ごめんね。こんな格好で」
こんな時間にこんな格好で異性の部屋にくるなんて非常識だったと心底反省した。
「着ていた服は汚れていたし、かといって違う服に着替えるのも何か妙だし。これ部屋着みたいだからいいかなと思って」
言い訳のようだが、本当にそうだったのだからこれ以外に言いようがない。
言われたルファイアスは怒るでもなく不満そうでもなく、リーナの格好を改めて見ると納得したような、どこか悩んでいるような様子だった。
部屋の雰囲気が変わったところでリーナは冗談ぽく口を開いた。
「行くぞ、って決めたらもうちょっと綺麗な格好でくるから。それともわかりやすく全裸でこようか?」
「ぜっ――」
意表を突かれたのか、ルファイアスがむせて咳き込む。リーナはその広い背中をさすった。
「じゃあ、帰るよ」
「――リーナ」
名前を呼ばれたのは初めてだ。言われたリーナもそうだが何故か言った本人も驚いているようだった。初めて見るルファイアスの動揺の連続に、リーナは笑ってしまった。
「こんな時間に押しかけてごめんね」
長い前髪の隙間から覗く琥珀色の瞳と視線が合う。
「そっか」
ルファイアスはふっと微笑んだ。呆れているのでも不機嫌でもなく、優しくて親しみを感じる表情だった。
「お休み」
「お休みなさい。また明日」
ルファイアスをもう少し見ていたい気持ちに後ろ髪を引かれながらもリーナは扉を閉めた。
部屋に戻った後も名前を呼んだルファイアスの声が耳から離れず、身体はひどく疲れているのに胸の鼓動が騒いでしばらく寝付けなかった。




