夜に助けた彼女 - ヒューバート -
実家に帰るのもずいぶん久しぶりであったが、すぐにでも王宮にある自分の部屋に戻るつもりだった。兄に用事がなければ来るつもりはなかった。
「もう少し顔を出せ。ここはお前の家でもあるんだぞ」
兄のスコットは苦笑気味に言ってくる。両親はすでに引退し、領地で隠居している。兄上がエイル伯爵家を継いでおり、彼の妻子の住んでいるこの家は実家と言えどもすでに帰りたい家ではない。だがこれを言ってしまえば、兄上が気にするので違う言い訳を口にする。
「王宮の方が仕事に便利なので、兄上は気にしないでください」
「そうは言ってもな。お前はまだ許せないんだろう?」
どうやら兄上は俺と妹との関係を取り持ちたいようだ。
ここははっきり釘をさしておくべきだと真正面から兄上を見た。
「許せるかどうかと言えば、許さないでしょうね。ですが、さほど重要なことでもないでしょう」
「お前は頑固だな」
頑固でも何でもいい。むっつりと黙り込んでいると、扉をノックする音がした。兄上が入れと許可を出す。入ってきた人物を見て、俺は顔を歪めた。そこにいたのは妹のシルビアだった。兄上はついでにこちらも片付けようと思っていたようだ。長椅子から立ち上がる。
「では、俺は戻ります」
「おい、ヒューバート」
兄上が慌てて引き留める。その間、シルビアはいないものとして無視していた。表情を消して兄上を見てから、そのまま彼女の横を通り過ぎようとした。
「ヒューバートお兄さま、待ってください!」
一歩踏み出したのはシルビアの方だった。逃がさないと言わんばかりに腕を掴まれる。俺は無表情に彼女を見下ろした。
「何か用か?」
「ずっと謝りたかったの。本当にごめんなさい。彼女があんなことをするなんて思っていなくて」
「……」
妹の謝罪を受けるわけでもなく流す。妹の謝罪などで済む話ではないのだ。妹の友人だという女は勝手に婚約者だと名乗り、そのように夜会でも振舞っていた。
その当時、俺は殿下の護衛を務めており、夜会など行かないことが多いため、気がつくのが遅かった。外堀を埋めれば大丈夫だと踏んでいたのだろうが、罠にはめるような女のやり口には反吐が出る。
発覚したのは、恋人であり婚約するといった女の言葉を知った母親が不思議そうに問い合わせてきたからだ。時間がないからといって、きちんと手順を踏まないのはどういう事かと。
妹の友人という女と顔を合わせたのは数回、それも一言二言挨拶した程度だ。気がつけば、かなりの噂が広まっていた。このままこの女の思い通りになるつもりはなく、妹の友人だろうが容赦なく偽りを暴き、賠償を求めた。
慌てたのは相手の家だ。恋人になったと聞いていたと言い訳していたが、本当に婚約しているのならきちんと証人を立てて、国からの許可をもらう。しかも、家を通しての挨拶をしていないにも関わらず、娘から婚約したと聞いたから信じた、とか意味が分からない。
もちろん、外堀の一人には妹も入っている。身内だから一度は見逃したが、交流は今後一切持つつもりはない。
「話はそれだけなら帰る」
シルビアに掴まれている腕を引き抜き、そのまま出て行こうとした。
「ヒューバート」
「なんです?」
「今夜だけだ。シルビアを夜会に連れていけ」
意味が分からず、黙り込んだ。
「シルビアは自業自得でどうでもいいのだが、嫁ぎ先のダーレン子爵家とお前が仲が悪いと噂になりつつある」
「俺には関係ない話だと思いますが」
「お前は第二王子の護衛だ。不仲説が広がると、離縁されるかもしれん」
それもまた面倒なことだと、顔をしかめた。しばらく兄上を無言で見返していたが、折れることにした。妹がつまらないことで出戻ってきた場合、恨み言を聞かされるのもごめんだ。
「今回限りです。それでいいですか?」
「ああ。すまないな」
仕方なくシルビアに目を向けた。彼女は何とも言い難い顔をしている。
「今日は騎士団の制服なのね。できれば近衛騎士の制服に着替えてほしいのだけど」
「着替える必要はないだろう? お前を会場までエスコートするだけだ」
「……そう」
実家に帰るときは目立つ近衛騎士の制服など着ない。騎士団の制服ならば大抵の夜会で許されるのだから、問題ないはずだ。それをわざわざ近衛騎士の制服など言い出しているところから、妹はやはり懲りていないようだった。
「シルビア」
兄上がシルビアの名を呼んだ。
「何?」
「余計な真似をするなよ。もう一度同じことをしたら、縁を切られると思え」
「そんな」
シルビアは不服そうであったが、兄上には反発しなかった。両親に甘やかされて育った妹がこれで引き下がることに内心驚いた。下手なことをして俺がエスコートしないと言われるとそれだけ困ると言う事か。
無言で馬車に乗り、夜会会場へ向かう。シルビアは何度も会話をしようとしていたが俺は適当に流した。曖昧な返事でまた変な状態に持っていかれても困る。
シルビアを夜会会場に連れて行ったあとは、適当に時間を潰すために庭に出た。庭は恋人たちの楽園になっており、色々なところから睦言や甘い吐息が聞こえてくる。夜会が始まって間もないのにうんざりした。こんなところで盛り上がるよりは、用意されている休憩室へと籠ってほしいものだ。
そう思って暗い道を歩いていれば、前方にこの場からかなり浮いた雰囲気の令嬢がいた。何やら考え事をしているようで、恐らく気がつかないうちに庭の方へやってきたのだろう。
迂闊だな、と思いつつ彼女の行動を何気なく見つめていた。そのうち、木々に隠れている男女の声を聞いたのか、足が止まった。狼狽えながら、引き返そうとして音が鳴る。
仕方がない。何かを考えたわけではない。ただ慣れない夜会の庭で嫌な思いをするのは可哀そうだと思ったのだ。だから咄嗟に抱きしめた。急に抱きしめられて恐慌に陥った彼女は俺から体を離そうとする。その仕草が不思議と可愛らしく思えて、そっと耳元で大丈夫だと囁いた。
彼女は大きく息を吸いながらも落ち着くようにと頑張っていた。じっと見降ろした彼女のうなじが嫌に白くて暗い夜でも弱い月の光を反射して浮かび上がっていた。少し視線をずらせば彼女の顔がわかる。派手な美しさではないが、とても整っていて清楚な雰囲気があった。
子供をあやすように優しく彼女を抱きしめていれば、次第に彼女の体温を感じるようになってきた。そのぬくもりが何故か胸を熱くさせた。女を買うことはよくあるが、恋人を作ったことのない自分にしたら珍しい反応だ。自分自身がよくわからないまま、親密な時間が過ぎていく。
そうしている間にも彼女が覗いてしまった恋人たちが姿を現した。顔を上げてそちらを向けば、げんなりする。一番会ってはいけない人だった。本当に運がない。
「ははは、邪魔をしたのはこちらの方か」
「ああ、閣下でしたか」
すました顔で対応したが、王弟殿下のニヤニヤに腹が立って仕方がない。ということは、今日の相手は愛人である高級娼婦だ。普段から愛人関係で館までも下賜しているのだから、こんな外で盛る必要もないだろうが、と内心罵っていれば俺の心の声が分かったのか、彼が低く笑った。
彼の気の済むまで付き合うしかないと諦めながらも、不躾な視線から彼女を隠す。王弟殿下は俺のその仕草に驚きつつなんだか揶揄うような笑みが浮かんだ。
それに愛人までも乗っかってきた。俺とは顔を合わせたこともあるだろうに、初対面のふりをしてくる。舌打ちをしないように気を付けながら会話して、ようやく解放された。
彼らが去って行って、ほっと息を吐く。知らないうちにきつく抱きしめていた彼女を少しだけ離した。温かい何かが抜けていくことを惜しみながら、顔を上げないようにと告げた。
「でも……」
きちんと躾された令嬢なのだろう。こんな場所で逢引きのような出会いは考えていなかったに違いない。俺の言った言葉通りにうつむいたままの彼女を見下ろし、俺の去った後はすぐに会場に戻るようにとだけ言った。
先に夜会会場に入り、給仕から酒を受け取ると一気に仰いだ。
何故彼女が気になったのか。
俺を罠にかけた女のことがあって以来、なるべく夜会に参加するような女とは接触しないようにしていた。未婚の貴族令嬢からは結婚相手として優良だと見られているのを知っているため、同じ罠にかかるつもりはない。
跡取りでもなく、兄にすでに妻子がいるため、結婚も全く考えていなかった。体に溜まる一時の熱は専門の店で発散すればいいとも思っていた。
それなのに彼女が気になって仕方ない。
自分の気持ちを持て余しながら、庭に接した窓を見ていれば、彼女が保護者らしい男女に付き添われて入ってきた。
「まいったな」
一緒にいる男性を見て、大きく息を吐いた。彼のことはよく知っていた。年が離れているせいでさほど接点があるわけではなかったが、それでも一族の集まりの時には顔を合わせている。明るいところで、先ほど助けた彼女をじっと観察した。
茶金色の髪に青を基調としたドレス。
低くもなく高くもない身長。華やかな顔立ちではないが、小さな整った顔にとても優しい目をしていた。
そんな彼女を連れて、彼女の姉が男と引き合わせる。彼女の困惑ぶりを見ていればきっと無理に連れて来られたようだった。だが、それも初めのうちだけで、話しているうちに彼女から緊張が取れてきている。
彼女が他の男に微笑むのを見ていられなくて目を逸らした。
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「なんだかいつもと感じが違う」
仕事をきりのいいところまでやり終えた殿下が顔を上げて、護衛として部屋にいる俺の顔をじっと見つめた。俺は特に変わったつもりもなかったので思わず首を捻る。
「無自覚か」
「無自覚と言われても」
何を言われているのかさっぱりわからず困っていると、殿下がにやりと笑う。
「叔父上から聞いたんだが、意中の女性がいるんだって?」
「……それは」
舌打ちしたくなる気持ちを抑え込み、言葉を濁す。どうやら殿下は夜会での出来事を王弟殿下より聞いたようだ。
にやにやした顔を見ていれば、話を聞きたくて仕方がないようだ。王弟殿下にあの時、恋人未満だが恋人にしたいんだというようなことをほのめかしているので、どう切り抜けようかと思考を巡らせた。
下手をしたら話が大きくなる。彼女とのことは気になる程度で行動するつもりはなかった。
「言いたくないなら別にいいさ。お前がきちんと女性と思い合っていることが重要なんだ」
「……」
結局言葉が思いつかず黙っていれば、殿下は話題を変えた。一枚の書類を取り出すとそれを俺に渡す。反射的に受け取り、書類に目を落とした。
「叔父上がこの孤児院へ視察に行って来いと言っていた。なんでも他の孤児院とは違うらしい」
渡された書類には孤児院の名前と関係する貴族の家名が記されていた。その家名が彼女の家の名だとわかると思わず口元が引きつる。どうやら王弟殿下には彼女が誰であったか、バレているようだ。しかもわざわざ視察など……! 下手をしたら殿下にもわかってしまう可能性がある。
「知っているのか?」
訝し気に問われて舌打ちしたい気持ちだった。不機嫌になればはっきりしない気持ちに気がつかれる気がして、意識して平坦に答える。
「コルトー子爵家は従兄が婿入りした家です」
「どの従兄だ?」
「セロン侯爵家3男のリックです」
「ああ。宰相補佐官か」
何とか納得してくれたようでほっとしながら、さり気なく話題を変えた。
何も行動しないと決めていながら、もしかしたらもう一度会えるかもしれないと思うとその日がひどく待ち遠しかった。




