受け継がれたもの
「お母さま、僕は女性を信じられません」
きっぱりという長男のアンリにエレオノーラは唖然とした。思わず持っていたカップを落としてしまう。カップがソーサとぶつかる甲高い音に慌てて置き直した。
「え、ええ? 何があったの一体?」
もう一度アンリを見下ろす。長男のアンリは現在8歳。学園にはまだ通っておらず、教育は主に家庭で行っていた。
「お兄さまはね、女の子にモテモテなの」
ひょっこりとアンリの後ろから顔を出したのは長女のティナだ。こちらは6歳。おしゃべりが好きで、一体どこで覚えてきたのか色々なことを知っている。
ティナはどちらかというとエレオノーラによく似ているが、性格が快活なためか持つ雰囲気がとても華やかだ。一方、アンリはヒューバートをそのまま小さくしたような容姿で、生まれた後に行われるお披露目で周囲の大人たちはヒューバートと同じ道をたどるのだろうと苦笑いした。
「モテモテなんて生易しいものじゃない。あれは狩りだ。僕は、僕たちは完全に獲物だ」
ぶすっとした顔で言うので、思わず天を仰いだ。
「本当に何があったの……」
言いたくないのか、アンリは口を堅く結んでいる。ティナが嫌に大人っぽくため息をついた。
「あのね、この間のお茶会の時」
「オーランド様のお屋敷で行われたお茶会かしら?」
「そう! あの時に何人か大きいお姉さま方が来ていたでしょう?」
ティナに説明されて頷いた。結婚して臣籍降下したオーランドは今は侯爵になっていた。オーランドの家にも男の子がいて、アンリよりも2歳年下だが仲がいいのだ。あの日も彼に会うために参加したようなものだった。
「チェイス様も狙われていて、やたらと二人の体を触ってくるの。お兄さまはチェイス様の盾になっていたからシャツのボタンを外されてしまっていて」
「体!?」
驚いて声を上げれば、ティナは頷いた。何もない場所に手を突き出して、真似をする。その触り方がどう考えてもいやらしい。ティナはどういう意味を持つかは知らないから、真似をしているだけだと思うのだが……。それを見ていたアンリなど、ひどい形相だ。
「本当に脱がされそうになったの?」
「うん。わたし、見ていたから間違いない」
きっぱりと言い切る娘に顔が引きつる。
「その、どうやって逃げてきたの」
「ロクサーヌが乱入して、大きなお姉さまたちの手を捻っていたわ」
ロクサーヌと聞いてため息が出た。ロクサーヌはローサの娘で同じ年のティナととても仲がいい。
「二人並ぶと本当に綺麗だから先に手を付けようとしている、ってロクサーヌはぷりぷり怒って言っていたわ」
「確かに……」
アンリはヒューバートそっくり、チェイスはオーランドそっくりなのだ。青田買いではないが、先に手を付けてしまおうと言う事なのかもしれない。
それにしても、8歳と6歳の男の子に何をしてくれるのだ。
今の女の子、怖い。
エレオノーラは自分の婚活の時期よりもさらに低年齢化していることを知って慄いた。
「感心しないでください。僕はもう二度とお茶会にはいきません」
きっぱりと言い切るアンリ。
でも。
エレオノーラは頬に手を当てた。
母親の目には同じように獲物となっているチェイスがアンリを引きずり込む未来しか見えなかった。
******
アンリにとって、苦痛な時間が始まった。
本当は出席するつもりはなかったのだが、チェイスから手紙でどうしても参加してほしいと、一人にしないでほしいと訴えられてしまった。複数の女子に囲まれる怖さを知っているから、出席せざるを得ないチェイスを一人にするわけにはいかなかった。
流石に親友ともいえるチェイスを見捨てることがアンリにはできなかったのだ。
悲壮感漂う覚悟を胸に、黙々と身支度を整えていく。同時に覚悟を決めた。
「お兄さま、本当に出席するの?」
すでに綺麗なドレスを着せられて準備が終わっていたティナが兄の顔を心配して覗き込んだ。アンリはすでに蒼白で、唇など色がない。整いすぎている美貌ゆえに、色をなくすとまるで人形のようだ。
「今日はやめておく?」
心配になったのは何もティナだけではない。エレオノーラも息子を心配そうに見つめていた。アンリとしては出席したくなかったが、チェイスの泣きそうな顔を思い出せばそれも言い出せない。
小さな息子の葛藤に気がついているエレオノーラはため息をついた。優しく息子の頭を撫でた。
「なるべくティナと一緒にいなさい。ロクサーヌ様も参加していると思うから、一緒にいてもらえるようにお願いしておくわ」
親しい妹とその友人と一緒にいることで、牽制できればいいけどと心の内で呟いた。やや不安を感じていたが、エレオノーラは侯爵邸へと二人の子供を連れて出かけた。
侯爵家に到着した。馬車が止まり、扉が開けられる。エレオノーラはアンリを心配しながら、子供たちと共に降りた。
「ようこそ」
オーランドの妻であるセリーヌに出迎えられて、エレオノーラは笑みを浮かべた。
「お招きありがとうございます。子供たちを連れてきたわ」
セリーヌが申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「ごめんなさいね。チェイスが無理をお願いしてしまったようで」
「アンリもちゃんとわかっているから大丈夫よ。それにティナと一緒にいるように言ってあるから」
「ロクサーヌも来ているから一緒にいてもらったらいいかもしれないわね」
そもそもこんな会話をする前に、まだ幼い二人に迫る女子をどうにかした方がいいのだが、親の目が届かないうちに起こってしまうので何ともしがたい。セリーヌは大きくため息をついた。
「今回は厳しく対応しようと思っているの」
「厳しく?」
よくわからなくてエレオノーラが問えば、セリーヌは頷いた。
「ローサお姉さまにも相談したのだけど、このままだと増長してしまうから今回目に余る行動を取った方には今後お茶会の招待を見合わせることにしたわ」
「それはいいわね」
貴族なのだから、付き合いというものは重要だ。それをバッサリと切り落とす判断をしたことに少しだけ驚いた。エレオノーラの驚きに気がついたのか、セリーヌがふふっと笑う。
「無作法な子供を放っておくような家とは付き合えない、と突っぱねていいとオーランドにも許可をもらっているわ」
「それならいいのだけど」
「チェイスだけでなく、アンリへの被害も大きいから」
そんな会話をしていると、チェイスとロクサーヌが出てくる。
「アンリ、ティナ! 来てくれたんだね」
チェイスが嬉しそうにアンリに走り寄った。アンリは少しだけ顔をほころばせた。
「うん。チェイス一人にはしておけないから」
「ありがとう。ティナも」
チェイスは笑顔でティナの両手を握りしめた。ぎゅっと握られて、ティナはニコッと笑う。
「お母さまがね、お兄さまとチェイス様の側にいてあげてって」
「そうなんだ」
チェイスがにこにこ顔で頷いた。チェイスの後ろからついてきたロクサーヌはアンリの隣に立つと、ぎゅっと腕を抱き込んだ。
「じゃあ、ロクサーヌはアンリの隣にいる」
アンリは腕にしがみついてきたロクサーヌにティナにするように優しく頭を撫でた。アンリにしたらロクサーヌはもう一人の妹だ。
「4人で一緒にいればいいじゃないか」
「4人だとわたしも一緒に混ぜてほしい、と言ってくるからやめた方がいいわ」
アンリが4人一緒に、と言えば、ロクサーヌに否定された。アンリとチェイスが顔を見合わせた。今までのお茶会で思い当たることがあった。
「僕とティナ、アンリとロクサーヌの組み合わせにしようか?」
「わたしとお兄さまではダメなの?」
よくわかっていないティナが首を傾げた。チェイスがティナの手を繋いだ。にこにこといつものように笑顔でティナに説明する。
「アンリはロクサーヌが一緒にいるから心配いらないよ」
「でも、お母さまにお兄さまと一緒にいるようにと言われているの」
「ティナ、兄妹だと簡単に追い払われるわ。この間もそうだったじゃない。だからチェイス様の言う組み合わせがいいと思うの」
「……あ!」
アンリが茶会を行かないと宣言することになった茶会を思い出し、ティナは声を上げた。確かにその通りだったのだ。お兄さまの交友範囲を狭めるから離れていろと近寄ることさえできなかった。
気持ちは強くてもティナは6歳。
体の大きな令嬢たちに押し出されてしまえば、いくら頑張っても力は敵わない。
「じゃあ、決まりね。ティナは僕の側にいてね」
チェイスがそう締めくくる。他の3人に異論はなかった。
戦いの時間が始まった。
結論から言えば、茶会早々からアンリとチェイスはボロボロだった。
集団で突撃してきた10歳から13歳までの貴族令嬢は美しく着飾っていたが、肉食獣だった。ロクサーヌが必死になって守ろうとしていてくれたが、それでも多勢に無勢。
あっという間に引き離された。
大勢の令嬢にあれやこれや褒められ、自慢話をされ、お茶を勧められ、菓子を食べるように強要された。
引き離されてしまったロクサーヌが気になって、必死に視線を動かして探す。
「ロクサーヌ!」
ロクサーヌが一回り大きい令嬢に突き飛ばされた。それを見てかっとなったアンリは急いで彼女の所へ行こうとした。ところが、動こうとしたアンリは令嬢たちに足止めを食らう。
「子供がアンリ様の気を引こうとしているだけですわ」
「それに、ちょっと転んだだけです。放っておいても大丈夫ですわ。アンリ様はわたしと一緒に」
「あら、私の方が先に声をかけたのよ。貴女は遠慮してくださいな」
お互いを牽制し合いながら、要望を言う。
アンリの我慢は限界だった。
「いい加減にしてくれ!」
叫ぶように怒鳴れば、あたりがシンと静まる。アンリはいつも以上にきつい眼差しで令嬢たちを見た。
「君たちには優しさはないのか。あんな小さな子を突き飛ばして、手もかさない」
「いえ、わたし達は」
アンリの怒りにもごもごと言い訳をする。アンリは令嬢たちを押しのけるとロクサーヌに走り寄った。
「ロクサーヌ、大丈夫?」
「アンリ」
ロクサーヌはアンリの手を借りて立ち上がった。アンリは汚れてしまったドレスをはたきながら、ケガはないかを確認する。
「どこも痛くないから大丈夫」
「でも」
「アンリが痛い? 泣かないで」
下からのぞき込まれた。
ティナとは違う、大きめの澄んだ目がアンリを捕らえた。アンリは自分が苦手だからと、ロクサーヌを頼った自分を恥じた。
ロクサーヌはしっかりしていて面倒見がいいが、まだ小さな女の子だ。アンリが守られるのではなく、アンリが守らなくてはいけなかった。
ロクサーヌが突き飛ばされるまでそれに気がつかない自分が情けない。
「ごめん」
「わたしがしたかったから、アンリは気にしないで」
「でも、僕が守らなくてはいけなかった」
ロクサーヌはアンリをじっと見つめていたが、そっと手を彼の体に回した。小さな体がアンリに抱きついた。
「アンリが大好きだから、守りたかったの」
「ロクサーヌ」
「今はまだ小さいからすぐに突き飛ばされるけど、すぐに強くなるから」
「女の子は守られた方がいいよ」
アンリは躊躇いがちにロクサーヌの小さな体を抱きしめた。妹とは違う存在として初めて認識した。
ロクサーヌはさらに強い力で抱きしめる。
「アンリが守ってくれるの?」
「うん。僕も強くなる」
そう言いつつも、アンリの目からはぽろぽろと涙が落ちてくる。
「約束ね」
「うん」
二人はお互いを強く抱きしめた。
******
ぎゅとロクサーヌを抱きしめるアンリを遠目に見てため息をついた。
子供たちの暴走をいつでも止められるようにと、エレオノーラとローサ、それにセリーヌはそれぞれ他の客との会話を楽しみながら注意深く見ていた。アンリの我慢が限界を超えたのを見て、エレオノーラは子供たちの間に入ろうとした。
手早く注意するべき貴族家を確認して、アンリをこちらに連れてこようとしたところに飛び込んできたのが、この光景だ。
アンリはぽろぽろと涙をこぼしながら、ぎゅうぎゅうにロクサーヌを抱きしめている。ロクサーヌは仕方がないと言わんばかりに、背中に回した手をぽんぽんと優しく叩いていた。
小さいながらも間に割り込めない空気があった。
「ごめんなさい、ローサ様。後で言い聞かせておくから」
「何を言っているんだ。あれはロクサーヌの戦略だ」
戦略と聞いて、問うような眼差しをローサに向ける。
「ロクサーヌはアンリが好きなんだ。妹として見られなくなるにはどうしたらいいのかと相談をされてね」
どこか申し訳なさそうにローサは言う。
「……まだ8歳と6歳ですよ?」
「うーん。なんというのか。ロクサーヌは見た目は父親似で可憐だが、性格はわたしに似たようで、粘着……いや一途なんだ」
言いにくそうにローサは言葉を濁した。エレオノーラは黙り込む。ローサの結婚に至るまでの経緯を知っているため、言葉に詰まった。
「……」
「……」
二人で黙り込む。ローサががばりとエレオノーラに頭を下げた。
「すまん。わたしには無理だ。あれを止められない」
「いえ、アンリが騙されたままならいいのかもしれません」
よく考えてみれば、ヒューバートもひどい女運の悪さだ。それを受け継いだと思われるアンリは早々に守ってくれる女性を付けておいた方がいいのかもしれない。その方が伸び伸びと育つ可能性もある。
エレオノーラは諦めに近い心境で仲良く抱きしめあう二人を見つめた。
今のところ、両想いのように見える。
「あの、お二人とも」
今まで黙って様子を見ていたセリーヌが申し訳なさそうに声をかけてきた。
「なんだ、セリーヌ」
「こんな時に言うのは卑怯とは思うのですが」
セリーヌがすっと指さした。無言でそちらを見れば、顔が引きつった。何故かチェイスがティナにキスしている。ティナが驚いて目を丸くして固まっていた。それをいいことに、小さなキスを繰り返しているのが見える。
「えええ?」
「スミマセン。チェイスはティナがとても好きで……」
「ティナは可愛いからな。つい側に置いておきたくなる」
「チェイスもとてもしつこい性格をしていると思うので、見て見ぬふりは恐ろしいことになりそうです。できれば婚約を調えてしまいたいのですが」
へにゃりと困ったような顔をしてセリーヌがエレオノーラに伺った。
「しつこいって、チェイス様、天使のように可愛らしいのに。それにまだお互い幼いですわ」
「あれは見かけだけで、中身がやはりオーランド様によく似ていて。恐らく心変わりはありえないかと」
3人は黙り込んだ。
「い、いいんじゃないのか。この際。どこの家ともつながるし、幸い、家同士も仲がいい。万が一のことを考えて、簡単に婚約を白紙にできるように条件を付けておけば」
ローサが締めくくるように言った。エレオノーラも諦めのため息をついた。
「子供たちに不満がなければわたしも反対はしませんわ」
そう、すべては子供たちの気持ち次第。チェイスだけは侯爵家の跡取りであるから色々と問題が出てきそうだが、他は爵位のない家だ。本人同士の気持ちで問題ないはずだ。
「まあ、ありがとうございます。では早速手配しますわ」
セリーヌが嬉しそうに笑った。
その後、ありえないほどの速さで二組の縁組が調えられた。
ヒューバートが大荒れになったのは言うまでもない。
Fin.




