お姉さまにバレました
わたしが何度目かのため息を吐いたところで、お姉さまが刺繍の手を止めた。
今日は日当たりのいいサロンでお母さまへの誕生日の贈り物を作っていた。お姉さまが細かな刺繍を施したストール、わたしは夜会用の肘上まである手袋にお姉さまと同じ薔薇の刺繍を施していた。ところがわたしに集中力がなく、まったくと言っていいほど進んでいない。
「エレオノーラ、悩みがあるの?」
「え?」
驚いて顔を上げれば、呆れたようにお姉さまがこちらを見ている。
「全く進んでいないじゃない」
「ああ、そうね」
思わず自分の持っている手袋に目を落とす。いつもなら薔薇の花なら二、三個すでに刺し終えている。それなのに、未だに花びら一枚ぐらいしか進んでいなかった。これではお姉さまも心配する。自分の状態が情けなくてため息が出る。
「先月の夜会に行った後からずっとそんな感じだけど……もしかして誰か気になる人でもいるの?」
「それは……」
ずばりと聞かれて、わたしは言葉に詰まった。お姉さまはわたしのその態度でなるほどと頷く。今まで少しもそんなそぶりを見せたことがなかったせいか、お姉さまは興味津々に体を乗り出してきた。お姉さまの瞳が期待で輝いている。
「相手は誰? 独身者なの? わたしの知っている人?」
次々に問われたが、何一つ、答えることができない。交わされた会話からは彼が独身者のような気がするが、確かではない。
わたしは彼の月明かりに照らされた横顔と微かに香る匂いしか知らない。何も知らないことに今さらながら気がついて、気持ちが沈む。
「ごめんなさい……」
答えられないことに小さな声で謝ると、お姉さまが不審そうな顔を向けてくる。
「どういうことなの? きちんと説明しなさい」
わたしは仕方がなく夜会であったことをお姉さまに話すことにした。本当はずっとしまい込んでおきたかったけど、誰かに話してしまいたいという気持ちもあった。
「あの夜会で助けてもらったの」
恥ずかしいけど、あの夜にあったことを思い出しながら説明する。お姉さまは無言で先を促した。
「考え事をしていたら、庭の方まで出てしまっていて。慌てて戻ろうとしたのだけど……」
言いにくそうに言葉を濁せば、お姉さまが言葉を補った。
「庭で逢引きしていた方がいたのね」
「ええ。どうしようと焦ったら動けなくなってしまって。その時に庇ってくださったの」
どんなふうに庇ったかとかは特に話さなかった。なんとなく理解してくれたのか、それ以上の追及はなかった。
「お礼を言おうとしたのだけど、知らない方がお互いにいいと言われてしまったわ」
わたしの話を聞き終えたお姉さまは呆れたような顔をしていた。
「夜会の場所ならまだ誰かに聞くこともできたのに。それではエレオノーラは相手の男の人が誰だかわからないのね?」
「そうなの。ただ、その男性と話している内容から独身かなとは思ったわ。あと、逢引きをしていた方とも知り合いのようだから、それなりに身分のある方かもしれない」
「着ていた服装とかわかる?」
お姉さまは考えるように指を唇に当てた。
「騎士団の制服だったわ。帯剣をしていなかったから護衛できていたわけではないと思う」
「騎士団なのね。間違いないわね?」
「ええ。月明かりだったけど、夜会服ではなかったから」
騎士団と聞いてうーんと唸った。唸りだしたお姉さまを不思議そうに見ていれば、お姉さまは教えてくれた。
「騎士団の制服を着て何人か参加していたけど、どの方も既婚者だったのよ」
「え?」
「だからきっと参加予定ではない方だったかもしれないわね。誰かの代理でエスコートしていただけかもしれないし」
エスコート、と聞いて胸が痛んだ。たまたまあの場にいて助けてくれただけで、彼にも素敵な恋人がいるかもしれない。二人の会話で恋人もいないものだと思ってしまったが、恋人になる前の女性がいても不思議はなかった。
がっかりして肩を落とせば、お姉さまが慰めるようにわたしの手をそっと包み込む。
「そうね、代理で会ってもエスコートしたのなら伯爵さまに挨拶はしているだろうから……リックに頼めばもしかしたらわかるかもしれないわ」
「お義兄さまに?」
お姉さまの夫のリックは侯爵家の三男だ。ある茶会で出会ったお姉さまと恋に落ちて、婿としてコルトー家に入ってきた。穏やかな性格でわたしにも優しい。
「リックは文官で騎士団とは関係ないけど、彼のお兄さまが確か騎士団に所属していたわ。お願いすれば騎士団の人から探してくれるかもしれない」
「待って、お姉さま! お義兄様にそこまでしてもらうわけにはいかないわ!」
慌ててお姉さまの言葉を遮った。名前も分からず、顔もぼんやりとしかわからないのにリックだけでなく挨拶しかしたことのないリックのお兄さまの手を煩わすなんて、申し訳ない。
それに恥ずかしすぎる。ちょっと助けてもらったから気になるなんて……。
「でもね、そこまで気になる男性を逃すのはもったいないわよ。これを逃したら次は一体いつになるのか……」
「いいの! お姉さまは何もしないで」
強い口調で拒否するわたしに、お姉さまはくすくすと笑った。
「顔を真っ赤にして可愛い」
「可愛くないわ!」
むっとして睨みつけても、お姉さまは平然としていた。再び刺繍を手にすると、針を刺し始める。わたしも気持ちを落ち着けて、続きを始めた。気持ちが乱れているせいか、刺繍を刺す手がやや荒くなる。
お姉さまがくすくすと笑っているのも気に入らないけど、何を言ってもますます揶揄われそうで言い返せなかった。
「そんなに恥ずかしがることはないわ。少ししか話していなくても、相手が気になるかどうかは重要よ」
「気になるのはお礼をきちんと言っていないからよ」
どうしてもお姉さまはわたしの気持ちを特別なものにしたいらしい。それに反発してついついぶっきらぼうに言い返した。お姉さまは特に気にせず聞きたくない言葉を続ける。
「気になると言うことは、恋になるかもしれない」
「相手の人がわからないのに恋なんて……」
「あらあら。恋なんてするものじゃないわよ。落ちるものよ」
楽しそうに言われて口を閉ざした。お姉さまにこれ以上揶揄われるのは嫌だ。なんだか大切にしていた気持ちに傷がついたように思えて仕方がない。
「もういい。別に気にしていないし」
拗ねたわたしは席を立った。こんな気持ちで刺繍なんて続けられない。
「あら、出かけるの?」
「ええ。今日はお母さまに孤児院へ届け物をするようにと頼まれているの」
「気を付けてね」
お姉さまに見送られて、部屋を出た。




