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ごくごく普通の恋をしています  作者: あさづき ゆう
本編

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助けてくれた人



 足音が近づいてくる。夜会に来ていた人の目から隠れるようにしていたのが救いで、お互いの姿はまだ見ていない。相手の姿が見えないうちにこの場を去るのが一番いいのだと思うのだが、体がすくんで動くことができない。


 このまま知らぬ顔をして、会場に戻らなくては。


 そう思うのに体は動かず、どんどん人の気配が近くなる。

 どうやって切り抜けたらいいのかわからず、混乱した。どうしようと顔を青くして体を固くする。ぎゅっと両手を握りしめると、ふわりと何かに包まれた。


 突然、背後から手を回された。強い力で体を反転させられ、そのまま相手の胸に顔を押し付けられた。男の服しか見えなくなる。怖くて抱きしめている男の腕から逃れようと、腕を男の胸に置き突っぱね力を入れた。


「離して……!」


 全力で抵抗するが、相手はピクリとも動かない。恐怖のあまりに体をよじった。大声を出すと誰かに見られてしまうし、騒ぎを起こすのは醜聞でしかない。それだけは避けたいと思ったけれど、このまま逃げ出すこともできそうになかった。やはり助けを求めるために声を上げようと決断する。


「静かに」


 息を大きく吸い声を出そうとしたとき、わたしを抱きしめた男はそっと耳元で囁いた。その声がとても優しくて思わず動きを止めた。


「大丈夫だ。心配いらない」


 なだめる様に囁かれて、落ち着くようにとできる限りゆっくりと息をした。信用してもいいのかどうかわからないが、自力で抜け出せない以上信じるしかない。彼の手がゆっくりと背中をさすった。子供をなだめるような、そんな手つきだ。緊張がほぐれることはなかったが、彼は助けてくれようとしているのではないかと思い至る。


 大きく息を吸えば、男の服からほのかに甘い爽やかな香りがした。


「おや、君は……」


 がさりと音を立てて現れた男性はじろじろとこちらを見ているようだ。視線を感じて心臓がばくばくするが、この男に助けを求めようという気持ちはなかった。姿を見ていないのに、とても圧力を感じる。きっと上位貴族の誰かなのだろう。


 怖い。


 上位貴族であっても、穏やかで優しい人は多い。それは知っているがこの男の持つ空気が優しい人間ではないことを伝えてくる。恐ろしさにぎゅっと彼の胸に置いた手を握りしめた。

 そのことに気が付いたのか、わたしの腰を抱いていた手がそっとわたしの握りしめた手を包み込んだ。大きくてごつごつした手のひらだ。優しく包み込まれて、大丈夫だと言われているように思えた。


「ははは、邪魔をしたのはこちらの方か」

「ああ、閣下でしたか」


 知り合いと思われる男はじろじろとわたしの方へと視線を向けてくる。思わず体を固くした。抱きしめてくれている彼はその男の視線から庇うように少しだけ体を動かした。彼の体は大きくて、男の視線を遮ってくれる。直接見られていないことに、ほんのわずかだけ力を抜いた。


 どうやら二人は顔見知りのようで、わたしを抱きしめたまま会話を始めてしまう。


「なかなか大切にしているようだ」

「内密にお願いします」

「噂も楽しい恋の一部だよ」


 男が揶揄うように言えば、彼はため息を吐いた。


「それは閣下だけでしょう。私は自分が振られるかもしれないというのに楽しむ余裕はありませんよ」

「おやおやずいぶん一途で熱心なことだ。羨ましいね。いいだろう、今回は黙っておこう」

「あら、素敵な方。ねえ、閣下。わたくしに紹介してくださる?」


 甘ったるい声をした女性が二人の会話に割り込んだ。声だけでも妖艶な感じだ。色を含んだ女性の声音にぞわりと鳥肌が立った。周囲に女の香水の香りだろうか。声と同じように絡みつくような独特な甘い花の香りが漂う。むせ返るような強い匂いに頭がくらくらしそうだ。


「おや、私の女神は他の男に気があると見える。先ほどまで甘えて私から離れなかったのに」

「ふふ、だって本当に素敵なんですもの。貴方、わたくしの好みだわ。声をかけてもらえればいつでもお相手するわよ」


 女はくすくすと低い声で笑った。その笑い声さえも男を誘うようなものだ。男女の濃密な空気が居心地悪くて、体を揺らした。わたしを抱きしめている彼の手が少しだけ強くなる。


「申し訳ないが私には不要です。不必要なことを彼女に聞かせないでください」


 不機嫌そうな声でそう答えれば、大げさに女が笑った。男を惹きつける柔らかな笑い声が耳に残る。


「あらあら、嫌われてしまったわ。ねえ、閣下。今夜はもう行きましょう? これ以上嫌われてしまわないように」

「そうだな。邪魔をして悪かったね。君の恋が上手くいくことを祈っているよ」


 何度かやり取りをした後、男も女性を連れてこの場を離れて行った。彼らの気配がなくなるころに、抱きしめられていた腕が緩まる。それに合わせて彼は一歩後ろに下がってわたしとの間に少しだけ距離を作った。夜の空気が間に入り込み、体を冷やした。二人の間にできた距離が少し寂しく思えた。


「突然、すまなかった」

「いえ、助けていただいてありがとうございます」


 お礼を言う声が震えた。うつむいたままでは失礼だと思い、顔を上げようとするがそれを彼が止めた。


「そのままで。お互いに知らない方がいいでしょう」

「ですが」


 顔も見せずにいるなど、助けてくれた人に対して礼儀がない。そう言おうとしたが、拒否する空気を感じて口を閉ざす。


「私が離れたら、すぐに会場に戻るように」


 厳しめの口調で告げられて、そのまま立ち尽くした。微かに聞こえる足音が遠のいていく。彼の存在が全く感じられなくなって初めて顔を上げた。彼の去った方向に目を向ければ、背の高い細身の男性が歩いている。夜会服ではなく騎士の制服を着ているところを見ると、彼は騎士団所属なのだ。


 月明かりが彼の姿を照らした。光が弱くてはっきりとではないが、その横顔が見えた。


 整った顔立ちに黒髪。

 知らない人。


 弱い光なのに、その横顔はしっかり見えた。目の色は距離と淡い光のせいでわからないけど、きっと優しい目をしているに違いない。

 急に心臓がドキドキし始めた。胸がギュッとなった。


 やだ、わたしどうしたんだろう。


「エレオノーラ!」


 お姉さまの声がする。慌てて会場の方へと顔を向ければ、心配そうな顔をしたお姉さまが見えた。


「お姉さま」

「ああ、良かった。会場にいないから探したわ。庭には出てはいけないとあれほど言ったのに」

「ごめんなさい。少し外の空気が吸いたくなったの」

「熱気がすごいから、その気持ちもわからなくもないけど。でも、出るなら一言、伝えてほしかったわ」


 お姉さまはわたしのドレスを確認して、ほっとしたような表情をした。きっと誰かに乱暴されなかったか確認しているのだと思う。本当は助けてもらった彼のことを伝えるべきなのだろう。だけどどうしてもいう事ができなかった。


 彼の名前も顔も知らないのだから、と自分自身に言い訳する。

 でも、それだけの気持ちではないことはわかっていた。


 名前も知らない彼との記憶を誰にも話したくなかった。




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