結婚
「結婚おめでとう」
にこにこと笑みを浮かべているのは、オーランド王子だ。わたしは信じられない思いで指にはまる指輪を見た。婚約時につける指輪ではなく、既婚者用の指輪だ。ずっと見ていたい気分だが、何とか指輪から目を離し、隣に立つヒューバートを見上げた。
ヒューバートはどこか嬉しそうで、それでいてどこか不機嫌そうな器用な表情でわたしをじっと見降ろしている。指輪をつけた手を取られてそっと唇を寄せられた。
「予定変更になって、すまない。色々と横やりが入るから先に結婚することにしたんだ」
「お披露目はどうなるの?」
「そのまま予定通り行うよ」
わたしの疑問に答えたのは、お義兄さまのリックだった。もう一度、部屋にいる人々を見回した。
ヒューバートと一晩一緒に過ごした翌日、綺麗に身支度されて連れてこられたのは王宮だった。ここはオーランド王子の執務室だ。ヒューバートに連れられてやってきたのはいいのだが、初めて入る場所に緊張したままだ。
オーランド王子、リックに、ヒューバートの兄であるスコット。
リックはコルトー家の代表という立場と文官で結婚の立会いという立場でここにいる。
そう、先ほどわたし達はオーランド王子に促されるまま婚姻の書類にサインしたのだ。
「本当にすまないね。こちらの事情とは言え、不快な思いをしただろう」
そう謝罪するのはオーランド王子だ。どうやらヒューバートに新しい恋人ができたという噂のことを言っているようだ。ヒューバートからも昨夜、すぐに打ち消せなくてと謝られていた。
「確かに不安でしたが……ヒューバート様自身から伝えていただいたことだけ信じようと思っています」
「いい奥さんをもらったね。ヒューバートが無表情でないなんて、なかなかないし」
オーランド王子がくすくすと笑う。不本意なのか、ヒューバートの眉間にしわが寄った。
「しかし、従弟殿が義弟になるとは思っていなかったよ」
「色々抜けている奴なので、親戚としてよろしく頼む」
リックが呟けば、スコットもしみじみと言う。ヒューバートの眉間のしわがさらに深くなった。どうやらヒューバートは色々な人に心配されているようだ。その関係性がとても不思議だ。わたしの目から見たら、ヒューバートはとても頼りになる人だから。
「待たせたな」
ノックもなしに扉が開いた。驚いて顔を扉の方へ向ければ、上質な騎士団の制服を着たがっちりとした体格の男性がいる。年のころは40歳を越えていないと思う。
茶金の短髪に碧眼の彼の醸し出す空気に押されて、思わず震えた。
「叔父上、あまり怖がらせないでください」
「そんなつもりはない」
オーランド王子が叔父上、と声をかけたのを聞いて、はっとした。彼が王弟であるマシュー・オニール公爵だと気がついたのだ。マシュー殿下は騎士団の総団長を務めている。
内心慌てながらも、少しでも優雅に見えるようにマシュー殿下の前に立ち、右手を軽く胸に当て膝を折った。王族に対する正式な礼だ。
「ヒューバートの嫁か。名前は……」
「エレオノーラと申します」
声が震えないように気を引き締めながら、目を伏せたまま答える。しばらくじっと見つめられていたが、突然ふっと空気が軽くなった。そしてくつくつと笑われた。笑われた理由がわからず、疑問ばかりが頭の中を駆け巡る。
「顔を上げてくれ」
許しを得て体を元に戻す。背筋を伸ばせば、マシュー殿下がにやにやとわたしを見下ろしていた。
「夜だったからよくわからなかったが……こういうのがタイプだったのか。道理であいつの誘惑にのらないわけだ」
「え?」
夜、と聞いて真っ白になる。ヒューバートがため息を吐いて、わたしの肩を抱いた。そっと包み込まれるように抱き寄せられて、少しだけ思考が戻ってくる。
「夜会の夜、庭で逢引きしていたのは王弟殿下だったんだ」
「えええ?」
驚きに目を大きく見開いた。そして、ヒューバートと出会ったあの夜、身分が高い人だと思ったことと怖い人種だという事が正しかったのだとどうでもいいことを思った。
「叔父上も来たことだし、そろそろこれからのことを話そうか」
オーランド王子がそう言って、長椅子に座るようにと促してきた。わたしはヒューバートとリックに挟まれて座る。対座にはオーランド王子とマシュー殿下、それにスコットが座った。
「厄介なことに、ヒューバートが王女の侍女に狙われていてね」
オーランド王子は何でもないことのように話し始めた。わたしはひどく真面目な顔をして耳を傾ける。
「君たちの結婚は私が許可しているんだ。まだ王女と私は結婚していないからね。彼女達は賓客であって、この国の者ではない。勝手に秩序を乱されるのは困るんだ」
それもそうだと頷いた。我が国の王族の許可したものを、他国の王女が口を出すなどあってはならない。どうやらそれがよくわかっていないような印象だ。
「ヒューバートに粘着する女性というのはいつも過激なのでね。こちらの都合でヒューバートは貴女の側に常にいられない。だから先に手を打とうと言うことになった」
「粘着……」
言葉が口をついて出た。確かに、ソフィーにも言われていたけど、オーランド王子が認めるほどなのだと実感する。
「10日後、王宮で行われる夜会で君たちの結婚を兄上が祝福する。王太子である兄上が二人の結婚を祝福することで、変な気を起こすのを押えるつもりだ。これで先日までの噂も消えるだろうし、今後も噂など出てこないはずだ」
「ありがとうございます」
何も考えずに頭を下げた。どう考えても、特別な対応だ。
「そう畏まってお礼を言われるとちょっと心苦しい」
顔を上げるように言われて、オーランド王子は困ったように笑っていた。理由がわからず、ヒューバートを見ればこちらは苦虫を噛み潰したような顔をしている。
なんだかわたしとの認識が異なるようで不安になる。
「どうもこちらの常識が通用していないようで困っているんだ。もっと強く言えばいいんだけど」
「まったくだ。お前が言えないのなら、俺が言ってやる」
マシュー殿下が口を挟んだ。どうやらマシュー殿下にとっても不愉快なようだ。
「叔父上は最後でいいです。二人は結婚したし、これ以上何もしてこなければ穏便に済ませたいと思っている。あんな不愉快な噂を立てられて納得いかないだろうけど、それで気持ちをおさめてもらえないだろうか」
わたしは驚きつつも頷いた。
「勿体ないお言葉です。どうぞこれ以上気にしないでください」
「そう言ってもらえると助かる」
どこかほっとした顔で微笑まれて、どれだけ彼が噂のことを気にしてくれているのかわかった気がした。
「こちらはついでの話だが。手紙を握りつぶしていた貴族はすでに処罰した。二度と同じことは起こらない」
マシュー殿下がそう付け加える。こちらも不本意だったのか、どこか不機嫌そうだ。
もしかしたらもっと複雑な事情があるのかもしれない。
初めてそう感じた。王族であるオーランド王子とマシュー殿下が関わっているのだ。考えているほど簡単な話ではない気がした。
でもそれはわたしが聞いていい話ではなく、伝えられることは今話していることだけ。
疑問も色々あるけれど、わたしが聞く立場ではない。それだけを強く自分に言い聞かせた。
「お心遣い、ありがとうございます」
だから言えるのは、お礼だけだ。
ヒューバートと別れろと言われなかったのだ。結婚を許され、祝福された。わたしのことを考えて、夜会での祝福までいただける。
十分だった。
「もし困ったことがあれば俺の所に相談に来るがいい」
「遠慮します」
ヒューバートがわたしよりも先に断った。驚いて彼を見れば、どことなく不満げな顔をしている。
「閣下が口を出せば、もっと混乱がひどくなります」
「場合によってはそうなるけどな。でも十分後ろ盾にはなると思うぞ」
豪快に笑いながら、マシュー殿下はわたしに遠慮せずに言いに来いと告げた。




