久しぶりの逢瀬
つい我慢していたため息が出てしまった。
一緒に新居に来ていたカレンは本宅へ届け物をしに行って、今は一人だ。すぐに戻ってくるだろうが、こうして一人で力が抜けるのは有難かった。
居心地の良い長椅子に趣のあるテーブル、存在を主張しすぎないカーテンは真新しい。
庭を見ることのできる大きな窓は外の景色を切り取っており、見る人の心を穏やかにする。
どれもこれも、わたしの好みで整えられた部屋。
ここだけではない。客間も寝室もわたしの好みで仕上げられていた。新しい食器やこまごまとしたものもすでに届いており、整えられている。
わたしが一つ一つ選び整えたのだから、居心地の良い部屋のはずだ。それなのに嬉しさとか楽しさとかが全く感じられない。
結婚式まで一か月を切った。急ピッチで仕立てられたドレスもあと数日で仕上がると連絡があった。後は結婚する日を待つばかりだ。
なのにとても寂しく感じていた。一緒にあれこれと未来を語りながら用意すべきことなのに、彼の存在を示すものが全くないのだ。
近衛騎士なのだから、このぐらい家を空けることも多いだろうし、職務内容を話させないのも納得している。彼の妻になることがどういう事であるか、覚悟していた。覚悟していたのに、実際にその立場に立ってみればとても寂しいものだった。
この屋敷に案内されてきたときにヒューバートは言っていたではないか。
一人で待つ時間が長くなるから、と。
自宅にいる時には今のような気持ちを持ったことがなかった。両親も忙しく、姉たちも年が離れているためそれなりに忙しい。時間のすれ違いは多く、誰かとずっと一緒にいることなど稀だ。一人でいることに慣れている。
だけど、家を出てこの屋敷で一人でいるのはまた違っていた。ここは本当に誰もいないのだ。わたしの息遣いしか聞こえないほど静か。
ぼんやりと座っているうちに、疲れが出たのか瞼が重くなってきた。短期間で色々な準備をしてきたから、こうしてゆっくりすることは久しぶりだ。一度力を抜いてしまったら、動けなくなってしまった。体は疲労で動けないのに、頭の中は考えてはいけないことがぐるぐると回り始める。
寂しい気持ちと、会いたい気持ちと、噂がどうなっているのかと知りたい気持ちが頭をもたげてきた。
今は考えてはいけない。考えてしまったら、いやな気持から抜け出せなくなってしまう。
弱さが表に出てこないように気持ちにきつく蓋をした。
***
「エレオノーラ」
そっと名前が呼ばれた。会いたい人の声だ。優しくくすぐるように頬が撫でられる。目を開きたいけど、開いたら夢が終わってしまう。もう少しだけ浸っていたい。
そう思っていたら、やんわりと唇に何かが触れた。少しかさついた感触に驚いて目を開ければ、目の前にヒューバートがいる。わたしを覗き込むように覆いかぶさっていた。
「ヒューバート様? 夢?」
「夢じゃない。ようやく会えた」
ヒューバートは長椅子の背に体を預けているわたしを起すとぎゅっと強く抱きしめた。その腕の温かさに次第に頭が動き出す。
顔を上げれば、至近距離にヒューバートの顔があった。彼の整った顔を見つめているうちに、夢ではないと認識した。
「え、あの、本当に?」
「ずっと会えなくて、ごめん」
ヒューバートはわたしの目元に小さなキスを落としながら、謝罪を口にする。目元を舐められ、体が痺れたように震えた。
「仕事は……大丈夫なのですか?」
「ああ。明日まで休みはとった。ずっと一緒にいる」
一緒にいる、と言われて嬉しさが胸に広がった。
「本当に?」
「心配いらない。つまらない理由で呼び出したら辞めると言ってある」
驚いて目を見開けば、くすりと笑われた。
「あと結婚まで少しだというのに、エレオノーラに会いに行けない、手紙も潰された。変な噂まで蔓延して。これ以上我慢できるわけがない」
「噂、知っているのですか?」
ぎゅっと彼の胸に置いた手を握りしめた。ヒューバートがその手をなだめるように包み込む。
「当然だ。早めに噂を潰したかったが、色々な思惑があってそれもできなかった。事前に説明もなくて、辛かっただろう?」
「初めのうちは……。でもそのうち、なんだか違った噂になっていたようです」
ちょっと笑みを浮かべてみれば、ヒューバートがイライラとした顔になった。どうやら噂についてはかなり腹を立てているようだ。
「本当にふざけた女だ。他国の貴族の娘でなければ、徹底的に叩きのめしていた」
「そのようなことをしたら、外交問題になってしまいます」
「そもそも、その認識が間違っている」
ヒューバートは少しだけ体を離すと、考えるように黙り込んだ。わたしは距離ができたことで彼をきちんと見ることができた。最後にあった時よりも少しだけ痩せたような気がした。髪も乱れ、顔色も悪い気がする。無理をして仕事を終わりにして時間を作ってくれたことが見て取れた。
「王女の祖国はこの国に対して傍若無人に振舞えるほど強い国ではない。逆に他国に干渉したとして糾弾されてもおかしくはないんだ」
「そんなことしたら……戦争になりませんか?」
政治のことはよくわからないが、国同士がぶつかれば簡単に戦争に発展する。それは過去の歴史からも明らかだった。
「ならない。あの王女の国は我が国に比べたら赤子のような軍事力しか持っていない。向こうも戦争をするくらいなら、王女を切り捨てるだろう」
はあっと大きく息を吐くと、ヒューバートは再び私を強く抱きしめた。
「エレオノーラは結婚するのが嫌になった?」
「少しだけ」
本音を漏らせば、さらにヒューバートは強く抱きしめた。ぎゅうぎゅうに抱きしめられて苦しいぐらいだ。
「結婚を止めたいほど?」
「いいえ。わたしはもっと強くなりたいわ」
「俺としては強すぎるのはあまり望まない。できれば今ぐらいでいてほしい。でも心が折れない程度には強くなってもらいたい」
その細かな言い分に、くすくすと笑いが出てしまう。
「なんて身勝手なの」
「知らなかったのか。男はいつだって身勝手なんだ」
そんな会話をしながら、忙しく彼の手が動いていた。ずるりと肩からドレスがずり落ちて胸元が涼しくなる。ようやくヒューバートがドレスを脱がしにかかっていることに気がついて、大いに慌てた。胸元を隠すようにドレスを押えるが、その手を気にせずに彼はどんどん後ろのボタンをはずしていく。
「ヒューバート様!」
「うん、ごめん。ちょっと我慢できない」
非難を込めて名前を呼んだが、まったくもってその手を止めることはできなかった。わたしは慌ててあたりを見回した。外は日が傾き、薄暗くなっている。ほの暗い部屋ではあったが、ここは応接室だ。それにカレンだって帰ってくる。私の気にしたことが分かったのか、彼は手を止めずに教えてくれた。
「カレンには明日の朝、来るようにと言ってある」
「でも、食事は……」
「簡単に食べられるものを用意して持ってきている」
わたしの疑問をよどみなく答える。彼の手を止める言い訳が思いつかない。
「ここは応接室だから」
「……じゃあ寝室に行こう」
どうやら言葉の選択を間違えたようだ。
少しだけ手が止まったが、すぐに抱き上げられてしまった。危なげもなく横抱きにして応接室を出る。ずんずんと進むが止めることもできず、体を縮こませた。
夫婦の寝室になる部屋に迷いなく入り、寝台に下ろされた。手際よく靴を脱がされる。
「ヒューバート様」
どうしていいのかわからなくて、情けない声で彼を呼んだ。ヒューバートは真剣な眼差しでわたしを見つめてから、ゆっくりと唇を合わせた。すぐに離れてしまったが、至近距離で見つめられてドキドキする。
「屋敷、とても居心地よく整っている。一人で大変だったろう。ありがとう」
どうやらわたしが寝ている間に部屋を見てくれたようだ。喜んでもらえたのが嬉しくて、笑みが浮かんだ。
「できればヒューバート様の好みのものを入れたかったのに」
やや咎めるような言葉が出てしまったが、ヒューバートは嬉しそうに笑った。
「そうだな。俺は今できることをするよ」
「何を?」
よくわからず首を傾げれば、くすりと笑われた。耳元に唇を寄せ、わたしに囁いた。その艶やかな言葉に真っ赤になる。聞いたことのないほど赤裸々な彼の気持ちに、心臓が大きくはねた。
「少し早いけど、俺の奥さんになって」
「は、い」
もっと告げたい言葉があったけれど、それは彼のキスで飲み込まれてしまった。




