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戦え! プリンセス  作者: 井川林檎
第四部 永遠のまほろば
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ダストボックスからダストボックスへ

 かくしてマジカルジョークワールドに侵入した異分子は、ダストシュートに収まった。

 騒動の後の、妙な沈黙がちくちくと背中に刺さるようだ。

 もしゃ。もしゃもしゃ。背後では未だ食事中の咀嚼音が聞かれる。恐るべき女王陛下は、一連の騒動中、ずっと食事をしておられたのだ。

 (マジカルジョークワールド最強……)


 振り向くのが怖い。

 もしゃもしゃ。


 「……はい、お疲れさまでした」

 黒山氏の淡々とした声が耳に届く。この人も、このバトルの最中、よくまあローテンョンのまま保っていた。

 (底知れない……)

 

 「ダストシュートの中に彼らが入ってしまったので、あとは彼らを現実世界に戻してやるだけです」

 黒山氏が言う側から、両手に握ったシュロぼうきとダストシュートが闇に溶けるように消えていった。茫然としている間に両手は空になる。手ぶらとなる。


 とりあえず今は何とか乗り越えましたよ。だけど、現状のマジカルジョークワールドのままでは、いつ何時同じことが起こるか分からない。この世界は補強、修正が必要です。

 それも、迅速に。


 穏やかな口調に、きっぱりとしたものが混じった。そこで「通信」は途切れたらしい。

 ねっとりとしたダストボックスの闇、のりしお味の臭い。

 デフォルトプリンセスは、さっきからじっとわたしを見つめていた。濡れたような瞳で、優しく微笑みながら。

 黒山氏との通信が終わるのを待っていたのだろうか、そうっと近づいてきて、両手でドレスをつまんで身をかがめ、優雅にお辞儀をした。プリンセスの気品。


 「……」

 わたしたちは見つめあうことになる。

 デフォルトプリンセスと、にわかプリンセスのわたし。なかなかドラマチックなシーンだと思うが、ここはゴミ箱の中だ。

 (早いところ、ここから脱出した方が良いな)

 なにしろ、ここにこのまま居続けたら近い未来、消去されてしまう仕組みらしい。できるならすぐにでも退出したい。

 そう思った矢先に、背後では女王陛下がガタンと立ち上がり、結構なお茶会であった、それではこれにて、と重々しく告げた。かちゃん、かちゃかちゃ。食器が微かな音を立てる。

 茫然と見つめあう我々の横を、女王陛下とテーブル、執事さん、給仕役の人たちが通り過ぎていった。


 ぱらり。

 運ばれてゆくテーブルから、食べ残しのポテチが一枚零れた。まるで花びらのように床を滑り、デフォルトプリンセスの足元で止まった。


 「うう、ううう」

 低いすすり泣きの音が聞こえてくる。

 デフォルトプリンセスの穏やかな表情は変わらない。


 この一連の騒動の中、これっぽっちも行動できずじまいだったプリンスが、暗闇の中でレイチェル人形をいじりながら、ぶつぶつすすり泣いている。ただ、そこにいることしかできなかった創世主。


 「それでもわたしは、彼を愛し続けるのです」

 デフォルトプリンセスは言った。堂々とした声、すっとした見事な立ち姿。さらりと金髪が揺れる。

 

 あれっと、わたしは違和感を覚える。

 デフォルトプリンセスは、相変わらず清らかで美しくて芯が通った素敵な女の子だけど、今までの彼女とはなにかが変わった気がする。なにとは言えないが、どこか、歯車が切り替わったような印象がある。

 

 デフォルトプリンセスは微笑んでいる。その微笑みは、プリンスの創ったこの世界に流されるデフォルトのものではなく、しっかりと地に足の着いた、ひとりの意思を持った女の人の笑顔だった。


 「彼は現実に疲れ、病んでいます。彼には休養と、学び直すことが必要ですわ」

 

 ううう、ぐずん、うええ、うえ。

 みっともない中年男のグズリ泣きが、湿ったゴミ箱の中に響く。その声に慈悲深く微笑みながら、デフォルトプリンセスは言うのだった。


 「彼はしばらくこちらで預かりますわ。ですから『鍵』は、わたくしが戴きとうございます」


 鍵。

 ビスクの事か。

 

 思いもよらない展開である。それにしても、デフォルトプリンセスは何かが違う。こんなに強い人だったのか。

 まあ、この人にビスクを預けたら、無暗に悪いことにはならないような気はするが――黒山氏に伺いを立てねばならぬ。


 まるで職場の上司に相談するように、わたしは言った。何もない宙に向かい、黒山さん、どうしましょう、ときいたのだった。


 ううう。ずびずび。

 プリンスのすすり泣き。

 優雅に微笑むデフォルトプリンセス。


 「……ああ、なるほど」

 少し間があいたが、黒山氏は質問に応じてくれた。

 

 プリンセスルームに流れるロケンロールが薄っすら響いてくる。これは黒山氏の感覚を通して伝わって来るものか。今、けたたましく騒いでいたビスクは鎮まっているようだ。


 「あのですね、シークレットルートに突入したようです」

 黒山氏は淡々と言った。シークレットルート。このマジカルジョークワールドに細かく用意されている様々な「ルート」のひとつで、なかなか始動しない、秘密のルートだという。

 

 さっきまでわたしはアクションバトルルートにいたのだが、どこかのポイントで切り替わり、そのレアなルートに踏み込んだらしい。シークレットルート。それは、主役交代のルートだという。

 「デフォルトプリンセスが、本物のプリンセスになるルートですね……」

 つまり、薄幸のプリンセスに手を伸ばし、王女の玉座に座らせるヒロイック物語。

 「このルートだと、あなたはプリンセスではなく、プリンセスを救いにきた女騎士ということになりますねえ」


 女騎士。

 なにがどうなってそういうルートに流れ込んだのか。もともと未完成な世界だから、ルートのストーリーもツギハギ仕様なのだろう。

 ともあれ、今わたしは、プリンセスではなくなったらしい。なるほど――そう理解した瞬間、するすると身にまとっていたドレスが解けて、もっと体に馴染んだ、うごきやすい、楽な格好に変身していたのだった。


 ジャージ。

 ヒキコモリニートの臭いがこびりついた、だぼだぼの、古びた服。

 ぼさぼさの髪の毛。

 

 マジカルジョークワールドに迷い込む前の、ありのままのわたしの姿。

 (これが、女騎士の姿かい)



 「終局ですね」

 黒山氏の声に、ほっとしたような響きが混じる。

 「一足先に、戻っていますね。はい、お疲れさまでした」


 デフォルトプリンセスの微笑む姿も、どんどん遠のいてゆく。のりしお味の臭い、ねっとりと籠った闇の中に靄が掛かり、いつしかプリンスのすすり泣きも聞こえなくなってゆく。

 頭がぼうっとしてきて、ぐるりと世界が回ったような気がした。

 

 「あはーい、またねーん」

 あのアニメ声が、人をおちょうるように笑っている。だけどその声もどんどん遠のいてゆき――はっと気が付いたら、わたしは自宅の二階の、自分の部屋の、あの万年布団の中にいたのだった。


 手に何か握っていると思ったら、件のリモコンである。マジカルジョーク社の古い型のテレビのリモコン。

 「ざー」

 滅茶苦茶にリモコンをいじっているうちに寝落ちした感じらしい。テレビは砂嵐だった。ざーざー耳障りの悪い音を立てているので、ぷるんと電源を切る。


 そのときだった。


 ガタン。

 階下で、懐かしくも切ない、冷たい音が聞こえる。

 玄関が開く音だ。オカンが出かけてゆく、朝の音。


 「あんたちょっと、まだ寝てるんじゃないでしょうね、いいかげんちゃんとしなさいよ、お母さん仕事だからね、いいね、今日こそ職安に行ってきなさいよっ……」




 (帰って来た)

 がばと起きる。

 そして気づいた。この部屋の湿度、臭い。これは、マジカルジョークワールドの、ダストボックスの空気感だ。

 

 ガタガタと玄関がしまり、かちゃんと鍵がかかった。オカンが仕事に行った。

 

 閉め切ったカーテンから、朝の光が差し込んでいる。ちゅんちゅん。雀が遊んでいる。

 (帰って……来た)


 わたしは今、現実に戻った。ここはゴミ箱の中だ。

 ゴミ箱に埋もれるような生活。このままではいつか、淘汰されてゆく生活。



 (出なくては)

 薄汚い部屋の中で、わたしは拳を握りしめたのだった。

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