プリンス捕獲命令
(奴ら本当にヤル気だ)
二次元の美少女レイチェルが、三次元になった姿のデフォルトプリンセス。
わたしは昼食の席を立ち――これ、はしたない、と、のりしおを口いっぱいに頬張った女王陛下が注意なさったが、構うものか――プリンセスルームに浮かぶディスプレイを眺めた。黒山氏もついてきて、横に立つ。
がんがん。ごん。
何の音かと思った。
ディスプレイはロールプレイングバージョンから、普通の映像に切り替わっている。暗黒のダストボックスの中を映し出しているが、なにしろ暗闇だから、何も見えない。がんがんごん――プレハブを鉄パイプで殴りつけるような不穏な音が響いているばかりだ。
「デフォルトプリンセスが隠れている鍵付きフォルダを力づくで破壊しようとしています」
黒山氏が解説をしてくれる。そのまま前に踏み出すと、腕をあげて画面に触れた。
するど、再びあの、分かりやすいロールプレイング風ドッド絵表示に切り替わったのである。
「あつっ」
情けない声をあげて黒山氏が姿勢を崩した。腕を伸ばしたせいで、どこかが痛くなったらしい。腰か。
眉を八の字にし、額にへの字型の皺をよせ、本当に痛そうである。あいたたた、と、間抜けな声をあげ、鏡台に片手をついて体を支えておられる――だめだこの人、体を使う仕事はさせられねえ――一方で、バルコニーからは、口いっぱいにのりしお味を頬張った女王陛下が、もごもごもがもがと、食事の席を中座した無礼をなじっておられるのが聞こえた。
「コレ、プリンセスや、マナーがなっておらぬ。食事が終わるまでテーブルを離れるでない。これ……」
わたしは無視していた。
なんか、女王陛下の叫び声がどんどん剣呑になってくるけれど、わたしの中ではお昼ご飯はもう終了しているし、のりしお味はもちろん、コンソメ味もクズキリの、もう結構なのだった。
そんなことよりも、ディスプレイに表示されているとんでもない状況である。
がんがん、ごん。
ドット絵に切り替わった画面では、ダストボックスの中らしい場所と、扉の外の通路が表示されている。
今、通路は無人である。さっきまでたくさんいた猫やら衛兵やらは、いつの間にか撤退したらしい。
そして、ダストボックスでは、四角い変な枠があって、その中で薄ピンクのドレスを着た金髪の女の人がウロウロウロウロ動いている。がんがんごんごん、その変な枠を叩いているのは件の二悪党である。
「敵のアジトのプレハブ小屋を鉄パイプで破壊しようとする、族の戦いのようだ」
思わずわたしは感想を漏らした。
ちなみに、今、二悪党が振り回しているのは鉄パイプではなく、腰にさげた剣である。貴族っぽい扮装をしているから剣も装備しているのだが、まさかこんなことに使おうとは。
「ちなみに鍵付きフォルダの材質はプレハブだったと思いますよ」
あっさりと黒山氏が言ったので、力が抜けた。
プレハブかよ!せめてコンクリートだったらな!
何よりも、どうしてこんな部分だけ妙に現実的なんだ。もっと魔法の素材とか、魔法陣の中に隠れたら目に見えなくなるとか、ファンタジックな設定にできなかったのか。
「プレハブって、頑丈ですよね」
なんとなく聞いてみた。腐っても鍵付きフォルダだ。たった二人の生身の人間に簡単に破壊される事はあるまい?
「それほどではないです」
また、あっさりと黒山氏が言った。
「この二人は文武両道と言いますか、頭脳派でありつつスポーツも万能であり、相当な筋力を持っています。だから、プレハブ小屋なんか、本気を出せば、ものの一時間くらいで破壊してしまうことでしょう」
冷静。淡々。穏やか。
腰をさすりながら、バルコニーから流れてくるそよ風に頭頂部のバーコードを乱している。
ものの一時間と、黒山氏は言った。
早くなんとかしないと!
「で、わたしはプリンスを捕まえてこっちに連れてくればいいんですか」
がたがたとけたたましい音がする。
わたしが戻ってこない事に怒り狂った女王陛下が、バルコニーからテーブル一式を中に運び入れるようメイドさんたちに命じたようだ。
がたがたごとごと。
執事さんやらメイドさんやらが、よってたかってデザートがこんもり乗ったテーブルを部屋の中に運び入れている。なんて重労働をさせるんだ、酷いぞオカン。
「こちらに戻らないならば、追いかけるまでよ」
口いっぱいにのりしおを詰め込みながら、オカン女王がどかどかと部屋に上がり、どすんとテーブルの席に着いた。横目で見ると、どの皿もカップもなにひとつ乱れていない。よく零さずに来れたもんだ。
ともあれ、それは無視である。
いつまででも「女王大好物」を召し上がっておられるが良い。こっちはそれどころではないのだ。
「本当は、かつての仲間であるわたしが行けば良いのですが、この場を離れることはできません。様子を見ながら、何とか少しでも食い止められるよう、他の策を練ってみます」
黒山氏は言った。
額に汗が滲んでいる。のりしおやらコンソメやらの匂いに混じり、ほわんと残業臭が漂った。
かちゃかちゃと優雅にお食事中の女王陛下を尻目に、ドット絵のディスプレイを眺めながら話し合う我々。
シュールである。
「ひっぱたいてもいいですか」
わたしは言ってみた。
この事態から目を背け、汚部屋に引きこもり、うじうじぐずぐずと沈没しているプリンス。
どうせ、素直についてきてはくれまい。それなら力づくである。
(というか、むしろ、あいつ殴ってやりてえ)
黒山氏が暴力を好むとは思えない。
だが、この事態をなんとかするには、どうあってもプリンスが必要である。
手段を問わぬか。あるいは、それでも自分の主義や好みを優先させるか。
……わたしはじっと黒山氏の指示を待った。そして、ああ、やっぱりわたしは黒山氏を上司として見ようとしているのかもしれないと思った。
上司からの指示は遂行しなくては。
仕事の秩序を乱してはならない。
もし黒山氏がここで、どうあってもプリンスを言葉で説得して平和的に連れてこいと言うなら、それに従う他ない。
(いやまあ、そんなこと多分、不可能なんだよな……)
じっと待ちながら、忙しくわたしは考えた。
前の職場で出会った、何人かの上司や先輩の顔が浮かぶ。どうあっても自分の思いを優先させたがる人もいたが、そういう人の配下についた同僚は不幸だった。
ぼっこぼこにして、いっそ、卒倒させて、引きずってでもマジカルジョークワールドに引きずり込むか。
十年くらいかける覚悟で、こんこんと温かく心をこめて、共感とかもしながら、プリンスと向き合って心を溶かすか。
(さあ、どっちだ)
……。
案外早く、黒山氏は「いいですよ」とあっさり言った。
よし。いいんだな。オーケー。やったる。
「これ、プリンセスや、はよう」
女王陛下よ、まだ食ってんのか。ばりょばりょばりょ。しかものりしお味ばっかり。
見ているだけで胸が悪くなりそうだから、あえて目を逸らした。
一方黒山氏は、よたよたと動いた。
部屋の中心でくるくる回っているビスクをつかまえて抱っこすると、いきなり右手をチョキにして、ビスクの目ん玉にブスっと目つぶしを入れたのだった。
(怖い)
目つぶしをされたビスクは「はううん」と奇妙なアニメ声をあげた。
そして、一体どういう仕組みなのやら、はっと気づいた時、わたしは片手に武器を握りしめていたのである。
「エクスカリバーです」
淡々と黒山氏が言った。
必要に応じて、プリンセスに見合う武器アイテムを支給するのです、マジカルジョークワールドでは。
それぞれ、その人に一番ふさわしい武器をですね……。
「つまり、それを持てば鬼に金棒。あなたは向かうところ敵なしなのです。身体能力もヒロイン並みになります」
黒山氏は言う。
わたしは愕然とそれを眺める。エクスカリバー。これが。
これが、わたしに最もふさわしい武器アイテム。
シュロぼうき一本。
玄関とか、フローリングとか、あるいは畳の上をさあっとなでてお掃除する時に使うアレ。
これ武器かよ。掃除道具じゃないかね。
「エクスカリバーを持って、今から向かってください」
黒山氏は更にビスクをいじっている。ベージュのドレスをまくりあげ、何かしている。どうでもいいが、剥げたおっさんがそんなことをしているのは、どう見ても変態さんだ。
「はうー、あっあっ」
またビスクが変な声をあげる。
でゅいいいん。
足元に丸い、闇の口がぽっかりと開いた。
行ってらっしゃい頼みましたよ、と黒山氏が叫ぶ声が聞こえる。
アリスがうさぎの穴に落ちるように、わたしは茫然と立ったまま急降下する。暗い空間の中を、下へ下へ。
プリンスのいる場所に向かっているんだろうな。
今度はどんなふうに登場することになるやら。
さしあたっての気がかりは――こぉれプリンセス、待つが良い、まだ食事が終わっておらぬぅぅぅ――こともあろうに、テーブル一式と一緒に、のりしお味を頬張った女王陛下が一緒に着いてきてしまったことだ。
わたしが穴に飲み込まれる瞬間、テーブルごと女王陛下が追いかけて来たらしい。
(そうまでしてか)
間もなく遙か足下に、仄明るい点が見え始める。
あれはプリンスのいる現実への出口だ。
どうあってもあの馬鹿野郎をマジカルジョークワールドへ引きずり込まねばなるまい。
「こぉれプリンセス」
女王陛下がしつこく叫んでいる。




