猫戦争
「プリンスの力」とはいかなるものか。
ダストボックスの中の二人は、イケメン化されており、しかもよく見たら服装も、やけに西洋の貴族ちっくな、きらきらしいものを纏っているのだった。腰にはサーベルまで下げているじゃないか。
いわゆる「王子様」の仮装をしている。
プリンスもそんな感じの姿をしていたが、こいつらの場合はもっとアクが強く、いかにも駄目な貴族っぽく見えた。
(少女漫画で、ヒロインの恋路に割り込みたがるキザ男がいるけれど、なんかそんな感じにも見えるな)
よく見ていてくださいよ、と黒山氏が言った。
画面の中で、二人の悪王子は懐中電灯を持ったまま何やら話し合っている。クローズアップされているから、悪だくみの表情が嫌と言う程観察できた。
口元なんか嫌らしく笑み崩れていて、二人して変な事考えているのが筒抜けなんだよ。
「あの人たち、異次元の姫相手に性犯罪まがいのことをして、楽しいんでしょうか」
ぼそっと問いかけると、意外にはっきりと黒山氏は返してくれた。
「彼らは三次元の女性に飽き始めていますから。というか、もう我々の年齢になると、以前のように若い女性ではなく、ある程度の年齢の女性ばかりになってしまうんでしょうなあ、ねんごろになる相手が」
豊かでたわわなカラダより、ひきしまって華奢で、ついてるものも控えめなものを欲してしまうんでしょうなあ。
黒山氏が言うと、全くいかがわしい感じがしないので不思議である。なんだか理科の授業でも受けているような気分にすらなる。
ふむ、なるほど、熟女もいいが、たまには若くて熟れていないやつも食べたくなる、そういうものなのか。
当の黒山氏は、熟女も若いのも特に食べたくはなさそうだ。この人は草と水だけの食事を有難がっていそう。
さて、ダストボックスの中の悪王子どもは話し合いを終えたらしい。何やら策を立てたようだ。
二人は懐中電灯で足元を照らし、かつかつと前進を始めた。あ、あ、あ、と思わずわたしは呟いた。
連中、ついにダストボックスの扉に手をかけ、開いてしまったではないか。そのまま通路に出てしまった。
大林と麻柄が、マジカルジョークワールドの城の中に踏み込んでしまった!
いとも簡単に!
(ダストボックスで食い止められるんじゃなかったのかよ)
にゃあんにゃんにゃああああーあおおおお、あおーんおんおん、緊急事態エマージェンシー敵侵入敵侵入っ。
くるくる回るビスクが一際けたたましく騒ぐ。もはや猫ですらない。野良犬の遠吠えのような鳴き方をしている。
エマージェンシーの度合いが格段に上がったんだろう、ビスクの回り方が激しくなった。巻き毛が円心力で完全に広がり、除草機みたいな円盤状になっている。しかも、白目から赤い光を放ちだした。
怖い。
黒山氏はまた画面に指を当ててスライドさせた。
暗黒のダストボックスから明るい通路に画面が映る。天井からのアングルで、斜め下に二人の悪王子が見えた。
悪王子どもは、鎧を着た兵士たちにぐるっと周囲を囲まれている。兵士たちは兜をかぶっていて顔が見えないが、恐らくみんな、あの生真面目なメイド顔なんだろう。
「迎撃」
と、黒山氏は画面上の兵士たちをスルッと指でなぞりながら言った。
まるで「今日は御日柄も良く」と言うかのような穏やかさで。相変わらず片手を鏡台につき、腰を支えながら奇妙な態勢で画面に指を当てている。ぱらっと、頭頂部からバーコードの一部がはがれて揺れた。
「ゲイゲキー、アオオオン、ゲイゲキー、アオーン」
ビスクがけたたましく繰り返している。煩いなあもう。
黒山氏の指示が伝わったのか、あるいはビスクの指示だったのか。
画面の中では捧げ銃をしている兵たちが一斉に二人の悪王子に銃口を向けた。凄い風景である。ここは本当に日本か。今にも銃で撃ち殺されそうだ。
しかし黒山氏は表情を変えず、じいっと画面を見つめている。
「ここでは血は流れませんよ」
その通りだった。
兵たちは一斉に銃を撃ったのだが、その銃剣みたいな古風な長い武器の先から出てきたのは銃弾ではなく――にゃうん、にゃあおん、みーみーみー……――数えきれないほどの猫どもなのだった。
白いの茶色いの黒いの灰色なの。
単色、斑、しましま、錆柄――これでもかと言わんばかりに、ありとあらゆる猫模様が床やら壁やらを這いまわっているではないか。
(銃弾が、猫……)
下手な鉄砲も数打てば当たるというし、弾丸が猫で相当扱いづらいと思うのだが、それでも何発かは標的に命中したようだ。
けたたましい猫の鳴き声と、どうにも止めようがない抜け毛の雨の中で、大林と麻柄は数匹くらいの猫によじ登られている。爪を立ててよじ登っているらしい。ひいひいと声をあげて一匹ずつ手でつかんで除去しているが、ひとつ床に放ればまた次のひとつが足元からよじ登ってくると言った有様だ。
中には上から降ってくる奴もいる。
いつの間にか大林と麻柄は、二人して猫を頭に被っていた。うなあ、うなあご、ごろごろ。凄まじい懐かれ具合である。
一歩歩みだそうとしたら、その度に猫どもが群がってくる。
これは動きづらい、相当なダメージのはずだ……。
「猫相手に乱暴は働けません、いくら彼らが悪漢であろうとも」
静かに黒山氏は言った。
何となく納得する。兵士相手なら容赦なく力づくで進んで来るかもしれないが、相手が猫だったら、せいぜいで纏わりついてくるやつを一匹ずつ手で払い落すくらいしかできないだろう。
しかもこの猫ども、ものすごく甘い声で、ぐるぐる喉を鳴らして、凄い懐きようだ。こんな猫を無下に扱う事ができる人間など、そうそういない。
「猫弾丸がしばらく食い止めてくれます。これで諦めてダストボックスに戻ってくれればいいのですが、彼らがそう簡単にあきらめるとは思えません」
黒山氏はそう言うと、画面から手を放した。よっこいしょっと、と、ジジくさい声を立てながら鏡台付属の椅子に座った。白いハンカチを引っ張り出して、額を叩いている。
画面は、まだ猫銃を撃ち続けている兵共やら、もはや大海原のような猫どもやらで埋め尽くされていた。件の二人がどこにいるやら見えない位だ。
しばらくは、膠着状態が続くと思われる。というか、この状況をどうやって打開できるんだ?
プリンセスルームには相変わらずハードメタルが流れ続けている。
ビスクの犬の遠吠え式警報がけたたましかったせいで、激しいロックもそよ風のように気にならなかった。
だけど今、少し気が抜けたところで、BGMのハードメタルはやや耳に痛く感じた。
黒山氏も同じように思ったらしい。あのう、音楽を消しても良いですかと遠慮がちに聴いて来たので、慌てて、「どうぞどうぞ」と答えてしまった。
何だか職場の上司と話しているみたいだ。しょぼくれた中年おっさんだけど、対話していると背筋が伸びる気がする。
(こういう上司と仕事するのってどんな感じだろう)
ふっと思った。
仕事をしていた時、わたしはピリピリしていたし、もちろん上司もピリピリしていたと思う。
和やかな関係を保っているようで、どこか張り詰めていて、隙が出ないようにしていた気がする。
黒山氏みたいな上司は、あの職場にはいなかった。というより、恐らく黒山氏みたいなタイプは、あの職場でははじき出されてしまうだろう。
できるもの。できないもの。
必要なもの。いらないもの。
なんとなく、そんな区別ができていて、誰もそんなことを口にしなかったけれど、明確なラインがあったと思う。
絶対に、ラインのあっち側にいきたくない。あっち側に行ったら、「いらないもの」になってしまう。
わたしの意識の仕方は極端だったのだと思うけれど。
だけど、社員たちは少なからず全員、その価値観の中で仕事をしていた。
(黒山さんみたいなタイプだと、ラインのあっち側に弾き飛ばされてしまっても、そんなことすら気づかず、窓際でお茶を飲んでいそうだなあ……)
目に浮かぶようだ。雑用しかさせてもらえない黒山氏。「あの人に任せておいたら、いつ仕事が終わるかわかんないからな」と、密かに敬遠され、回してもらうはずの仕事すら干されてしまう。
「いらないもの」になってしまう。
……。
その黒山氏が、今ここで、これ以上にない頼もしい味方となってくれているのだった。
椅子に座って汗をふいて小休止を取っている彼に、何か飲んでもらいたいものだと思った。
(メイドさんが来てくれたらなー)
と、心の中で思った時、実にタイミングよくドアがノックされ、いつものメイドさんがお茶のセットを持って登場したのである。
「エマージェンシー、アオオオオオ」
宙で白目から赤い光線を放ち、ぐるぐる回っているビスク。
ふわっと風を孕む、爽やかなレースのカーテン。
そして、乙女ちっくなプリンセスルームには、ジャージドレスのプリンセスと、くたびれた背広の中年おじさんが巣食っている。通路に出れば、すぐそこで、猫戦争の真っ最中だろう。
カオスとしか言いようのない状況で、メイドさんは優雅にお辞儀をし、鏡台の横の小さなテーブルに、お盆を置いたのだった。
「昼食はこちらで召し上がりますか」
ご親切にもメイドさんはそう言った。願ってもないことだ。こんな状況下で食堂まで行く気がしない。
お願いしますと言ったら、仰々しく膝をまげてお辞儀された。
(ルームサービス付きの籠城戦)
メイドさんは部屋を出て行った。
わたしは紅茶の入ったカップを、ハンカチで額をふきまくっている黒山氏に手渡してさしあげる。
「どうぞ」
「や、ありがとう」
まるきり、職場の上司と秘書じゃないか?
黒山氏は旨そうにお茶を啜っていた。
「にゃごーん、にゃごーん」
猫の甘い声が画面から聞こえてくる。野郎二人の、泣き笑いの様な悲鳴も混じっているような。
大丈夫だ、当分連中は動けまい。
我々はとりあえず、濃いお茶とクッキーで一休みすることにしたのである。




