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戦え! プリンセス  作者: 井川林檎
第四部 ダストボックス争奪戦
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プリンスの力

 「現実世界と、この異次元をつなぐルートはいくつかあります」

 

 空中に浮かぶ透明なディスプレイを眺めながら、黒山氏は言う。相変わらず腰が痛そうだ。鏡台に片手をつき、もう片手で腰をさすりながら、首を曲げるようにして画面を見ていた。


 「ひとつは、あなたも知っている、棺の部屋。他には、暗号コードを専用リモコンに読み込ませて次元移動する、利用者ルート……」

 あなたは、その利用者ルートで思いがけなくここに来てしまったんですよね。

 黒山氏はわたしを振り向いた。窓から庭園の風が吹き込み、レースのカーテンがひらひらと揺れている。カーテンの純白が黒山氏の眼鏡に映り込んでいる。


 乙女チックなフリフリカーテンを眼鏡に移しながら、黒山氏は呟く――利用者ルートが組み込まれた商品は、全て市場から取り払われたはずで、おまけにあれから10年経っているというのに、未だに製品を使用している人がいるなんて正直驚いているのですが――くいっとずり下がった眼鏡を押し上げた。


 「まあ、あり得ないことではないです。あの商品は誤って市場に出てしまったもので、数も僅かでしたが……一度市場に出回ってしまったものを全て回収できるわけがないし、デタラメにリモコンを操作して、偶然、暗号コードと一致してしまうことも、何万分の一の可能性であるにしろ、絶対にないとは言い切れない」


 (まあ、その何万分の一の可能性に引っかかってしまったレアケースが、ここにいるんだもんな)

 わたしは無言である。

 黒山氏は改めて、まじまじとわたしを眺めている。珍獣でも見るかのような、失礼な眺めっぷりだが、そこに悪意はなかった。


 


 通らなかった企画。

 だけど、その企画内容を組み込んだ商品が流出してしまうなんて。

 よく考えてみたら、そんなこと、あり得るんだろうか。天下のマジカルジョーク社で。

 

 ……あるんだよなあ。現に、こうなっちゃってるんだしね。

 なんだか、モヤモヤするような、イマイチはっきりしないものを感じたが、今はそこにこだわっている場合ではない。


 黒山氏はまた、宙に浮かぶ画面を睨んでいる。

 わたしも黒山氏に近づき、一緒になって画面を見上げた。


 「現実と異次元をつなぐルートはもう一つあります。ダストボックスから出入りする方法です」

 

 画面は、あのダストボックスの暗闇を映し出している。

 のそっと動く二つの影。

 大林と麻柄なんだろう、この影は。ついに侵入してきたらしいが、こう真っ暗だと全く見えない。

 連中、この暗闇で目が効くんだろうか――真っ暗な画面を睨んでいたら、いきなりぴかっと何かが光った。


 なんと、侵入者は懐中電灯を持参していた。

 大林も麻柄も、それぞれ武器になりそうな程りっぱな懐中電灯を使っている。凄い威力でダストボックスの隅々まで照らし出している。お陰であちこちに散乱している、のりしお味の空き袋が丸見えだ。


 


 「ダストボックスって、こっちと現実をつなぐパイプになっているんですか」

 わたしは画面に見入りながら言った。黒山氏は頷く。

 「本来は、こちらから現実に流れる一方通行のパイプなんですが、今はデフォルトプリンセスがダストボックスに入っているので、現実から異次元に入り込むことが可能になっています」


 そういう仕様になっているんですよ――黒山氏は淡々と言う――つまり、デフォルト仕様のものがダストボックスに入ったままになっていると、現実から異次元への異動がしやすくなる。

 「最もそれは、この異次元の仕組みを知っている、ごく一部の限られた人間だけが可能なことなんですけれどね」


 ごく一部の限られた人間。それはつまり、当時の開発部の面子。


 「デフォルト仕様のものがダストボックスに入るのは、一番最初の利用者がマジカルジョークワールドに入り込んだ時点です。初期メンテナンスや異次元の微調整が必要になることを見越して、こういう仕組みにしたのだと彼は言っていました」

 

 なるほど。

 わたしには想像もつかん話だ。ただ、なるほどとしか相槌が打てぬ。



 連中がマジカルジョークワールドに潜入できたのは、ダストボックスにデフォルトプリンセスがいるからである。

 じゃあ、デフォルトプリンセスがダストボックスからいなくなればどうなるのか。


 そこまで考えて、わたしははっと息を飲んだ。

 現時点で、デフォルトプリンセスがダストボックスから消えるというのは何を意味するのか。ダストボックスから出てくるわけではない。ダストボックスから自動的に消去されてしまう……。

 (ダストボックスの中に、いつまでもいられるわけじゃないんだよなあ)

 確か、いつか消えてしまうはずなんだ、ダストボックスの中身は。


 あののりしお味の空き袋も、デフォルトプリンセスも、全部。



 


 画面では、強烈な懐中電灯二本が光を交差させながら、辺りを探索している。二人が探しているのはレイチェル似の美姫であろう。ところが、プリンセスの姿はどこにも見当たらない。


 やがて連中は二人して顔を突き合わせ、なにごとか相談を始めたようだった。


 「んっ」


 その時、黒山氏が押し殺したような声をあげた。

 腰に当てていた手を上に掲げ、画面の上に指をスライドさせる。すると、侵入者二人の姿が拡大されて映し出された。


 肉食スケコマシ大林と、きしめん根性悪麻柄が、アップになった。



 見たくもねえ。なんつー悪人面や。

 嫌悪の思いから目を逸らしたくなったが、何かひっかかるものを感じて凝視した。

 確かに大林と麻柄だが、この違和感はなんだろう。


 


 しばらく眺めて、違和感の正体が分かった。

 (若返っとる)


 大林は、太め大柄なのは変わらないながら、髪の毛はもっとふさふさとして、顔もつやっとハリがある。

 ぼよんと出ていた腹も引っ込んでいて、ラガーマンのような良い体つきだ。


 麻柄はすらっとした細身は変わらないが、全体的に活気に溢れている。やっぱりこいつも若返っている。


 つまり、二人ともイケメン度が上がっているのだった。



 「ああ、流石彼らです」

 相変わらず穏やかな口ぶりだったが、黒山氏の声は少しだけ、トーンが下がっていた。


 「彼らは手ぶらでこの世界にやってくるほど、浅はかではなかったということです」





 若返っている。彼らが最もイケている時期の姿に戻っている。その美しい姿で、マジカルジョークワールドに乗り込んできた。


 そう。


 現実世界では、ぶよんとした体に汚いジャージのプリンスが、マジカルジョークワールドに降りたつ時は、最も輝いていた時期の姿で登場するように。



 黒山氏は言った。画面から目を離さずに。

 「侵入者は、『プリンスの力』を携えています」


 プリンスの力、だと。





 シャンデリアの下、宙に浮いて、くるくるコマのように回り続けている白目のビスクが、叫び続けている。

 敵来襲中、迎撃用意、迎撃用意。うにゃーんにゃんにゃん。敵来襲……。

 


 レースのカーテンひらひら。

 シャンデリアから放たれる光の粒子きらきら。

 ビスクの警報、うにゃーんにゃんにゃんなおーんなおおおーん、にゃあああああ、敵来襲ううううう。


 (まずい。ビスクの叫び声が、空気になっている)

 頭がおかしくなりそうだ。しっかりしろ、わたし。

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