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戦え! プリンセス  作者: 井川林檎
第三部 ゴミはゴミ箱に
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セキュリティ対策

 エレベーターで上にあがる時、ふっと内臓が浮いてゆくような感覚がないだろうか。

 わたしはアレが苦手だ。だから、階段かエレベーターか選択しなくてはならない場合、ちょっと位の距離なら階段を選んでしまう。


 会社に勤めていた時分は、みんなから「実は体育会系なんじゃ」とか思われていたようだが、体力は人並みだ。別に階段で鍛えていたわけじゃなく、単にエレベーターが気持ち悪かっただけなんだ。


 その、気持ち悪い感覚に襲われている、今。

 ぐーっと足が浮く感じで、内臓と自分の外側が一致してないあのカンジ。おうえ、ええっ、げろげろうっ――流石に吐きはしなかったが、吐きたいほどの気力悪さだ。


 まだか、まだつかないかと思いつつ口をおさえた。

 真っ暗闇の中を上昇中だ。棺の部屋の空間は、多分奥行きはさほどないけれど、床部分がない分、上下に広い。鼻を摘ままれてもわからない闇の中で、ほわんと音が反響するような空気感。鼓膜がおかしくなって、耳がきいんと変な音を立てている。


 うう。



 最後にふわっと噴き上げられるような感じがして、気色悪さマックスとなる。あやうく吐きかけた時、やっと足が地に着いた。……とんっ。


 

 「うげえ、おうえ、えええ」

 体をくの字に曲げながら、闇の中を這うように進んだ。胸にだきかかえたビスクが「とうちゃーく」とか言っているが、そもそもこいつがバグったからこんな酷いことになったのではないか。


 なにがとうちゃーく、だ。

 隙間から光が漏れている両開きの扉にたどり着き、ほうほうのていで通路に這い出た。胃の気持ち悪さはおさまった。代わりに、別の気分の悪さがわたしを支配している。


 

 しいんとして、落ち着いた優雅なマジカルジョークワールドのお城の通路。

 天窓のステンドグラスが鮮やかな色彩を落としている。お外は今日も晴れてるんだろうな。残念ながら、わたしの腹の中は荒れ狂っている。


 怒りの嵐。ごうごう。




 真黒な棺の部屋の扉――大林健一につながる扉――をお尻で閉じて背中をもたれさせ、しばらく息を整えた。

 目をぐるんぐるんさせているビスクを睨みつけると、なんとか冷静さを保たせ、言った。


 「今度こそ、黒山大悟の棺の部屋を教えてよ。なんで寄りにもよって、大林健一と、麻柄栄治のところに出ちゃうんだよ」

 乙女の敵、ギトギト大林と、きしめん野郎、面食い麻柄。

 最も関わってはならん二人ではないか。


 「しかも、あの二人、なんかダストボックスにデフォルトプリンセスがいるならアクセスできるとか言ってたじゃん」


 よく分からない。あいつらが何をどうしようとしているのか想像もつかないが、あの雰囲気、良いことをしようとしているようには到底思えなかった。……いいや、とんでもなく悪いことを企んでるんだよ、そうに違いない。


 「一刻も早く黒山大悟のところに行った方がいいような気がするんだよ。頼むから次は間違えないでくれや」

 ぶるんぶるんとビスクを振り回した。そうしたら、目がゆらゆらぐるんと動いて白目を剥いて、まことに恐ろしい有様となる。ああもういちいち気持ち悪い、なんでこんな仕様にしたんだ、リモコンならリモコンらしい形にしておけばいいのに――すべてはあのプリンスのセンスの問題なのである。


 実用性、ゼロ。

 しかも、バグってやがるし。




 はあはあぜえぜえ。駄目だ、まだ息が切れている。


 ビスクはしかし、ケロッとした口調で、あのアニメ声でこう答えたのだった。

 「えー、だって、わたしも含めてここって企画サンプル段階のものだから、そこまで精密にできてないんですって。いわばバグだらけ、穴だらけなんですよ」


 ちょっとくらいのバグは御愛嬌ですってば。……とか、言っている。

 反省のかけらもないのだった。



 

 これ以上ここにいても始まらない。わたしは歩き出すことにした。

 今度こそ間違うなよと念を押してから、ビスクに案内をさせる。


 もうちょっと先にあるらしい、黒山大悟の棺の部屋は。てくてく歩いているうちに、わたしはまたしても思考の沼にはまっていった。


 

 大林と麻柄の言った事。

 「ダストボックスにデフォルトプリンセスがいるならアクセスできる」

 「レイチェル似のプリンセスをモノにできる」


 さっきのビスクの発言。

 「バグだらけ、穴だらけ」



 すごく嫌な感じがした。

 てくてくぽくぽく歩く床は、よく磨かれていて、もちろんしっかり足が地に着く感じもあって、どこも壊れているようには思えない。だけど、この綺麗なマジカルジョークワールドのあちこちが、実は穴だらけでバグだらけであり、さほど精密でもないとしたら、セキュリティのほうはどうなっているんだろう。



 (そうだ、セキュリティが整っているわけがないんだ)

 なにしろ、ちょっとした偶然で、わたしが唐突に迷い込んでしまう位だ。

 このマジカルジョークワールドは、実は現実世界から筒抜け状態なんじゃないのか。

 

 プリンスの秘密基地、孤独を癒す隠れ家だったこの世界は、本当はすごくもろくて、ちょっと知識のある人なら乗っ取ることができるくらい、危ういものだったして……。




 「いやいやいや」

 ごわごわとした恐怖が沸いて来たので、思わず声をあげてしまった。


 プリンスが創世主であり、絶対君主であるはずのマジカルジョークワールド。

 デフォルトプリンセスも、プリンスの定めたルールなら自分はゴミ箱でいいと言っていた。


 だけど実は、プリンスの地位を誰かが奪い取ることが可能だとしたら。

 (大林プリンスか、麻柄プリンス……)


 


 ためしに聴いてみるとする。

 歩きながら喋ると息が切れるんだけどな。


 「ねえ、あのさ、プリンスの立ち位置って、あれ、絶対的なものなの」

 プリンスがこのマジカルジョークワールドを作って、管理しているんだよな?

 ってことは、この世界のセキュリティとか、外部から異質なものが入り込んだ時の対策とかも、プリンスが管理してることなんだよな?



 

 プログラミングやらネットやらセキュリティやら、そこまで詳しいわけじゃない。

 わたしは元編集者だ。ソフトにはお世話になっていたが、ハードは皆目わからんし、ましてやこういった分野は全然知らない。

 

 だけど、セキュリティが損なわれた場合、なにが起きるか位は見当がつく。

 ウイルスに汚染されたパソコンがどうなるのか、何回か見たことがあるからな!


 (この場合、ウイルスはあの、どすけべ大林と冷血麻柄になるわけだなあ)

 薔薇の花びらの浮いたバスタブに頭から突っ込んだ、軟弱プリンスを思い出す。あいつ一人であの二人を相手に出来るのか――ううん、真っ向勝負じゃとうてい勝ち目はないだろう。


 だけど肉弾戦になるわけじゃなく、プログラミングの話なのだ、これは。

 頭脳の戦いなら、天才とうたわれたプリンスならなんとかなるんじゃないのか。




 ……と、いう希望的観測は、しかし。


 「あは、プリンセス、ですからぁ、ここはまだ実用段階からほど遠いサンプルの状態なんですよお。セキュリティなんかあったら、プリンセスがここに入ってこられるわけもないんです」


 という、あっけらかんとしたビスクの言葉で、見事に玉砕したのだった。




 セキュリティなし!

 っていうか、そんな状態でプリンスは長年このマジカルジョークワールドで、遊んでいたのか。




 「まさか入ってくる人なんかいないって思っておられたんですよー」

 きゃぴきゃぴしたアニメ声で、ビスクは言った。

 「だって、このマジカルジョークワールド、十年くらいずーっと平穏を保っていたんですし。プリンスにしても、ちょっと遊んで現実逃避できればいい位の感覚だったんですし」


 まさか本当にデフォルトプリンセスと恋に落ちるなんて。

 まさか本当に、ここまで愛してしまうなんて。

 ……思っていなかったという訳か、プリンスは。





 ということはつまり。

 「大林健一と麻柄栄治が、こっちの世界に入り込んでくる可能性があるってことか」

 呟いたら、ビスクが能天気に、ピンポーン、と言った。腹のたつ。




 いやいや、早くなんとかしようよ。

 とにかく今は黒山大悟だ。助けを求めるならこの男しかいないんだからな。


 「あ、プリンセス、この部屋ですよー」

 行き過ぎちゃだめですよー、と、ビスクは言った。

 真黒な棺の部屋の扉の前を行きすぎるところだったじゃないか。


 「ちなみに行きすぎたら、この次の部屋は、マジカルジョーク社の三階の男子トイレにつながっているので、これまたエライことになりますからねえ」

 さりげなく、そんなことまで言っている。

 (リンク先が男子トイレって、なんなんだよ……)



 プリンス、遊んでいるとしか思えなくなってきた。

 ともあれわたしは、今度こそ黒山大悟に繋がっていると思われる黒い両開きの扉を開き、闇の中へ一歩踏み込んだのである。


 (黒山大悟が、良識ある人であることを願うっ)

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