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戦え! プリンセス  作者: 井川林檎
第三部 ゴミはゴミ箱に
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夜の国のプリンセス

 闇のとばりは薄絹のカーテンのようだ――と思ったら、どうやら本当に薄い布が何枚も垂れ下がっていた。

 暗さに慣れて来た目には、高い天井から落とされた、半透明な黒い布が何枚も重なっているのが見える。はらりはらりと布を払うようにして、腕を引かれて歩いた。


 メーテルリンクの童話に出て来た、夜の国を連想させる。風景だけは。

 ただしここはダストボックスの中であり、そうやってするすると引かれている間も、足元はつねになにか、ガサガサするものに当たったり、踏んづけたりしていた。床中にポテチの空き袋が転がっているのだろう、籠った空気は濃厚なのりしお味の香りがした。


 わたしの腕を引くデフォルトプリンセスは、闇のとばりの薄絹に紛れて黒い影になっている。

 その細い体つきや、流れるようにさらさらとした髪の毛が印象的である。しかし、顔が見えないままだ。

 どこまで連れていかれるのかと不安になる頃、ようやくデフォルトプリンセスは歩みを止めて腕を離した。


 わたしとデフォルトプリンセス。

 その間には、薄い黒い布がたった一枚、上から垂れ落ちて隔てている。


 

 優雅なボディラインにふんわりとしたドレスのかたちを纏わりつかせ、デフォルトプリンセスは僅かに体を斜めに向けていた。両手を組み合わせ、うつむき加減である。

 のりしおの匂いに混じって、ふわっと柔らかい薔薇の香水が漂った。


 「なんというか、その」

 相手がもじもじと黙っているので、わたしは先に口を開いた。喋りかけた瞬間、デフォルトプリンセスはびくっと肩を震わせている――恥ずかしがり屋さんか、こいつは。


 「なんとかして現実世界に戻ろうと思うんだけど、肝心のプリンスが捕まらないんだよ。もたもたしていたら、あなたもいずれ消去されてしまうらしいし、そうなったら事態はもっと悪化してしまうじゃない」

 とりあえず、せっかく会えたことだし、このゴミ箱からあなたを出すことってできないのかな。


 一気にしゃべって、少し息が切れた。

 言うだけ言って、相手の出方を待つ。

 

 デフォルトプリンセスは、儚げに溜息をついたようだった。永遠と思われるほどの沈黙の後、ゆっくりと顔をあげ、あの「レイチェル」の声で、デフォルトプリンセスは言ったのだった。


 「わたしが消えてしまったら、あの方は悲しまれると思います」

 

 はらっと衣擦れの音がする。ドレスを優雅に揺らして、デフォルトプリンセスはこちらを向いた。

 黒いとばりの向こうで、青く美しい瞳が輝き、こちらを見つめるのが分かる。……綺麗だ、確かに。そして、品がある。


 (本当のプリンセスなんだな)

 つくづく思った。

 この世に存在しない、そんな女の子なんて。だから、デフォルトなんだ。


 プリンスは、自分の理想をデフォルトプリンセスに仕立てたんだろう。何処にも存在しない、完璧な女の子。



 組んだ両手を胸まであげて、デフォルトプリンセスは言った。

 「わたしがここから出るには、あなた様がマジカルジョークワールドにいてはならないのです、現プリンセス」

 

 プリンセスは二人いてはならない。本来、このマジカルジョークワールドは、もし利用段階に入っていたならば、最初の利用者がプリンセスとしてこちらに飛び込んできた時点でデフォルトプリンセスは用済みとなり永久に消去されてしまうのである。

 つまり、デフォルトプリンセスは、企画サンプルのものなのだ。


 「最初の一人目のプリンセスがマジカルジョークワールドに入った時点で、わたしはいなくなる。それ以降は、利用者から利用者へと、プリンセスが移り変わってゆくだけなのです……」


 もともとわたしは、捨てられるのが前提の存在でした。

 ……デフォルトプリンセスは静かに言った。

 「ですから、今更消去されることなど怖くはありません――気がかりなのはただ一つ」


 あの方のことだけ。




 プリンスは、このデフォルトプリンセスとの逢瀬を重ねるうちに、完全に恋に落ちたんだろう。

 アニメやフィギュアの「レイチェル」と違い、このデフォルトプリンセスは動くし喋るし、なによりプリンスの理想をこれでもかと詰め込んだ女の子だろうから。

 プログラミングされたものとは言え、人格や感情まであるのだ。


 (プリンス、これじゃあ現実世界の他の女には興味をなくすわけだ)

 現時点の、あの汚部屋で、たるみきった体と汚れたジャージ姿でパソコンをいじっていたヒキコモリのプリンスを思い出す。もはや彼は、外の世界に興味をなくしている。きっと、外に行っても、なんら面白いことなどないんだ、彼にとっては。


 

 「あの方が今どんな状況なのか、わたしにはよく分かるのです。今なんとかしなければ、あの方はまるで救いのない世界にただ一人残されることになる。暗く湿った部屋の中で、孤独に朽ちてゆくだけなのです」


 デフォルトプリンセスの言う意味が、なんとなく分かる気がする。

 しかし、救えと言われても、あんなのどうにもならんと思うのだが。


 「いやー、プリンスがちょちょいとシステムをいじってくれれば、万事解決すると思うんだけどねえ」

 と、わたしは言ってみたが、デフォルトプリンセスは沈黙で全てを語った。うん、分かっている、あいつはそれができないんだ。


 不本意な事態を受け入れることができない。そういう心の状態なんだ。




 「ね、試しにあんたちょっとここから出てみない」

 わたしは言ってみた。

 ここから出られない、とか言っているが、とりあえずやってみてはどうか。デフォルトプリンセスは、え、と戸惑っている。なんでもいい、わたしは黒いとばりの中に手を伸ばし、華奢で冷たい相手の腕をぐっと掴んで引っ張った。


 「プリンセスが二人いちゃいけないとか、ダストボックスの中にいたらいつか消去されるのにここにいなくちゃいけないとか」

 口に出したら、その不便さに腹が立ってきた。

 ぐいぐいぎゅうぎゅう引っ張りながら、ダストボックスの出口を目指す。真っ暗でのりしお臭い空間の先に、明るい通路が見えていた。すぐそこじゃないか、扉の外に出るだけでいいんだよ。



 わたしはついに扉の外に出た。

 だけど、肝心のデフォルトプリンセスは、入り口で立ち止まったまま、てこでも動かないのである。


 一枚の黒いベールが上から垂れており、その薄絹の向こう側で、デフォルトプリンセスは立ち止まっていた。黒い布から引き出された白くてきゃしゃな手が、力なくわたしの手の中にある。


 デフォルトプリンセスは、わたしの手を握り返すこともなく、ただそこに立ち止まっているのだった。



 「なんで出ないの」

 と聞くと、そういうきまりですから、と返事が返ってくる。唖然とした。


 「どうして、その敷居をまたげばいいだけじゃん。できるでしょう」

 わたしはむきになった。


 別に、ダストボックスの扉をまたいだ瞬間、雷が落ちるとか、扉が無理やりしまって閉じ込められるとか、そんな事態は起きていない。現にデフォルトプリンセスの肘から先は、扉の外、通路側に出ているのだ。


 眩しいほどに白い手である。桜貝のように淡いピンクの爪をして、細く華奢な指をしている。




 「いいえ、あの方の作ったルールに従わねばならないのです」

 ただ一歩踏み出せば消去されずに済むというのに、そこに留まったまま、デフォルトプリンセスは言うのだった。

 ゴミ箱に入れられるのは、プリンスがあらかじめ設定していたルールだから、自分はそれに従うだけ。



 「わたしはもともと、いらない存在という前提なのですから」

 薄絹の向こう側で、整った顔が微笑んだようだった。



 いらない存在。

 そのワードは、わたしに様々なことを思い出させる。

 思い出したくもない色々なこと。一番嫌なこと――いらないもの、ゴミ、斬り捨てられるもの――デフォルトプリンセスの手を握る力が抜けて、するっと白い腕が落ちた。


 ギイ。

 耳障りな音を立てて、ダストボックスの両開きの扉が閉ざされてゆく。

 分厚い扉が隔てる向こう側で、か細い声でデフォルトプリンセスは言った。




 「あの方を救ってあげてくださいませ。それには、ある人物に接触するのが一番早いかもしれません」

 

 ギギイ。閉まりゆく扉の向こうで、デフォルトプリンセスは一人の名前を告げた。

 立ちすくむわたしの前で、扉は完全に閉ざされる。……がちゃん。





 今、彼の気持ちを最も理解できる人物。それは。



 黒山大悟。


 (ますます、黒山大悟は外せなくなっちゃったなー)

 わたしは胸に抱いたビスクを見た。ぐるぐると青い目を動かしている。やっぱり怖い。


 「さてと、行こうか」

 時間は無駄にできない。こうしている間も、デフォルトプリンセスが消去されてしまうかもしれないんだ。




 「黒山大悟に続く棺の扉に、案内してよ」

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