18 予想外の繋がりⅢ
「設楽雄太さん、ですね」
非常階段の扉の内側でうずくまっていると、外から扉越しに穏やかな声が降ってきた。
「……君は、さっきの……」
突然現れ、設楽を庇った青年の声だ。
「ここ、開けてもらっていいですか?」
背中を向けていた扉がノックされ、設楽は応えるようにゆっくりと扉を開ける。
「さっきは災難でしたね。怪我はないですか?」
その左腕を見て、設楽は息を呑んだ。
見れば彼が昇ってきた階段には血の跡が続いている。
「……怪我。ひどい怪我だ。もしかしてさっきの少年か……?」
「大した怪我じゃありません」
「手当した方がいい。救急車を……」
「いや」
携帯を取り出そうとしたら、その手を止められた。気付けば目の前に回り込んでしゃがんでいる。
「お構いなく。それよりあなたに聞きたい事があるんです」
「……聞きたい事」
自分にそう尋ねてくる奴は、大概この街の裏社会事情についてだと、相場が決まっている。
しかしこの青年からは裏社会の人間特有の″匂い″がしない。
青年は滑らかな手つきで、懐から名刺を取り出して見せた。
「ピエール探偵事務所……?」
「はい。しがない探偵です」
「なるほど、そういうことか。でも初めて聞く名前だな」
「まあ、最近出来たばかりですし、この街に関わったことがなかったので知らないのも当然かもしれません」
青年――名刺には田嶋と名前が記されている――から受け取った名刺をしまう。
「探偵さんは何の情報が欲しいんだろう」
「ソラ、という名前のホストをご存知ですよね?」
その名前を聞いた途端、設楽は無意識に口を噤んでいた。
もう関わりたくない名前だった。
「それについては……」
断りを入れようとしたら、田嶋の真っ赤に染まった左腕が目に入った。
田嶋が不敵な微笑みを覗かせる。
「この怪我の代償、ということでどうですか?」
「……思ったよりも意地の悪い人だ」
それを出されたら苦笑するしかない。
実際、彼が割って入ってくれなければ死んでいたことは確かだ。それに着せられた恩は早々に返すのが一番である。
「ここでも何ですし、どこか座れる場所はありますか?この怪我の応急処置もしたいので」
田嶋は、その怪我の出血量が嘘のように思えるほどケロッとした様子で微笑んだ。
***
歌舞伎町、ホストクラブ経営者、情報屋。
設楽はその単語の羅列からは想像もつかない雰囲気の男だった。
華やかな場所で沢山の女を侍らせるよりも、静かなバーで一人酒を嗜んでいる方が似合いそうだ。
女を虜にするよりかは、女が放って置かないタイプなのだろう。
頭脳派で飄々とした個人主義。生来的に生きるのが上手いタイプ。
設楽に連れてこられた空室で、パイプ椅子に座って淡々と呟くように話す設楽を観察していた。
――というより、気を紛らわせていた。腕の傷は想定より深かったようだ。
「ソラ……確か本名は蒼真碧。あいつは確かに、ウチのホストクラブ『club Moon-Night』で働いていた。けど二月に入ってきて、一ヶ月経たない内に辞めていった」
「それはいつ頃ですか?」
「三月の……そう、第二週。アヤさんが来てくれてたから水曜日。九日だ」
情報屋をしている辺り、記憶力はいいのだろう。
深矢は左腕の傷の上部を破ったシャツで器用に縛る。出血量に対して意味を成していると思えないが。
「辞めた、理由は?」
「詳しくは知らない。ソラはある日突然来なくなった。多分……あいつは裏社会と繋がりを持ってる奴だったんだ。それもヤバイ奴らと」
「どうしてそう……?」
聞いた途端、設楽の瞳に恐怖が浮かんだ。
「あ……あ、あいつが姿を消して、一週間後だ。お、俺は……誘拐された、脅迫された。口止めだ!」
口止めのために誘拐、脅迫――蒼井の事を隠すためのSIGの仕業だろうか。
「知らない奴らだ。見たこともなかった。そいつらは、ソラの居場所について聞いてきた。答えないと店を潰すと言って。けど俺だって知らないんだから、答えようがない。挙げ句の果てには、ソラについて聞かれたらあいつは死んだと答えろと言われた……だから本当のところは生きてるのかもしれない」
設楽は恐怖を忘れるように無理矢理笑顔を作り、深矢を窺い見る。
設楽を襲ったのがSIGの人間だとして、死んだと答えさせる理由はなんだ?後々の捜索をさせないための布石か?……だとしたら、どうして工作本部長は俺たちに『頼み事』をしたのだろう。
深矢は意識を繋ぎ止めるように俯いた。壁に肘をつくよう、左腕をさり気なく持ち上げる。
「……君、本当に顔色が悪い。やっぱり今すぐ病院に行く……」
「いや、大丈夫です。お構いなく」
アキと離れた後、すぐに茜と連絡を取った。怪我したことを伝えると、茜はそれを団長に報告したようで、すぐに応援を向かわせると言われたらしい。
「すぐに仲間が来てくれるので」
巨体を数匹相手した茜が無傷で、たかだか高校生一人を相手にした深矢が負傷というのも情けない話だ。
……もちろん、怪我は設楽の同情を誘うための餌だったのだが。
設楽がまた口を噤む。言いたい事を我慢しているような、そんな仕草だ。
「何か、気になることがあるんですね?」
一瞬こちらを見やってから、設楽は言葉を零す。
「誘拐から三週間後くらい……ソラが消えて一ヶ月経たないくらいの時。ホストクラブで常連の誕生日パーティをすることになって、その客の昔の写真を漁っていたんだ。店のパソコンで。そしたら、ある月の写真が一ヶ月分丸々無くなっていることに気付いた。三年前の五月の写真だ」
三年前の五月。
思わずその単語に反応してしまう。
「幸運なことに、ゴミ箱ファイルにほとんど写真は残ってた。けど一日分だけ、常連の誕生日パーティをした日の写真だけは、ゴミ箱からも消されていた。後で散々常連に文句言われちゃったよ。その年は特別に店の外でパーティをした、特別なものだったから……それで俺が気になったのは、その三年前の五月の写真が削除された日。ほら、ゴミ箱ファイルの保存期間は一ヶ月。逆算すれば削除された日が分かる。その日は、ソラが姿を消す前日だった」
「……ソラは写真を削除してから姿を消した、と?」
「ソラが写真を削除したんじゃないかって、俺は思った。故意なのか、不注意のことなのかは分からないけど」
「ソラとその常連さんとの接点は?」
「調べ尽くしたけど接点はなさそうだった」
「それじゃあ、写真の削除は単なる不注意……?」
だが青嶋の生徒がそんな無駄なことをするか?『平均太郎』と呼ばれていたとしても。
いや……蒼井の任務は、『設楽が持つ、SIGに関する情報を消すこと』だった。おそらく、消した中にその情報が含まれていたのだ。
それに削除されていた写真の時期も気になる――
その時気配もなく、突然扉が開く。
「怪我人、引き上げるぞ」
顔を覗かせた茜に、設楽が怯えた表情をする。
「安心して下さい。同じ探偵事務所の仲間です」
茜がニコリと微笑んだのを見て、設楽が安堵の息を吐く――のも束の間、茜の返り血を浴びた手を見てまた目を見開く。
「死人は出してないよな?」
「一人危ないかも」
しれっと答えた茜は、設楽に向かって血の付いた手をヒラヒラと振る。
「アンタ、護衛はもっとスマートな奴雇いなよ。あんなうどの大木の集団じゃ命いくつあっても足りないって」
「……え?」
設楽は圧倒されたように口をポカンと開けている。状況が飲み込めていないのだろう。
「で、そっちも随分やつれた顔してるじゃん。年下相手に情けないね」
「……手加減してやった結果だよ」
茜の手は借りまいと、ゆっくりと椅子から立ち上がる。
「今のアンタなら何攻撃しても当たりそう」
「血気盛んだな。分けて欲しいよ」
苦笑してから、設楽の方を振り向く。
「設楽さん。その削除されていた写真の日付は、分かりますか」
「日付。日付は確か……週末……金曜だ。連休の次の週で……ダメだ。日付までは分からない」
「三年前の五月。連休の次の金曜……」
それだけ分かれば十分だ。深矢の頭は自然と答えを導き出している。
五月十七日――忘れもしない。あの事件と同じ日。
思わずため息が出た。
同じ答えが出たのだろう。茜も隣で眉をひそめる。
「情報屋のあなたに依頼です。消えた写真について、その誕生日パーティについて、調べて下さい」
「……あ、うん」
「何か分かったら、名刺のアドレスまで連絡して下さい……僕らはここで失礼します」
茜が詳細を知りたいと言わんばかりに深矢に視線を送ってくる。
だがそれは深矢も同じだ。
蒼井の失踪と消えた写真。それから三年前の事件。
一体、何の繋がりがあるんだ?




