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スナイプ・ハント  作者: 柚希 ハル
決別編
21/74

21 隠すべき事、憑りつく噂

 

 時間にしてどれくらい経っただろうか。

 自分がいる場所も分からない。

 おそらくSIG所有の施設の一つなのだろうが……


 SIGの車に乗せられた深矢は手錠と目隠しをされ、その査問会が開かれるであろう場所まで運ばれた。視覚を奪われたことで周りの景色はおろか、時間感覚も失っていた。

 エンジンの音だけが響くような沈黙の中、大体の場所だけでも把握しようと道順を覚えようとしたが、それを阻止するが如く車は右折左折を繰り返し遠回りをしているようだった。おかげで大まかな現在位置すら分からない。

 唯一把握できたのは、最後に車ごとエレベーターに乗ったように地下へ潜ったこと。そこで目隠しを外され車を下された。

 番人のように仁王立ちする二人の厳つい警備員の間、非常扉のように重く厚い扉の中をSIGのエージェントかはたまた単なる構成員かすらも分からないような黒尽くめの男達に挟まれながら進み、今の部屋まで通された。


 壁も床も机も椅子も大理石のように白い。

 照明は壁に埋め込まれているようで光源は分からずぼんやりと、しかしはっきりと室内を白く照らしている。

 自分の心の闇が縮み上がり吐けと責め立てられている気分になる。

 そして後手には手錠。逃げ場はない。


 この部屋に入って、どれくらい時間が経っただろうか。

 地下ということ以外、自分がいる場所も分からない。

 本部より秘密度の高い、SIGの極秘施設なのだろうが……


 気が滅入りそうだ。だが、ここで持ち堪えないとこれからの査問会でボロが出る。

 一般的に査問会というのは、起きた問題の関係者の処罰を決定するため監察課からの招集により開かれる。

 招集されるまでの間こうして拘束監禁されているのは、工作員(スパイ)という職業柄、隠蔽工作をさせないためだろう。


 ガチャリ、と音がして背後のドアを誰かが開けた。


「秋本深矢、これよりお前を査問委員会に招集する」


 黒尽くめの男に立たされ、深矢は部屋を出た。


 黒く物々しい雰囲気を出す漆黒の扉の前に立たされると、体の両側から掌ほどの機械を上から下までかざされた。金属探知機だ。

 貴重品類は既に提出させられた。きっと組織の人間に財布の皮の中まで調べ尽くされるのだろう。他に隠し持っている物など何も無いが。

 そう思っていると、スーツジャケットのポケットの位置で機械が音を鳴らした。

 男が無言でポケットに手を入れ、対象を取り出す――


「盗聴器?」


 男が怪訝な顔で深矢を見上げる。深矢も同じような表情で見返した。

 そしてふと、茜に殴り掛かられたことを思い出す。

 あの時か。


「捨てて下さい。俺が仕込んだ物じゃない」


 男は無言でそれを放り投げ、足で踏み潰した。

 そして検査を続け何もなく終わると、無表情に扉へ顎をしゃくった。


「行け」


 黒く光る扉を前に息が詰まる。

 本部の梟の事務室と同じ色の扉だというのに、重みが違う。

 深矢は深呼吸をして、扉を叩いた。


「入りたまえ」


 重々しい声色に、昔尋問された時の魂を踏み潰されるような感覚が体を襲った。


「失礼します」


 ――ボロを出すな。隠すべきは無意識の底に沈めるのだ。

 深矢はそう言い聞かせ、重い扉を開けた。


「所属と名を名乗りなさい」


 先ほど待たされていた部屋とは真逆に、部屋全体が黒に包まれていた。

 壁も天井も机も黒く、足元と机の上に並んだ照明だけが白い光を放っている。


「工作本部特殊部隊班所属、秋本深矢です」


 緩やかな弧を描く長机に座るのは七人。一番手前が不自然に空席となっている。

 七人の中央に座る顔は見たことがある――現在の志岐大学長であり、SIGのボスだ。


「座りなさい」


 大学長(ボス)が言い、深矢は静かに長机の中央正面に位置する椅子に腰掛けた。

 目の前に七人もの役員、それも重役であろう人物が揃うと中々の威圧感だった。

 三年前の深矢にはおそらく耐えられなかっただろう。


 ボスの右隣の男が手元の書類を見ながら話し出した。


「これより査問委員会を始めます。今回は今朝方起きた構成員暗殺の件について、大学長(ボス)の命により五大幹部並びに工作本部特殊部隊班班長、及び関係者として秋本深矢殿を招集いたしました」


 大学長(ボス)に五大幹部に団長――招集に応じていない団長が気になるが、目の前にいる面子は間違いなくSIGの『権力者』だ。この中にあの事件を闇に葬った人間がいるのだろうか――という疑念は抑え込む。

 今は謎解きをする余裕などなかった。


「早速尋ねたい。君は殺されたエージェントとどのような関係だったのだ?」


 大学長(ボス)が深矢を真っ直ぐに見て尋ねた。

 射抜くような視線に耐えながら深矢は慎重に答えた。


「関係はありません。彼が構成員であることも知りませんでした」


 隠すべきは二つ。深矢が『田嶋陽一』の名で松永組という反社会組織と繋がりがあることと、三年前の事件の真犯人を捜査していることだ。


「……ではどうしてあの場にいた?」

「私用です」

「ふむ、表向きがフリーターの君にあの時間あの場にいるような理由が見当たらないのだが」

「それは、」

「偶然同じ時間に、同じベンチに座るとも思えない」


 大学長(ボス)は片眉を上げ、どうだと言わんばかりに矛盾を叩きつける。


「それに偶然だと言うなら、どうして現場から逃げた?」


 深矢に回答する隙すら与えてはくれないらしい。

 深矢の頭に三年前の尋問の風景がフラッシュバックする。同じ質問と回答を何百回と繰り返される苦痛の時間。あの時と同じだ。同じことが、今回は多勢を前に繰り広げられている。


「これでもまだ君は、あのエージェントを知らず、偶然その場に居合わせただけだと言うのかい?」


 隠すべきは無意識に沈めろ。そう教えたのは蔵元だ。それができればどんな自白剤でも吐かせられない、と。


「……彼のことは今日初めて知りました。むしろ彼がエージェントだと気付いたのは撃たれてからです」

「ほう?どうして気付いた?」

「撃たれた拍子にマスクがずれてました。それで変装していることに気付いた」

「ではどうしてその場から逃げた?」

「……逃げてない。射撃者を追ったんだ」


 十四個もの疑いに満ちた眼が深矢を舐め回す。悪いことなどしていないのに、意味なく疑われ悪者扱いされる。この縮み上がるような感覚は深矢にとっては一種のトラウマだ。

 ――自白剤には勝ててもトラウマには勝てない。嘘もそろそろ限界だ。


 その時、コンコン、と静かな空間に高い音が響いた。目の前の役員達の意識がそちらに向く。


「入りたまえ」


 大学長(ボス)の重々しい声に反応するように、ゆっくりと扉が開かれた。そこには至極落ち着いた様子の団長が、場違いな笑顔を浮かべて立っていた。


「失礼します」


 満面の笑みにも見て取れるその表情だが、泣き顔のような目元で口角は極端なまでに釣りあがっている。


「随分と遅い出席だな。君にも事件直後に招集がかかったはずだが?」

「重要な集まりに遅れましたこと、謝罪申し上げます。どうしても外せない用事がありましてねぇ」


 重役の口々から落胆のため息が吐き出される。団長はそれを気にとめることなく、芝居かかった動きで部屋に踏み入り一つ空いた席についた。


「いやぁ、何でも(うち)の推薦者が今朝の事件に関わってるとかないとか、犯人だとかそうじゃないとか」

「そうだ、君の所の新人が深く関わっている。君の責任問題も当然問われるだろうな」

「まさか!」

 団長はそこでわざとらしく驚いた声を出した。


「ご存知ありませんかな?今も申し上げました通り、この少年、秋本深矢は現時点では梟の推薦者であって正式な構成員ですらありません。ですから私に責任問題など擦りつけられても困りますねぇ」


 そのセリフにその場にいた全員が怪訝な顔をした。確かに深矢はまだ正式な構成員ではなかった。しかしこの言い方からすると、団長は深矢を援護する気などさらさらないようだ。

 深矢が半ば睨みつけるような視線を送ると、団長は深矢にだけ分かるようにふざけたウインクを返してきた。自力でどうにかしなさいとでも言われているようだった。


 敵と味方は見極めておきなさい――自分は味方ではないという表明か。


「……道化師め、問題児に何があっても責任逃れできるようしてあったということか」

「何か仰いましたかな工作本部長?」


 ボスの左隣で低くボヤいた男に、団長は笑いかける。その笑顔には黒い影が見えた。

 工作本部長と呼ばれた男は団長を睨んだ。


「あれだけ人事総会での反対を捩じ伏せてこの問題児を入れた割には、やけに見離すのが早いと思ってな」

「おや、問題児だから例外的に試用期間を設けようと提案されたのはあなた方では?」

「その話はよせ。今は今朝方起きた事件についての査問会だ」

「失礼致しました」

 大学長(ボス)が割って入り、団長が飄々とした口調で謝る。


「話を戻そう。秋本君、君は殺されたエージェントの一番近くにいたわけだが、どうも先程から詳しいことを話そうとしない。どういうことだ?」

「……だから言ってるだろ、俺はあいつがエージェントだなんて知らなかった、今日が初対面だったって」

「……そこまで突っ撥ねられると、こちらも昔話を引き出さなければならない」

大学長(ボス)、それはトップシークレットです……」

「構わないだろう。ここにいる者は皆その件については知っている。何よりその件との関係を疑っているのだからな」


「その件とはもしや、今回暗殺されたエージェントが、三年前の先代の暗殺事件当時、青嶋氏の護衛任務班の班長だったことですかな?」


 団長の発言に、一瞬にしてその場の空気が張り詰めた。

 団長とボスを除いた役員達はお互いを探るように視線を逸らせ、深矢は緊張で喉がカラカラだった。

 それもそうだ、SIGにとってあの事件はパンドラの箱のようなものだし、深矢は暗殺事件との関係が露見することで今の立場が危うくなる。

 団長はそれを知ってか知らずか、緊張感に包まれたこの状況を高みの見物しているような素振りだ。


「……単刀直入に聞こう。君が彼に近付いたのは先代の暗殺事件を調べるためかい?」

「……ち、」


 違います、と答えようとした時、それを邪魔するようにドアがノックされた。


「事故処理班です。調査結果をお持ちしました」


 ため息をついてから、大学長(ボス)は入れと低く言った。


「失礼します」


 そう言って入ってきた男は足早に大学長(ボス)の元へ歩み寄った。そして束ねた書類を渡しながら大学長(ボス)に耳打ちし、それが終わるとまた足早に立ち去った。


「失礼しました」


 男が去り扉が閉まってから数十秒間、大学長(ボス)は渡された資料に目を通していた。

 その場の全員が次の言葉に耳を傾ける中、資料をパタリと裏返した大学長(ボス)が長く息を一つ吐いた。


「事故処理班の報告から、今回の事件と例の件は無関係と判明した……よって秋本深矢を不問とする」


 ほう、と団長が一人感嘆の声を漏らす。

 深矢も表にこそ出さないが心の中で安堵した。

 おそらく、蔵元の言っていた『手回し』が間に合ったのだろう。

 一先ず助かった――深矢はすぐに下がれと言われ、トラウマから逃げるよう緊張感で苦しい会議室を後にした。


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