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スナイプ・ハント  作者: 柚希 ハル
決別編
20/74

20 闇に葬られた事件の『被害者』Ⅲ

 

「やあ、君に会うのは二回目だな」


 その日の朝――約束の時間、約束の場所に言われた通りの格好で着くと、隣に座っていたグレースーツの男性が独り言のように言った。


「あなたが……」

「そうだ。君の記憶の顔と違うのは許してくれ」


 彼こそがカメレオン――青嶋学園長暗殺事件当時、特別任務班班長を担っていた男。


 その顔は深矢の記憶の顔とも、二日前にSIGのデータベースの構成員名簿を見た時の顔とも違っていた。何か隠れなければならない理由でも――いや、任務中の工作員(スパイ)に聞いても無駄だろう。


「君から連絡が来た時は驚いた。まさかこんな大物から連絡が来るとはな」

「ベテラン工作員(スパイ)に大物なんて言われるとは俺の株も見くびったもんじゃないな」

 皮肉たっぷりに返せば、カメレオンはハッと笑い飛ばした。

「そりゃ大物だろう。組織の権力者が全力で闇に葬った事件の被害者だからな」


 被害者――深矢をそう呼ぶ人間に会ったのは初めてだ。

 深矢は思わずその横顔を見つめた。やはりこの男に話を聞いたのは正解だった。今まで誰も教えてくれなかったことを、この男は知っている。そう直感した。


「そんなに見るな。君とこうして話をしているのも組織にバレたら問題になる……ちなみに、どうやって俺まで辿り着いた?」

 深矢は視線を戻し、目の前を行き交う人々を見つめた。その奥のショーウィンドウには、人々の影に紛れて二人の姿が映される。


「青嶋を追い出されてから、地道に組織を探ってた」


 そして二日前、例の事務員兼大学教授から盗ったIDカードでSIGの構成員名簿を閲覧し、カメレオンと連絡を取ったのだ。話を聞き出すにはもう少し難航するかと思っていたが、カメレオンはあっさりと会ってくれた。もしかすると深矢がこうして会いにくるのを待っていたのかもしれない。


「外部からか……やはり君にはあの権力者を全力にさせるだけの力があるんだな」

「なぁ、さっきから言ってる権力者ってのは一体誰のことだ?」


 深矢が聞くも、カメレオンは小さく首を振った。


「言いたいが言えないことの多い職業だ、許してくれ。そして悪いが余談はここまでだ。急がないと足がつく。まずは一つ、俺と会ったことは忘れろ。それと今から言う情報の元が俺だと他には言うな。いいな?」


 急に切羽詰まったようにカメレオンは話し出した。深矢は慎重に頷いた。


「よし、良いだろう。それで――君は何を知りたい?」


 ついに本題だ。知りたいことなど一つに決まっている。


「あの事件の真犯人」


 深矢は、固唾を呑んでその答えを待った。全神経を隣のカメレオンに集中させる。


「あの黒幕は――――」


 辺りの雑音が消えていく。

 深矢は続きの言葉に耳を傾ける――が。


 プスッ、と音がしたかと思うと同時に、視界の右側でカメレオンの体が前方に吹き飛んだ。

「おいッ?!」


 咄嗟にその体の横に膝をつく。左胸の部分のスーツに穴が空いていて、そこから大量の血が流れ出ている。


 狙撃だ――深矢は辺りを見渡した。この狙撃が可能な高さのビルを探し――ちょうど深矢達が背中を向けていた方向の、超高層ビルの隣の低い建物の屋上で、何かが反射してキラリと光るのが見えた。あそこだ。


「キャアアァァアーーッ!!」

 付近を歩いていた通勤客から次々に悲鳴が上がり、時間が止まったように人々の足が止まる。

 この人の数はまずい。どうする――


「……げ、だ」


 足元でカメレオンが言葉を発した。深矢はそれを聞こうと顔を近付ける。


「か、げを……見つけ……ろ近、くに……いるは……ず」


「影?何だよそれ、まだ聞きたいことは……」

「……げろッ」

 カッと目を見開いて、カメレオンは最期に叫んだ。

「逃げろ!」


 そして力尽きた。

 辺りが一層騒がしくなる。


 逃げるしか……ないのか?


 深矢の脳裏にあの日のこと――青嶋から逃げ出した日のことがフラッシュバックする。デジャビュだ。

 唇を噛み締め、カメレオンの遺体を置き去りに深矢は人混みの中に突っ込んだ。通勤客は突然撃たれた男の躯体に釘付けで、深矢を追いかける人などいなかった。群衆の中を掻き分け、その場から遠ざかろうと駆け抜ける。

 途中、野次馬の群れにぶつかった瞬間に首元のネックレスが引っ張られた気がしたが――気にしてはいられなかった。


 SIGの構成員が何者かに射殺された。それも人通りの多い駅の真ん前で。

 直ぐに組織に連絡が行くだろう。そしてその現場に関係者がいたとなれば、重要参考人として、はたまた容疑者として尋問されるのだ――昔のように。


 三年前の事件直後のことが脳裏に浮かぶ。地下の牢屋のような狭い部屋で、時間の感覚が分からなくほど閉じ込められ尋問された。その内容といえば、同じことを何度も繰り返させられ片っ端から犯人扱いだった。

 今の深矢に容疑をかけられ拘束される余計な時間はなかった。カメレオンが残した『影』という手掛かりをどうしても追わなければならない。


 でも、どこに逃げればいいんだ。

 自宅もその周辺も生憎本部の目と鼻の先だ。SIGに知られれば押さえられるのは早い。他に頼れる人は――


 その時、タイミングを計ったかのように深矢の携帯が震えた。

 走る足を止め、急ぎ足で歩きながらスーツのポケットから携帯を取り出す。

 非通知だった。SIGの人間からではないことを祈りつつ耳に当てる。


『よう、犯人探しの調子はどうだよ?』


 その低音を聞くなり、黄ばんだ歯をニヤリと見せる男の気味の悪い表情が思い浮かんだ。青嶋学園の教師、蔵元だ。


 こいつだ。

 深矢は反射的に話していた。


「どうもこうも、唯一の手掛かりだったあの男、俺の目の前で射殺されたぞ!」


 電話の向こうで息を呑む気配がした。一拍の間を置いて、深刻な声色が電話口から聞こえた。


『そりゃ口止めだな……あいつはマーク済みだったってわけか』

「口止めって……」


 そこでカメレオンが情報源を秘密にしろと強く念を押していたことを思い出した。わざわざ変装していたことも。あれは彼が今取り組んでいる任務のためではなく、三年前の事件の真犯人――いや、闇に葬ったという権力者か?――を警戒してのことだったのだ。


「なぁ、組織の権力者ってのは誰がいる?」

 深矢は聞いたが、向こうは答えなかった。

『おいおい、今は謎解きしてる場合じゃねぇぞ。お前は数時間もかからない内に査問会にかけられるはずだ。そうなっちまったら……』

「分かってる。けどそんなものに引っ掛かってられるほど悠長にはしてられない」

『お前さん、SIGを舐めてんな』

 すると、蔵元の強い口調が深矢の頭を殴った。


『逃げられると思うな。今のお前さんは唯一の目撃者であり関係者だ、そんな重要参考人をちんたら探すわけがねぇだろ。どんな手を使ってでもSIGはお前さんを探し出すだろうよ。潔く出頭するのが最善策だ』


 それを聞いた深矢の視界に街灯が映り込む。道路沿いに等間隔に配置されたそれには、数本に一本の割合で監視カメラが付いていた。おそらく駅周辺の監視カメラにも深矢の姿は映り込んでいるはずだ。

 逃げ切れるとは言い難かった。

 こうなることが分かっていればな――と今更思っても遅い。せめてもの抗いとしてカメラに顔が映らないよう顔を背け、ビルの間の細い路地裏に入る。


『さっさと査問会が終わるよう、俺の方で出来る限り手を回してやるよ。いいか、下手に逃げると敵が増えるだけだぞ』

 今の状況は圧倒的に不利だ。切り抜けるには蔵元に頼る他ない。

「……分かった」

 よし、と答えて電話が切れる。


 深矢は携帯をしまい、ゆっくりと顔を上げた。

 薄暗い路地裏。あるのは隅に転がる空き缶と、古びた建物の裏口だけ。


「……いるんだろ、出てこいよ」


 声を掛けると、待ち伏せしていたのだろう、茜がどこからともなく降ってくるなり深矢に殴りかかってきた。それを寸での所で受け止める。顔前でクロスさせた腕に茜の拳がのめり込み、ウッ、と思わず声が漏れた。


「何でここに来るのが分かったかなんて聞くなよ。あんたのストーカーが予測したことだ」


 茜のパワーは成人男性を裕に勝り、その体術は格闘技のプロにも劣らない。深矢が青嶋にいた頃も素手で茜に勝てる同期はいなかった――ドローに持ち込めたのもスピード自慢の深矢だけだ。


「あいつの千里眼には敵わないな」


 茜の二発目をかわし、深矢は蹴りを繰り出す。茜はそれを後ろに飛び退いて避けた。

 茜と海斗につけられていたのは知っていた。だが二回撒いて、それで振り切ったと思っていたが違ったようだ。


「あんたが何の目的で今日ここに来たかなんてこれっぽっちも興味なかったけどな、そうとも言えなくなった」

 茜は明らかに深矢を不審がっていた。滅多に人に疑いの目を向けない茜に、そんな目で睨まれるのは二回目のことだ。


「どうせこれから事情聴取やら何やらで聞けなくなりそうだから先に聞いとくよ。あんたが関わってんの?」

 茜にそう聞かれるのもこれが初めてではない。そして一度目の時も今回も、答えは同じ。


「関わってるよ。けど犯人じゃない」


 断言したら、以前と同じく茜は笑って軽口を叩いた。

「巻き込まれんの好きだよね、あんたって」


 それから言葉では言わずに、深矢の背後を顎で指す。

 物々しい気配で分かった。この路地裏を出た正面の通りに、SIGの車が停まっている。今しがた起きた事件の、重要参考人のための護送車だ。


 仕事が速いこと、と茜は鼻で笑った。


「まぁ精々楽しんできな。せっかくの人生二度目の事情聴取なんだから」


 その軽口に何か言い返すより速く、深矢は背後から数人の男に引きずられるようにして黒光りする護送車に乗り込んだ。



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