エピローグ:恋愛脚本家の新たな一日
馨の元に、2杯目のコーヒーが運ばれた時、やっと待ち人が現れた。
「あっ。さーせん。遅くなりました!」
口では謝っていながら、顔にはへらへらと笑顔を貼りつけている。なんとも軽い謝罪だ。
「あっ、クマさん。俺、カフェオレとドーナツお願いします」
「はいよ」
相馬は、くまのカフェのオーナー熊埜御堂雅也に、常連認定されたらしい。裏メニューのドーナツを注文すると、馨のいる席にやってきた。
「相馬さん、すっかりここのドーナツがお気に入りだね」
「あんま甘いのダメだったんすけどね。ここのは別っす」
話しながら馨の向かいのソファに座ると、相馬は馨の小さな変化に気が付いた。
いつも笑顔を絶やさない柔和な外見はそのままなのだが、あまり人を寄せ付けなかった壁のようなものが取れている。
まじまじと見ていると、器用に片眉だけを上げ、「なに?」と聞く。
もしかしたら、馨自身は気が付いていないのかもしれない。
神馬馨という人物は、一見人当たりが良さそうだが、実はガードが堅かった。
その容姿と才能を、当時の主演女優の売名行為に利用されてからというもの、周囲に壁を作ってしまったのだ。
それが、今は綺麗に取れている。
周囲への警戒を解いた――? いや、違う。相馬はすぐにその考えを打ち消した。
壁が、必要なくなったのだ。
今の神馬馨からは、凛とした強さと、精神的な余裕を感じる。
「化石発掘調査、順調すか」
あてずっぽうだったが、それは的を得ていたらしい。
馨は目を細め、ふっと微笑んで見せた。
「調査は終了したよ。化石じゃなくて宝石だったけどね。これからは壊さないように傷つけないように大切にしないと」
そう話す馨の笑みは壮絶な美しさだった。周囲にも、そんな馨を盗み見る女性がいる。だが、馨はそんな視線などには目もくれない。
このまま話を続けていると、こっちがあてられてしまう。相馬はバッグの中から企画書を取り出すと、馨の前に置いた。
「次回のドラマの企画書っす。電話でも話した通り、男女それぞれの視点で2クールぶち抜きでやる、新企画なんすけど――」
「けど?」
いいよどんだ相馬に、馨が先を促した。
「前、センセにもらってた、例の妥協できないアラサー女子……企画通んなかったっす。……すみません」
今度は、「さーせん」じゃなく、ちゃんとした謝罪の言葉だった。
相馬は「俺、絶対これいいと思うんすけどね」と、心底悔しがっている。
「またちょっと、とある事務所が絡んでるんすけど……このキャラクターにあてはまる女の子がいないっていうんすよ。今売り出したい子は、26歳の元アイドルの子らしくて、この役はハードル高いって……」
「ちょうど良かったよ。俺も、別のプロット用意してきたんだ」
特に残念がる様子もなく、数枚の紙を相馬に渡した。
相馬はそれに目を通すと、すぐに身を乗り出して読み始めた。
「どうかな?」
「これ……これは、いいっす! 夢だった仕事に就いたのに充実感を得られなくなったヒロインと、夢である俳優になるため、自分の一日を人に買ってもらって演技をする青年。男の方が年下か……。いいっすね、今勢いある若手俳優多いですし」
ヒロインは、夢だった航空会社に入ったが、地上勤務。華やかなCAを横目に、空港内を走り回る毎日。それでも、憧れの制服に身を包み、最初の数年はやる気もあった。だが、27歳を迎え、同期の寿退社が続くと、こんなはずじゃなかったのに――という思いが強くなる。
そんなある日出会ったのは、俳優を目指してプライベートの時間を人に売って、希望の役を演じるという大学生。
所謂セレブドラマを得意としていた神馬馨だったが、このプロットにはオシャレだけではない、若者の悩みや夢が詰まった人間ドラマになっていた。
これを書かせたのは、やはり化石――もとい、宝石の影響なのだろうか。
相馬は俄然、その彼女に興味がわいた。
「あの、今回は無理でも、俺……やっぱりあの妥協できない女子の映像化、諦めたくないっす」
だが、馨はあっさりと首を横に振った。
「ダメ。あれは俺だけのものだから」
「えぇ~」
本気で残念がる相馬を見て、馨はニヤリと笑った。
「相馬さんも分かるでしょ。他のヤツと、共有なんてしたくないの」
「はぁ。まぁ……そうっすけど」
残念だ。
神馬馨をこうまで変えた人物は、一体どんな人なのか……気になるが、仕方がない。
本当に大事な女性に出会うと、男は独占欲の塊になるのだから。
こんな馨を見れただけでも、良しとしよう。
相馬は仕事に頭を切り替えると、馨のプロットに視線を戻した。
おわり
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。




