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女は女子力を上げるため、女を捨てる

 恋人の様子がおかしい。


 馨が違和感に気づいたのは、取材旅行に行くことを透子に告げた時だった。


『行ってらっしゃい。気を付けてね』


 何もおかしなところがない返信のようだが、いつもならもっと言葉が多いのに――なんとなくそこにそっけなさを感じた。

 違和感が疑念に変わったのは、取材旅行でカナダに出発する前日だった。

 ほんの少し胸に引っかかる棘を、払拭するつもりで訪れた透子のアパートで、上質の紙で出来た分厚い大きなピンク色の封筒を見つけたのだ。


「……透子さん。これ、なに?」


 何気なく手に取った封筒を、小さな台所から顔を覗かせた透子が、慌てた様子で取り上げた。


「ダメ! これは、ダメなんです!」

「なんで? ねえ、透子さん。なにかあった? なにか、俺に隠しごとしてない?」


 もしかして、この分厚く大きな封筒は――嫌な予感が馨の頭をよぎる。

 見合い写真……?

 いや、そんなはずはない。透子には話していないが、既にメル友となっていた透子の母には、交際を始めたその日に、いずれ正式な挨拶に行くと伝えてある。とても喜んでいたし、それを思うとそんな透子の母がまた見合い写真を送ってきたとは考えにくかった。

 でも、もしかしたら仕事関係で上司からその手の話があったとか……現代社会ではセクハラだのパワハラだの言われそうだが、実際は会社関係で見合いもどきの出会いがセッティングされるというのはまだまだあるようだし……。そんな考えが馨の頭をグルグルと巡る。その間に、透子は奪い取った封筒をクローゼットの中にしまいこんでしまった。心なしか、顔が赤い気がする。


「透子さん。今の、なに?」

「ダメ! 聞かないでください! な、なんでもないんです……」


 目の前の恋人は、困ったように眉を下げ、敬語で話す。

 そんな透子の様子に、馨は心の距離を感じた。恋人関係になっても、透子の歩みはゆっくりだ。あまり急かしたくない。逃がすつもりはないから、透子の言葉からなかなか敬語が抜けないことも、少し遠慮がちに連絡を寄越すことも、そんな気を使わなくていいのにと思いながら、心を開いてくれるのを待っていた。

 それでも、なかなか自分から連絡を寄越さない透子に、取材旅行から帰ったら旅行に行こうと誘った。その言葉の意図するものはさすがの透子でも分かるだろう。身体の距離が縮まれば、心の距離も縮まるかもしれない。そう考えたのがいけなかったのだろうか。旅行に対しては了承の返事が返ってきたのに、あの日を境に透子の態度が、とくにそっけなく感じるようになった。


「どうしても、言えないの?」

「……ダメ、です。ごめんなさい」

「このまま、長期の取材旅行なんて、お互いのためにならないと思うんだけど?」


 思わず語尾が荒くなり、馨は内心舌打ちした。思った以上に余裕がない自分にイライラする。けれど、そのイライラが自分に向けられたものだと勘違いした透子は、しっかりと閉めたクローゼットを背に、身体を縮こまらせた。


「ごめん。透子さんを責めたんじゃないんだ。ごめん、なんか……隠されてる気がして」

「そんなんじゃないの。あの……ほんとに」

「本当? なら、ひとつだけ約束して。俺が留守の間、他の男に気を許さないで。できれば……他の男に会わないで欲しい。仕事の付き合いもあるかもしれないけど、極力プライベートでは、会わないで」


 馨の発言に、透子はきょとんと目を丸くさせた。けれど、馨の表情は真面目そのものだった。



  * * *



 馨のあの様子は一体なんだったのだろうか……透子に他の男と会うなと強く約束させると、夜遅くになってやっと馨は帰っていった。

 でも良かった……中まで見られなくて! 透子はいそいそとクローゼットを開けると、淡いピンク色の大きな封筒を取り出した。

 片付けておけば良かった……後悔しても遅いが、まさか出発前日に、馨が突然訪ねてくるとは思わなかったのだ。

 中を開けると、立派なパンフレットと契約書、そして透明の台形のプレートが出てきた。

 勇気を出して、カウンセリングに行ったサロンの契約書だ。部位は腕と脚、そして脇とVゾーン。これを馨に見られていたらと思うと恥ずかしすぎる――!


(それに……)


 透子は下腹部に、そっとプレートをあてがった。

 事前準備として、サロン予約日の前日にはこのプレートに沿って、シェービングしなくてはならない。

 その姿たるや滑稽すぎて、泣けてくる。なにが悲しくてバスルームでプレートと剃刀を手に奮闘しなければいけないのか……。世の中の女子は、皆これを乗り越えてるのだろうか。


 が、予約日当日に透子を襲ったのは、それ以上の衝撃だった。

 透子は失念していた。

 よくよく考えればわかることだったのに、台形プレートに振り回され、当日サロンの小部屋に通されるまで気づかなかったのだ。


「では、こちらにお着替えお願いしますね」


 しっかりバッチリフルメイク。おまけにムダ毛の一本もないツルツル美肌の綺麗な若い女性に渡されたのは、肌触りのよいバスタオルと、小さな包みだった。


「ええっと……」

「下着もすべて外して、胸の上にゴム部分がくるように着用してください。こちらは前後はありません」

「は、はい」


 女性は慣れた様子でロッカーの施錠の説明を加えると、小部屋を出て行った。

 広げてみると、バスタオルは輪になって上部がゴムで絞られており、サイドはボタンがついている。


(で、この包み……なんか大きさ的にタンポンみたいなんだけど……)


 ビニールを破り中身を取り出すと、出てきたのはなんとくるくると丸められて、小さくなった紙パンツだった。

 前後がないとはこのことだったのか……にしても、小さいんだけど……。戸惑いながらも、透子は着替えることにした。

 早くしなければ、女性が戻ってきてしまう。

 が、穿いてみるとなんとも心もとない。なんだか前部分は少しブカブカと隙間があくし、お尻は逆にTバックのように少々食い込む。

 前後がないと言っていたが、このことではなかったのだろうか……。そう思い、急いで前後を逆にするが、やはり同じような状態になった。


(ど、どうしよう。やっぱり前がブカブカなんだけど……)


 それでも最初の方が少しフィットしてた気がして、再度穿きなおそうとしたところで、外から声がかけられた。


「お着替えはお済みですか?」

「は、はい!」


 もうこうなったら腹をくくるしかない。透子は言われるがままにベッドに仰向けになると、テキパキと準備をすすめる女性を、内心ソワソワしながら眺めた。


「では、強い光が出ますから、ゴーグルをつけさせていただきますね」


 透子は目にゴーグルをつけられ、更にその上からタオルをかけられて、視界が真っ暗になった。

 そうだ。カウンセリングの時に、強い光をあてて手入れをすると聞いたではないか。


(眩しくなるから、ゴーグルで目を守るのね。――ん? 眩しい?)


 透子は、頭を強く殴られた気がした。

 どうして気づかなかったのだろう。小部屋は、隅々まで手入れができるように、煌々と明かりがつけられている。そこで今、股を――股をををを!


「では、状態を確認いたします」


 そう告げると女性がタオルを左右に開いた。透子はおなかから足がむき出しになり、エアコンの風が直接肌を撫でるのを感じた。


(わー! わー! わー! こんな明るい部屋で!)


「失礼します」


 続けて足を広げられ、女性の手が下腹部に触れた。

 透子はもう恥ずかしくてたまらない。女性の秘すべき部分をこんな風に明るい場所で晒して、それで上げる女子力とは一体なんなのだ。そんなに古風な考えではなかったはずだが、どうにも今の自分が置かれている状況が受け入れられない。


(わー! クッて引っ張らないで! 丸見えになるじゃない!)


 女性の手は、少しゆるくなっている紙パンツの前部分に手をかけると、クイッと上に軽く引っ張った。確実に、今パンツはなってはいけない形状になっている。前部分がTの字になってしまっているのだ。そしてそのままクリップのようなもので固定されてしまった。


(お、お股がスースーする……!)


「もう少し、足を広げさせていただきますね」


(う、うそでしょ!)


 そう思ってはいても、今更やめることはできない。透子は「……はい」と返事をした。

 綺麗になるため、綺麗になるため。そう言い聞かせて。そうでなければやってられない状況だったし、一刻も早く終わらせてしまいたかったというものある。

 女性は慣れた手つきで確認すると、「ライン書かせていただきます」と、なんと股に線を入れた。


(女子力上げるって……こんなにも恥ずかしいことだったんだ……)


 ササッと線を引かれる感触に、透子は女としての大事ななにかを失うのを感じた。

 黄昏れていると、女性はひんやりしたジェルをたっぷり塗りたくり、「始めます」と言った。

 もうなんでもいいからさっさと終わらせたい!そんな心境の透子だったが、股にピリッと電気が走るような痛みを感じ、思わず声を上げていた。


「ひゃっ!」

「痛みます? 我慢できますか?」

「は、はい……」


 ピリッと痛むが、どんな痛みかわかると我慢できない程ではない。だが、こんなにも痛みを伴うものを皆やっているんだ……と少しショックだった。これが35年女磨きを怠ってきたツケなのだろうか。それにしても、部位が部位だけにピリッと痛みが走ると、ドキドキそわそわしてしまう。

 それが感じられたのか、スタッフの女性が透子に話しかけてきた。


「もしご不安などありましたら、仰ってくださいね。気になることなどもございませんか?」

「ええと……あの、皆さん結構Vゾーンってされてるんですよね」

「そうですね。多いと思いますよ。それに、今はIもOも処理される方も増えました」


(あ、IとO? なんのことだろう)


「それってどこなんでしょう」


 答えを聞いて透子は動揺した。なんと、Iとは女性のアソコの脇。Oとはお尻の穴周辺だというではないか。このVゾーンが最大級に恥ずかしい箇所だと思っていたのに、上には上があるということだ。しかも、場所がら、今の透子以上に恥ずかしい格好をすることになるではないか。紙パンツくいっどころの話ではない。


(し、信じられない……)


「Vゾーンと一緒にお手入れされる方も多いですよ。お客様はいかがですか?」


 そんな、Iも恥ずかしいが、Oだなんて当たり前だが自分でも見たことのない場所を、明るい部屋で晒すなんて……!

 透子は「け、検討してみます……」と、小さく答えるしかできなかった。


 目的のためならば、時に女は、女を捨ててまで女子力を上げるのである。

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