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宝石でもブランドでもなく、欲しいのは白さです。

「恋愛って、どうしたらいいんだろう……」


 平日の夜というのもあってか、今日は客が少ない。

 既に返本業務や発注業務もすんなり終わり、後は店内に数人ポツリポツリと居る客の接客だけだ。だが、その客もなんとなく時間を潰しているような感じで、カウンター周りは静かだった。

 今、透子はレジ担当の明日香の横でブックカバーの作成をしていた。

 何かしていないと、ついつい昼間の馨との会話を思い出してしまう。

 そう思って色々仕事を見つけては没頭していたのだが、余りに客が少ないのと、隣に居るのが馨を知っている明日香ということもあってついつい呟いてしまった。


「何なに? 馨さんと何かあった?」


 しまった、と思った時は既に遅く、明日香が好奇心丸出しの笑顔で食いついてきた。

 こんな時に限って、店内からは一人、また一人と客が出て行ってしまった。


「ねぇねぇ、どういうこと?」


 こんな状態の明日香から逃れるのは至難の業だ。それに、もしかしたら透子も、同じ女性としての意見を聞きたかったのかもしれない。「あのね。今日――」そう透子は今日の出来事を話しだした。


 だが、話を聞いた明日香は呆れたように息をついて大げさに肩を竦めるだけだった。


「ナンデスカー。ノロケですかー」

「な、なんでよ!?」

「だって。馨さんは、透子の恋愛経験の少なさを指摘したんじゃなくて、透子が一人の男しか知らないことに嫉妬してるんでしょ? これのどこがノロケじゃないのよ」


 そんな恥ずかしい話を、繰り返さないで欲しいものだ。いくら少なくても客は居るし、今は仕事中なのだ。抑えようと思っても、顔に熱がこもるのが分かる。


「正直……戸惑いは消えてないの。恋愛とか、諦めてたのよ」


 透子との付き合いは十年近くになる。明日香もそれは薄々気が付いていた。


「でも、やって来ちゃったもんはどうしようもないわよ。透子が自分ひとりで作り出した世界が居心地いいのは知ってるけど……」


 そうなのだ。

 世間では容姿もキャリアも普通以下のアラサーやアラフォーは、完全負け組となるのだろうが、実際は違う。

 結婚を早々に諦める潔さを持っていれば、かなり楽しいものだ。

 一日24時間365日の殆どを、自分で自由に管理できる。

 世間での振舞いだって、社会に出て十年以上も経てば慣れたものだ。怒られることと初めてのことは減り、苦手だった美容室での会話も、如才なく出来るようになった。

 刺激が無いと言えばそうだろう。だが、この緩やかで穏やかな毎日と、趣味に没頭できる至福の時間があることで、ぶっちゃけこの生活に満足しているのだ。

 恋愛は、それを根底から覆すものである。正直、踏み込むには二の足を踏む。大体、棚からぼた餅を地でいく恋愛が、自分に訪れるなど思ってもみなかった。

 透子自分が、人生を変えるような大きな努力しなければ、異性との出会いすらありえないと思っていたのだ。恋愛に発展するなど、それ以上の努力が必要だ。そう、もはや別人になるほどの努力が。でなければ、誰がこの平均以下の見た目で、平凡な仕事をしている小太りの女を異性として意識して、寄ってくると思うのだ。自分自身ですら、それは無いな、と思っていた。

 つまりはもしも恋愛するのなら、自分自身覚悟の上で動くと思っていたのだ。それが何の構えもしていない所に極上のぼた餅が降ってきたのだ。落し物として交番に届けたい程である。


「まぁ……言いたいことも分かるわよ……。だって透子、枯れすぎもいいとこ。ちょっとずつでもしっかり貯金して、将来は施設のお世話になろうと思ってたんでしょう?」

「……なぜそれを……」

「あんた、少し前に社割で『失敗しない老後の施設選び』買ってたじゃない」

「枯れすぎ、ねぇ……好きで枯れたんじゃないけど、咲かない人生もそれはそれであるわよねって思ってたんだもの」

「確かに、アレはちょっと……手に余ると言うか……規格外もいいとこよね」

「そうなのよ……地味な趣味にも付き合ってくれるその懐の大きさも出来すぎで……変わる必要はないって言われても、いやいや! 駄目でしょ! って思うのよ。なんていうか……普段の私に恋愛の“れ”の字も無いんだもの」


 すると、明日香は少し考えるような素振りを見せると、とある提案をしてきた。


「なら、思いっきり普段通りにすれば? 私もさ、彼氏と同棲始めて、自分らしく居ることと好きな人に見せたい自分で居ることのギャップがありすぎて、こんなことになるなら、初めから自分をさらけ出せば良かったって思ったのよね。結局、透子は怖いのよ。浮かれたところで叩き落とされるんじゃないかって、怖いんじゃないかな。だからすぐ元に戻れるように、自分のペースを乱したくないのよ。なら、思いっきり最初に自分を出してみたら? 傷は浅い内にってやつよ。それで呆れられたらそれまでじゃない」

「……嫌われる前提でってこと?」


 嫌われるのは、怖い。でも、今の生活を壊すのも、怖い。

 でも一番怖いのは、本気で好きになって受け入れてもらえたと思った瞬間、その思いを叩き潰されることだ。

 自分勝手なのは分かっていた。でも、もうあんな思いだけはしたくなかった。


 思い切り自分をさらけ出して、女捨ててるオバサンだ。そう思ってもらおう。

 短いけれど、素敵なときめきをもらった。私には勿体無い程の――。


 透子はなんだか胸がスーッとして、元気が出てきた。

 大体、最近の“女子力”という言葉の使い方は、間違っている気がする。

 本来、女子力とは冷蔵庫の中の材料でささっと食事が作れるとか、出先でさりげなく相手を立てられるとか、決められた金額の中で生活する、とかではないのか。それが昨今の雑誌やテレビでは、流行の服に身を包み、サロンでの定期的なネイルの手入れ、デートシーンに合った化粧方法……そんなことに“女子力アップ!”などと書かれているのだ。

 ならば、私は私の思う女子力を貫くまでだ。今度馨に誘われたら、またスーパーの買い物にでも付き合ってもらおう。透子はそっとほくそ笑んだ。


 その機会は意外に早くやって来た。しかも、馨は二つ返事で了承した。


「透子さん、今日は何を買うつもり?」


 なぜか馨はとても楽しそうだ。昨日大学時代のゼミの仲間とBBQだったんだけど、今日のためにBBQセットは全部車から降ろしてきたよ、などと楽しそうに笑う。


「だから後部座席もトランクも、荷物はたっぷり入るよ。さ、まずはどこに行こうか?」


 買い物カゴが二つ入るLサイズのカートを押しながら聞いてくるその姿は、心から楽しんでいるようにしか見えない。

 おかしい……前回トイレットペーパーを山のように買った時は戸惑っていたのに――。


「透子さーん? どこ行く?」


 出遅れた透子に気付き、戻ってきた馨は透子と連れ立って歩き出した。


「え、ええと……まずはサラダ油! それにお砂糖。そしてお味噌。あ、お醤油も……」


 カートの中は、普段は重くて一気には買えない物ばかりが入れられた。

 食パンや乾燥ワカメなどは、普段一人で持ち帰れるので今日はパス。更に牛乳とタマゴのパックを入れてレジに進んだ。

 支払いをしようとポケットに手をやる馨よりも早く、透子はピンク色のカードを取り出しカードリーダーにかざす。ピロリロリンという可愛らしい音と共に、清算が終わると馨は不思議そうに透子が手にしているカードを見た。


「透子さん。俺が払いたかったのに――」

「だって。今日はポイント5倍デーなんだもの。もしかして馨さん、このスーパーの会員カード持ってました?」

「ポイント? 5倍?」

「そうよ。ここの系列店で使えるカードなの。今日はこれで支払うと、ポイントがいつもより貯まるんですよ」


 カードの存在を知らなかったらしい馨は感心したように頷いた。


「エコバッグに入りきらないのは、スーパーの袋に入れてくださいね」

「ああ、うん」


 馨は嫌がることもせずに、次々袋に商品を詰め込む。それを透子の鋭い視線は逃さなかった。


「ダメ! そんなに液体モノばっかり同じ袋に入れたら、重くて持てません。もし持てても、重さで車に行くまでに破れちゃうかもしれないから、やり直しです」

「えっ? でも、まだ入るよ?」

「持ったら相当重くなるから、取っ手の丈夫なエコバッグが一番重くなるように入れるんですよ。で、重い物は分散して、合間に野菜とかお魚のパックを詰めて、調整するんです。……ほら、これなら重くないでしょう?」


 カートの上に買い物袋を置き、上階に行くべく、エスカレーターに向かう。

 荷物で重いカートで、エスカレーターのように幅の決まった場所に乗り込むにはコツがいる。透子は馨からカートを奪い取ると、慣れた手付きでエスカレーターに乗り込んだ。


「次は何を買うの?」

「洗濯洗剤です。いつも使ってるのが今日はセールなので」


 売場には、棚いっぱいに洗剤が並んでいる。今流行りの香り付きや外国で人気の物……プレゼントキャンペーンなどもやっており、POPが賑やかだ。何も分からない状態でここに放り込まれたのでは、どれを買ったらいいか分からないな……と馨は苦笑した。

 透子はその中の一つを手に取ると、カゴに入れた。それはプレゼントキャンペーンのシールが貼られた商品だった。『誕生石、ブランドバッグ、旅行券プレゼント!』となんとも太っ腹な企画だ。


「透子さんもこういうの好きなの?」

「え?」

「ホラ。これこれ。『ご希望の商品を明記の上……』だって。宝石? ブランド? それとも――」

「いや、私が求めるのは、シャツの白さです。そんな当たるかどうか分からないキャンペーンじゃなくて、普段洗ってる白物の汚れを落としてくれる方が重要ですよ」


 透子は続けて柔軟材も手に取ると、スマホを取り出した。


「今度は何?」

「いつも買ってる値段を入れてあるんです。基準値みたいなものですね。これより下なら即買い。上なら、在庫状況によっては保留……今回は保留ですね。洗剤がかなり安いからもう一つ買っておこうかしら……」


 透子は柔軟材を棚に戻すと、馨が持っていたプレゼントキャンペーンのシールが貼られた箱を受け取った。

 透子との買い物は、とても新鮮で、面白い体験だった。馨は笑いだしたい気持ちになった。


 

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