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牧場町の共同調理場に水の張った大鍋を用意し、その中に辺境の牧場町で集められた灰色の炎熱石が大量に集められている。
「ひぃ、暑い、蒸し暑い。まさか、こんな仕事だったなんて……もっと、楽かと思ってた」
「はぁ、はぁ、ヒビキ姉ちゃん。大丈夫?」
調理場の釜の前に座り、手を翳して魔法の炎を生み出す、ジニーとヒビキ。
ジニーは、珍しく大きめの炎を安定して釜の中で生み出し、その上に乗せられた大鍋に張られたお湯を沸かしている。
ヒビキは、ジニーよりも一回り強い火力で鍋を温め、早くも鍋の中の使い切った炎熱石が色付き始める。
「……これは、辛いな。というか、誰もやりたくないんじゃ無いか?」
「あはははっ……大体が、自警団の人たちの我慢大会で使われるんです。ただ、今年は、熱量補充のための薪が勿体ないので、魔法を使えるヒビキさんに頼ろう、ってことになったらしいです」
それはなんとも……と思いながら、俺とレスカは、裏方の仕事に回る。
俺は、次の温める大鍋に水を汲み準備をして、レスカが集められた炎熱石をサイズ毎に仕分ける。
大鍋で温める際、サイズがバラバラだと熱量の補充の完了の順番がバラバラになるので、それらを揃えていく。
「ねぇ、レスカちゃん。これってどれくらいやるの?」
「えっと……だいたい大鍋1個が30分くらい時間が掛かるので、1時間半くらいでしょうか」
そう言って早速、蒸気で暑くなり始めた調理場で、ジニーとヒビキが絶句する。
「あっ、大丈夫ですよ! お昼前に終わりますから!」
「むしろ、1時間以上もこの蒸気の立ち込める調理場に居続けるのは辛いだろ」
我慢大会ならいざ知らず、年頃の少女たちがこんなところに居続けたら、倒れてしまう。
それに、まだ炎熱石の熱量補充を始めたばかりである。これから熱気と蒸気が増していくはずだ。
「それでも、暑いわよ……でも、これってミストサウナ状態ね。きっといい汗を掻いて美容と健康には良いわよね」
「無駄に、ポジティブだな」
一応、レスカが気を利かせて、湯冷ましした水と砂糖、トレント牧場で取れた柑橘類を混ぜた飲み物を用意しているので、危なくなったら、すぐに辞めさせて涼しい場所に移動させよう。
「ところでジニーちゃん。私は、もう少し弱い火を使うかと思っていたけど、結構大きな炎を生み出して大丈夫?」
「う、うん。なんか、今日は調子が良いみたい。すごく、やりやすい」
「そう? でも、調子に乗って魔力が枯渇したりすると危ないから自分自身の魔力を感じながらやるのよ」
暑さに乱されそうになる集中力を耐えながら、火魔法を維持するジニーだが、普段より上手く魔法が使えるのか、調子が良さそうだ。
「それじゃあ、俺は、新しい水を汲みに行く」
「あっ、コータス! 私の大鍋のお湯が沸騰が早いから継ぎ足しの水を持ってきて!」
「わかった」
ジニーよりヒビキの大鍋の炎熱石の色付きが良いが、その分、大鍋から立ち上る湯気の量にハッキリ違いが出ているので、その分中の水分の減りが早いようだ。
俺は、この調理場の外に備え付けられている井戸から水を汲み、運ぶ。
その際、暑いのを嫌がったペロとチェルナ、猫精霊が建物の外で待っている。
ちらりと見れば、猫精霊は、やはり魔力の籠もった前足で虚空に向かって、猫パンチしている。
「やっぱり、猫精霊がジニーの周りの精霊を抑えているから、今日は調子がいいのか?」
火精霊が嫉妬して、妨害するのを抑えてくれるから、本来の【火魔法】の加護を扱えるのかもしれない。
だが、そんなに魔力を込めた猫パンチを放つと、実体化のために必要な魔力が早くに尽きるのではないか、と考えてしまう。
「要注意、だな」
俺は、そう呟き、調理場の屋内に水を持って入っていく。
「コータスさん、お帰りなさい」
「レスカ。水を持ってきた。それから俺は他に何をすれば良いんだ?」
「えっと、コータスさんには、また水を汲んでもらうお仕事がありますので、それまで待っていただけたらと思います」
早速、ヒビキの大鍋の炎熱石が熱量を補充し終えたのか、レスカが大鍋から真っ赤に変わった炎熱石を引き上げ、ボロ布で水気を拭いて運搬用の箱の中に収めていく。
空いた大鍋には、大きさを揃えた熱量を放出しきった炎熱石を落とし、お湯に残った温度を吸って冷えた大鍋に蒸気で減った分の水を足して、ジニーとヒビキに預ける。
そうして蒸気の充満した共同調理場では、用意された炎熱石の熱量補充を行う。
「ふぅ、終わったわ。これで全部かしら」
「これだけあれば、雨季の熱量は確保できますね。ジニーちゃんは、大丈夫ですか?」
「はぁ、はぁ、大丈夫」
この調理場で作業していた全員が球のような汗を掻き、肩で息をしている。
「あーあつい! こんなことなら見栄えを気にしてマントや帽子なんて着てくるんじゃ無かった!」
「だが、火を扱うなら、厚手の衣服は欲しいだろ!」
「だからって暑すぎよ! もう、脱ぐわ!」
火を止めて、窓や扉を全開にした調理場でヒビキは帽子やマント、制服の上着を脱ぐ。
また、それに留まらずシャツのボタンを外し、手で首元に風を送り、チェックのスカートを摘まんで、パタパタと風を送る。
「ヒ、ヒビキさん!? コータスさんが、男の人が居るんですよ!」
極々自然なヒビキの行動に俺はすぐに反応することができずに、レスカがヒビキを注意する。
「あははっ、レスカちゃん。今はちょっと許して欲しいわ。流石に、汗を沢山掻いて、シャツが透けちゃってるわ」
「なら、前に渡した、ハンカチで拭きましょうよ! 風邪引きますし!」
レスカに指摘されて、ヒビキはレスカからプレゼントされたエルフ絹のハンカチを取り出し、首筋を拭う。
その際、ヒビキの手の動きを見てうっかりと、ヒビキの真っ白のシャツが汗で透けて、下着の色が微かに分かる。
それを見たレスカは――
「コータスさんは、見るな!」
慌てた時の荒い口調になったレスカが俺に詰め寄り、ヒビキとの視界を遮る。
その際、正面に立つレスカの胸元を見てしまう。
「な、なんですか? どうしたんで……」
首筋から鎖骨、そして胸元に流れて、胸の谷間に微かに溜まる汗を見てしまい、視線を逸らす。
だが、逸らすのが遅く、俺が何を見てしまったのか、レスカに気づかれてしまう。
「んっ? なっ!? 私も、見るな!」
そのまま、自分の胸を隠すように両腕で体を抱き締めるレスカに俺は、顔を逸らす。
「悪かった。男の俺がここにいるのは悪い、先に出る」
俺は、レスカたちから逃げるように共同調理場から外に出る。
その際、外気を浴びて、内外との温度差にスッと汗が引く気がした。
そんな俺たちを見つけたペロとチェルナも近寄ってくるが、流石に大量の汗を掻いている状態の俺には、飛びついてこない様子で微妙に距離感がある。
「ふぅ、これで終わりか」
一通り、作業を終えたので、後はサラマンダー牧場の牧場主が熱量を補充した炎熱石を、あとで回収してくれる手筈になっている。
『ニャァァ……』
「お前、ずっと他の火精霊を追い払っていたのか?」
どこか疲れたような猫精霊に尋ねれば、頷くように頭を下げる。
「ジニーと契約する前に、魔力を使いすぎて実体化ができなくならないように注意しろよ」
『……ニャッ』
俺の言葉に、どこか妙な間があった。
「ううっ……コータスさん、先程は失礼しました」
「いや、俺も不躾だった」
「はぁ、炎熱石の熱量補充で使ったお湯でハンカチ濡らして汗を流したから、ちょっとさっぱり」
「でも、やっぱり、後でお風呂入った方がいいと思う」
恥ずかしそうにするレスカは、ヒビキたちと共に濡らしたハンカチで汗を拭ったようだ。
それでも汗で濡れた衣服であるために、この後は、少し早めだが今日の仕事を切り上げて、湯屋で体の汚れを洗い流す予定だ。
「それじゃあ、一度着替えを取りに帰りましょうか」
そうして、歩き出すレスカに俺やジニー、ヒビキがついていく。
その際、ペロとチェルナもピッタリとレスカの側に並んで歩き、猫精霊もジニーから微妙な距離を取りつつ着いてくると思った。
だが、少し歩き始めて、ポテッと何かが倒れる音に俺とジニーが振り返る。
「なんだ? って、猫精霊!」
「えっ!? なに、どうしたの!?」
振り返った先には、猫精霊の体が徐々に透け始め、実体化していた体が揺らめき始める。
そして、反射的に駆け寄るジニーが猫精霊に近づいた瞬間――
『『『――――――――――ッ!?』』』
「きゃっ!?」
「「「ジニー(ちゃん)!」」」
ジニーの目の前に炎が噴き出し、その中には、無数の小さな精霊の影が見える。
それは、ジニーが召喚の際に見せた魔力の炎の中に移った影と似ているが、その火精霊たちは、ジニーと猫精霊の両者との接触を邪魔する。
「な、なんで邪魔する! 倒れている!」
ジニーの視界を遮るように湧き出す火精霊の影に、俺が駆け出す。
「ジニー、俺が散らす! ――《練魔》!」
圧縮木刀に高密度の魔力を纏い、振り抜くことで炎の幻影の一部を散らす。
だが、その炎は、穴を塞ぎ、また俺の方にも炎の手を伸ばし、腕を掴む。
「ぐっ!?」
「コータスさん!?」
「水!」
俺が咄嗟に離れ、火精霊の炎が腕に纏わり付く。
ヒビキが咄嗟に炎を消すために、水を生み出し、腕に掛ければ、精霊の炎は鎮火するが火傷を負っている。
「なんだ、この炎は、なぜ唐突に精霊たちが炎を本当に精霊の炎なのか」
「なんでしょう。凄い、怒っているような感じがします」
レスカの言葉を聞いたジニーが、自力で不安定な実体化をした精霊たちから一歩下がるが、ジニーに追い縋るように炎が迫る。
「熱い……って、熱くない?」
「ジニーちゃんは、【火精霊の愛し子】だから、傷つけるつもりはないのかしら。でも、このままだと猫精霊は、消えるわよ」
今日、ジニーが調子が良かったのは、猫精霊が実体化のための魔力を使って火精霊たちを抑えていたからだろう。
だが、やはりその分、魔力を消耗して今にも消えそうになっている。
実体化の魔力を失い、いよいよ持って他の火精霊の嫉妬を浴びるようだ。
まるで、愛し子の独占を許さないとばかりに、ジニーと猫精霊との接触を妨害してくる。
そして、そんな火精霊たちにジニーは――
「ジニーちゃん、危ないですよ! なにが起こるかわかりません!」
レスカの言葉にジニーは、腕を掴むような精霊の炎を見つめる。
何か行動を超せば、余計に悪い方向に進みかねない。
だから、ここは、慎重に――とは、ならなかった。
「毎回、毎回、あたしの邪魔ばかりして――」
ジニーの呟きに、俺やレスカ、ヒビキがただ見守るだけだった。
「――火精霊なんて、大っ嫌いだ!」
拒絶の一言、ただ魔力もなにも籠もっていない小さな女の子の声に一瞬にして精霊の炎が霧散する。
「なにが……起こったんだ」
一瞬の出来事に理解できない俺やレスカ、ヒビキはただ見守るだけだった。
そして、当のジニーも自分の言葉が引き起こしたことが理解できず、唖然とするが、すぐにハッとして猫精霊に駆け寄る。
「大丈夫……触れる」
今までのように猫精霊が威嚇することも、他の火精霊が妨害することもなく、薄くなる猫精霊を抱き上げ、俺たちの方に戻ってくる。
「コータス兄ちゃん、レスカ姉ちゃん、ヒビキ姉ちゃん、この子、どうすれば」
泣きそうになりながらも俺たちに尋ねる。
猫精霊に足りないのは、実体化のための魔力。
そして、今は、契約を妨害していた他の火精霊たちが掻き消えた。
「ジニーちゃん、今です! 今なら契約できます!」
レスカの言葉にそのことに気づいたジニーが半透明の猫精霊に手を翳し、魔法陣が浮かび上がる。
「受け入れて――《仮契約》」
仮契約の魔法陣が猫精霊に吸い込まれ、そして両者の間で魔力の繋がりが生まれる。
そして、ジニーの体から猫精霊に対して魔力が供給され、魔力の不足が解消され体に再び色付き始める。
「災い転じて、福と為す。かしらね」
ヒビキの故郷のことわざだろうか、それを呟き、魔力の不足でふらつくジニーを支える。
とりあえず、今は帰って色々と話を整理しよう。
モンスター・ファクトリー1~3巻が発売中です。
是非、書店で手に取っていただけたらと思います。









