5-2
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「ただいまー」
直前に、リア婆さんに変なことを言われて、モヤモヤした気持ちのままレスカの牧場に戻れば、台所からバターと砂糖の焼ける甘い匂いが漂ってくる。
「あっ、コータスさん、おかえりなさい。畑はどうでした?」
「もうじき、根付きをしそうだからな。それに合わせて肥料の追加をどうするか聞きたいんだ」
「あー、それなら一度、次に畑を耕す時に全体に肥料も混ぜ込んで、後は、液状肥料を土に与える形にしましょうか」
「レスカ姉ちゃん、まだかな?」
「ジニーちゃん、もうちょっとですよ」
そう言って、ジニーに呼ばれて、台所の方に向くレスカの視線の先を覗き込む。
「今は、何を作ってるんだ?」
「クッキーですよ。森の果物で作ったジャムを乗せたやつです」
俺も覗き込めば、鉄のオーブンに温められたクッキー生地は、中央が軽く窪まされており、その上にスプーン一杯分の色取り取りのジャムが乗せられている。
こんなジャム、何時の間に作ったのか、と俺は驚く。
「コータスさんが牧場のお仕事を手伝ってくれるお陰で今までこうして料理を作る時間が増えました。ありがとうございます」
「……俺は、ただ居候としての手伝いをしているだけだ」
言った後、自分でもぶっきら棒な言葉に、この言葉はないんじゃないだろうか、と軽く後悔するが、レスカは気にした様子はなくニコニコしている。
「コータスさんも疲れたでしょうから座っていてください。ジニーちゃん、まだクッキーが焼けそうにありませんからお湯を沸かすの手伝って貰えますか?」
「うん! 任された!」
元気よく駆けていくジニーは、薪代わりの切り落とした乾燥したコマタンゴの手足を竈に投げ込み、その燃料の下に指先を掲げ、小さな火種を生み出す。
「ジニーは、前より魔法が上達したよな」
「あたし、頑張ったんだ。当然だ」
テーブルに座って竈に火を付けたジニーを褒めれば、自信満々に胸を張り、嬉しそうにニヤけた顔をしている。
そして、竈の上に置かれたヤカンが温まるのに時間が掛るので俺の側に来て、チラチラをこちらを窺うように見てくる。
若干、頭の天辺をこちらに傾けているように見えるが、直前にリア婆さんに言われたことを思い出して、どうするべきか、と悩んでいると、諦めたのか寂しそうな表情をするので、咄嗟に手が伸び、何時もより少し荒く頭を撫でる。
「むぅ、今日はなんか雑」
「そんなことはない」
ジニーは、乱れた髪の毛を手櫛で整え、俺に抗議してくるが、俺は惚ける。正直、表情には出ていないだけで内心は、レスカたちの関わりについて悩んでいるんだ。
「あら~、良い匂いねぇ。今日のおやつはクッキーなのね」
「ヒビキ、だらしないぞ」
「いいじゃない。家にいるくらいラフな格好でも」
見様によっては奇妙だがぴっしりとした服を着ていたヒビキだが、レスカの牧場では、ゆったりとした寝間着とも部屋着とも取れる格好をしている。
それに、髪形もボサボサで後頭部に一括りに縛り、元々の持ち物なのか眼鏡を掛けている姿は、正直ダサいの一言だ。
だが、その姿を見たために妙に意識していた結婚相手の可能性という部分から離れることができたのは、良かったのか、悪かったのか、と溜息を吐き出す。
「はい。ヒビキさん、お茶ですどうぞ」
「レスカちゃん、ありがと~。お姉ちゃんに優しくてうれしいわ」
「昨日は、夜遅くまで読み物でもしてたんですか?」
姉の件を無視して話を進めるレスカ。もう、ヒビキの扱い方に大分慣れているようだ。
「そうなのよ。異世界からの転移者だからねぇ。この世界の文化や風習とかそう言うのは一通り知識として知りたいからね」
「加護にある知識じゃ足りないのか?」
ヒビキには、【賢者】の内包加護である【賢者の書庫】が存在する。
保有する知識の量としては、世界有数の人間だろうけど、ヒビキはそれを否定する。
「あれは魔法関連であって、それ以外の知識はやっぱり地道に覚えなきゃダメねぇ。とりあえず、適当に興味のある分野の本を読んで過ごしているんだけど、疲れたわ。ジニーちゃん、私を癒して~」
「やめろ、手を伸ばすな変質者!」
フシャァ! と猫のように俺の影に隠れてヒビキを威嚇するジニー。
そんな俺たちの様子をニコニコ満ちたレスカは、焼き上がったクッキーをオーブンから取り出し粗熱を取っている間に、ジニーの沸かしたお湯でお茶を用意してくれる。
「はい。お茶です」
「ありがとう、レスカ」
「レスカ姉ちゃん、あたし、砂糖とミルク」
「私は、砂糖で貰うわ」
俺は、甘さのないストレートティーを貰い、ジニーがリスティーブルのミルクティー、ヒビキがティースプーン一杯分の砂糖を加え、それぞれが好みのお茶を飲む。
「それにしてもレスカの叔父さんは色んな本を持っているわね」
「そうですね、伝承、民話、地方の環境と生態系、魔物図鑑とか集めてました」
「私としては、そう言った古い話は、物語として読めるから楽なのよねぇ」
そう言って、粗熱が取れ、お皿に盛り付けられたクッキーを口に放り込むヒビキ。
ジニーも自分が手伝ったクッキーを美味しそうに食べ、レスカも人が美味しそうに食べ、自分も美味しく食べるので幸せそうだ。
「あれ? コータスさん、食べないんですか?」
小首を傾げて俺の顔を覗き込んでくるレスカに余計、ドキッとさせられる中、暗竜の卵の置かれた部屋の方から足跡が響き、オルトロスのペロがおやつ時のこの区間に駆け込んでくる。
『『ウゥゥゥ、ワンワン!』』
「どうした、ペロ? そんなに慌てて」
俺は、騒がしいペロを落ち着けるために頭や首元を撫でるが、その手から逃れるように身を捩って、俺の服の端を咥えて引っ張る。
まるで、暗竜の卵のところに連れて行こうとするような仕草である。
「わかった。俺が付いて行く。レスカたちは、待っててくれ」
「私も行きます! 暗竜の卵に何かあったのかもしれません!」
「あたしも行く!」
「面白そうね。私も見に行くわ」
遊びじゃないんだが……と溜息を吐き出すが、そんな時間も煩わしいとペロが寄り力強く俺の服を引っ張る。
なので、大人しく俺たちは、暗竜の部屋に移動すると、部屋の中からコツコツと何かを叩くような音が聞こえる。
「開けるぞ」
俺が全員の確認を取り、扉を開けると部屋の中に置かれた音の発生源は、部屋に置かれた暗竜の卵からだった。
中の殻を破ろうとコツコツと内側から叩いているらしいが、俺としては、どうすればいいか悩む。
「やっぱり、生き物の孵化には、手を出しちゃ駄目だったよな」
「はい。どんな生き物でも生まれる時に最初に起る試練です」
「頑張れ、頑張れ」
「おー、竜の誕生かぁ、異世界に来たんだねぇ。まぁ、巨大トカゲの子どもとか見たし、今更かもしれないけど」
応援するジニーとのんびりと部屋でくつろぐヒビキだが、俺としては、本来迎えに来るはずの真竜たちが一向に現れず、卵だけが孵化しようとしている事態にどうするべきか悩んでいる。
本来、バルドルに伝えるべきなのだろうけど、一応は子どもでも竜という世界最強生物だ。戦うことができる俺がこの場を離れることができず、バルドルを呼びに行かせるために誰かを走らせるにも動きそうにない。
「仕方がない。このままここで見守るか」
俺は、卵の前の床に座り込み、卵をジッと見つめる。
そして、少しずつ卵を叩く感覚が短くなり、遂に卵の殻に罅が入る。
「もうちょっとで生まれる!」
「今、一瞬黒い体が見えたわよ」
興奮するジニーとヒビキだが、妙に静かなレスカの方を見つめると、その目は二人とは別の意味で真剣だ。
「すごい。真竜の、それも暗竜の孵化に立ち会えるなんて……」
感動に今にも泣きそうな顔をしているレスカ。
そして――
「生まれるわ!」
卵の前に座る俺を押し退けるようにして前に出ようとするヒビキだが、勢いよく卵の殻を破ろうとした上部が弾け飛び、そのままヒビキの額に当たる。
「あいたっ!?」
大きく分厚い卵の殻の破片を額に受けたのだ。鋭い卵の殻ではないので怪我はないが、それでも驚き尻餅を着いたヒビキとそれを支えるジニー。
そして、飛び出した勢いで俺の顔に体当たりをして来る黒い物体……もとい、暗竜の雛だ。
『キュイキュイ!』
甲高い声でなく暗竜の雛を顔から引き剥がし、俺の膝の上に乗せる。
生まれたばかりの暗竜は、ほんのりと湿っており、竜の鱗は、剣すら弾くと聞いているが、触れた感触からして生まれたばかりは柔らかいようだ。
「この子が、暗竜の雛」
『キュイ!』
既に嬉し泣きをしながら笑顔で暗竜の雛を覗き込むレスカに対して、今度は、俺と同じようにレスカの飛びかかり抱き付き、その頬の涙をちろちろと舐め取る。
『キュイ?』
「あははっ、慰めているんでしょうか。別に悲しくて泣いているわけではないのに嬉しいですね」
そう言って、はにかんだように微笑むレスカ。
レスカの腕に抱えられゆったりと揺らされる暗竜の雛は、瞼がとろんとして良き、眠り始める。
そんな暗竜を毛布に優しく包み、これからの事を相談することにした。









