第九十七話 生き延びて
温かい魔術を感じる。
生命を増幅させる木属性独特の魔力光。治癒魔術だ。
治癒、癒合、神癒などに代表される人の傷や病を癒す魔術。
神癒というものは私も話にしか聞いたことはないが、それがこの世界の最高位の治癒魔術である。しかしそれで出来ることといえば、少々の傷を塞いだり、病気の治癒を早めたり。下位の治癒魔術との差はほとんど無い。
間違っても死人を生き返らせる魔術など存在しない。
ザオラルでもレイズでも、
リカームでもリバイブでもレイズデッドでも、
剣と魔法の世界なんだから、人を生き返らせる魔法があればよかったのに。
記憶に刻まれた多くの人の死。
何より憎かったはずの、サイの死。
別に殺してやりたいなんて思ってなかった。サイには一度正式に仕返しをしたのだ。ちゃんと勝負して勝って、見返してやった。土下座で謝らせた。
それで私の身体が元に戻ったわけではないけど、死ねばいいなんてもう思ってなかった。
なのに、なんで死んじゃうんだよ。
それも私を守って……。
死んで詫びるから
死んで許される罪などあるわけがない。
最後までふざけたことを言って、私が許すとでも思ったのか。
ゆるさない。
ちりのかけらもゆるしはしない。
ドラゴンと繋がって、私の怒りは天を抜けた。
翼が生えて自由になった。人を殺してしまったのだ。
もう私にはどうしようもない。
絶対に許さない。
この胸に深く深く刻まれた怒り。
私から大切なものを奪った全てに思い知らせてやらないと。
…………そう、思ったのに、
許してやっちゃくれないかぃ
また、わからなくなってしまった。
私の心が掻き乱される。
私は、どうしたいんだっけ?
何がしたかったんだっけ?
そう言えばずっとわからないままだった。
私の、
本当の願いは――――
○
「…………」
窓から遠く先を急ぐ雲を見上げている。
馬車の簡易ベッドは固くて寝心地がすこぶる悪く、こうして風に当たっている方が気持ちいい。
「メイス氏、ちゃんと起きてるッスね? もうすぐゴハン出来るッスよ~」
扉の外からククリさんの声。朝食のようだ。
私はベッドの側に立てかけた杖、蜥蜴の翼を手に取ってベッドから這い出る。
杖に体重を預けて何とか立ち上がって、震える膝を前へ進めようと頑張ってみるのだが出口が遠い。
片足を引き摺るようにしてやっとのこと3mもの道程を踏破すると、急に肩を抱かれ身体を支えられた。
「何をしてるんだメイス。まだ自分で歩くのは無理だ」
私の身体は抱き上げられてあっという間にベッドまで帰されてしまった。たった3mとは言え私の努力が一瞬で無駄にされてしまい、私の手首の脈を診る男を少し睨む。
「杖に飲まれたっていうのに意識があるだけでも奇跡なんだから、まだ寝てなくちゃ駄目だ。そんなんじゃ治るものも治らない。いいかい君って奴は前々から……」
あーうるさい。
昨日の今日でもうこの扱いだ。私が病人だというのなら少しは小言も控えて欲しいものである。
「ほらほらドク氏。そういうの後にして、まずはゴハン食うッスよ」
「む……、すみませんククリさん」
私と同じく、ドクもこの馬車に厄介になっている身だ。ここの責任者であるククリさんには逆らえない。もちろん私も逆らう気はない。小言よりご飯。
そんなこんなで、三人で朝食を食べる。
メニューは塩無し野菜スープ。
あまりおいしくない。
○
あれから、
私は城砦都市だった廃墟の只中を一人で這いずり回っているところを、ククリさんに発見されて保護されたらしい。
その後脱出したサイの馬車で死の淵を彷徨う私に治癒魔術を掛け続けたのはドクだ。
ドク。
最後に会ったのは、あの西の街でのマスケットとの一件よりも前、長期休暇の前に学園で別れたきりだ。
2年半ぶりの再会になる。
私はバジリスクの砂漠でサイと仲違いをして飛び出し青の国の東の街へと向かったが、サイとククリさんはあの後赤の国の首都に向かったそうだ。
目的は赤の王マスケットが持つ『剣』
サイは何を思ってそんな馬鹿を言い出すのか……。
当然城の警備は厳重だ。だから協力者を立てたらしい。
どうやってナタの協力を取り付けたのかはわからないが、紅炎の弟子であるナタの立場を利用して何とか城内に紛れ込むことには成功した。
が、そこで警備に見つかってしまう。
あと一歩のところで捕まって縛り首、というところで城の内部から新たな助けの手が入った。それがドクだ。
ドクはずっとマスケットの側にいた。もはやマスケットにとって用済みの剣を守っていたのだ。
グラディウスと共に、あの城の中でずっと機会を窺っていた。
「メイスすまない。君がこんなことになっているのに、僕には何も出来なかった。
マスケットのことは任せてくれなんて言って、本当に、僕って奴は……」
私が目覚めて尚も治癒魔術を続けるドクは、私の記憶にある姿とは違っていた。
面長の顔はやつれ頬がこけて、撫で付けたピンクの髪は白髪が混じっている。
「君は一週間も眠ったままだったんだよ、君が無事で本当によかったけれど……」
そこであれから一週間も経っていることを知った。
私は私で酷い状態だった。
杖に飲まれたのだ。蜥蜴の翼と繋がった副作用が出ている。ウルミさんも言っていたが、過去には廃人になる者もいたという話だ。
「君には何を言われても仕方がない。謝罪の言葉も見つからないんだ。
だから、メイス……」
私は運がよかったのかどうなのか、
髪の色が全て抜けて、白髪が混じるどころか完全に白髪になってしまい、
自分の足では歩けないほど体力を失い、
「………何とか言ってくれ、メイス」
そして、声を失っただけで済んだ。
城砦都市の人々の命と引き換えにされたのが、たったこれだけ。
きっと閻魔が笏を投げたのだ。
声くらい出なくても、ペンを握る力が無くても、私は未だ生かされている。
あるいはこのまま生きることが罰か。
声がなければ、物書き出来なければ、私は魔術が使えない。
私は魔術の大半を失った。
「お願いだメイス。そんな君を見るのは忍びない。
グラディウスに願って、治して貰うことは………」
『剣』は、今ドクの手にある。
魔王が造り出した、どんな願いでも叶える奇跡の剣。
蜥蜴の魔物、 火の鳥の魔物、 一角の馬の魔物、 巨大な烏賊の魔物、 鷲頭の獅子の魔物、 人型の花の魔物、 石の蛇の魔物、 それら特別な、魔法を使う魔物たちの最後の一匹。
私がグラディウスと名付けた『剣』
私をこの異世界に召喚し、
サイの願いで私を小さな女の子にし、
旦那さまの願いで奥さまを健康にし、
奥さまの願いで私たちを助け、
そしてマスケットを願いで王様にした。
その剣はドクがずっと預かっていたらしい。他の誰の願いも叶えないように。誰にも悪用されないように。王となったマスケットの側で、いざとなれば願い事を使うために。
「……いや、やはり先に僕の話を聞いてくれメイス。
本当は僕は、君に頼るためにククリさん達と城を出たんだ。
君がこんな状態でも頼らざるをえない自分が嫌になる」
ドクは全てを語ってくれた。
マスケットを助けるために、私を頼ってここまで来たのだと。
マスケットは、
自分の意思で動いていたわけではなかった。
そうドクは言った。
本当に、
本当にあの三月式典までの2年で、色々なことがあったのだと。
奴隷制度が無くなってしまう。
それは全ての奴隷たちにとっての救いになる。それは間違いない。
何人たりとも黒髪を所有物として扱うことは出来なくなり、黒髪たちは檻から解放されて仕事に就き己の財産を所有出来る。
多くの人に正体を知られた私も、名誉は回復されて市民権を得た。
本当にそれで全てが救われた気でいた。
けれどそれが困る人々がいる。
奴隷商人だ。彼らは所有する全ての奴隷を取り上げられた。
人身売買を生業にする人種だ。何らかの罪に問われていいと思うのはこの世界の人間ではない私の願望。彼らは飽くまで真っ当に仕事をしていた商人だった。
ふざけるな。
人を鞭で打ち据えて檻に閉じ込める非道が『真っ当』だと? 狂ってる。
それでも国に認められた商売だった。
それをあの日に取り上げられた。
もちろん保障はあった。
いくらかの金銭は支払われたし、別の仕事も斡旋されているはずだ。
人を飼う仕事の経験が履歴書に並ぶ人間を私は絶対雇わないが、
皮肉なことに、そこは私と同じ意見を持つ者が多かったようだ。
彼らは、他の仕事に就くことが出来なかった。
マスケットはその商人達を救わなければならなかった。
マスケットは名のある商家の娘で、
たとえ奴隷商だとしても、商人であるなら家族も同然だったから。
そしてその手段すら、マスケットには当てがあった。
どんな願いでも叶えてくれる剣があること。マスケットだけではない。すでに少なくない商人たちの間で噂になっていた。
これが運命というものなのかもしれない。
奴隷制度の廃止を止めることを願わず、わざわざ赤の国の王になったのは、
青の国で、自分が裏切った友達が自由に暮らせればいいと思ったから。
「だからせめて僕だけは側に居ようと、マスケットと一緒に城に入ったんだ」
ところがだ。
そこから、全てが狂ってしまった。
あの老人が、
誰よりも、王よりも、
赤の国の最も頂きに君臨する、
老いた魔道師が、
あの、
紅炎のフランベルジェが、
マスケットを、人形にしてしまった。
「マスケットはもう王でも何でもない。あの魔道師はマスケットから全ての権限を奪い取って王という役のまま玉座の間に閉じ込めたんだ。いまや赤の国の議会までが紅炎の魔道師の傀儡だ」
紅炎は危険だ。
彼は、戦争を起こそうとしている。
いやメイスが目覚めるまでに一週間も経った。
戦争はもう始まっているかもしれない。
馬鹿な。
東の街での一計は失敗に終わったはずだ。
赤の国は青の国の戦力を分散させることに失敗した。
おまけに城砦都市は私が壊滅させてしまった。戦争どころではないはずなのに。
それでも戦争を強行するのか……。
「マスケットを、助けたいんだ」
剣に願えば、そんな願いもすぐに叶えてくれる。
たった一つだけの願いで、ドクはマスケットを救おうとした。
だが、それは叶わなかった。
「グラディウスはもう誰の願いも叶えられないと言っている」
剣は、叶える願いの数に限りがある。
一人にたった一つだけ。
それを剣は、108つだけ叶えられる。
108人分の108つの願いまで。
しかしそれはまだ残っているはずだ。
「メイスの願いだけを叶えるって、言ってるんだ」
私の願い。
この異世界に来て、初めて剣に触れてからずっと保留にしている、私の願い。
グラディウスは誰のどんな願いでも叶えるはずなのに、なぜ誰の願いも叶えなくなるのか。
グラディウスに直接聞いてみる。
ドクが持つ剣を受け取った。
グラディウスに触れるのも久しぶりだ。
『久しぶりだな』
本当にどれくらいぶりか。三月式典以来だ。
剣は人の心に直接語りかけてくる。
そして人の心を読み取る。私は言葉を失ってしまったが、グラディウスにだけは関係ない。
『酷い状態だな』
私の身体も、願えばすぐに治してくれるだろう。
『それがお前の願いならば すぐにでも叶えてやろう』
やめてくれ。
それよりどうしてドクの願いを叶えない?
『私の叶えられる願いには 限りがある』
知ってるよ。
『あと2つしか残っていない』
…………、
『お前の身体を元に戻し 元の世界に返すためにはもう猶予は残されていない』
……そうか。
私の願いを待ってくれてたのか。
他の誰の願いも叶えずに。
『お前をこの世界に呼んだのは私だ ならば私は お前の願いだけは必ず叶えなければならない』
責任、感じてたんだな。
私をこの世界に召喚したこと。
………思えば、この剣が最初だった。この剣こそが諸悪の根源。自分の自由のために私を召喚して自分の封印を解かせた。
私が憎しみと怒りを向けるべき相手は、まずこの剣なのかもしれない。
けど、
サイは、私に謝ってくれた。
最後には自らを犠牲にしてまで私を助けてくれた。
私の身体を変えたこと、責任を感じていたのだ。
『それをもって私は 全ての機能を終了する
私の存在は消えて無くなる お前は望み通り、全て元に戻ることが出来る』
最後の願いを叶えた時、奇跡の剣は魔道具として魔力を失う。
砕けて折れると魔王は言っていた。
グラディウスも、
サイと同じようなことを………。
『だから今こそ 願いを言え』
願いを言えって……、
私はもう喋ることも出来ないのに。
剣は心で願えば叶えることは出来るだろうが、
ならば私の願いだって、
もう、わかっているはずだ。
『本当に それが願いなのか?』
そうだよ?
だから、グラディウス。
私は、お前に願わないんだ。
『待て 待てメイス』
剣を、鞘から抜き放つ。
ずっとグラディウスを納めたままだった、私の鞘。
用があるのはこの鞘だ。
私は抜き身のグラディウスを、ドクに返した。
「メ、メイス……?」
まだ終わっていない。
言葉を失っても、身体が言うことを聞かなくても、
魔道具に、杖に、魔力を流せば魔術は使える。
そしてもう一つ。
蜥蜴の翼は、まだ死んでいない。
あの力は思うだけで自在に振るうことが出来るのだ。
ならば私は何の力も失ってはいない。
私の願いは、グラディウスには叶えられないのだ。
私の願いは『自分の手でやりたい』ことだから。
行かなくちゃ。
サイは私に許しを乞うた。
私は、
まだ何も、許したわけじゃない。
行かなくちゃ。
仕返しをしに、行かなくちゃ。
私を裏切ったマスケット。
私は、塵の欠片も許しはしない。
○
朝食が終わると、馬車はゆっくり動き出した。
タマとハガネの二頭に引かれ、青の国の北の街を目指す。
私はベッドの上で、真空海月を修理する。
マスケットへ辿り着くまで、王の守りは厚く固いだろう。
紅炎の傀儡に堕ちたって、私には関係ないんだ。
マスケットの本当の気持ちなんて、私は知らない。
どうでもいい。
私にとって大事なのは、裏切られたという事実だけ。
魔術会で、何度も鞭で打たれたのだ。
痛かったなぁ……。
あのまま終わらせることなんて出来ない。
私は大切なものを奪われたのだ。
私は仕返しをしなくちゃいけない。
自分のこの手で、やらなくちゃ。
私の本当の気持ち。
私だけの、本当の願い。
そこにはドクも関係ない。
グラディウスも関係ない。
関係があるのはマスケットだけ。
同じ痛みを、返さないと。
マスケットも、死んで詫びるだろうか?




