第九十一話 焦燥の帰郷
おかしいと思ったんだ。
そもそも赤の国に来るときから、港が不自然に封鎖されていたりした。
首都を出て危険な砂漠に行くと言ったときもイヤに素直だったサイは知っていたのだ。何かを隠していることはククリさんも感づいていた。
戦争が始まる。
東の街を魔物に襲わせる。
サイは私という金ヅルを手放す気は無い。厄介ごとから逃れるために、素直な振りをして私と一緒に赤の国を出たのだ。
「社長! そんなことなんで黙ってたんッスか!」
「はん。言ったらこいつがどうするか、考えるまでもないからねぇ」
「……………」
手早く荷物を纏めて馬車から出ようとする私の前にサイが立ち塞がる。
脇を通り過ぎようとすると大事な帽子を掠め取られた。
「……突風撃」
詠唱時間が2秒を切る私の最速攻撃魔術が避けられる。軽い中段蹴りが魔術を放つ手を払い、代わりに木箱と壁の一部が木片に変わった。
ならばもう帽子はいい。あとでゆっくり取り返しに来よう。
今はそれより……、
「あんたは本っ当わかりやすいねぇ。行かせるわけないだろぅ?」
「社長!!」
「んな危なっかしぃ事にこんな危なっかしぃのが首突っ込んで、一体どうなるっていうんだぃ」
「そ、それは……、でも青の国の東の街ってメイス氏の故郷なんッスよね?」
……そうだ。
あの街にはみんながいる。マスターも、奥さんも、ピルムさんや子供たちも、みんな。
その街を、魔物に襲わせる。
そんなこと、あっていいわけがない。
どうすればこのアホを出し抜きこの馬車から脱出出来るか。魔術を使おうとすればサイはそれを先読みして口でも塞いでくる。身体能力では敵わない。なんとか隙でも作れれば……、
考える私を、サイは目から離さない。
そのサイにククリさんが抗議の目を向ける。
「……社長、メイス氏を行かせてあげて欲しいッス」
「ダメだね」
「ヒュッ!!!!!!」
笛の鳴るような音で短く息を吐いたククリさんが縮地のような動きでいきなりサイの目の前に立った。
と思うが速いか手が伸びる。サイの首へ指先が走ったように見えたが逆にサイに掴まれた。次の瞬間にはククリさんの身が跳んでいて両足の蟹鋏がしかし空を切りサイは数歩分距離を取っていた。もちろん私には二人の動きが追いきれていない。
着地と同時に放つククリさんの足払いがサイの軸足を刈る。当たったように見えたがサイは空中から蹴りを放って、そしてククリさんはサイの蹴り足に巻き付くように体全部で跳びかかった。
『ごき』という鈍い音とサイの小さな悲鳴が聞こえた気がした。
床に転がったサイが起き上がらない。見ると足首がありえない方を向いている。
「……やってくれるねぇククリ」
「足を外したッス。メイス氏、今の内に!」
…………ククリさんってこんな強かったの?
隙どころかサイを鎮圧してしまった。瞬く間に足首の関節が外され、しばらく動けないだろう。……数日歩けないかもしれない。
「ククリさん、ありがとうございます!」
そうして私は、サイの下を飛び出した。
一刻も早く、東の街へ。
○
「メイス!オーバーワークだよ!いい加減降りて少し休もう!」
「…………」
空に輝く三つの月が近い。
ずっと飛び続けてもう夜になってしまった。時が経つのを早く感じる。
真空海月の制御のために、両手と両足のベルトを操り小さな風魔術の詠唱を続ける。
いつの間にか左脇のポケットに忍び込んでいた小花がさっきから何かを言っているが、風が強くて聞こえない。
高度はおそらく1000m以上。これほど高く飛んだことは今までにない。欲を言えばもっともっと高く、10万mほどまで高く飛んでジェット気流に乗りたいところだが私は生身だ。さすがに凍死するわけにはいかない。
この高さでもかなり強い風が吹いている。気圧の違いか風魔術の走りも良い。このペースなら一昼夜も飛べば東の街上空に到着出来る。
「こんな高度で魔力が切れたら落ちて死んじゃうよ!いや高度の問題じゃないけど、バジリスクも何とか言ってよ!」
[ そ ]
目の前にバジリスクの石板が現れたが一瞬にして風に飛ばされていった。
いつの間にか右脇のポケットに忍び込んでいた蛇が今度は硝子を眼鏡の形にして私の顔に生み出す。
[ そんな調子では目的地に着いても倒れて動けなくなるぞ ]
強制的に装着された眼鏡にバジリスクの文字が。というか前が見えづらい。
「メイス!せめてもっと高度下げて!姿勢制御に魔術を使いすぎだよ!」
「……うるさい」
私は急がなくてはいけないんだ。
赤の国を出て砂漠へ向かう道すがら、サイはとても不機嫌だった。
イライラして、焦っていた。
きっとギリギリだったんだ。
サイは魔道具や食品を扱う商人だ。戦争が始まれば国の有事として物資の一部を取り上げられることもある。
それが始まるギリギリのタイミングだった。
私たちが赤の国を出て、既に4日が経過している。
どういう方法で東の街を魔物に襲わせるのかはわからないが、すでにことは始まっているかもしれない。
[ 俺の魔力は完全には回復していない もしも当てにしているのなら困るぞ ]
「ボクだって本体と違ってそんなに魔力があるわけじゃないよ。メイスが倒れたらどうするのさ!」
ならなんで着いて来たんだよ。
役立たずな重りはここで投棄してしまおうか。
「私は、大丈夫だよ」
役立たずな魔物たちには頼らない。
別の魔物を頼ろう。
「私は大丈夫だ。私を誰だと思ってるんだ。この私だぞ。私は誰よりも……」
呪文のように、自分を奮い立たせるような言葉を続ける。
魔力が必要ならいくらでも焼べてやる。
だから私に力を貸してくれ。
グリフォン。
「全てよりも優れた魔道師なんだから…」
真空海月の胸の部分には、
クラーケンが食べ残した『グリフォンの爪』が核として組み込まれている。
特別な魔物の、特別な素材。
あの馬の角を暴走させたウルミさんは、人間を超えた力で暴れたのだ。
あの力があれば……、
「メイスまさか、グリフォンを?」
あのときのユニコーンのようにグリフォンが目覚めれば、私は強大な力を得られるだろう。ここからさらに速度を上げて東の街上空まで飛び、いくらでも魔物の相手が出来る。
だから今すぐ暴れて見せろ。
「……たぶん、それじゃぁ無理だよ」
なんでだよ。
なんでそんなことが言えるんだよ。ウルミさんの馬の角が何故暴走したのか、結局はわからなかったじゃないか。
ただこの素材は魔力を食うことで人の心を侵食する。ユニコーンなら怠惰、グリフォンなら傲慢だ。きっとそれが鍵になっているはずだ。
「たしかに僕らの素材は魔力を食べて活動する。人の心を侵食した果てにあの暴走があるのは十分在り得るね。
けどメイスのそれは、他人に頼っているってことじゃないかな?
グリフォンの傲慢は、そんなことはしないよ」
……………、
たしかに私はグリフォンの力を頼っている。そして傲慢の魔物は他に頼るようなことはしない。
”他に頼るなど、それこそ我の全能を否定する行為だ”
それがグリフォンの傲慢。今の私の思惑は矛盾している。
魔力は与えたが、まだ侵食が十分でない証拠だ。
私の心は、まだ傲慢に染まっていない。
ならば他の素材を頼ろうか。
左の袖のポケットには今もクラーケンの墨を内蔵した矢が一本だけ残っている。
そしてスカートの一番大きなポケットには、蜥蜴の翼が格納されている。
「まさか今度はその杖の中のドラゴンを頼るの? 怒るよ?」
「怒ったら、どうするっていうんだよ」
「分身のボクでも少しは魔力を持ってる。ここでメイスを落として、落下の瞬間に何とか受け止めるくらい出来る。それでこのボクは枯れちゃうだろうけど、後はバジリスクに任せるよ」
「……………頼むよ、アルラウネ」
私の大切な物が、無くなっちゃうかもしれないんだ。
また、無くなっちゃうかもしれないんだ。
あの日、無様に負けて友達を無くし帰ってきた私を、あの街のみんなは温かく迎えてくれた。おかえりって言ってくれた。
本当に嬉しかったんだ。
私はまだ何も返していない。
あの街が無くなるなんて耐えられない。
一人だって死なせたくない。
「後生だから、私を止めないでくれ」
「メイス……」
といっても、この杖を使うことは出来ない。
師匠の魔法式は未だ解読出来ないままだ。
使うことさえ出来れば、いくらでも魔力を食わせてやれるのに。
口惜しい。
「……わかった。ただしドラゴンもクラーケンもグリフォンも無しだ。それと今すぐ休憩だね。そうしたら、もう止めたりしないよ」
そういうとミニラウネは、脇のポケットに潜り込んでしまった。
[ お前が俺の物になる前に お前が無くなるのは困る ]
まだ私を諦めていなかった様子の蛇も引っ込む。硝子の眼鏡も消え失せた。
二匹の言う通り、私の限界はそう遠くない。東の街に着く前に確実にバテる。
完全に魔力が尽きる前に休憩をしなければならないのは本当のことだ。
逸る心を抑えて、気球の高度を下げる。国境の川が流れているのが見えたので青の国はすぐそこだ。
小一時間だけ休憩して、夜通し飛び続けよう。
急ぐ。
東の街まで、一刻も早く…
目次の下の方にリンクを設けました。
いただいたイラストなどを置いてます。




