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第五十五話 メイスを訪ねる者

 三月式典の大議会により、青の国では全ての黒髪に人権が与えられ、奴隷の所有と売買の禁止が定められた。

 つまり奴隷制度が廃止された。


 そして式典が終わると、私は一度首都に立ち寄ることになった。

 旦那さまの邸で祝宴を開いてもらえることになったのだ。


 私のために、みんなが私の帰国と名誉回復を祝ってくれた。

 とても嬉しかったけれど、

 もちろん、そこにマスケットとドクは居なかった。



 マスケットは、赤の国の王様になっていた。

 グラディウスに願いを叶えて貰ったのだろう。あの剣に掛かれば成人もしていない13歳の女の子が一国の玉座に座ることも容易い。

 そして、ドクもそこにいた。

 青の国の伯爵の息子であるドクが赤の国の王の隣にいた。

 すぐに身柄の返還が求められたが、ドクは自分の意思で赤の国にいるというのが赤の国側の言い分だった。


 三月式典の最中、突然赤の国の王が代わり議会は混乱の極みだったらしい。

 前例の無い式典の最中での王位の交代。無茶苦茶だ。

 そして大議会での、奴隷制度廃止の条約。

 赤の国の新王マスケットは、真っ向からその条約を否定した。

 つまり赤の国では、引き続きこれからも、魔族が、奴隷として扱われるということだ。

 マスケットの言ったとおりに……。



 公爵邸での宴席で、旦那さまに養子なるよう誘われた。

 奥さまも、ぜひそうしなさいと言ってくれた。

 涙が出るほど嬉しかった。

 ……けれど、結局私は首を振った。

 荷物をまとめて、師匠の家に帰ることにした。



 東の街では、懐かしい人たちが温かく迎えてくれた。

 酒場のマスターと奥さんも、私のことを心配してくれていたらしい。

 二人にも養子になれと誘われた。

 嬉しかった。

 本当に嬉しかった。

 けれど断った。

 一人に、なりたかった。



 そうして私は、師匠の家に帰ってきた。

 師匠のお墓に手を合わせ、

 ここで、一生暮らすことを決めた。



 森の中の小さな家に一人で住むことを決めて数ヶ月。

 ここは青の国の東の端。田舎の更に外れである。

 そんな場所に住んでいても、いろいろな人が訪ねて来る。


「メイスちゃん。居るかい?」


 フレイルは最初に訪ねて来た。

 私のことを心配してのことだろう。一人にしないと言ったのは嘘ではなかったということか。

 けれど私は居留守を使ってしまった。

 どうすればいいのかわからなかった。

 あのサーベルとかいう女との結婚式のとき以来、フレイルには会っていない。

 首都では結構なイベントとなった、青の国を代表する騎士二人の結婚式。

 私はうまく笑えていたと思うが、正直もう二度とフレイルの前で笑える自信が無かった。



「メイス。俺だ。居るんだろ?」


 エッジとウルミさんも訪ねて来た。

 遠路はるばるご苦労なことである。

 きっと剣を勝手に失ったことについて私を咎めるために女王に派遣されたのだろう。と思った。

 私はまたも居留守を使ってしまった。

 しかし、


「メイス。居るのはわかっているわ。お爺様のお墓に案内して頂戴」


 ウルミさんにそう言われては、無碍にするのも憚られた。

 観念して玄関を開けると「心配した」と言ってコツンと額を突かれた。


 家の庭にある師匠のお墓に案内すると、ウルミさんは静かに目を閉じて、

 しばらくして突然、思い切り墓石を殴りつけた。

 非力な魔法士であるウルミさんの拳が変な角度で硬い石に打ち込まれ、鈍い音が聞こえた。

 その場で腕を押さえて蹲るウルミさんは滅茶苦茶痛そうにしていたが、一頻り呻いて手首に治癒魔術を使うと満足そうな顔で「もういいわ」と言った。


 家の中に戻り、お茶を出して二人と話をした。

 まず剣のことについて、女王は私を咎めるつもりはないということ。

 私さえその気があるなら、白の国で暮らすことも出来るということ。

 クラーケンの海水浴場が盛況だということ。

 そのクラーケンが私に会いたい様子だったこと。

 ショテルとハルペが私のことを負け犬とバカにしていたこと。


 会いたい気持ちは山々だが、私は白の国に戻る気は無い。

 クラーケンには簡単な記号による筆談を教えてある。もはやグラディウス(つうやく)の無い私が居ても居なくても一緒だろう。

 双子への制裁が出来ないは残念だが、私はここで一人で暮らす。

 そういうと、エッジがここに住むと言い出した。


 私も驚いたがウルミさんも驚いていた。

 エッジは白の国の戦士だ。そういうとエッジは戦士を辞めるとまで言う。

 何を考えているのかは知らないが、却下した。

 私は一人で暮らすのだ。

 そしたら今度は近くの街に住むと言い出し、それ以上譲らなかった。

 ウルミさんも困り果てた様子だったが、結局は「エッジ自身が決めたことなら」と、一人で白の国に帰ってしまった。

 エッジは東の街に住むことになった。



「おぅ~い。居ないのかぃ?」


 サイも来た。

 もちろん居留守を使った。

 すると信じられないことにサイは勝手に鍵を開けて入ってきた。ふざけんなよピッキングババァ。

 慌てて飛び出してサイを咎めるが「何だ居るんじゃないか」と、さして悪びれる様子も無かった。

 何しに来た、というか何をするつもりだったと問い詰めると、


「何言ってんだぃ。あんたが勝手に博打打って剣スってきたんだろぅ? あたしがいくら損したと思ってんだぃ。だから今日は金目のもん差し押さえに来たのさ。それが嫌ならあんたはあたしの儲けのために働く責任があるんじゃないのかぃ? なのにあんたが留守だってんなら仕方ない。適当に置いてるもん貰っていこうと思っただけさね」


 ごもっともな言葉が返ってきて返す言葉が無かった。

 私が勝手に剣を賭けました。完璧に全て私が悪い。

 サイの要求は今までどおりこれからも魔道具を作り、サイに独占的に卸せというものだった。この世界には独占禁止法も無い。


 義理どころか負債が出来てしまったのでサイにもお茶を出してやらなくてはならなくなった。少しだけ話をする。

 来るときに街でエッジに会ったこと。

 なので私が家にいることはあらかじめ知っていたこと。

 商人としてそれなりに儲けていること。

 青の国の多くの商人たちが赤の国へ移住を始めていること。

 サイは主に商人を相手に取引する商人なので、自分も赤の国に移るつもりだということ。

 でも髪染めの魔道具の魔力補充と商品の魔道具の仕入れのため、これからも数ヶ月に一度ここに来るつもりだということ。


 差し当たってはこの冬の分の魔道具を寄越せと言ってずかずか家捜しを始めるサイ。おいやめろ。

 私の制止も虚しく倉庫を漁るサイが手に取った物は、


「ん、こりゃなんだぃ? 船の帆布かぃ?」

「それに触るな!!!!!」


 よりにもよってそれ(・・)を見つけられてしまう。

 いや落ち着け。サイは魔道具を見たところで中身の魔法式まで見えるわけじゃない。それに見られたところで、この世界の人間には何をするものなのかはわからない、…はずだ。


 …………、いや。

 もうそんなこと、私には関係ないことだった。

 これによってこの世界がどう変わろうが、私にはもう関係ない。


 私が最後に作った魔道具。

 何でも願いが叶う剣とは比べるべくもないが、この世界でこれを上手に使えば、その価値はグラディウスにだって見劣りはしない。

 剣を失くした負債の補填には持って来いだ。


 そんなことを考えながら、それでも私は、


「それは、手放せないんだ。他のなら何でも好きなだけ持っていっていいけど、それだけはダメだ」

「あんたがそこまで言うなら、そうとう価値がありそうだねぇ?」

「そいつの使い方は私にしかわからないよ。使えないなら、ただの()だ」

「………はん」


 結局はそれを、この世界に放たなかった。


「なら今日のところはこれだけ貰っていくよ」

 そう言ってサイが持っていったのは少し質がいいだけの緑小石。中には治癒魔術が封じてある。傷薬に取って代わる家庭用常備魔道具としていくつか製作したのだが、式が複雑な治癒魔術は量産には向かなかったという、残念な魔道具である。


 東の街まで見送ってやると、荷物を馬車に放り込んで別れを告げるサイ。

 ………馬車、である。


「はん、そういやあんたに見せるのは初めてだったかぃ。苦労して貯めた金でも全然足りなくてねぇ、か~なり借金して手に入れたのさ」


 見覚えのある馬車だった。

 黒王号のような馬が二匹で引く、家に車輪をつけたようなドでかい馬車。

 式典の何処にも居なかったと思ったら、こんな味な店を構えていたとは。

 知らずに客として買い物をしていたが、あの時は従業員も何人か居た。こいつはいつの間にそんなヤリ手の商人になっていたのか。この様子だと商売も手広くやっているようだ。


 そうしてサイは、赤の国へ行った。



「この家か! おーい!出て来い!」


 意外な客も来た。

 聞き覚えのある声に警戒しつつ扉を開けるとそこにいたのは、魔道師会で会った赤の国の紅炎の弟子、ナタだった。

 赤い箒頭に黒いマント姿だが、あのランタンをぶら下げた街灯のような杖は持っていなかった。

 突然の訪問に面食らいつつも家に上げてお茶を出した。


「あんな啖呵切っといて一回戦で負けやがって」


 うぅ…、やはりその話か。

 負けてしまったものはしょうがない、とは私もとても思えないが。

 それでも負けは負けだ。

 所詮私はその程度だったということでしかない。ナタと戦っても、きっと私は無様に負けていたことだろう。


「………お前、それ本気で言ってんのか?」


 見損なったとばかりにお茶を一息に飲み干してテーブルに両足を乗せて踏ん反り返るナタ。無礼な奴だな。

 そのままナタは一方的に語り出した。

 魔道師会で優勝したこと。

 楽勝だったこと。

 自分は天才であるということ。

 自分は生まれてこの方、負けたことが無いこと。

 師匠であるフランベルジェに名前を継ぐことを許されたこと。

 それを、保留にしてもらっていること。


「なんで俺がまだフランベルジェを名乗ってないかわかるか?」


 わからねぇよ。

 何様なんだよお前は。とりあえずテーブルから足を下ろせ。

 というか名乗るどころか騙ってたじゃないか。見栄を張るほど欲しかった名前じゃないのか?


「優勝すれば、継ぐ約束だったんだ。そんなの決まってるようなもんだと思ってたから、そう名乗ってただけだ」


 大した自信だ。が、実際に優勝したなら別に嘘にはなっていないし、今はもう許されてるんだから胸を張ってフランベルジェと名乗ればいい話だと思う。


「お前の所為だよ」


 …………はぁ?

 私が何をした?


「俺の魔術をあんな風に()なした奴はお前が初めてだったんだ。お前を倒してないのに優勝した気がしない」


 あぁ、そういえば反転魔術で脅かしてやったんだった。

 しかしあんなもの、所詮は小細工だ。既存の魔術の概念しか知らない者は驚くだろうが、あれはただ便利なだけでそこまで凄い魔術ではない。

 魔術に真逆の効果を持たせたり、同じ属性の魔術を打ち消したり出来るが、相手の魔術を打ち消すのなら同程度の威力の魔術を反転させなければならない。場合によっては抗魔術を使った方が効率がいいこともある。

 あれは師匠の『奥義』ではなく『曲技』。

 本当に凄いのは、ナタの方だ。

 概念すら知らなかっただろうに、私の魔術を見ただけで反転魔術を簡単に看破してみせた。


「俺が凄いのは当たり前なんだ。俺は天才だからな。問題は俺以外の奴が、しかもお前みたいなチビが、俺の魔術を止めてみせたってことだ。奥義だか曲技だか関係ない。お前と戦わないと俺の気が済まないんだよ」


 そんなん言うたかて、うち一回戦敗退やし…。

 しかし当たり前と来たか。自信過剰な気がするが、魔道師会を軽く優勝するくらいだ。実力に裏打ちされた自信なんだな。

 別にわざわざ戦わなくたって私の負けでいいよ。私が認める。お前がフランベルジェだ。


「ああもうわかんない奴だな! これだから女は!」


 な………、

 ……………、


 ………そうだよ。

 ああ、そうだよ。


 どうせ私は女だ。

 悪かったな。

 …………悪かったな。


「なぁお前、そんな奴だったのか? 前に会ったときはもっとこう、一歩も引かない感じだったじゃないか」


 何がだよ。ナタと会うのはこれが二度目だ。私の何を知ってるんだよ。

 もういいよ。要件が済んだら帰ってくれ。

 私は一人になりたいんだ。


「………お前なら、俺と対等かもしれないと思ったんだ。それなのに戦わないままあっさり終わりなんて、なんだかモヤモヤするんだよ」


 じゃあどうすればいいんだよ。実際に戦ってみれば満足なのか?


「今日は杖が無い。国を出るとき師匠に持ち出しを許可してもらえなかったんだ。それに外の奴にもお前と戦うなと釘を刺されたしな」


 そういえば杖を持ってなかったな。

 外の奴って誰だ? 窓から表を見ると木陰にエッジがいた。

 聞くと街からここまで案内してもらう替わりに私に危害を加えないことを約束させられたらしい。

 ……ここまで来たんならエッジも中に入ればいいのに。


 結局ナタは戦えば満足するとのことだが、彼なりのこだわりがあるらしい。どうせやるならお互い万全な状態でもっと広い場所で思い切りやりたいというわがままぶり。残念だが私は剣と一緒に(つえ)を失っているので、彼のこだわりに応えることは出来ないと思われる。

 杖が無いことを告げるとナタは絶句してしまった。

 しかしすぐに立ち直り、少しだけ思案して、


「わかった。とりあえずお前、俺と来い」


 何処へ行こうと言うのかね。

 そう聞くとナタは自分の家に来いと言い出した。

 それは、赤の国に来いという意味か?


「お前のあの杖って自分で作った物だろ? なら素材さえあればまた作れるじゃないか。俺の家に来ればそんなのいくらでもある」


 馬鹿かこいつは。

 私が魔族なのは知ってるはずだろ。

 …あれ?それとも知らないのか?


「ああ、そうらしいな。その髪も魔術で染めてるって。

 でもそんなの関係ないだろ。お前は強い魔道師で、俺がお前と戦いたいんだ」


 ……………!


 ………、

 ……いや、無理だろ。

 赤の国では魔族は奴隷だ。そんな国に私が行けるわけがない。

 この馬鹿は箒みたいな頭して無茶苦茶なことを言う。何がこいつをそうまでさせるのか。


 というかそもそも、私はもう誰とも戦う気は無い。 

 私はここで誰とも深い干渉を持たず、一生を静かに一人で暮らすと決めたんだ。

 激しい喜びはいらない。そのかわり深い絶望もない。

 植物の心のような人生が今の私の目標だ。


「とにかく俺は諦めないからな。次会うときまでに新しい杖作っとけよ」


 結局はそんな捨て台詞だけを置いて、ナタは赤の国に帰っていった。

 また来るつもりじゃないだろうな?

 まぁ、来ればお茶くらいは出すけど……。


 …………、

 ………私が魔族でも関係ない、なんて、

 赤の国の人間がそんなことを言うとは思わなかった。


 …少し、嬉しかった。



 私はここで一人で暮らす。

 師匠と暮らした森の小さな家で。

 ここは青の国の東の端。

 この世界の隅っこだ。

 私はここで、静かに暮らす。

 たった一人で、一生を終える。


 もう元の姿には戻れないんだ。

 もう元の世界には帰れないんだ。

 だから私はすべてを諦めて、

 せめてここで静かに暮らしたかった。


 ……だというのに、



「 ごめーんくださーい 」



 最後にはとんでもないのが来た。


 聞き慣れない声にハテナと思いながら、今までの例から居留守を使うのもあまり意味が無いと思い、扉を開けて応対することにした。

 訪ねて来たのは、森ガールだった。


「やあ君か。はじめまして。今更こんな出会いがあるなんて思いもしなかったよ。それも君みたいなかわいい女の子だったとは、いやらしいことこの上無いね」


 森ガールは初対面でいきなりわけのわからないことを言ってきた。

 女の子…だよな? 中性的な容姿でよくわからないが、ワンサイズ大きそうなゆるいワンピース姿だし、たぶんそうだと思う。

 間違いなく初対面。知らない顔だ。

 背格好は私と大差が無い。なのに不思議な雰囲気を纏っていて、年齢がよくわからなかった。褐色の肌が健康的で、頭にのせたチューリップハットが特徴的。

 帽子から覗く髪は緑色だが…、………??


 ……変だ。

 女の子は黒髪でもないのに、

 欠片の魔力も持っていなかった。


「この出会いは運命かもしれないね。君の名前を教えてくれるかな?」


 終始気さくな感じで捲くし立てるが、私は少し引いてしまっている。

 髪に色があるのに、魔力が無い。

 何者なのか、わからなかった。


「えっと…私はメイスだけど……」

「んん? それってこの世界での名前かな?」


 名乗ると怪訝な顔をされた。

 そして、『この世界』という言葉を口にした。


「じゃあボクもこの世界の名前で名乗った方がいいのかな?」


 この世界の名前??

 女の子の言葉は、あまりに突然すぎて、

 何の心の準備も出来ていない私は、

 女の子が帽子を取るのを、ただ見ているだけだった。


「あらためて、はじめまして」


 そのチューリップハットを取った、女の子の頭には、


 褐色の肌の女の子の、鮮やかな緑色の髪の、真ん中には、


「ボクはこの世界で、アル(・・)ラウ(・・)()と名乗ってるよ。いやらしいことこの上無いね」


 小さ(・・)な花(・・)が、咲いていた。



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