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第五十三話 第一回戦


 魔道師会。第一回戦。

 私とマスケットとの試合。


「メイスが決闘を受けてくれてうれしいです」

「マスケット…」


 マスケットとの距離は20メートル強といったところ。

 魔道師会に於いて、魔道師が対決する試合の内容は基本的に魔術の撃ち合いだ。

 なので対決する二人の魔道師は、試合開始時点で一定の距離を取ることが原則である。


「私に、勝てると思ってるの?」

「勝算はあるんですよ。もちろん秘密ですが」


 離れたところには、三月式典の会場へ続く門と観客席。

 私たちの試合が始まるのを待っている。フレイルたちも見ているはずだ。


 開始は両者合意の下。

 各々自分の好きな位置について、観客席の方に合図を送れば試合開始だ。形式が簡素すぎていささか寂しい。


 寂しいこの試合が、私とマスケットとの決闘。

 マスケットが勝ったら、グラディウスを渡す。

 私が勝ったら、ドクを解放する。


『本当に それでよいのか?』

「…………」

『私に願うのがよいのではないか?』

「………どう願えばいいんだよ」


 例えばマスケットの心変わりを願うか。

 洗脳するより簡単な手段(きせき)で人の心を便利に書き換えて、めでたしめでたしで済ますなんて私には出来ない。


 マスケットは自分の意思でここにいる。

 剣の奇跡で叶えたい願いがあるんだ。

 マスケットは商人だから、奴隷制度が無くなると困るんだろう。

 でも私は、無くなってくれないと困る。


 グラディウスが言うなら、私の思う通りの結果を叶えられるのだろう。

 だがそれはおそらく、マスケットの気持ちを切り捨てる結果だ。

 私とマスケットは、相容れない立場にいる。

 たとえグラディウスでも、その両方を叶えることは出来ない。

 矛が盾を貫くのならば盾は矛を防げない。あるいはその逆かだ。

 二つに一つ。不倶戴天。

 それは戦って勝ち取るしかない。

 だからマスケットは、戦いに来たのだ。

 ならば、私も戦って勝ち取らなければ。


『お前が負けたら お前の願いを叶えられなくなる』

「私は……負けないよ。知ってるだろ、私の強さを」


 マスケットと戦うなんて想像もしていなかったけど、私はこの2年で強くなったのだ。マスケットがどれほど腕を上げたのかわからないが、魔道師では私には勝てない。

 ドクの身もかかっている。負けるわけにはいかない。


 グラディウスに願えば、今すぐドクを解放することも出来るだろう。

 だがその後マスケットは逮捕される。貴族のドクを監禁した罪はどれくらい重いだろうか。

 そんなことにはさせない。

 ここでマスケットの目を覚ましてやらないと。

 殴ってでも、こんなことをやめさせないと。


 マスケットの望みを叶えることは出来ないけど、マスケットを傷付けず、反転魔術で無力化して勝つ。

 今の私ならそんなこと、簡単だ。


 マスケットが観客席の方に向けて手を高く上げた。

 それを見て私も同じように、手を上げる。


 それを合図に、観客席の大きな管楽器がラッパのような音を響かせた。

 試合開始。


「私はこの決闘に、この剣グラディウスを賭ける!」

「私はこの決闘に、ドクを賭けます!」


 そして、決闘の開始だ。





 グラディウスの収まる(つえ)を構える。

 私が作り上げた自慢の杖だ。

 マスケットがどんな魔術を使ってきても、私の詠唱を省略して一瞬で反転魔術を行使できる。


「その剣の鞘が、メイスの杖なんですね」

「…………」


 魔素はまだ揺らがない。

 マスケットが使ってくる魔術を感知したら、すぐに反転させて消してやる。

 魔力切れでマスケットがバテたら、思い切り殴って終わりにしよう。


 簡単だ。


 私なら、そんなこと、

 簡単なことの、はずだった。



「私も杖を作ったんですよ。見てください」

「……え?」



 外套の内側に保持していたのか、

 マスケットが、杖を取り出した。



「  ひ   !   !  ?  」 

「メイスの杖も変わっていますけど、私の杖もなかなかでしょう?」


 取り出されたソレ(・・)の姿に、

 全身が総毛立つ。

 身の毛が、弥立(よだ)つ。


 マスケットの杖も、いわゆる普通の杖の形をしていなかった。


 長さは人の身長を超えるだろう。

 細く長いその杖は、何本もの皮紐を細かく編みこんだものだ。

 それ自体が一本の紐であり、柔らかく(しな)ソレ(・・)は円状に巻かれて小さな輪っかになっている。


 マスケットが、それを勢い良く振れば、




 ピシャン!



 と、






 私の、



 だいきらいな
















     あの



         オトが















「あ……あぁ………あ……」

「どうしましたメイス? 顔が青いんじゃないですか?」


 とたんに両足が震えだす。

 ガクガクと、私とは別の意思を持ったかのように。


 急に寒くて堪らない。

 足に留まらず全身が震えて、両手で自分の身体を抱く。


「メイスに教わりましたから私も自分で魔道具を作れるようになったんですよ。この杖を作ることが出来たのも、メイスのおかげです」


 ピシャン! と、

 音が響く。

 本物の、鞭の音。


 マスケットの杖は、鞭の形をしていた。


「うぁ……ぅぁう…」

「……やっぱり思った通りですね」


 マスケットがまた(つえ)を振るう。

 ピシャン!と音が響く。


「奴隷はみんなコレを恐がります」


 気付けば膝が折れていた。

 何も考えられなくなって、

 両手で耳を塞いだ。


 音が響くたびに、全身から力が抜けていく。

 石の檻の暗さを思い出す。鉄格子の冷たさを思い出す。

 私の背中を打つ、あの痛みを思い出す。


「メイスも、きっとコレを恐がると思ってました」


 マスケットが、私に向かって歩いて来る。

 もはや私は脅威にならないと、

 不用意に近づいても、危険などありえないと、


「メイスは、奴隷だから……」


 私の目の前に、マスケットが立つ。

 右手には嫌な嫌な(つえ)


 鞭が恐い私は、今でも奴隷なのかもしれない。


 コレを克服することは、私には出来ない。


 ……出来ない。


「さぁ、決闘を続けましょう。そんな風に丸まってないで、立って私と戦ってください」


 足は、動かない。

 私は、立てない。

 それでも歯を食いしばって、手を地に付いて身体を持ち上げる。


 ピシャン! とまた鞭が響く。


 私の身体が崩れて、

 とんがり帽子を深く被り、その下で亀のように丸くなることしか、出来ない。


 恐い。

 恐い。恐い。恐い。


「う゛ぅ…ぁうぅ………」

「………これじゃあ勝負になりませんね。私の不戦勝、ということになりますよ?」


 マスケットの勝ち。

 私の負け。

 鞭に打たれること無く済めば、それでもいい。

 それは私の本心だ。


 何も考えられなくなるほど、鞭が恐い。

 もうこのまま、早く終わって欲しい。


「それでいいですか? ねぇメイス」

「…………………」


 ………いや、

 いや、駄目だ。


 マスケットの勝ち。私の負け。

 それはグラディウスを奪われるということであり、

 ドクを、失うということだ。


「フゥー…、フゥー……!」

「…………メイス」


 立ち上がる。

 足はガクガク震えっぱなしだ。

 指先にまで力が入らない。

 それでも(つえ)を支えに、身体を立てる。


 ドクを、助けないと。

 マスケットを睨みつけて、(つえ)を構えた。


 マスケットの(つえ)が、また音を響かせる。

 鼓膜を揺さぶるその音に思わず目を瞑ってしまう。

 それでも今度は、膝を折らなかった。


「……マス…ケット…!!」

「……………」


 鞭が音を響かせて、私の心を掻き乱す。

 そうなると私は魔力を練れない。

 集中力がバラバラで、常時全身に纏うように練っている魔力も、新しく空気中から集めても、まるで私の心を映すように(ほつ)れてしまう。


 けれど魔術が使えないわけじゃない。

 魔力は練って集めなくても、

 私の身体にある魔力だけでも、下級魔術くらいは使える。

 無理をすれば、中級魔術でも。


 しっかりと両目を開き、マスケットに向けて魔術を放つ。


「…爆炎(フレア)……(ストライク)!!」


 近距離用の火属性魔術。

 大きな炎の塊を、相手に叩きつける魔術だ。


 負けるわけにはいかない。

 鞭に怯えて震えている場合じゃない。

 せめて出来るだけ魔力を込めて、威力を底上げする。


 でも…、


水防壁(アクアウォール)


 マスケットが出す水の障壁の魔術に当たって、煙のように消えた。


 魔道師同士の戦いとは、要するに魔術の撃ち合いだ。

 だから魔道師は抗魔術を使う。

 魔道師が魔道師を倒したければ、相手の抗魔術を突破することを考えなければいけない。


「…………」

「うぅ…!! ぐぅう……!!!」

「……それで終わりですか?」


 たった一度。

 たった一つ魔術を放っただけで、私の魔力は尽きた。


 魔力切れで一層気持ちが悪い。

 頭が痛い。目が霞む。


「それではこの決闘も、もう終わりですね…」


 終わるわけには、いかない。

 負けるわけにはいかない。

 私がドクを助けないと。


 まだ戦える。

 まだ残っている。魔力を搾り出せ。


「メイス…、あなたの負けです」

「…………ま…だ!」

「……もう、立たなくていいですよ」



 ぱしん、



 と、頬を打たれた。



 私の頬を打ったのは、マスケットの持つ(つえ)の先。



「………は」


 笑わせてくれる。

 こんなの、玩具じゃないか。

 杖として使うために、素材を選ぶ必要があったのだろう。皮を破り肉を(こそ)ぎ取っていく本物の鞭と比べると、作り物も甚だしい。

 こんな物は、ただ鞭の形をしているだけだ。


 本当、笑えるよ。

 だって打たれた私の頬は、全然痛くなんかない。


 なのに、

 作り物の鞭なんか、全然痛くなんかないのに、


 背中の傷跡が、

 焼かれるように、痛い。


「―――――!!! ――――!!!!!」

「まだ……なんですか? そんな状態でまだ戦えるつもりなんですか?」


 ぱしん、ぱしん、と、続け様に打ち付けられる(つえ)

 目の前が真っ暗になって、膝が折れる。


 私は、また地べたに這い蹲り、

 両手で帽子を深く被り、

 身体を丸めて、

 身体が、ふるえて、いたくて、

 どうしようもなくて…、


 もう…、


 もう………、


「…………めて」

「…………」

「………やめて……やめ…て」


 ぱしん、ぱしん、と私を打ち据える鞭が止まる。

 地べたに丸まる私の背中を打つ鞭が止む。


「……メイス。負けを認めてください」

「…………うぅぅ」

「どうしたんですか。さ、早く」


 負け。

 私の、負け。


 もうドクに、会えない。

 西の街で受け取った手紙には、この三月式典で再会しようと書いてあったのに。

 そのために、今までこの世界に留まっていたのに。

 もう、会えない。


 それだけじゃない。グラディウスも失ってしまう。

 剣が無ければ、元の世界に帰ることも出来なくなる。

 

「……………くぅ…ぅぅ…!!」


 その剣を支えに、今一度だけ立ち上がった。


 私は、もう戦えない。

 魔力も尽きた。

 涙で滲んで前も見えない。


 それでも、諦める気にはなれなかった。


「………、はぁ…メイスは本当に強情ですね」


 立ちあがった私の前に、マスケットが立つ。

 どんな顔をしているのかも、もう私には見ることが出来ない。


「でもこれは魔道師会ですから、魔術で倒せば私の勝ちです」


 魔素が揺らぐ。

 マスケットが、魔術を放つ。

 この魔術は、私の、


突風撃(インパクトゲイル)


 風の下級魔術が、私の身体を吹き飛ばす。

 何の抵抗もすること無く、私は飛ばされ地面に落ちた。


 たった数メートルほど飛ばされただけだ。

 強く押されて、少し身体が浮いたくらいのこと。

 だが、私の意識を刈り取るには十分だった。


「これで私の勝ちです。約束通りこの剣は貰っていきますね」


 地面に投げ出されて転がる私まで歩いて、マスケットの手が私から剣を取り上げた。

 グラディウス。ごめん。

 あれだけ大口叩いて、この様だ。


「もう二度と会うこともありません。さようなら…憐れで卑しい奴隷のメイス……」


 意識が遠くなっていく。


「……………、……メイス」


 もう、マスケットが何を言っているのかも、わからなくなって、


「私はずっと……メイスが奴隷でも…………」


 背中を向けて去っていくマスケット。

 それを最後に、私の意識は切れた。



 三月式典。魔術会。

 魔道師会の第一回戦。


 蒼雷の弟子はそうして、

 無様に、負けた。



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