第三十六話 白の女王
これから白の国の王様。つまりエッジやウルミさんの言う女王に会いに行く。
白の女王。
ほとんど人前に姿を現さないという話は聞いたことがあるが、優しい人だと二人は言う。
白の国のお城は、お寺のような建物だった。
立派な瓦屋根の大きな木造建築だが、城というにはあまりに小さい。
やっぱりこの国は、かなり日本に近いな。全体的になんかこじんまりしてる。エッジに聞くと、台風が来るのであまり高い建物を建てられないらしい。
板張りの廊下を、エッジ、ウルミさん、私、そしてサイ、の順番で歩く。
寺に入ってからというもの、前の二人は一言も口を開かないし、それ以前に寺はすごく静かだ。鶯張りの廊下が軋む音しか聞こえない。
侍女のような人とは何人かすれ違うが、軽く会釈する程度で会話がない。寺内は喋ってはいけないのだろうか。
落ち着かない空気が続くが、その時間は幸い短かった。
それほど広くないお寺のこと、お堂のような部屋やよく手入れされた中庭を横目に見ながら歩いていると前の二人が止まる。女王のおわす部屋まではすぐだった。
謁見の間。とかではなく。部屋。
襖を開けて中へ入ると、中にはおばあさんが一人いた。
部屋は10畳もない和室。私たち四人が入ると一気に狭くなった。茶釜が焜炉に掛けられてシュンシュンいってる。茶室のようだ。それ以外には特に何も無い。
畳の床に座布団を敷いて、真っ白な髪を結った着物のおばあさんが正座している。
おばあさんはそれまで閉じていた目をゆっくりと開けると、
まっすぐに私を見て、
「ようこそ。お待ちしておりました」
と、言った。
この人が、白の国の女王?
ウルミさんが座布団を出し、おばあさんに促されるまま座る。正座で。
座布団は一枚だが、私の隣にサイも座る。するとエッジとウルミさんに両サイドから持ち上げられて立たされた。座っていいのは私だけだったようだ。
「あの…」
「どうぞ楽に。もう少し、お待ち下さい」
おばあさんは茶釜から柄杓で湯を掬い、茶碗に丁寧にお茶を淹れてくれた。
粗茶ですが、と差し出されるお茶。
…………、
なんで私はこんなところで茶道教室みたいな状況になっているんだろう?一体ここはどこなんだ?
…などとはもちろん言えずに、とりあえず差し出されたお茶をいただく。
三回まわして音を立てて飲む。
……うん、麦茶だ、これ。
「…………」
何かの罠なのだろうか?
意図が全然わからない。
周囲の視線が痛い。おばあさんも、ウルミさんもエッジもサイも、皆じっと私を見ている。
私はどうすることも出来ずに、
「……けっこうなおてまえで」
と、椀を返上するしかなかった。
するとその椀を受け取り、女王は満足気に何度も頷いた。
た、正しかったのだろうか?
「素晴らしい。言い伝えのとおりです」
「……??」
「改めて、初めまして魔族のお方。私が女王サリッサでございます」
「あ、初めまして、メイスです」
…やっぱりこの人が、女王。
想像してたのよりもずっと大人しい出で立ちである。物腰も柔らかく、私に少しの威圧感も感じさせない。
純日本老婦人だ。シワの多い顔が優しく微笑んだ。
わけがわからない。全然わからない。
何故お茶を飲む必要があるのか。純粋なこの国式のおもてなしなのだろうか。
それに魔族のお方なら私の他にも、この場にはエッジとサイもいる。
…いやまぁ、
私が、エッジやサイと違うところといえば、魔法が使えるということだろう。
魔法を使える魔族。私を待っていた?
「その、説明をして欲しいのですが……わからないことが多すぎて…」
「ええもちろん。そのために私がいるのですから…」
女王が目で何か指図すると、女王と私を除く三人が部屋から出て行った。
サイは普通に居座ろうとしていたが、またも二人にサイドから掴まれて引き摺られていった。
部屋には私と女王、二人だけ。
そして深呼吸をひとつ。
「まず、先ほどお出ししたお茶」
「え? あ、はぁ、おいしかった……です?」
「ふふ、あなたの所作。古くから伝えられている作法と、全く同じでした」
「……?」
「この世界に、あのようにお茶を飲む作法はありませんよ」
「……………え?」
三回まわしてお茶を飲み、返すときには「結構なお手前で」。
油断していると、この世界には地球のものと同じ文化が普通にあったりするが、これも地球の知識。
カマを掛けられたのだ。
私が地球人だということが、バレている。
いつだ? いつバレた?
黒髪もバレた。魔力もバレた。
しかし異世界人だとは、魔王の召喚した魔族たちと同じ存在だとはバレてなかったはずなのに。
地球のお茶の作法が伝えられていた。
地球の知識を、代々伝えてきたのか?
白の国の、女王が?
「魔力を持つ黒髪。それが真の魔族である証明でございます」
「…………」
「いまの茶のように、それを試す術はいくつも伝えられていました。そして言い伝えの通り、あなたはその作法を知っていた」
「…その、こちらから質問をさせてもらってもよろしいですか?」
「どうぞ、どんなことにもお答えいたします」
「あなたが、私をこの世界に召喚したんですか?」
6年前のあの日、封印されたグラディウスの前に私を召喚した。
今まで召喚者からの接触がなかったのがずっと疑問だったが、それがとうとう現れたということなのか?
だが、女王はそれを否定した。
「複雑な事情になっているのかもしれませんね。あなたを召喚したのは私ではありません」
「…………」
どうやら私の召喚者ではなかったようだ。それもそうか。
女王の魔法士であるウルミさんは、剣を捜していた。もちろん女王に命じられたのだろう。
封印されていた剣が何者かの手によって抜かれ、私が召喚された。
この人たちは剣によって私が召喚されたのだと思っている。
しかし剣を抜いたのは私だ。私は剣以外の術で召喚された。
その辺に誤解が生じている。
誤解を解くためには、剣のことを話さなくてはいけないが。
何故女王は私を捜すのか。
かつて魔族が戦争を起こした武器の数々の知識を警戒しているのか。
どうもそんな感じでもない。警戒しているのならそもそもこんな場所に二人きりにはならないだろう。
「あなたの目的は?」
「私の目的は、召喚された魔族を保護すること」
「保護?」
「そしてその者に、「オレラ」の言葉を伝えることです」
私を保護する?
どういうことかわからない。
っていうか。
いま、「俺ら」っつったか?
「魔王に召喚された百人の魔族を、私たちは「オレラ」と呼んでいるのです」
「は、はぁ……」
私と同じ地球人の人たちか。
その名前はたぶん、その人たちがそう名乗ったんだと思いますよ。
ただの一人称複数だ。
女王は、座布団の下から封筒を取り出した。
「こちらが、オレラの言葉です」
千年前の地球人の言葉を伝える。それが目的だと女王は言った。
これは、手紙だろう。
千年経っても綺麗なまま。見た感じただの紙なのに。何かの魔術で守られているのだろうか?
女王から封筒を受け取り、封を切る。
中には手紙が一枚だけ入っていた。
千年前の地球人からの手紙。
広げて、見る。
○
m9(^Д^)
○
…ぐしゃり。
力いっぱい手紙を握りつぶした。
駄目だこいつ。オレラとやらは人をおちょくっているとしか思えない。
一体何なんだこれは。千年もかけて人を馬鹿にしてどうするつもりなんだ?
ちょっと期待していたというのに、イタズラにしてはタチが悪すぎる。
「これは……?」
「代々伝わるもので、私も内容までは……。ただ召喚された魔族が現れたなら、その手紙を渡すようにとだけ…。その様子では、あまり良いことは書かれていないようですね」
私の様子に、女王まで落胆して溜め息を漏らす。
…言えない。代々伝えられてきた手紙の内容がこんなものだったなんて言えない。どうするんだよこれ。
………手紙のことは忘れよう。
気を取り直して、女王の説明が続く。
「かつてオレラは、魔王の振るう剣によって異世界から召喚されました。あなたと同じように。私たちはその魔王の剣と、剣の封印を解いた者も捜しているのです」
「…………」
……剣は私が近場に埋めました。剣を抜いたのも私です。
どうしよう、言うべきなのかどうなのか判断できない。
とりあえず一通りの説明を聞いてから決めればいいか。
「千年前、オレラは戦争に敗れ、生き残った5人のオレラは剣を封印しました。そして剣を監視するため、子孫を残し、この国を建てたのです」
…………、
なんか、スケールの大きな話になってきている。
え?じゃあ何?
この国って、魔族の国ってこと?
「魔族は世界中で疎まれました。…いえ、はっきりと憎悪されていたのです。私たちの祖先は、オレラに関する全てを隠すことにしました」
「…この世界は、魔族たちに厳しすぎます」
「仕方がないのです。それほどまでに、オレラと魔王は世界を蹂躙しました。この業は私たちオレラの子孫がその血を持って解決すべきこと。
ですが、あなたにだけは関係がない」
魔族の差別は、酷いものだ。
私は身をもってそれを知った。
いつかその差別が無くなればいいけど、それには想像もつかないような努力が必要になるだろう。
だが、私は関係ない。
この世界の全てのことに、私は関係がない。
何故なら私は異邦人であるからだ。
望んでこの世界に来たわけではないからだ。
「この世界の都合にあなたを巻き込んでしまったことを、この世界の人間としてお詫びいたします。必ずや剣を探し出し、あなたを元の世界に帰す。それが私たちがオレラより受け継いだ使命です」
かつての地球人は、いつかまた召喚されるかもしれない同胞のために、いろいろなものを遺していた。
女王は言う。
剣が見つかるまで、この国で平穏に暮らせるように手配する。
私の生活の面倒を見てくれるそうだ。
それが、召喚された者を保護せよと伝えられた女王の使命だと。
「遅いですよ」
「……おっしゃることは、わかります」
もう、遅いのだ。
私はこの世界で、六年も生きてしまった。
いまさら、関係ないで済ませられない。
私は、身をもって知ってしまったのだから。
それに関係ないというなら、今を生きている魔族たちだってそうだ。
千年も前の魔族たちが何をしたのか知らないが、
今の人たちには、カトラスには何も関係が無い。
「世界中の魔族たちを救わないのは何故です? この国で全ての魔族を受け入れることは出来ないかもしれない。でも何か解決方法が、みんなが幸せに生きていける道は無いんですか?」
「この世界の人間は、労働力として奴隷を使います。必要悪の捌け口として魔族は最適だったのです。根本の構造を変えなくてはいけない。そのためには長い時間と努力が必要でした」
「………でした?」
過去形?
今まではそうだったが、
今は、違う?
「私たちは何もしてこなかったわけではありません。ほんの少しずつですが、長い年月を掛けて差別の意識を減らし続けてきたのです。そして昨今、ようやくその努力が実を結びつつあります」
「差別が、無くなるんですか?」
「隣国、青の国の議会で奴隷制度改正に向けた動きがあるのです。一部の貴族から我が国の制度を参考にしたいと、会合の申し出を受けています」
「!!」
旦那さまだ!
奴隷制度改正。旦那さまはずっと計画していた。
「これはまだ見通しに過ぎませんが、青の国の奴隷制度が廃止されれば、次の式典、2年後の三月式典にて三国間での魔族に関する保護条約を提唱するつもりです」
○
奴隷制度が三国で廃止されれば、魔族の差別も無くなる。
きっとどの国もこの白の国のように、髪の色なんて気にせずに、家族や友達と暮らしていける。
旦那さまも、奥様も、カトラスも、
マスケットも、ドクも、
私も、
………、
………違う。
私だけは、違うのだった。
私は、帰らなくてはいけない。
元の世界。地球に帰る。
そのとき、この世界とはお別れだ。
この世界がよくなれば、それはとても嬉しいことだ。
でも、その世界で私が生きることはない。
私にだけは、関係がない。
女王に、召喚魔術のことを聞いた。
私が帰るためには、この国にあるはずの召喚魔術が必要なのだ。
女王は、首を振った。
剣さえ手に入れば、奇跡で私を帰すことが出来ると。
少し迷ったが、全て話した。
剣は、ある。
女王は驚いていた。そんなはずは無いと。
剣を抜いたのが私なら、一体誰が私を召喚したのか、と。
この国にある召喚魔術が漏洩したのか。
女王はまたも首を振った。
そんなはずは無いと。
とにかく、剣があるならすぐにでも私を元の世界へ帰せる。
…と、露骨に話題を変えられた。
……だが剣に願えるのは一つだけ。私は二つ願わなければならないことがある。
女王はその片方を願おうと申し出てくれた。
…………、
私は、女王に召喚魔術のことを聞いた。
女王は首を振るばかりだった。
何故隠すのかも、聞いた。
禁術だから、と女王は答えた。
その禁術で私は召喚されたのだ。と言うと、
そんなことは出来るはずが無い。と言われた。
問い詰める私に、女王は言った。
「これは、オレラですら恐らくは知らなかったことです。こんなことを召喚されたあなたは知るべきではない。あの魔術は恐ろしいものなのです」
知っている。危険だから封印されたのだ。
この世界にいる魔物は、何千年も昔に召喚魔術で呼び出されたものらしい。
二度と変なものを召喚しないように、禁術にされ封印された。
それは知っているから、隠さないで教えてほしい。
……嫌な予感しかしないんだ。
「かつて魔王と戦った国々は、魔族の知識を恐れ、召喚魔術の封印を解きました。同じ魔族を召喚することで、魔王に対抗しようとしたのです」
魔族たちは地球の知識で、様々な武器を作り戦った。
その知識を得ようと、さらなる魔族を召喚しようとしたのか。
「召喚魔術は成されました。たしかに魔王の魔族たち、オレラやあなたとも同じ世界から、人が召喚されたのです」
魔族たちや私の世界。
地球。
地球人。
「……召喚されたものは、粘土のような肉の塊でした。
周囲の全てを見境無く喰らい、世界は魔物で溢れました」




