第百九話 異世界奴隷と商人の王
……彼らの絶望的な戦いは終わった。
7人のフランベルジェと紅炎の老魔道師は魔力を使い果たして倒れた。
ほぼ同時に戦士団の勝鬨が上がる。兵士団の者はみな武器を捨て魔導兵器は全て沈黙し、戦いを続ける者はもういない。
鬨の声が荒野に響き渡る。
みんなひと時、勝利に酔いしれている。
私はそこを独り抜け出して、赤の国の首都へ向かうことにした。
戦争は終わり。これからおそらく停戦協定が結ばれる運びになるとすれば忙しくなるはずだ。王さまとかが。
そうなれば機会はずっと後になってしまう。その間に火の羽の秘密は秘匿されるかもしれないし、それは困る。
『行くのか』
「……うん。私は私の願いを叶えに行くよ」
『……………そうか』
それにこれは、私が何よりもまずやらなくちゃいけないことだ。済まさなくちゃ一歩も進めない。
私の願いを、叶えに行く。
そのための一歩だ。それをグラディウスは誰よりもわかってくれている。
だからもう、何を言うこともない。
頼んじゃいないが見届けてくれる。
それだけだ。
○
戦場まで何マイル。地滑走で来た。
赤の国の首都が誇る城壁は高く分厚く堅牢だ。『正門』と呼ばれるバカでかい門は魔導器による開閉装置があり、門番の許可がなければ決して開くことはない。
しかし私が門の前に立つと、開くはずのない巨大門は敵方の魔道師を迎え入れた。
「よぉ、来たか」
そこにいたのは箒のような赤い髪の黒マント姿の魔道師。
門を開いてくれたのはナタだった。
兵士団とフランベルジェたちは戦場に赴いていたが、首都の防衛戦力は残しておいて当然。私もここにナタがいることは予想していたし、期待していた。
「………ナタ」
「着いて来いよ。お前を王に会わせてやる」
兵士団と紅炎の敗戦はすでに伝わっているだろうに、ナタは落ち着いたものだ。
鞘はある。今の私が首都を防衛する戦力を相手にすることは出来るけど、出来ればしたくないしナタが案内してくれるならそれが一番いい。
マスケットに会う。それをナタに頼んだときの条件は、私がナタと戦うこと。
万全で完璧の状態で。お互いの実力を競いたい。
それを条件に、ナタはマスケットに会わせてくれる。
ナタとは勝負の約束があった。電磁弓の矢を一緒に作ったとき、必ず勝負すると約束した。
それはもう条件なんて付かない約束だったけど、ナタは私がマスケットにどうしても会いたいこと覚えてくれていた。
「いいのか? 私は虐殺魔道だよ?」
「……いいさ。この杖を使う者はわかってる」
ナタは魔物の素材についてよく知っていた。
師匠の紅炎に、鳥の火を使うためによく言い含められていたのだろう。
これを使う者は、使い続ける限りいつかそうなってしまう。
こんなものが存在してはいけない。故に秘匿される。……が、それについては後だ。
赤の国の大きな通りをまっすぐ進み、工業区が地下に収まる丘を登る。道中の街人の目は遠慮のないものだ。私は虐殺魔。憎悪を受けて余りあるな。
そして魔道師たちが作ったという人工の丘に登ると、マスケットがいる城が見える。ナタがいるので顔パスで入城する。
城というのは三国でそれぞれに様子が違う。白の国の城なんてお寺だったし。
誰もいない。
街中からここまでいろんな人や兵士たちが私たちに遠慮のない目を向けてきたというのに、城内には誰もいない。
人が一人もいない王城というのがあるだろうか。照明も最低限だ。
「ここだ」
石の廊下を歩いていくつかの階段を上り、一つの扉の前に辿り着いた。
「この向こうに、マスケット王がいる」
マスケット。
やっと、会える。
あの三月式典のとき以来だ。あのときのことは忘れていない。
マスケット……、
私が、殺してやる。
○
ナタを置いて一人で扉を開けた。
そこは王の玉座の間。
終点が玉座の間なんて、という話を思い出してここをマスケットのお墓にしようと思った。
「……………」
……暗い、そして寒い。
魔道具の頼りない灯り。部屋の広さに対して十分とは言えず、目はちゃんと見えるけど印象としてずいぶんと暗い玉座だ。
碌な調度品も無い。というか何もない。
玉座だけが、立派な物だった。
広い部屋にただぽつんと大きな玉座が置かれているだけ。
そんな寂しい部屋にたった一人で、小さなマスケットが大きな玉座に座っていた。
「……来たんですね、メイス」
「…………来たよ、マスケット」
決着をつけるために……。
「どうして、来たんですか?」
「あのときの仕返しに来たんだ」
久しぶりに見るマスケットは、
身体は痩せて頬はこけ、落ち窪んだ目に力は無く、一目に憔悴が見て取れた。
この少女の姿が、赤の国の王。
「言ったでしょう? もう二度と会うことはないって」
「……………」
「……今さら、あんな無様に負けたくせに!」
私はマスケットに鞭で打たれ、亀のように丸まり震えるだけで何も出来ずに無様に負けた。
そして私から奪った剣で、マスケットは王になった。
王さまになって、剣に願いを叶えてもらって、マスケットはとても幸せそうには見えない。これが剣に願った者の末路だ。
だけどかわいそうだなんて思わない。
それを願ったのはマスケット自身なんだ。
「また鞭で打たれたいんですか? ならそうしてあげます!」
その言葉を聞くだけで全身の毛が逆立つ。
マスケットが立ち上がり自分の『杖』を、あの鞭の形をした杖を取り出した。
………………、
……………………怖い。
思わず目を瞑る。やっぱり鞭は怖い。見るだけでもうすでに怖くてたまらない。
この恐怖は克服出来そうにない。あれが音を鳴らせば途端に足がすくむ。私はまるで動けなくなる。
でもあの日のことを忘れちゃいない。
私はここに、仕返しに来たんだ。
この手でマスケットを殺してやる。そのためだけに。
鞘を
構える
目を瞑ったままの闇には鞭はない。
かわりにマスケットと出会った時のことが浮かんできた。
マスケットは覚えているだろうか?
これは、私がマスケットに最初に見せてあげた魔術だ。
「エアサウンド」
自在に音を鳴らす魔術を反転させると、
静かな玉座の間に、無音の結界が生まれた。
「―――――!?? ―――――――!!―――!!」
マスケットの声が聴こえない。
私の声も世界から消えた。
鼓膜が音を感じられず、耳鳴りだけが聴覚を支配する。
無音の世界で私はやっと目を開け、半狂乱で鞭を振るうマスケットをしっかりと見据える。
いくら鞭を打っても、もう音はしない。
「―――――!! ――――!?」
声を封じられれば、発声による詠唱は出来ない。
私やマスケットのような魔道師は詠唱による魔術を簡単に封じられる。
だから杖によって詠唱を省略するというのに、マスケットの拙い鞭では最後の一節だけは追加詠唱しなければ魔法式を完成させられないのだ。
私はというと、もう鞘を使うまでもない。
ここ赤の国に来る途中に準備はすでに済ませてある。一枚だけ用意してきた。
ポケットからその一枚の紙を取り出す。
ハガキくらいの大きさの紙はすでに魔法が描き込んである魔法紙だ。
描き込んであるのは追炎弾。指定対象の条件付けは『素早く動く物体』だ。
『鞭』というのはそれを振るう手からその先端に力が伝わるまで大いに撓り加速度的に速度を増す。物によれば容易く音速を超える。
魔術も使えずに音も鳴らない鞭を振り回すマスケットの、その鞭の先は、
今この部屋で一番素早く動く物体だ。
「――!!」
鞭を前にすると魔力も練れなくなる私だが、下級魔術くらいは使える。
私の魔法紙から飛び出した火の玉が、マスケットの振り回す鞭を燃やした。
これで嫌な鞭は無くなったな。
「―――!! ―――――ったなんて!!」
程なく無音の結界が効果時間を終えて、世界に音が戻ってくる。急にマスケットが喚き散らす声が響いてうるさい。
ヒステリックな罵詈雑言を聞き流しながら、私はまっすぐマスケットに向かって歩いていく。
さぁ今こそ、ずっと言いたかったことを言ってやる時だ。
「マスケット……」
拳を固く握りしめてマスケットに近付く。
鞘はもういらない。そのまま振りかぶり、
「……ひっ!?」
「マスケットぉ!!!!」
思いの限りマスケットの顔面を殴りつけた。
「誰が奴隷だ!!!!二度と私をそんな風に呼ぶな!!!!」
勢いよく吹っ飛んで、鼻血を撒き散らしながら床に転げるマスケットの上に跨ってマウントを取る。明後日に飛んだ眼鏡が壁に当たって割れた。
固く握りしめた拳を、もうひとつ、ふたつ、みっつよっつと顔面にぶち込んでやる。
「誰が!!奴隷だっ!!この!!」
「ぶっげ!!メイぃごっっ……スぅ!!!!」
「ぇぎいぃい……!!!!」
マスケットも負けじと私の髪を掴んで引っ張ってきても構いやしない。歯に当たって拳が痛んでも知ったことじゃない。
「私が!! ぃぃ!!どんなっっ!!」
「メイ……ぅぐ!!ぅぅう!!!!」
私の頭皮がブチブチと音を立てても、
爪で顔を引っ掻かれても、
マスケットの顔がみるみる膨らんで形が変わってきても、
折れた歯が拳骨に刺さっても、拳がどんなに赤く染まっても、今だけはどうでもいい。思い切り拳を振り下ろす。
「私がっ!!私がどんな気持ちで!!!!」
「がっ!! ぐうぅぅ……」
「私が!!!!どんなに悲しかったか!!わかるか!!!!」
言いたいことがたくさんあったのに、うまく言葉になってくれない。
ただ気持ちだけが溢れて来るみたいだ。支離滅裂なままの言葉を拳と一緒に投げつけるように……。
許さない。
謝ったって許してやらない。
私を奴隷と罵ったこと。鞭で何度も打ったこと。私を裏切ったこと。塵の欠片も許しはしない。殺してやる。
「裏切りやがって…!!友達だと思ってたのに……!!うぅ…」
「ぅ………ぅぅ……」
「ぶっ殺してやる!!マスケット!!!!」
この怒りは冷めない。ドラゴンが教えてくれたのだ。何よりも大切なものだったから、忘れることも出来はしない。無かったことになんて出来ない。
私は悲しかったんだ。
私から大切な友達を奪ったのはマスケット自身だ。謝っても許さない。どんな命乞いも鼻で笑ってやる。
お前はここで、私に殴り殺されて死ぬのだ。
途中からもはやマスケットに抵抗はない。
それでも私の拳は止まらない。静かな玉座に、がつん、がつん、と音が響く。
弱々しく顔を守るマスケットの手を払いのけて、感覚の無い拳で、もう原型もわからないマスケットの顔を、がつんがつんと殴りつける。
がつん、がつん、と、
冷たい玉座の間に、音が響く。
「…………さぃ……」
「はぁ……はぁ…絶対許さない……はぁ…殺して………」
「………さい……………なさぃ…」
どれくらいたったか。
抵抗されることもなく一方的に拳を振り下ろしているばかりでも、私の耳に確かに聞こえる。
風船のように赤黒く膨らんだマスケットの顔が、何かを言っている。
「はぁ………はぁ………、マスケット……」
「……めんなさぃ………ごめんなさい……メイス…ゆるしてくださぃ……」
殴る手を、止める。
固く握った拳を解いて全身から力が抜けていく。
「はぁ……」
「ぃたぃ…です……ごめんぁさい…もう…ゆるしてください」
タコみたいな口から出てきたのは、謝罪と命乞いだった。
私は絶対に許さない。命乞いも聞いてあげない。
「…………」
「ゆるして…くださぃ……メイス………ゆるして…」
絶対に、許さないけど、
「……………いいよ、もう」
マスケットがそんなに謝るなら、
仕方がないから、
許してあげる。




