第百一話 魔法士グレイブ
……グレイブ先生。
グレイブ先生だ。
何でこんなところにグレイブ先生がいるのか?
というか何故いまさらこの人が再登場するのか。
「何こんなとこで油売ってるんッスか? 有事の際は本国に戻るはずッス」
「連絡はしたんだよ~。でも僕の治癒魔術は戦いに不可欠でしょ? 誤魔化せなかったんだよ~」
「あ~そういえば治癒魔術で青の国に潜伏出来てたんッスよね」
「というか、し~~っ!人前で喋っちゃダメでしょ!」
「あ、自分もう戦士団やめたんッス。白の国も何ももう関係ないんッスよ。何も困らないッス」
「間諜バラしていいことにはならないでしょ!?」
「戦士団長に国外追放されたッスから自分は恨みがあるッス。それくらいの嫌がらせはしときたいッス。
けど、それとは別に魔法士グレイブのことは死なないかな~っていつも思ってるッス」
「ひどい!しかもただ思ってるだけじゃないでしょ!」
「出来るだけ苦しんで死ねばいいと思ってるッス」
「実際に何度も殺されかけたって話だよ!」
……どうやらククリさんとグレイブ先生は知り合いのようだ。しかも会話の内容から察するにグレイブ先生は白の国のスパイらしい。
ええ……。
「グレイブ先生とククリさんって知り合いだったみたいだね。
先生がここにいることを騎士サーベルに聞いてね。説得して来てもらったんだ」
「…………」
…………えーと、
グレイブ先生。というのは青の国魔法学園保健室のセクハラ先生だ。いつだったか私が魔物と戦って死にかけたときにも治癒してくれた。セクハラもしっかり受けたが。
治癒魔術を専門とする魔道師で、学園の治癒術科の先生でもある。人体の神秘を解き明かすこの世界の医者であり……この人の場合は女子限定という言葉も付く。
治癒魔術師という立場を利用し女子への触診を何よりも楽しみにしている合法的な犯罪者。
そして古代魔術である『催眠魔術』の第一人者と言われている。
「うるさいんッスよ女の敵が。ご自慢の催眠魔術と一緒に今度こそ永遠に眠らせてやるッス」
「いだだだだだだだ!!さては本気だなこの暴力女戦士!!」
催眠魔術は人間を迅速に安眠させ、昏倒させてしまう。中でもグレイブ先生の催眠魔術は特別で、人体の休息に最適な睡眠によって自然治癒能力を高めそれを補助する治癒魔術の効果を底上げしてくれる。
「やめてぇっ!こっちは仕事で来てるんだよ!僕の治療を必要としている女子がここにいるんだ!」
「な!まさかメイス氏にイタズラするつもりなんッスか!許さないッスよ!」
「肋骨の隙間に指ねじ込まないで痛い!!キミほんと痛い!!」
催眠魔術を防ぐ抗魔術は存在しない。というより古代魔術は特殊すぎて、防ぐ手立てが通常と異なるのだ。
師匠は『認識』と『拒絶』が心にあれば催眠魔術は簡単に防げると言っていた。催眠魔術を行使されたことを認識しさえすれば、眠るまいと思うだけで眠らずに済むらしい。逆に言えば相手に知られず魔術を行使出来れば、
見張りの騎士たちを眠らせることも出来る。
ここから逃げることも容易だ。
○
「ふむふむ……、ふーむふむふむ………」
「……………」
ククリさんには一先ず落ち着いてもらい、グレイブ先生の治療が始まる。
私は杖を支えにしないと立って歩けない状態であり、喋ることも出来ない。ついでに髪まで真っ白だ。蜥蜴の翼を使った後遺症であるが、ドクや私の治癒魔術で治せないことでも先生ならばマシな治療が出来るはずである。
ベッドにうつ伏せに寝かされ、まずは動かない足を見てもらう。
すぐそばには専門的な治癒魔術を目に焼き付けようとするドク。そしてククリさんはグレイブ先生が怪しい動きをすればすぐにも飛び掛からん勢いで警戒している。
「驚いた」
「…………」
「スリーサイズがまるで成長していない。成長期のはずなんだけどね~残念だね~」
すかさずククリさんの掌底がグレイブ先生の側頭を打ち抜く。当然の激痛に床をのたうつ先生に「真面目にやるッス」と冷たい言葉が吐き捨てられた。
この先生よりマシな医者はいくらでもいるはずなのに、何故ここにいるのがこの人なのだろうか。私の身体をまさぐるこの人の手が行っているのが治療なのかどうなのか。一体私は何を信じればいいのか。
「先生。メイスはどうなんですか?」
「……ぼ、僕の命よりは別状ないよ。だいたいわかったね~」
私の足を撫でたり押したりしていた手が、今度はうつ伏せの私の背中に当てられる。
「ここ」
「………っっ!」
すると全身が痺れるような鋭い痛みが走った。軽い力で押されただけなのに。
「背中の筋を痛めてるね~。足に力が入んないでしょ?歩けないのは足が悪くなったわけじゃない。どっか高いところから落ちたのかな?また木登りでもしてたのかな~?」
言いながら先生の指先は、私の背中の痕を正確に撫反る。
何年も前に一度だけ身体検査されただけのはずだが、スリーサイズのことといい、私の身体の特徴を正確に記憶しているのだろうかこの人は。
鞭傷の痕。グレイブ先生には見られちゃったもんな。
私が背中の痛みに鈍いのが、やっぱりこの先生にはわかっているのだ。
医者がこの傷を見て、どんな傷跡なのかわからないはずはない。わかった上で知らないふりをしてくれていたのだ。
診断によると私の足に大きな異常は無いそうだ。異常があるのは背中の腰のあたりらしく、それが原因で下半身に力が入れられない状態のようだ。いくら足に治癒魔術を掛けても治らなかったわけだ。
私の腰に当てられた先生の手から治癒魔術の温もりが伝わり、まるで他人の物のように言うことを聞かなかった足が私の意思の通りにちゃんと動きだした。
「これで少しは楽になったでしょ? あんまり無理しちゃダメだよ完治にはまだまだかかるからね~」
「ホント、治癒魔術だけは得意ッスよね」
「……凄い。平気なのか?メイス」
ベッドから降りて、自分で立ってみる。
完全ではないが、歩くくらいは問題無さそうだ。
あっという間にここまで回復した。やはりこの先生は治癒の専門家なのだ。人間性はともかく。
「次は声の方だね。あーんしてごらん」
あらためてベッドに座って先生と向き合い、言われるままに大口を開いて見せた。
直接指を私の口に突っ込んできて驚く。そのまま横に引っ張ったり、下の歯を抑えて顎の力を試したりしてしばらく中を覗いていたのだが、次には私の舌に触れてきた。
突然舌の上側を奥まで撫でられ薬草類のような薄苦い味が広がる。と思うとその指が舌の裏側に潜り込んできた。何だか他人に触らせちゃいけない微妙な部分に指を入れられてるようで嫌。そのまま舌を摘まんでみたり持ち上げてみたり「力入れてー」といって押してみたり。
しばらくして「ふーむ」なんて吐いて指を引き抜いた。
……唾液が糸を引いて恥ずかしい。
「麻痺してるわけじゃないし、正常に見えるね」
布で手を拭いて、今度は私の喉に触れる先生。
「あー、て言ってみて」
言うことが出来ないから困っているのだが、言われる通りに「あ」の発音を試みた。
…が、やはり声にならない。
しかし先生はそのまま、
「今度は、しー、て言って」
「次は、ぶー」
「はー、ふー、ほー」
などと続けて私の声に注意を向ける。
……しかし私の言葉はどれも音にならず、グレイブ先生は、
「うん、精神的なものだね。間違いない」
と結論付けてしまった。
「どういうことッスか?」
「喉の中はわからないけど舌も口もよく動いてる。
声っていうのは息を吐く力と喉の振動と口の動き、色々な動きで作られているんだ。でもその内ひとつが無くなったからっていきなり全部の音が出せなくなるわけじゃないんだよね~」
「……つまり、メイスは身体の異常で声が出ないわけじゃないということですか?」
「なにか悪いことでもあったのかな~?」
喉にも治癒魔術を施してもらったが、私の声には異常が見当たらないらしい。
精神的なもの。無意識にブレーキが掛かることで本来出せる声が出ないのだろうか。
「ま~こういう場合は根気よく治していくことだね~。あるとき急に治ってるなんてこともあるんだよ? どうしても言いたいことがあるときなんかには、自然に声が出るもんさ~」
言いたいことか。
山ほどあるはずなんだけどな……。
「でも君素直じゃないもんね~。とうとう騎士フレイルに言えなかったんでしょ?」
「…………」
……差し当たって今この先生に言いたいことがある。
デリカシーというものを知れ!
「え?何ナニなんの話ッスか?」
何の話でもない。
私はフレイルにだけは言うべき言葉を持たない。
言いたいことでも、決して言ってはならない。
「グレイブ先生でも治せないんですか?」
「うん、治療としてはこんなもんだね~。これ以上は今この場では無理さ。
心の問題だから日にち薬しか処方出来ないし、原因を探してどうにかしてみることだね~」
「要するに治せないんッスね。とんだ無能ッス。死ね変態。人間のクズ」
「そこまで言われるほどのこと!?」
私の心の問題だというなら、それは私だけにしかわからない。
そしてその私は喋れない。
字は書けるのでその気になれば筆談も出来るけど、ゆっくり治療に勤しむよりもまずここからの脱出が先決である。
「ちゃんと治療してあげたいんだけどね~。ここにいるとメイス君はあの騎士団長に利用されることになる」
「そうなんッスよ。とっとと逃げたいところッス」
「うん。僕がここから逃がしてあげるよ。
……これで僕も騎士から追われることになるけどね~」
でもメイス君もドク君も、僕の生徒だからね~と、
魔法学園の先生は、己が杖を取り出して言ってくれた。
○
小さな指揮棒のような杖。
これを使って、グレイブ先生は催眠魔術を行使する。
「ククリ君。テントの外には何人くらいの騎士がいるかな?」
「出入り口の近くに見張りが3人。少し離れてもう3人いるッス」
「わかるんですか?」
「戦士の気配読みさ~。6人か、じゃまとめて眠ってもらおうね~」
気でも感じられるのか、ククリさんが外の騎士の位置をグレイブ先生に伝える。それを確認して先生が短い詠唱を足しながら指揮棒の杖を振った。
まとめた荷物をドクが背負い、ククリさんを先頭に外へ出る。
「さぁ、まずはタマハガネと馬車を取り返すッス」
「場所は僕が調べておきました。こっちです」
テントを出ると3人の騎士が鼻から提灯を出して転がっている。隣や向かいのテントの方にも同じく転がる騎士がもう3人。催眠魔術は反則級の効果だな。
誰かが起こせば簡単に起きるし、自力で目覚める可能性もある。ドクの案内を頼りに大急ぎでその場を後にした。
「見回りもいるだろうし、あの団長に見つかると厄介だね~。急ごう」
テントだらけの野営地に家屋馬車が見える。
走って近付くとタマハガネも無事だ。飼い葉をムシャムシャ食べていた。二匹とも良い扱いを受けていたようで安心。
「騎士どもが来ない内にすぐに出発ッス。とにかく中へ」
見張りは居ない。
……というか、テントを出るときの6人しか見ていない。
ククリさんは騎士たちの気配を察知することが出来るらしいけど、私は違和感を覚える。
蒼剣、騎士サーベルには、簡単に背後を取られていたのに。
「……………」
「ククリ君、鈍ったのかな?」
「………全然気配がわからなかったッス」
馬車の前に、悠然と立つ一人の騎士の姿があった。
太陽が一番高いところにあり、雲も無い空がとても青い。
その空色に負けじと青い、青の国の旗とも同じ、青い鎧。
「戦士に気配を読ませぬ息遣い。サーベルの技は有効であるな」
野太いダミ声は間違いなく、騎士団長チェインハンマ。
「どうかね戦士ククリ殿? 我ら騎士団も、君らの技に習い日々鍛錬しているのである」
騎士は練度が低いなどと言ったククリさんへの嫌味。
チェインハンマの手が高く挙げられると、控えていた数十人の騎士がぞろぞろと姿を見せた。
騎士を眠らせテントを出たときから、私たちはとっくに包囲されていたようだ。




