愛する君が欲しいもの
宿に戻って来た衛であるが、彼の顔を見た途端に藤吾は父親の帰還に喜ぶどころか泣き出し、私こそ大騒ぎの声を上げてしまった。
お顔に内出血や血のにじむ擦り傷が沢山出来ているではありませんか!
「ああ!お怪我を!今すぐ冷やさねば!横になった方がよろしいわよね!」
「ハハハ。こげなものは怪我にもならん。大丈夫だ。だが、君くさ出掛けたはずじゃって何も買てきていないじゃろ?俺はこれからも一度出らんといかんからな、また一人にしてすまんな。それで、これで好っなものを買いなさい。」
衛は妻である私に自分の怪我の手当てをさせるどころか、子供にするような物言いをしながら私にお金を差し出そうとした。
好きなものを買いなさい?
何を買いたいと思うの?
私が欲しいのと望むものは、衛と一緒の時間、それだけなのに。
「いりません。何もいりません!」
「そうか。すまんな。」
衛は目を伏せた。
悲しそうに見えるのは、私達を置いていくことが申し訳ないから?
これだけで私は衛にほだされたが、私の顔は彼に行ってほしくない気持の為に、頬を膨らませたまま唇を尖らせたままであった。
「今夜は遅そなる。一度戻ったのは、りまと藤吾の起きちょっ顔が見たかっただけじゃっで。」
衛は藤吾を抱き上げるや、唇を尖らせているだけの私に顔を寄せた。
私の唇には彼の柔らかな優しい口づけが重なる。
「あなた!」
「行ってくる。」
衛は私に藤吾を手渡すと、同僚との飲みの席へと出かけて行ってしまった。
もう!
笑顔で行ってらっしゃいも出来なかった。
その後の私と藤吾は、宿の庭の隅に繋がれている黒五と遊んで時間を潰し、衛がいない夕飯を二人きりで済ました。
藤吾が眠ってしまえば私は一人きりだ。
私は衛がいなければ夜は一人きりなのだ。
私は昼間に連想してしまった衛がいなくなった世界を思い出し、恐怖が湧きだしたまま子供のように膝を抱えた。私の視線の先には、誰も横になっていない布団が二組並んでいる。
私は彼がいない世界に耐えられるだろうか。
「おお!まだ寝ておらんかったのか。どげんしたんだ?りま。君は俺に相談したい悩み事があったのじゃろか?」
私は愛する人の声で生き返ったように立ち上がり、幼い子供みたいに衛の体にぶつかるようにして抱きついた。
彼の体から彼のものじゃない煙草などの匂いが私を襲ったが、私はその匂いの中にある彼の匂いを一瞬で見つけていた。
男の人の匂いを嗅いで、こんなに嬉しい気持ちになるなんて。
「お帰りなさいませ!お怪我は大丈夫でいらっしゃいますの?」
「ああ。心配をかけたのは俺のせいか。そいで君が一日楽しめなかったのか。おお、すまなかった。すまなかった。」
「もう!あなたがいなければ私が楽しくないのは当たり前じゃないですか。」
ぐふっと衛からおかしな音が出た。
彼は口元を右手で覆っており、まあ!酒臭いけれど、そのお酒によるもの以上に真っ赤に顔が染まっていらっしゃるじゃないの。
「衛様?」
「だめだ。俺はりまに刺されてばっかいだ。こんままでは目的の旗一ちゃも立てられん。」
「目的の旗?って、きゃあ!」
衛は私を自分から引き剥がすと、そのまま私をぐるんと後ろ向きにした。そして彼は驚く私をさらに驚かせた。私を後ろから抱き締めたのだ。
「衛様?」
「俺は大好っなりまが好っなものを知りたい。欲しちゅうものを買てあげたい。じゃっでお前の好っなものを尋ねたいのに、お前が可愛らしすぎてお前を食べてしまいたいだけのケダモノになってしまう。」
「このえ、さま?」
「じゃっで決めた。りまが俺に好っなもの、欲しものを強請るまで、俺はお前にほだされんように後と向っで抱っ事にした。さあ、欲しかもの言え!」
私は何て幸せ者なの。
そして、衛はなんておかしな人なの!
私は愛する人に、今一番の、自分の望みを声を上げて叫んでいた。
「衛様の赤ちゃんが欲しい!」
私を抱く手は私から一瞬で離れ、私の背中は急に冷たくなった。
どうしたの?
後ろを振り向けば、衛が畳に両手を着いた姿で跪いていた。
「あなた?」
「俺はお前に一生勝てん。そいがよくわかった。お前の好っな花や好っな小物、そげなものを知りたい、贈って喜ばれたい、そいで俺をもっと好きになってもらいたい。なんて願ごう俺は、なんて小め男なんだ。」
好きなものを買いなさい。
あれは自分の留守の代りのお詫びの品をという意味なんかではなく、純粋に私に贈り物がしたかったという彼の真心の言葉だったのね。
「あなたったら!」
私は衛にしがみ付いた。
それから彼に囁いた。
私は花の中ではたんぽぽが一番好きです、と。
私を知りたいと願ってくれる人だから、その理由も。
「実父は暴徒に殺されて、家だった道場は燃やされました。それで私は桐生家の養女にして育ててもらうことになったのよ。そして、十歳の私は桐生の家を抜け出して、利秋様に行くなと止められていたのに家であったそこに戻ったの。だって、自分の家だったそこがどうなっていたか見たかった。私は利秋様のお陰で幸せだった。だからこそ実父を忘れちゃいけないって思い込んでいたの。」
「りま。」
「焼け落ちた道場なんか何もなかったわ。綺麗に何も無くなっていた。でも、モンシロチョウが飛び交うたんぽぽだらけの空き地だったから、ええ、私は亡くなった父がそこで笑っているような錯覚をしたの。二年も戻らなかった私に笑いかけてくれたような。だから、私はたんぽぽが大好きよ。」
衛は私を自分の肩に寄りかかれるようにそっと抱き寄せ、私の額に優しい優しいキスをして、まるで父親がするようにして私の頭をそっと撫でた。
「俺もたんぽぽという花は大好きだ。君のように可憐なのにとても強い。」
衛は言うや、にかっと子供みたいな笑顔を作った。
そして、私の唇に、ちゅっと音を立てる軽いキスを与えたのだ。
「そいに、俺の大好きな綿毛を飛ばしは、たんぽぽあってこそじゃいな。」
「私も綿毛を吹くのは大好き!私達のせいで、きっと来年のお庭はたんぽぽの花だらけになりますわね。」
私達は微笑み合った。
でもその後は会話など消えた。
だって、私達は一番欲しいものを求めあうのに夢中となったのだから。
お読みいただきありがとうございます。
今更ですが、衛は大柄で筋肉質であり、彫りが深くて目鼻立ちがしっかりしているという、誰が見ても強面です、ありがとうございます外見です。
本人は無学と自分を卑下していますが、知識をすぐに吸収できるという地頭がとても良い人です。
そして、剣を握らせれば、宮本武蔵を誰もが想像するぐらいの剣豪、という設定でもあります。
でも、りまには完全ヘタレな仕様となってしまいました。
こんな衛ですが、どうぞ今後もよろしくお願いします。




