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扉を開けるなと言う人は

 私達が客室に入るやすぐにノックを受けた。

 何かと思い扉を開けると、戸口には兄の副官がいた。


 三井隆文みついたかふみ海軍少尉様。


 背の高い方であるが衛のような筋肉質ではなく、利秋様のようなしなやかな体つきと言える人である。また、髪型を軍人にしては異人のような整え方をしているので、軍服ではない今のスーツ姿は銀行員のようでもある。

 ただし、いつもは利秋様の鞄や書類束を抱えている人でもあるのに、今の彼は白木の杖を左脇に抱えているという姿であった。


「あの。」


「奥様、これから何があっても扉を開けず、中から閂をかけて閉じこもっていて下さい。」


「はい?あの。」


「お願いします。フナ虫が発生しました。その駆除をいたしますから。」


「まあ!」


 私は思わず床を見下ろしていた。

 ぞわざわする虫が這い蠢いていたら、なんて考えた反射的行為である。


「大丈夫ですよ。この船には少佐殿がおります。一刻、いいえ一時間もかからずに全てが納まることでしょう。」※一刻=二時間ほど


「まあ!利秋様こそ虫は苦手ではございましたが!」


「だからこそ、的確な駆除が可能なのだと思います。」


「そうですよね!伯父様は何でもできる素晴らしいお方ですもの!」


 大人の会話には横入りしないはずの藤吾が、私の横からぴょこっと飛び出し、自分の大好きな伯父についての声を上げた。

 微笑ましいを越えて空恐ろしいほどの藤吾の利秋様への傾倒ぶりであるが、兄の副官には藤吾のそここそ好ましかったようである。

 彼は藤吾の様に一瞬で破顔し、それからポケットを探って何やら取り出すと、それを藤吾に手渡したのだ。


「少佐の煙草です。虫退治で箱が潰れたら大変です。君に任せていいかな。」


「はい。お守り申します。」


 三井は藤吾の頭をさらっと撫で、それから私に目線を向けた。

 三井と目が合った時、私はびくっと体が凍った。

 銀行員のような雰囲気を纏っていたはずの人が、今や燃えた道場の前に立つ武者、あの日に私を助けてくれた時の利秋様の雰囲気を思い出させたからである。


「あの。」


「では、お閉め下さい。あなたの無事は守ります。そして、扉を閉めたこの後は少佐か加藤少尉以外の者には開けてはいけませんよ。私の号令などは特に。」


「はい?えと、はい。」


 三井の言葉の意味は解らなかったが、私はただならぬことがこれから起きるのだという事は理解した。だから、急いで扉を閉めて閂を掛けた。

 すると、数秒後に扉の前で喉を潰した事があるような男の大声があがった。


「優男が!邪魔だあああ!」


「え?」


 耳をそばだてた途端に、何かを打ち付けるくぐもった音がきこえた。

 続けてすぐに、重たい荷が床に落ちる音で床が軋んだ。


「一人だ!一人しかいねえ!」

「一人きりのやつだ。一斉にかかれ!」

「邪魔な男を潰したら、女を引きだせ。閂扉ぐれえ、木槌で簡単に開く。」


 粗野な男達の声が次々に起こり、私は三井が言ったフナ虫の意味をようやく知ったと足から力が抜けてきた。

 燃やされた道場を思いだしたのは、当たり前である。

 あの日の利秋様と三井が重なって見えたのも、当たり前なのである。


 三井は私達を守るために扉の前に立ち、私達に襲い掛かる多勢に対して一人で向かうというご意思であったのだ。

 彼のあのお言葉は、自分の苦悶の声を聞いても扉を開けるな、そういう意味でいらっしゃったのか。


「ああ、なんてこと。ああ、衛さまもお兄様も、ご無事でいらして。」


「お母様。お父ちゃんは?ああ、伯父様は!」


「大、大丈夫よ。あのお二人はお強いわ。」


 どおおん。


 船の床が軋むぐらいの重い音が扉の向こうで起きた。

 私と藤吾は音が鳴るや同時に抱き合い、抱きしめ合った。

 三井が?


「ちまちまするな。一度で来い!かっさばいてやる。全員を開きにしてやるぞ!ほら、腹を開いてぶちまけろ!ほら、ひらけええ!」

「ぎゃあああ。」


 扉の前の男が放った不穏なセリフと野太い男の絶鳴に連動するように、船が大きく揺れた。

 何かが次々と大きく倒れていく音が扉越しに聞こえる。


 あら、まあ、扉の下から室内へ、何か赤い液体っぽいものが流れ込んで来ていないかしら。


 扉の向こうで起きていることを想像すると、私の膝は勝手にがくがくと震えだした。


「母上、ひらき?ひらけ?」


 私は自分にしがみ付く子供、脅えて目を閉じるどころか目玉が零れそうなぐらいに真ん丸にしている息子を抱き上げた。


「母上!」


「お部屋の奥で静かにしていましょう!お父様か伯父様がいらっしゃるまで!」


「はい。」


 お部屋の前の怖い人、その人の言いつけを守らなければ。

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