復讐するは我が負う
俺はしほ乃にその場を任せると、りまが美津子から受け取っていたメモを握りしめ、りまが向かう所だった部屋へと急いでいた。
俺と牧師館に向かった男。
そいつは俺の助力をすると言って姿を消したが、本当の俺の一大事には影も形もなかったではないか。
では、どこに行ってしまったのか?
石造りの建物の三階まで階段を駆け上り、硬い石の床を蹴りつけながら目的の部屋のドアに向かった。
そして、扉を開けて俺に襲いかかった風景、それは、完全に俺の出遅れだったと俺に思い知らせるものであった。
絨毯は元はベージュ色のようであったが、今は血で真っ赤に染まっている。
殴りつけた人間の手の甲が裂けたのか、白いはずの天井や壁にも点々と真っ赤な暴力の後が、まるで彼岸花のようにして咲いている。
忌まわしい花畑の世界に立ち尽くす、海軍の黒い軍服を着た男。
死神となった美貌の青年。
彼の足元に横たわる二人の男は、絶命しているのか、あるいは虫の息なのか。
「利秋!お前は何をしているんだ!」
「――信じていた親友だったのだけどね。ああ、一緒に剣を振るったさ。私達は世界が変わると純粋に信じていた同士で夢追い人でもあった。」
「利秋?」
「指を失って、片足を失ってもね、今のこの世には銃だってあるじゃないか。命さえ残っていれば儲けものだと思うのだが、彼には命こそ不要だったそうだ。彼はね、侍として死にたかったんだってさ。よくも自分を生き永らえさせたものだと、私を罵ってくれたさ。短慮な私が彼を生き延びさせて生き恥を晒させたのだから、私の大事な世界を壊してやるとね。」
「としあき。わかった。こっちを向け。」
利秋はようやく俺が呼ぶ声に振り向くや、口元に指を一本だけ立てた。
指を立てた右手は器用に葉巻をつまんでいて、その葉巻からは退廃の匂いをまき散らしながら白い煙がたゆっている。
俺の鼻は部屋の血の匂いと煙草の匂いのほかに、身を持ち崩した男の部屋にぴったりとくる臭いまでも嗅ぎ取っていた。
酒の臭いだ。
「おい!」
利秋は俺にウィンクをすると、葉巻を絨毯に落とした。
俺に美津子が差し出した酒は、とてもとても強い酒だ。
煙草の炎に簡単に引火してしまうぐらいに、それはアルコール度数の高い危険なものだ。
「こん馬鹿が!」
世界は一瞬で紅蓮の炎に包まれた。
利秋さえも包み込むようにして。
「利秋!ちくしょう!」
理想主義で美意識が高すぎて、自分の失敗を死で贖おうとするぐらいのナルシストを、俺は手を伸ばして炎の中から引っ張り出した。
彼の軍服にもアルコールが掛かっていたのか、炎が彼を舐めるように纏わりついている!
俺は炎が彼の上半身に上がって来る前にと、彼の軍服を急いで脱がし、燃え盛る彼の右足には俺が脱いだ上着を巻き付けた。
じゅうと音を立てて火は消えたが、火が消えるように布を押さえた俺の手の平もかなりの熱さを感じていた。
「馬鹿だな。君の手の平が大火傷だ。私など捨てて置け。どんな姿になってもね、私は生き延びている限り利秋でいるよ。あの馬鹿達とは違う。」
「こんど阿呆が!俺達家族を名古屋旅行に連れっいくんじゃねのか!戦地で野宿ばっかいの俺はな、物見遊山な旅行は一度もした事が無んだよ!」
俺の腕の中の男は馬鹿笑いをあげ、俺の身体に両腕をまわした。
彼の頭は俺の肩に押し当てられ、そして、俺はそんな彼の背中に腕をまわした。
「俺は時々世界をこんな風に燃やし尽くしたいと思うよ。」
俺は利秋を抱え直し、無理やりに立ち上がった。
「だったら逃げるぞ。こんな奴らの為に殺人放火犯で捕まってどうする!」
「こんなやつらって、一時は私の親友だった奴らですよ!君は私を感傷に浸らせてもくれないのか。」
「感傷など不要だ。新しいお友達の俺がいるだろ!さあ、歩め!」
「は、はは。衛、俺はりまを君にやりたくは無かったよ。もっと上の奴らの誰かに嫁がせるつもりだった。」
俺は憎まれ口しか叩かない男を引き摺ることにして、しかし、俺の首に両腕をまわして俺に引き摺られる男は俺に完全にぶら下ったままで、それどころか陽気に笑い出した。
「本気で歩くつもりな無いな!こん馬鹿は!」
「ハハハ!馬車の窓から半裸のお前を見せて、あんなゴリラは嫌だとりまが叫ぶと期待したのに!ハハハハ。りまはな、素敵な男性です!と目を輝かせたのさ。俺はがっかりしながら、君を義弟にしなければならなくなった。おかげさまで、ゴリラに荷物のように引き摺られているを体験中だ。」
「お前は!酒をばらまいただけでなくて飲んでもいるな。」
「君は飲んでもいないのに、ものすっごく顔がにやけているぞお!」
「お前は!こん馬鹿はいい加減に黙れ!」
俺は大きく溜息を吐くと、抱き引き摺っていた利秋を自分の肩に担くようにして持ち上げた。
俺の家族となった彼を、絶対に生かして家に帰らねばと心に決めたのだ。
この先、利秋の理想に乗ってやるのも悪くはない。
一蓮托生、華々しく散るのか、長生きできるのか。
利秋に付き合った事で早死にをするかもしれないが、美しい妻を愛し愛される人生ならば、俺は決して後悔はしないであろう。
いいや、俺はあの上邪という詩を読んだ時に誓ったじゃないか。
俺もあの詩と同じく、世界が滅ぶまで彼女を愛し続けると。
簡単に死ぬものか。




