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私の愛した旦那様は百姓上がりの陸軍士官様でございます  作者: 蔵前
悪徳の実を齧ろと囁くのは蛇なのか、己の心そのものなのか
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へそを曲げた妻

 ヨキは俺の前の妻、せんの事をしつこいくらいに覚えている。

 そして、許していない。

 そのせいかりまが嫁いで来てから今まで、それはもう針に糸を通すようにしてりまの一挙手一投足を伺っていたともいえる。


 俺がそんな目に遭っていたら、いびられていると思い込んでの疑心暗鬼で、裸足で逃げたはずだと思えば、おおらかで心の広いりま様様である。


 いや、ヨキのせいにしてはいけないだろう。

 俺こそが疑心暗鬼だったのだ。


 まだ花も咲かない金木犀の下で、りまと利秋が花を咲かせたと勝手に思い込み、りまを抱けば利秋に奪われるとひたすらに信じていたのである。


「私が正妻なんだもの!愛している衛様の子供を産めるなら、たった一度の伽になっても構わない。」


 情けない俺の頭を粉々にした一瞬だ。

 何かを成さねば自分が保てず、それゆえに桐野様に置いて行かれたことを嘆き、その後は少しでも栄達を望んで言葉まで変えていた。


 それもすべてりまを手放したくないという恋心か!


 この年で十も違う少女に完全に懸想してしまうとは!


 部屋から出て来なくなったりまの部屋の前で、俺は彼女に呼びかけようと、ああ、心も体も震えながら声を出した。


「愛しいお前の顔が見たいから出て来てくれ。」


 しんと静まり返ったりまの部屋。

 俺は頭をかくと、もう一度部屋にいるだろう彼女に声を掛けた。


「愛しいわいの顔が()ろごちゃっから出て()っくれ。」


「あ、あんな恥ずかしい、浅ましい所ばっかりお見せしたのに、あなたはそれでもそう言ってくださるの?」


 俺は後ろから声がしたとかなりびくっと飛び上がった。

 りまは涙目で、藤吾を胸に抱いていた。

 藤吾も涙目な所を見るに、彼は布団で粗相をしてしまったのだろう。

 俺は藤吾をりまの腕から取り上げて自分が抱き直すと、藤吾には聞こえないようにしてりまの耳に囁いた。


(わい)が浅ましい時なんち()何時(いっ)可愛()ぜ、そしこだ。」


「ええと。」


「俺の言葉で君が惑うのは可愛いが、それで俺が先に進めなくなるのは困ったものだ。君が浅ましい時なんか無かったよ。いつだって、どんな時だって君は可愛い。それだけだ。」


「いえ。おっしゃってることはわかりもうした。ただ、あの、花街の女のようなことをしたから、……厭きられてしまわれたのかと思て。」


 俺の言葉をほんの少し混ぜて話すりまはとにかく可愛らしいのに、りまが、ああ、なんてことを言うのだ!

 君の白くて美しいあの神々しい姿が俺の脳裏に蘇ってしまったじゃないか。

 俺が藤吾を落しそうになるほどに。


 そして、抱えている藤吾の顔がりまに向いていないことを良い事に、俺はりまを引き寄せてその唇に唇を合わせた。

 ふうわりとした唇の触感だけで俺の心は浮き立つようで、俺の中の劣情は一気にりまに襲いかかりそうになるほどに溢れ出てきた。


 これはいけない!

 しかし、俺の理性に体は従わない。

 しつこくりまの唇を探索しようと舌まで出す有様だ。


 それでも俺はりまに嫌われたらという恐怖心こそ呼び起こし、彼女から離れるべき体を叱った。

 笑えるが、俺の身体はりまに嫌われたくないそれ一択だ。

 けれど、りまから離れる時、俺の舌はほんの少しだけ彼女の上唇を舐めるようにしてしまった。


「あ、はあ。」


 りまは小さな吐息を漏らし、だがその声はうっとりとした女が出すものだ。

 俺の胸は彼女の吐息のお陰で誇りで膨らみ、そして、俺に自信を与えた天女は、うっとりと潤んだ瞳を俺に向け、すぐその後にパッと目を見開いて慌てた様な声を出した。


「あ、あ、あの、旦那様!今は藤吾の着替えを先にしてあげなければ。」


「おおそうだった。お尻丸出しは寒いな。」


 俺の肩にいる藤吾は鼻を大きく啜った。

 俺のせいで早速風邪をひいてしまったのかと慌てたが、藤吾のその鼻啜りは涙によるものだった。

 おねしょをした事を情けないと泣いているのだろうが、今の俺はそんな息子を大したことは無いと言ってやれる余裕と幸せに満ち溢れている。


「おお、よしよし。失敗は誰にでもあるぞ。」


「ぼ、僕はどうしておねしょするようになったのでしょうか。」


「家では俺と自分を呼んで、お父ちゃんお母ちゃんと俺達を呼べば治るんじゃないのか?お前は子供のくせに気を使い過ぎだよ。」


「まあ、本当にそうね。いいのよ、お母ちゃんで。」


「でも、ちちう、お父ちゃんが、母ちゃんを母上って呼べって。じ、仁のためには僕もそれで頑張って。」


「ああ、俺のせいじゃったか。そうだな。俺のせいじゃ。」


 わん!


 せっかくの団らんを邪魔した犬の鳴き声に俺は下を見下ろし、不細工で大きな雑種犬の下腹部の毛が少し濡れていると知って俺は物凄く嫌な気持ちになった。


「なあ、藤吾。お前がおねしょするのは、黒五の朝の散歩に遅れる時に限って、ではないのか?」


 藤吾もりまもアッと言う顔をして黒五を見返した。

 馬鹿犬は小首をかしげ、注目が嬉しいと大きな尻尾を大きく振った。

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