約束は出来ない
りまは俺を睨んでいる。
唇だって尖らせている。
なんて、可愛いんだ。
だけど、何を俺にそんなに怒っているんだ!
三日前に、身元が不確かな足がぶっとい真黒な仔犬を連れ帰って来た時も、そいつはデカくなるぞと叫びたかったが、俺はりまを怒鳴りはしなかった。
藤吾が利秋様と間男な奴を褒めたたえ、その悪魔の仔犬があいつの差し金だと知った所で、俺はりまを叱らなかった。
君が利秋にこそ永遠の愛を誓いたい気持ちを漢詩に込めていたと知って、俺は心が張り裂けてもいたのに、君を叱るどころか慰めようとまでしたじゃないか。
全体的に見ても、りまよりも俺の方が怒っても良い情況ではないか?
怒りは不条理に対して抱くものなのだから、俺こそ怒るべきなのでは?
俺はりまを真っ直ぐに見つめた。
「りま殿。俺は君よ怒らす何かをしたのやろか?」
俺の口から出た声は、伺うような情けないものだった。
戦場の悪鬼、そんな呼び名の男が過去にいたな……。
俺は自分が情けなく思いながらりまを見返し、……!
りまは、ああ、なんと両目にじわりと涙を浮かべているじゃないか!
「一体君に何があったのだあああ!」
俺は再び掬い上げるようにしてりまを膝に抱き、この愛しい女を惑わす全てを破壊してやるぞと心に誓った。
「衛様は私に隠し事をされていませんか?」
「なにを?」
声が裏返ったのは仕方が無い。
俺は毎夜、りまに口づけ、りまを布団に転がして色々やりたい、という事を妄想している。
そんな俺を突きつけられたのかと脅えたのだ。
「ほら、やっぱり!ああ、これも私のせいなのね!」
「何がわいのせいなんだ!」
りまは俺の腕から乱暴に逃げ出すと、腰に手を当てての仁王立ちという可愛らしい格好で俺を見下ろした。
このまま怒らせて、りまのこんな風な姿で罵られるのも良いな。
俺の邪な思考を読まれたのか、りまの顔は真っ赤に染め上がった。
「わ、私が最後まで許していないから!あなたは毎週木曜に花街に出掛けて、ああ!そこで!戦ごとの相談もされているのね!」
……どうしよう、違うと言えない。
どうして木曜の事がバレたのだ?
そこで俺の脳裏に海軍の方の利秋の顔が浮かんだ。
あいつは三日前の高官が催した茶会で俺に絡んでこなかったか?
海軍の白い制服を纏って輝くあいつは、茶会に招かれている全ての視線を独り占めしているだけで満足しなかったのか、上司の命令で下働き要員となった俺にわざわざ近づき、俺の耳に悪魔の火種を落とし込んだのである。
「瑞々しい果実も早く食べねば固く干からびてしまうぞ。」
それから奴は俺の目の前で自分は客だと俺の境遇を鼻で笑い、更なる攻撃を俺の胸に押し込んだのである。
「毎週木曜日の加藤少尉の想い人。我が美しい妹よりも御執心なのは許せないと私は考えておる次第でありますよ。」
「君は!どこまで知っちょっんだ!」
「恐らく全部。あなたが袖にされっぱなしって事までね。悲しいかな。私は妹が泣くことになっても、あなたには木曜日の君の心を射止めて欲しいと思ってもいる。」
利秋はそこで言葉を切ると俺の前から立ち去った。
畜生、ぜんぶ、見張られていたとは!
「こ、このえさま!その方はどんな方なのですか!」
俺はりまの大声ではっと我に返り、りまを見返して、完全に自分を失いそうになった。
りまが帯を外しているのだ。
「何よしちょっの!」
「だ、だって。あなたさまをもう木曜日に花街に行かせたくありません!」
りまの体を俺から守っていた着物はりまの足元に落ち、俺は白く輝く天女の全身を目にする事になった。
抱きたいが、抱いたら終いの、俺が愛する人の白く輝く美しい身体。
俺は彼女から背を背けた。
「衛、さま?」
「早く服を着てくれ。」
「わ、わたしは覚悟いたしました、から!」
あの詩への涙は、恋心を思い切ったという生贄の処女の涙だったという事か!
「俺は覚悟なんかいらん。そげなものは気軽にするものだ!愛しい相手と愛しいからするものだ!心が無行為何ぞできん!」
「では、では、木曜に二度と花街に出掛けないと約束して下さいまし!」
俺はぎゅうと目を瞑り、俺に帰れとしか言わない恩人の言葉を思いだした。
たった一言。
最初の木曜日に俺に放った言葉。
「わいは侍じゃね。」
ああ、その通り、俺は今も昔も侍じゃない。
だからこそ、死ぬだけの蜂起に異を唱えて良いであろう?
「衛様!」
「約束は出来ん!」
俺の後ろで衣擦れの音がした。
そして、嗚咽を堪える音と、俺の部屋から走り去って遠ざかっていく軽やかな足音だ。
――あなたには木曜日の君の心を射止めて欲しいと思ってもいる。
賊軍になって散れと?
しかし、俺が恩人を征伐する立場になったとして、俺は剣を振るうことができるのだろうか?




