08 シンデレラは籠城中
「ひなせー。売店行くならついでに午後ティーよろー。」
それを言った生徒の名は何と言ったか。日生は記憶をまさぐるように思い出す。
入学してまもない頃……そう、想定どおり周囲が日生の存在に飽きた頃の話だ。
野暮ったい男のような風貌に、『果恋』などという不釣合いな乙女ネーム。注目を浴びたのはやはり一過性のもので、素顔は前髪に隠されたまま陰キャ認定。口数は少なく生真面目。無駄に成績だけは上等。
いじりようもいじめ甲斐も無い日生の存在は、瞬く間に教室内の空気と化した。
そんな彼女に唯一飽きもせず、やたら絡んでくる女子生徒がいた。
(……うきた? そうだ、宇喜多だ。)
入学初日の、名簿順に並べられた座席を情報源に、日生はようやく宇喜多の名を思い出す。下の名は、どんなに頑張っても思い出せないままだったが。
頭文字どおり、出席番号が若い数字の宇喜多は、入学初日は前方右側の席にいた。
教師が困惑気味に「日生果恋」の名を呼ぶなり、わざわざ振り返ってニヤニヤ眺めていたのがまさしく彼女だったのだ。
長い茶髪に隙のないギャルメイク。見るからに気が強そうでありながら、そこそこ容姿端麗。常に取り巻きらしき級友数名を従えているその姿は、絵に描いたようなスクールカースト上位女子である。
そんな目立つ存在に絡まれておきながら、日生の印象にさほど残らなかったのには訳がある。
宇喜多の絡み方が、あまりにも無害であったからだ。
きもい、死ね、と言った暴言があるわけでもない。
無視される、物を隠される、といった陰湿な行為も無い。
殴られる、金品を巻き上げられる、といった直接的被害も勿論無い。
取り巻きを駆使した、テンプレート並みのいじめなど、あるわけがない。
そう、いじめではないのだ。純粋にただ絡んでくるだけなのだ。
昼休みに日生が売店へ向かおうと席を立つものなら、「ついでによろー」の一言と百円玉を渡し、買い物を依頼する。日生からすれば特に断る理由も無い。
試験が近くなると、「ひなせー、ノートコピーさせて~」と馴れ馴れしく頼み込んでくる。これも特に断る理由が無い。
その他、細かい事例は多々あるが、きりがない上に思い出せない程度のものばかりだった。
宇喜多の人物像と教室内での立ち位置から、彼女の日生に対する行為が「いじめ」と見る者もいるかもしれないが、日生からすれば、「たまに話しかけてくるクラスメイト」くらいの認識なのである。
しかし、それならば何故今、日生がその程度の相手を思い出さなければいけなかったのか。
事態は、深刻だった。
今の日生には、たとえその程度の間柄であろうと、学校内の誰か一人にでも認識されているというだけで、一大事だったのだ。
「おらぁっ! でてこい! こらーっ!」
芝居じみた借金取りの台詞を叫びながら、アメリは日生を覆う毛布を引っ剥がそうと奮闘していた。
日生果恋、十六歳。只今絶賛籠城中(※登校拒否)である。
話は十五分ほど前に遡る。
アメリが室を訪れた時には既に、寝具上で毛布に包まる、何とも小規模な引き籠りの姿がそこにあった。
「日生ちゃーん。なにしてんのー? 学校行かないのー? 遊ぼーよー。おでかけしよー。いいお天気だよー。」
アポ無しで断りもなく上がり、毛布でコーティングされた塊を摩る、叩く、揺らす。しかしアメリのこの無遠慮かつ奔放な振る舞いを、日生は只々黙々と受け止めるだけだった。
おかしいな。アメリは眉間に皺を寄せる。
帰れ、とか、勝手に入ってくるな、とか、なんで鍵開けられるんだ、とかあってもいいのに、この無抵抗……。腕を組み、首を傾げる。
「ひーなーせーちゃーん。お外いこー。」
「……。
…………むり。」
「はい~?」
絶望にまみれた呟きを、アメリは聞き逃さなかった。
「むり……絶対無理……。外なんて出れない…………人前とか、まじ、むり……」
「え? え? ちょちょちょ、どしたの? 日生ちゃん。」
「…………。」
「日生ちゃーん? 日生さーん? 日生果恋さーん?」
「…………もう、」
「なに? え、なに?」
「鏡も無理……」
「はいぃ~???」
日生の嘆きは要約すると、次のようだった。
・朝丘の店では、自身の変貌に間違いなく満足していた。
・しかし帰宅すると徐々に冷静になってきた。
・この髪色は自分に釣り合っているのだろうか?
・かなりハイレベルなスタイルにされたのではないだろうか?
・そもそも、自分にこのスタイルを維持できるのか?
・普段からろくにヘアセットもしない。化粧もしない。
・鏡を見れば見るほど、似合わな過ぎて滑稽に感じてくる。
・目も当てられない。人前などもってのほか。
・学校どうしよう。
「そうだよ……少し考えれば当然なんだよ。あるあるなんだよ……これ。……美容院では美容師が仕上げてくれるから、その時だけはキマってるように見えるけど、帰ってきて風呂からあがると現実に戻るんだよ……鏡は嘘つかないんだよ……迂闊だった……所詮は私だったんだ……」
弱音を吐いた途端に、栓が抜けた日生の感情が、饒舌というかたちで一気に流れ出した。二つの意味でアメリは唖然とする。
「えぇ……かつてないくらいめっちゃ喋るじゃん。」
「私……変な頭した勘違いブスじゃん……」
「低ッ! 自己評価! 地獄!」
アメリの奮闘開始はそのあたりからである。
最初こそ借金取り風にふざけていたアメリだったが、日生の反応があまりにも薄かったせいか、柄にもなくまともな説得へと切り替えだした。
「だいじょぶだよー。超似合ってるよ? 日生ちゃん素材いいし絶対みんな見る目変わるってー。注目の的ですぜ、ダンナ?」
「…………それがやだ。」
「へ?」
「暗いとか、男みたいって定着したのに、急に色気づきやがってって笑われるやつだし……。」
「こよなくめんどくさいなこの人。」
理解不能な価値観と抵抗感に、アメリはそうそう考えることを放棄した。唇を尖らせながら溜め息をつき、おおよそ頭部であろう部分の毛布を撫でる。
「わかりませんなーその感覚。きれいになったんだから、堂々とすればいいのに。」
聞き捨てならなかったのか、そこでようやく日生が顔のみを覗かせた。洞窟の中から窺うかのように、睨んでくる。
「あんたね、進学や休み明けにデビューする陰キャほど痛々しいものは無いんだよ?」
「今は進学の時期でも休み明けでもありませーん。」
アメリは飄々と身体を揺らした。
「じゃあ訂正。気合入れた陰キャは痛い、キツイ、見てられない。」
「何言ってるのかわかりませーん。ウホ~? ウホウホ~?」
「はっ倒すぞ。」
「ウホ~イ。」
「『こわ~い』じゃねえよ。」
言い争っているうちに身体を起こすまで立て直した。それでもまだ毛布は被ったまま、日生は気疎い息をつく。
「とにかく、これって一番痛いパターンなんだって。髪だけとりあえず明るくして、それ以外ノータッチの最悪にだっさい勘違いパターン。」
「それ以外って?」
間髪いれずに、目をぱちくりしながら訊ねてくるアメリに、日生は思わずたじろいだ。
「だから……化粧とか、服装……とか。」
苦し紛れの説明に、アメリは右拳を左掌で受け止め大きく頷き、これでもかというくらいの納得をみせた。
「確かに、日生ちゃんって恵まれたルックスからのクソみたいな童貞ってセンスしてるもんね。」
「あんた本当に私のこと好きなの?」
すーきーだーよぉーちゅ~。両腕を広げて迫ってくるアメリの顔を、日生は片手で押し退けて冷静に対処する。この鬱陶しい求愛には慣れたものだが、たった今さも自然に酷評された件については、些か動揺していた。童貞って。え、童貞って。
「じゃあ今からお洋服買いに行こうよ。お化粧はアメリがみっちり猛特訓したげる。」
動揺が解決する間すら無く、アメリは提案し、提案に逆らう間すら無く、日生は洗面所へと連行された。




