06 ドラマチック未遂
「にしてもさー、ダブルカラーでぶっ通し爆睡するとか、芸人の域だよ~。」
はしゃぎっ放しの雑談の中で、アメリは施術時の日生についての話題にも触れた。
聞きなれない横文字が多いもので、所々理解は怪しいが、思いのほか時間が経過していた事実に驚かされる。
しかも察するにあらゆる施術……シャンプーやドライヤーの時でさえ、日生は健やかに眠っていたのだという。
……いやいや、おかしいだろ。シャンプー台とかどう移動したんだ? 自分の寝起きの悪さを自覚しつつも、物理的不可能な話に日生は眉を顰める。
「あれ超ウケたよね~。」
「うん。あんな感じの、ドッキリ、むかし見たよね。」
まじで何があったんだ。
和気藹々組の話についてゆけず動揺する途中で、雑談は唐突に止んだ。
指が繊細に唇を叩く。
それは、完成の合図だった。
「でっきあがり~。」
アメリは両手と歓声をあげ、続けて、「ごたいめ~ん」とはしゃぎながら、椅子を回転させる。
御対面。言葉どおり、日生は数時間ぶりに自身との再会を果たした。
鮮烈過ぎる面会だった。
「……────っ」
先ほどの、聞きなれない横文字の意味が、想像以上に長かった施術時間の理由が、今ならわかる気がする。
文字通り言葉を失う。
真っ先に飛び込んできたのは、明るい髪色のショートボブ。
……なんだ、これ? 光沢で色が変わるのか?
こういった類に疎い日生には、どう表現すべきか判らない不思議な色合いに仕上がっている。
「オレンジベージュをベースに、ブロンドのメッシュを入れたんだ。エクステ、だけどね。トーン自体は、そこまでじゃないけど、印象的には、明るく見えると、おもうよ。」
読心術でも使うかのように朝丘は説明してくれた。
しかし説明されても、理解が驚愕に追いつくはずがない。わかるのは、とにかく手が込んでいるということだけだ。
色味ばかりに目を奪われたが、カットもまた、今までの印象を覆していた。全体的に軽やかで透け感を重視しているのに、短すぎない。
それは長年にわたり、重く日生を隠し続けていた前髪も、例外ではなかった。
軽やかに、靡くようにカットされた前髪により、露わとなった最大級の衝撃が、日生を驚愕させる。
言葉を失う、なんて生易しい。
日生の思考は完全に停止した。
鏡の中にいたのは、まごうことなき「女」だった。
間違いなく、その顔には化粧が施されている。
にも関わらず、眉も、瞼も、睫毛も、頬も、肌も、唇も、まるで化粧の力に頼っていないかのように、あくまで自然体な変貌を遂げているのだ。
杞憂していた、厚化粧の粗末な顔など、どこにも無い。
日生の知らない、日生果恋という女が存る。
「えへへー。ハーフ系のセクシージェンダーレスをめざしてみましたー。」
なにをいってるのかぜんぜんわからない!
ただなにかすごいということだけはわかる!!
はーふけーのせくしーじぇ…………え? 呪文? スタバの注文?
アメリの緊張感皆無な声に、日生はようやく意識を取り戻した。脳内に羅列する言葉はまだ、変換が追いつかないが。
「…………、」
当然、発声はもっと難しい。
こんな、まさか、こんな。口の中で留め繰り返すばかりで、鏡の中の別人に目を奪われるばかりである。
「本人が、いちばん驚いちゃった、みたいだね。」
背後で朝丘が、吐息のような微笑みを漏らした。
「ひなせさん、」
鏡越しに語りかけてくる。
「ご感想、いただけますか。」
「…………わ、私……、」
ようやく、日生の唇が身じろいだ。
「むかし……から……その、よく、……父に、似てるって……顔……男みたい、って、言われて、て……その、…………すみません……」
視線が右往左往する。
鏡の中の、アメリにだったり、朝丘だったり、自分自身だったり、行ったり来たり定まらない。
「こんな……自分でも、信じ、られなくて……」
最終的には俯いてしまった。
「たしかに、女の子にしては、精悍、な顔立ちだよね。」
せいかん……
言われたままを復唱にして鏡を見ると、朝丘が真後ろに立っていた。日生の、切りたての髪を指で梳かしながら、輪郭に沿って整える。
「だけどこれは、あなたの強み、だよ。中性的で、バランスもいい……こうして、化粧栄えもするし、こんな髪色が浮かないのも、ひなせさんの貌だから、なんだよ?」
“私の” “顔” “だから”
今度は頭で復唱する。自分へ、自分を確認する。
────“あなたは、あの男そのものよ。”────
十六年分の、価値観を、初めて否定する。
「人生、はじめられそう?」
ここでの『無価値』は、冒涜だ。
彼に対しても、
自分に対しても、
彼女に、対しても。
「…………はい。
……たぶん、ですけど。」
「うん。たぶん、で充分。」
それでもなお、尻込みからは抜け出せそうにない返事を、朝丘はすんなり受け入れてくれて、日生は息をついた。
「……アメリ、」
安堵したところで、最重要課題へ挑む。
日生にとっていちばん、重要で、難題で、気恥ずかしい、課題。
「ほい?」
当の本人は、全く重要視していないようだけど。
アメリの姿を目にするなり、日生の感極まった面持ちが一瞬にして崩壊する。
……いや、おい、なに寛いでんだよ。
いつの間にソファに移動したんだよ。この流れで空気読まずにテレビ見てんじゃねーよ。
「アメリ的にはー、タクゾーが超あやしーと思うんだよねー。」
しかもおか○な刑事の再放送かよ。
面白いけどさ、テレ朝の刑事ドラマにハズレは無いけどさ。あんたはどう考えてもTBS系ドラマの女だろ。逃げ恥とかそっちを観ろあんたみたいな女は。いや面白いけどさ! お○しな刑事!
「私は科捜研派だけどな!!!」
「えぇ……突然なにこの金髪ゴリラ。」
いけない。あまりの空気の読めなさに混乱して、心の声が一部はみ出てしまった。咄嗟の事とはいえ冷静さを欠いたその過ちを、日生は悔いた。
これでは確かに、アメリの言うとおり突然意味不明に叫んだゴリラも同然だ。もっと理性を保たねば。アメリにドン引きされたのは弱冠……いや、かなり心外ではあるが、本能のまま叫ぶのは、やはりいただけない……
「ちがうよ、アメリちゃん。金じゃなくて、オレンジ、だよ。」
違います、大天使。違います其処じゃありません。ゴリラです。ゴリラを訂正してください。正しいのはゴリラです。よもやゴリラは妥当だとお思いなのでしょうか?
またもや飛びかけた理性を、日生は今度こそぐっと堪えた。
小さく咳払いをして仕切りなおす。
アメリと向き合い、視線を合わせる前にまばたきを数回挟むと、マスカラで固めた睫毛がぱちぱちした。
慣れない化粧をしているんだな。そんな実感に気恥ずかしくなる。
「その…………、…………ありがと。」
気恥ずかしい理由は、それだけじゃ、ないけれど。
「え~そんなあ~。いや~照れますなー。じゃ、お気持ちはちゅー一回でいいですよん。」
むしろ気恥ずかしさだけじゃないけれど。
この女への感謝には、まだ少々癪がちらつく。
「わあ、ラブラブだね。」
もうやだこの天使。
相乗効果で倍面倒くさくなる二人に挟まれつつも、感謝感激は決して嘘ではない複雑な心情で、日生は鞄をまさぐりだした。
支払いだ。
強制的ではあったが、結果的に満足のいく仕上がりにしてもらえた。本日が休業なのはともかく、ちゃんと店を構えた美容師が手掛けてくれたのである。それ相応の報酬は出さなければ。
「ひなせさん。はい、これ。」
日生が財布を取り出すより先に、朝丘は何かを手渡してきた。封筒のようだ。
「え?」
首を傾げつつも差し出されるがままに受け取る。封筒は、厚みがあり丈夫な奉書紙製で、中身が見えずとも現金が入っているのがわかった。
「あの……これって、」
しかし、それを渡される理由は解らない。無償でスタイリングしてくれる上に現金までおまけする美容院が、どの世界にあるというのか。
訝しげにする日生に対し、朝丘は一片の汚れも見当たらないまっさらな微笑みを向ける。
「ん? 交通費。」
「……こうつう、ひ?」
「当然の支給、だよ。撮影後には改めて、お気持ち、渡すけど、あまり期待しないでね。」
「おきもち……? 撮影……?」
「撮影の日なんだけど、あまり、日を空けたくないんだ。ごめんね、ヘアカットの維持の関係で。今週末あたり、どうかな?」
「……???」
話がてんで噛み合わない。やはり人間と天使に意思の疎通は不可能なのだろうか。彼が何を言っているのか解らない。
「あれ? もしかして、きいてない?」
ちがう。意思疎通の問題ではない。噛み合わないのは、朝丘のせいでも、無論、日生のせいでも、ない。
その瞬間、日生に悪い予感と只ならぬ憶測がよぎった。
「……すみません……説明、頂けますか?」
大天使が後光を射しながら、残酷な種明かしを華麗に披露する。
「サロンモデル、だよ。
おれ、来月独立店出すんだけど、ホームページとか、チラシに載せるモデルさん、探しててね。初期費用、抑えたいし、アメリちゃんが遠縁のよしみで、自分と友達が、格安で手伝ってくれるって…………あれ?」
「…………。」
なんて愛らしい「あれ?」でございましょう。
実年齢は存じませぬが、きっとあなたのくらいでしょう。その年でその仕草が許されるのは。独立店? ええ、ええ。きっと繁盛することでしょう。その愛され体質を存分に発揮すればすぐ軌道に乗りますよええ。独立おめでとうございます。
後光に照らされながら一通りの現実逃避を終えたあと、日生の意識は、悪い予感と只ならぬ憶測の答えを、冷静に紐解き分析した。
辿りつく答は、当然一つしか、ない。
いいや。一人しかいない。
「…………アメリ、」
や は り お ま え か
「日生ちゃんっ、日生ちゃん! ほら! やっぱり犯人カドノタクゾーだった! アメリ大正解マジ名探偵っ。」
このうえなく得意気に、このうえなく表情を輝かせ、テレビを指さし意気揚々と手招きするアメリに無言で歩み寄った日生は、問答無用で彼女の両頬を抓りあげた。




